ファウスト・チリアーノ
ファウスト・チリアーノ(Fausto Cigliano、 1937年2月15日 - 2022年2月17日[1])は、イタリア・ナポリ出身の歌手、俳優。
ファウスト・チリアーノ Fausto Cigliano | |
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基本情報 | |
生誕 | 1937年2月15日 |
出身地 |
イタリア カンパニア州 ナポリ県 ナポリ |
死没 |
2022年2月17日(85歳没) イタリア ローマ |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1957年 - 2022年 |
人物
編集- 俳優としては1957年の映画『Ragazzi della marina』でデビュー。その後、1959年のナポリ音楽祭でテディ・レーノの「サラ・キ・サ(SARRA CHI SA' 英語題Sarrà who knows?)」を歌って優勝。また、1959年から1964年にはサンレモ音楽祭にも挑戦、1964年にはジーン・ピットニーと組んでミーナ・マッツィーニもカヴァー・ヴァージョンを出した「もしも明日(E Se Domani)」を歌ったが選外となっている。
- 1963年製作のマカロニ・ウエスタン、『it:I Basilischi』(英:The Basilisks、日本未公開)の主題歌を歌ったことがあり、また1970年代には「Napule mia」「Nella mia città」「Ventata nova」「Scena muta」など多くの曲を作った。デビューから半世紀余、亡くなるまで現役歌手として活躍した。
- 日本では「チリアーノ」という表記がメインのため、タレントでギタリストのクロード・チアリと混同されるが別人である。なおチアリはフランス出身である。
- 2022年2月17日、イタリア・ローマにて死去[1]。 85歳没。
日本での活動
編集私だけの十字架
編集- リリース 1977年6月1日
- レーベル ポリドール
- 早坂絃子(はやさかいとこ、作曲家早坂文雄の娘)が1970年12月にリリースしたシングル「電話」のB面曲「あの人は」が原曲とされていたが、1969年5月にファースト・チリアーノ名義でフィリップスからリリースしたLP「アモーレ・ミオ/チリアーノ愛をうたう」(型番:FS-5033)に「あの人は」が既に収録されており、元々彼のレパートリー[2]と判明した。フィリップス盤は1968年12月録音。編曲者の記載はない。
全作曲: 木下忠司。 | ||||
# | タイトル | 作詞 | 編曲 | 時間 |
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1. | 「私だけの十字架」 | 尾中美千絵 | 青木望 | |
2. | 「特捜最前線挿入テーマ」 | 木下忠司 | ||
合計時間: |
脚注
編集- ^ a b "È morto Fausto Cigliano, l'ultimo maestro della canzone napoletana". La Repubblica (イタリア語). GEDI Gruppo Editoriale. 18 February 2022. 2023年10月30日閲覧。
- ^ 『12曲のうち6曲を日本語でうたっていて、その中の2曲(渚の足あと/あの人は)は彼のために作られた日本のオリジナルです。』アモーレ・ミオ/チリアーノ愛をうたう (LP) 1969年 解説:荒井基裕
外部リンク
編集- Fausto Cigliano - ウェイバックマシン(2007年3月11日アーカイブ分) - Polosud Records
- Fausto Cigliano - IMDb
- ファースト・チリアーノ「あの人は」(1969年)