L6/40(Carro Armato Leggero da 6 tonnellate Modello 1940)は第二次世界大戦中にイタリア陸軍で運用された軽戦車である。Lは軽戦車のクラス(Leggero)を示す。

L6/40
バルカン半島におけるイタリア軍のL6/40
性能諸元
全長 3.84 m
車体長 3.78 m
全幅 1.92 m
全高 2.03 m
重量 6.8 t
懸架方式 トーションバー方式
速度 42 km/h整地
25 km/h(不整地
行動距離 200 km
主砲 ブレダ M35 20 mm 機関砲
副武装 ブレダ M38 8 mm 車載機関銃(同軸)
装甲 6 mm - 30 mm
エンジン フィアットSPA英語版 18D 直列4気筒液冷ガソリン
68 hp/2,500 rpm
乗員 2 名(車長 兼 砲手 兼 機銃手 兼 装填手 兼 無線手、操縦手)
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1941年 - 1944年の間に、432輌が生産された。

主に北アフリカの砂漠やロシアの平原で、大戦後半にはイタリア半島バルカン半島で、偵察戦車として使用された。

開発と生産

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  [1] - ローマのCSM(Centro Studi della Motorizzazione、自動車化研究局)で試験を受ける「Carro d'Assalto Modello 1936」。1935年11月12日。
  [2] - 「Carro d'Assalto Modello 1936」

1930年代イタリアL3軽戦車(実質は豆戦車)を開発、量産して装甲部隊の基礎を築いたが、無砲塔・軽装甲・弱武装のL3は、偵察用としても力不足なのは、30年代半ばには、既に明らかであった。

1935年、フィアット社とアンサルド社は、L3に不満を持つ、陸軍最高司令部からの要求により、 37 mm砲と旋回砲塔を備えた新戦車を、共同開発することになり、当時、L3シリーズで最新のL3/35を発展させた、5 t軽戦車の試作を開始した。

それらは、L3/35と同じシャーシとエンジンコンパートメント(機関室)でありながら、新しいトーションバーサスペンションと変更された上部構造物を備えていた。

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  「Carro Cannone Modello 1936」
  「Carro Cannone Modello 1936」
  「Carro Cannone Modello 1936」の小砲塔無し状態。

1935年末頃に完成した、最初の試作車である「Carro d'Assalto Modello 1936」は、ヴィッカース=テルニ 26口径 37 mm砲装備の一人用旋回砲塔を備えていた。

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  「Carro Cannone Modello 1936」の小砲塔無し状態。

1936年に完成した、2番目の試作車「Carro Cannone Modello 1936」は車体前部左側のヴィッカース=テルニ 26口径 37 mm砲に加えて、戦闘室上面の旋回小砲塔にフィアット レベリ M35 8 mm機関銃を連装で装備していた。小砲塔を外した状態での試験も行われた。「Carro Cannone Modello 1936」は、フィアット社とアンサルド社が、L3大隊の支援車両の開発を試みたもので、軍が要求したものではなかった。

しかし、これらは軍に採用されなかった。

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  M6中戦車 プロトタイプ。背景にいるのはL3/35。量産車との違いとして、車体後部右側に雑具箱がある。量産車では雑具箱は小型化して予備転輪と共に車体後部左側にある。
  M6中戦車 プロトタイプ。量産車との違いとして、車体後部左側に消音器(マフラー)がある。量産車では車体後部右側にある。

フィアット社とアンサルド社は、不特定の外国からの要請により、両社の自己資金によるプライベートベンチャーとして、L3軽戦車を発展させた輸出用戦車として、砲塔に2挺のブレダ M38 8 mm機関銃を備えた、3番目の試作車「M6中戦車」を試作した。開発は1937年暮れに始まり、1939年10月26日に軍に披露された。


時を遡ること、1938年12月1日、軍は、「重量7トン、最高速度35 km/h、航続距離12時間、武装は20 mm機関砲と同軸機関銃 または 旋回砲塔に2挺の機関銃」という、「M7中戦車」という新型中戦車の要求仕様を提示した。

これに対し、フィアット社とアンサルド社は、輸出用戦車として開発していたM6中戦車で、応えた。しかし、それはM7中戦車の要求仕様の一部にしか応えられなかった。

しかし、CSMのコズマ・マネーラ(Cosma Manera)将軍は、M6中戦車に関心を示し、旋回砲塔の兵装を20 mm機関砲に変更することを条件に、受け入れることを提案した。これは、戦車の対装甲能力を向上させることに加えて、航空機との交戦も可能にすることを目的としていた。

この改修された新しいM6中戦車が原型となり、L6/40軽戦車が開発された。

L6/40は、試作時にはM6という名称で(MはMedio=中)、中戦車に分類されていたが、M13/40 中戦車が登場したことにより、1940年6月13日の通達で、中戦車の要件がそれまでの「5トン以上」から「8トン以上」に引き上げられたために、L6/40という名称になり(Lはleggero=軽)、軽戦車に分類変更された。

L6/40の車体の基本的デザインは、砲塔を持つ他は、ほぼL3軽戦車のままで、ただし足回りは機構を一新し、転輪2個のボギー2組を、長大なスイングアームを介してトーションバーサスペンションで懸架した。接地長を稼ぐため、後部誘導輪も接地する型式であった。

L6/40に先だって採用されたM11/39中戦車の足回りはリーフスプリング型式で、その後も量産されたイタリア製中戦車重戦車はすべて同型式を踏襲したので、結果的に、L6はイタリア戦車中最も特徴的な足回りを持つことになった。

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  L6/40 プロトタイプの砲塔内部
  L6/40の透視図

