ファイアー・ドレイク
ファイアー・ドレイク(英: Fire Drake)は、おもにゲルマン(チュートン人)の伝承に登場するドラゴン(もしくは蛇)の一種である。
また、シェイクスピアの時代(17世紀初頭)の語用では、「ファイアー・ドレイク」は竜のかたちにみえる火玉(現代で言う、いわゆる「ウィル・オ・ザ・ウィスプ」)の目撃例にすぎないこともある。これを当時の識者は自然現象と説明したが、大衆的には(火の)精霊や竜であるなどという俗信も根強かった。
語釈
編集「ファイアー・ドレイク(fire drake)」は、オックスフォード英語辞典によれば、「火性の竜(fiery dragon)」を指すゲルマン伝承(チュートン人の伝承[1])とし、古例を『ベーオウルフ』(古英語: fyr draca)にみる。以降、中英語の諸例にジョン・ガワー『Confessio Amantis』(1393年)を挙げる[2]。
しかし、16世紀後半以降は、「火炎状の大気現象」や「ウィル・オ・ザ・ウィスプ」を指すようになった[2]。
また、転じて人間をさすこと(第3義)もあり、ベン・ジョンソン作『錬金術師』(1610年)では「錬金術師の助手」の意、シェイクスピア作『ヘンリー八世』(1612年)では「鼻の赤い男」の意味で使われている[2](竜・ウィスプ・大気現象・精霊の関連については後述)。
解説
編集「火竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる[3]。
火竜が財宝を守るというモチーフが、北欧(ゲルマン)の伝説文学『ベーオウルフ』にみられる[4][6][注 1]。また、伝説的なデンマークとスウェーデンの王、ラグナル・ロズブロークにも竜退治の逸話があり、そのサガ(古ノルド語)にも讃えられるが、『デーン人の事績』(ラテン語)でも火性の毒息を吐く竜(anguis等[注 2])と敵対したことが描写される[8]。
また、溶岩やマグマの中を水中のように泳ぐこともできる。それゆえ[要出典]、「火の精霊」もしくは「死者の魂」と同一視されることもある。(精霊だとの俗信は、以下 § 自然現象の「ウィスプ」としての説明を参照)。
自然現象
編集「ファイアー・ドレイク(火竜)」の伝承は、自然現象をドラゴンの姿で表現したものだという仮説が立てられる[9]。
シェイクスピアの時代(17世紀初頭)の英国[注 3]での言葉づかいでの例をとりあげてみると、「隕石」や「ウィル・オ・ザ・ウィスプ」(≃人魂)を目撃すると、それを「ファイアー・ドレイク」と称しており、俗には(火の)精霊のことだとみなされた(以下詳述)[注 4]。
シェイクスピア
編集シェイクスピア『ヘンリー八世』第5幕第3場で、鋳物場に立って顔が赤化した真ちゅう細工師を「鼻赤の男」("fire drake")と揶揄する用例がみえる[10][2][11][注 5]。この男は、殴られると鼻からなにかを大砲(臼砲)のようにぶっぱなした、などと語られる[10][12]。この箇所については「ファイアー・ドレイク」は「火竜」の意味と注されていることもあり[注 6][10]、「火のドラゴン」にかこつけているのはおおむね明らかではあるが、「ファイアー・ドレイク」にはなお「ウィル・オ・ザ・ウィスプ」(不知火、人魂の類[13])の意味もある、と注釈につづく[10]。
ジョン・ブロッカー
編集上述のウィスプの意の「ファイアー・ドレイク」の解説として引用されるのが、ジョン・ブロッカー著『Expositor』(1616年)で、同書によれば「ファイアー・ドレイク」は、夜間にあらわれ飛ぶ竜のようにもみえる火で、民間では精霊などと信じられているが、哲学者(当時の科学者)の説では熱い雲と冷たい雲のあいだに生じる「大いなる不均等な吐息/噴霧」(発火した蒸気[14])であるとしいる。また、(いろんな形の雲があるように)これも胴体に首や尻尾がついた竜にみえることがあるとする[15][16]。
トプセル
編集シェイクスピア時代の博物学にエドワード・トプセルの『蛇類誌』が知られるが[18]、「ファイアー・ドレイク」という「大気現象」(すなわちウィスプ[19])について説明しており[注 7]、地上の作物を破壊することもあり、地上や海上にもあらわれる、とする[19]。
トプセルの著作の中核は、コンラート・ゲスナーの訳出であるが、ここに彼自身が採集したという、英国西岸の漁師にまつわる「ファイアー・ドレイク」の挿話がある。それによれば、ある老漁師と手下たちは海上で「ファイアー・ドレイク」(「飛竜」、draco volans)の大気現象(要するに漁火の不知火か)を目撃し、不吉さを感じ、網をあわてて回収すると、黄金の椅子がかかっていた。手下たちは欲に駆られて老漁師を殺しフランスに逃亡しようとするが、軍船に怪しまれて攻撃され死ぬ。チョーサーの『カンタベリー物語』所収「赦罪状売りの話」の類話であろう、と考察される[21]。
北ドイツ民話
編集ドイツ北部の方言でドラク(drak, dråk)は、頭のような火柱のような怪異として伝わる(ポメラニア州、旧スヴィネミュンデ、現今のシフィノウイシチェ)[22]。また「コボルト」がやはり火柱で現れるとされる。地上におりると黒猫の姿になるという(ザクセン州アルトマルク)[22]。また直訳でファイアードレイクにあたるフュアドラク(仮カナ表記、Fürdråk)は「悪魔」をさすと地域的につたわる(ニーダーザクセン州リューネブルガーハイデのDalle)[22]。
紋章学
編集後世には羽の生えたドラゴンの姿で描かれ、しばしば紋章のモチーフにもなった。ほとんどの場合、上記の通り、飛竜の姿であることが多い。
脚注
編集注釈
編集- ^ 中村はシェイクスピアの「クレオパトラ」考証として、古代エジプトにも財宝を守る火竜の伝承は遡ることが出来る、という見解をしめすが[4]、これは火を吹くウラエウス(蛇形記章)[7]のことと思われるので「火蛇」の例とすべきであろう。
- ^ "anguis, serpens, belua, vipereum genus"
- ^ エリザベス朝~ジャコビアン時代の英国。
- ^ 曇天の空に不思議な光が走る時はファイアー・ドレイクが飛んでいるのだとされた[9]、という説明もされが、場所や時代背景、出典が不明。
- ^ ここは真ちゅう(黄銅)の細工師か鋳物師(brazier)がおり、職業柄、二十日間も炉の前にたてば鼻が赤くなってしまっていたので、改めて「鼻赤の男」意味をこめて"火竜"などと呼んでいるのである[10]。
