フアン・アブレイユ
フアン・アブレイユ(Juan de Dios Abreu Reyes , 1985年4月8日 - )は、ドミニカ共和国・ドゥアルテ州サン・フランシスコ・デ・マカリス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。日本では、ホアン・アブレイユと表記されることもある[1]。
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | ドゥアルテ州サン・フランシスコ・デ・マカリス |
生年月日 | 1985年4月8日(39歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2003年 |
初出場 | 2011年8月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集カンザスシティ・ロイヤルズ傘下時代
編集2003年7月、カンザスシティ・ロイヤルズに入団[2]。
2005年に、ルーキー級のアリゾナ・リーグ・ロイヤルズで14試合に登板し、うち13試合で先発を務めた[3]。しかし、52.1回で被安打72・与四球27を許し、WHIPも1.89という数字に終わった[3]。
2006年は、パイオニアリーグのアイダホフォールズ・チュカーズで全てリリーフとして20試合に登板[3]。成績は4勝2敗・防御率5.76だった[3]。
2008年、A級のバーリントン・ビーズで主にリリーフを務め、22試合に登板した[3]。登板した全ての試合で3個以上の三振を奪い[4]、年間では76.1回で104奪三振を記録した[3]。
2009年は、7月途中までA+級のウィルミントン・ブルーロックスで全てリリーフとして20試合に登板した[5]。5月から6月にかけて11試合連続無失点を記録するなど[5]総じて好投を続け、3勝2敗12セーブ・防御率1.69という成績を残した[3]。7月にAA級のノースウエストアーカンソー・ナチュラルズへと昇格[5]。ここでもリリーフを務めたが、8月後半以降に相次いで失点し[5]、防御率が急落。AA級での成績は16試合・2勝2敗・防御率5.75だった[3]。
シーズン終了後の11月9日にフリーエージェントとなり、同月24日にアトランタ・ブレーブスと契約した[2]。
アトランタ・ブレーブス傘下時代
編集2010年、開幕当初はA+級のマートルビーチ・ペリカンズでプレイしたが、4月は登板した6試合中5試合で失点するなど打ち込まれ、月間防御率は10.50だった[6]。5月に入ると2試合続けて1.2回を無安打無失点に抑え、AA級のミシシッピ・ブレーブスへと昇格した[6]。昇格後は全てリリーフでチーム最多タイ[7]の39試合に登板し、4勝2敗11セーブ・防御率3.02を記録した[3]。
2011年、シーズン開幕をAAA級グウィネット・ブレーブスで迎える。6月から7月にかけて14試合連続無失点を記録する[8]など概ね役割を全うし、グウィネットでは41試合・48.0回・防御率2.25を記録した[3]。7月31日に、トレードでヒューストン・アストロズへと移籍した[2]。
ヒューストン・アストロズ時代
編集8月2日から、当時アストロズの傘下にあったAAA級オクラホマシティ・レッドホークス(現オクラホマシティ・ドジャース)でプレイし[8]、7試合で防御率1.86という成績を残した[3]。8月にMLBへと昇格し[8]、同月29日に行われたピッツバーグ・パイレーツ戦の9回表にメジャーデビューを果たした[2]。この試合では2三振を奪ったが、四球と三塁打を許して1点を失い、あと1アウトをとれば試合終了という状況で降板した[9]。続く9月は6試合に登板し[10]、MLB1年目の成績は7試合・0勝0敗・防御率2.70だった[2]。また、6.2イニングで12三振を奪い、16.20という高い奪三振率を記録した[2]。
2012年は、開幕から前年にもプレイしたAAA級オクラホマでリリーフを務めたが、シーズン初登板でいきなり2本塁打を浴びて4失点を喫すると[11]、その後も安定感を保てず、オクラホマでの成績は38試合・2勝3敗5セーブ・防御率7.09だった[3]。8月10日、トロント・ブルージェイズへと移籍[2]。
トロント・ブルージェイズ傘下時代
編集移籍後はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで4試合に登板し、防御率2.70だったが[3]、結局2012年のシーズンはMLBでの登板機会はなかった。10月17日にフリーエージェントとなり、11月13日にロサンゼルス・ドジャースとの契約に合意した[2]。
ロサンゼルス・ドジャース傘下時代
編集2013年は登板がなく、シーズン終了後にFAとなるが、同年12月13日にドジャースと再度契約した[2]。 翌2014年はAAA級のアルバカーキ・アイソトープスに在籍し、6月から7月にかけて8試合に登板したが[12]、成績は防御率7.11・WHIP2.53に留まり[3]、7月14日にはドジャースから放出された[2]。これで、3シーズン続けてMLBでの試合出場なしに終わった。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2011 | HOU | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 34 | 6.2 | 6 | 1 | 3 | 0 | 5 | 12 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2.70 | 1.35 |
MLB:1年 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 34 | 6.2 | 6 | 1 | 3 | 0 | 5 | 12 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2.70 | 1.35 |
年度別守備成績
編集年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2011 | HOU | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
MLB | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
背番号
編集- 68 (2011年)
脚注
編集- ^ 『月刊スラッガー3・4月合併号』、(株) 日本スポーツ企画出版社、2012年4月24日、80頁、雑誌 15509-4。
- ^ a b c d e f g h i j “Juan Abreu”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “Juan Abreu (Minors)”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ “Juan Abreu Gamelogs & SplitsPitching 2008 (Minors)”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ a b c d “Juan Abreu Gamelogs & SplitsPitching 2009 (Minors)”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ a b “Juan Abreu Gamelogs & SplitsPitching 2010 (Minors)”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ “2010 Mississippi Braves”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ a b c “Juan Abreu Gamelogs & SplitsPitching 2011 (Minors)”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ “HOU20110829”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ “Juan Abreu Gamelogs & SplitsPitching 2011”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ “Juan Abreu Gamelogs & SplitsPitching 2012 (Minors)”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。
- ^ “Juan Abreu Gamelogs & SplitsPitching 2014 (Minors)”. BASEBALL-REFERENCE.COM. January 2, 2015閲覧。