M6中戦車の試作時には、武装が決まらず、暫定的に砲塔にブレダ M38 8 mm機関銃を連装で装備したが、生産型では、試作車に比べ大型化した砲塔(1941年型砲塔)にブレダ M35 20 mm機関砲とブレダ M38 8 mm機関銃(同軸)が搭載された。この砲塔設計は同時期に作られたAB 41装甲車にも流用された。この20 mm機関砲の搭載は、地上目標だけでなく、航空目標の攻撃も企図したものであったが、実際に完成した砲塔は、航空目標を索敵・追尾するには視界も悪く、航空目標を攻撃するのに十分な仰角もとれなかった。

なお、5 t軽戦車の試作と同時期の1937年に、スペインの国民戦線では、L3/35を基に、「C.C.I. Tipo 1937」(1937年型歩兵戦車)という、ブレダ M35 20 mm機関砲を旋回砲塔形式で搭載した軽戦車が試作された他、ドイツから供給されたI号戦車A型4輌が砲塔にブレダM35 20 mm機関砲を搭載するよう改造されている。

1940年3月18日、イタリア陸軍は、M6中戦車を、583輌分発注した。

M6(L6/40)の大量受注により、アンサルドはフィアットに生産を委託したので、L6/40の生産は、トリノのコルソ・フェルッチにある、フィアットの子会社、SPA(ピエモンテ自動車会社)の工場において(のみ)、最終組み立てが行われた。なお、セモヴェンテ da 47/32も、同じ工場で生産されている。

最初の納入が行われたのは、1941年5月22日で、予定より3カ月遅れた。

1941年6月末、発注内容が変更され、発注された583輌分のL6/40の内、300輌分のシャーシがセモヴェンテ da 47/32用に回され、L6/40の分は一時的に283輌(この数字がL6/40の総生産数と誤解されることがある)に減ったが、583輌の発注数自体は維持された。

L6/40はL3の代替として1935年から開発されたものの、結局、生産は開戦後の1941年からとなり、この頃には、20 mm機関砲は連合国軍の主力戦車には通じず、ソ連の14.5 mm対戦車ライフルには500 mの距離から撃破されるなど、既に能力的に見劣りするものとなっていた。

それでも、生産は続けられ、1942年5月18日には、生産継続を正式に決定する命令が出され、1942年6月、444輌のL6/40と460輌のセモヴェンテ da 47/32を生産する新たな契約が締結され、1943年12月1日、ようやく生産を停止することが決定された。

休戦までに、イタリア陸軍のために415輌が生産され、さらに1943年11月から1944年後半まで、ドイツ占領下で17輌が生産され、計432輌のL6/40が生産された。

L6/40は主に偵察任務の騎兵師団に配備された他、イタリア軍だけでなくドイツ軍も対パルチザン戦に使用した。一方、ユーゴスラビアの共産主義パルチザンも、1943年のイタリアの降伏により、本車他を鹵獲して使用した。残存した車輛はイタリア軍によって1950年代初頭まで使用された。

バリエーション

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  L6 lf
L6 Lf 火炎放射戦車
L6の主砲をL3 Lf 火炎放射戦車と同様の火炎放射器(Lf=ランチャ・フィアンメ)に変更したもの。試作のみ。
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  L6/40ベースの弾薬運搬車とトレーラー
弾薬運搬車
砲弾を6発しか搭載できないセモヴェンテ da 90/53の支援用に開発。90 mm砲弾26発を搭載可能であり、また砲弾40発を搭載するトレーラーを牽引する。
セモヴェンテ M6 da 75/18
第二次世界大戦前にアンサルド社が設計した、M6(後のL6/40のプロトタイプ)の延長したシャーシの上に、75 mm榴弾砲を搭載する「予定であった」自走砲。砲を囲んでいるのは、固定戦闘室ではなく、密閉式砲塔でもなく、上面と背面が開いた限定旋回式の防盾である。木製のモックアップのみ。1939年~1940年頃の計画。
セモヴェンテ L40 da 47/32
1939年から40年にかけ、L3軽戦車をベースにした自走砲が開発されたが、これは車体が小さすぎ不採用となった。引き続き、新たに採用になったL6軽戦車車台を使った自走砲が開発され、1941年に試作車が完成、採用された。1943年までに414輌が生産された。
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  [3]
チンゴレッタ アンサルド L6(Cingoletta Ansaldo L6) もしくは CVP 5
装甲兵員輸送車 兼 弾薬運搬車。いわばイタリア版のユニバーサルキャリア。AB 41装甲車の88 hpエンジンを搭載。2種類が試作され、武装は、1番目の試作車が、ブレダ M38 8 mm機関銃。2番目の試作車が、ブレダ M31 13.2 mm重機関銃と無線機。1941年末までテストされた。両方とも不採用。

登場作品

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ゲーム

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R.U.S.E.
イタリア火炎放射戦車としてL6 Lfが「ランチァ・フィアンメ」という名称で登場。
World of Tanks
イタリア軽戦車L6/40として開発可能。砲塔に37 mm砲を備えた試作車相当から、20 mm機関砲搭載の量産型相当に改造できる。
War Thunder
イタリアの軽戦車L6/40としてブレダ 20 mm機関砲搭載型が登場。セモヴェンテ da 47/32も登場。
トータル・タンク・シミュレーター
イタリアの改軽戦車L6として登場。

参考資料

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  • 島田魁、大佐貴美彦、「特集:第2次大戦のイタリア軍用車両」、「グランド・パワー」1995/8、デルタ出版
  • Peter Chamberlain, Chris Ellis, PICTORIAL HISTORY OF TANKS OF THE WORLD 1915-45, Arms and armour press, London 1972