- ^ 古くは "brenning-drake" や "dipsas"と称した、と付記。
- ^ トプセル自身は"meteor called fire-drake"とし、この"meteor は現代ではふつう「流れ星」と解釈するが、原義はさまざまな「大気現象」一般をさす[20]。
出典
編集- ^ 松平(2005)、211頁。
- ^ a b c d "fire drake". Oxford English Dictionary (3rd ed.). Oxford University Press. September 2005. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。); Murray, James A. H. ed. (1901) A New Eng. Dict. VII, s.v. "fire drake"
- ^ 松平(2005)、211-212頁。
- ^ a b 中村六男「Antony and Cleopatra における Serpent-images」『信州大学繊維学部研究報告』第8号、信州大学繊維学部、1958年12月、153頁、CRID 1050001338924108160、hdl:10091/5817、ISSN 0559-8648。
- ^ 高橋健二 著、吉田精一 編『文学入門』小峯書店、1964年、225頁 。
- ^ 『ベーオウルフ』は、古英語で書かれているが、舞台はデンマークとスウェーデン。作中前半は、ベーオウルフ王子が古代デンマーク人(デーン人)を助け、後半ではイェータの王となって、地元の財宝をたくわえた火竜を退治する[5]。
- ^ ボーデ博物館、東京国立博物館『大エジプト展: ドイツ民主共和国ベルリン国立博物館 (ボーデ博物館) 蔵』日本テレビ放送網株式会社、1989年、244, 247, 251頁 。
- ^ Ogden, Daniel (2021). The Dragon in the West: From Ancient Myth to Modern Legend. Oxford University Press. p. 313. ISBN 9780198830184
- ^ a b c 松平(2005)、212頁。
- ^ a b c d e f Shakespeare, William (1821). Boswell, James. ed. Richard III. Henry VIII. The Plays and Poems of William Shakespeare 19. Illustrated by Edmond Malone. R. C. and J. Rivington. p. 485
- ^ 井上准治「英国王ジェームズ一世治世初期に書かれた『ヘンリー八世』の歴史的意味」『日本福祉大学研究紀要-現代と文化』第127号、日本福祉大学福祉社会開発研究所、2013年3月、19頁、CRID 1050845763357322880。
- ^ シエークスピヤ 著、坪内逍遥 訳『ヘンリー八世』早稲田大学出版部〈沙翁全集 第35編〉、1928年 。
- ^ 神田左京『不知火・人魂・狐火』春陽堂 、1931年 。
- ^ a b Ben Jonson 『The Gipsies Metamorphosed』注:Cain, Tom; Connolly, Ruth, eds (2021). The Poems of Ben Jonson. Longman Annotated English Poets. Routledge. p. 410, n5. ISBN 9781317445210
- ^ 英文学者らはこの記述を引用し、「ウィル・オ・ザ・ウィスプ」の説明だとみなす[10][14]
- ^ 松平も出典を明らかにしないが、熱い雲と冷たい雲が交わって生まれたという俗説を挙げる[9]。
- ^ 中村 (1958), p. 152.
- ^ 『四足獣と蛇類誌( Historie of Foure-Footed Beasts and Serpents)』。中村もこの時代の考証資料に挙げているが、そこでは"Topsell : General Treatise of Serpents . p.598"[17]。
- ^ a b Seager, Herbert West (1896). “Fire-drake [Will-o'-th'-Wisp”]. Natural History in Shakespeare's Time: Being Extracts Illustrative of the Subject as He Knew it. London: E. Stock. p. 111
- ^ "metero". Oxford English Dictionary (3rd ed.). Oxford University Press. September 2005. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。); : Fowler, Henry Watson; Fowler, Francis George edd. (1926) Concise Oxford Dict. , s.v. "meteor"
- ^ Wells, Whitney (1927). “An Unnoted Analogue to the Pardoner's Tale”. Modern Philology 25: 163–164 .
- ^ a b c Thorpe, Benjamin (1852). Northern Mythology, Comparing the Principal Popular Traditions and Superstitions of Scandinavia, North Germany, and the Netherlands. III. London: Edward Lumley. pp. 155–156
参考文献
編集- 松平俊久「ファイアードレイク」『図説ヨーロッパ怪物文化誌事典』蔵持不三也監修、原書房、2005年3月、211-212頁。ISBN 978-4-562-03870-1。
- 幻想世界普及委員会編 編『世界の幻獣狩猟FILE 決定版』学研プラス、2011年2月。ISBN 978-4-05-404878-2。