ファイターズ鎌ケ谷スタジアム
ファイターズ鎌ケ谷スタジアム(ファイターズかまがやスタジアム)は、千葉県鎌ケ谷市の日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷内にある野球場である[2]。北海道日本ハムファイターズ二軍が専用球場(本拠地)として使用している。
ファイターズ鎌ケ谷スタジアム | |
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スタジアム外観 フィールド全景 | |
施設データ | |
所在地 | 千葉県鎌ケ谷市中沢459(ファイターズタウン鎌ケ谷内) |
座標 | 北緯35度45分35.8秒 東経139度58分40.7秒 / 北緯35.759944度 東経139.977972度座標: 北緯35度45分35.8秒 東経139度58分40.7秒 / 北緯35.759944度 東経139.977972度 |
起工 | 1994年10月19日[1] |
開場 | 1997年3月 |
所有者 | 北海道日本ハムファイターズ |
管理・運用者 | 北海道日本ハムファイターズ |
グラウンド |
内野:クレー舗装 外野:天然芝 |
照明 | なし |
使用チーム • 開催試合 | |
北海道日本ハムファイターズが練習場及び二軍本拠地として使用(開場 - 現在) | |
収容人員 | |
2,400人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
グラウンド面積:-m2 両翼:100 m 中堅:122 m |
歴史
編集プロ野球ファームのイースタン・リーグ(以下、イ・リーグ)公式戦も開催される。NPB公式サイトで使用される略称は「鎌スタ」。
完成まで
編集日本ハムは前身の東映フライヤーズ時代に神奈川県川崎市中原区新丸子の多摩川右岸側河川敷に練習場を設け、二軍の公式戦も開催していた。後に親会社が東映から日拓ホーム、日本ハムと変遷して球場名は「日本ハム球団多摩川グランド」となった。すぐ近くには合宿所「勇翔寮」もあり、練習やイ・リーグ公式戦の際には選手やコーチが寮から自転車で球場へ通う姿も見られた。
しかし、同グランドは河川敷にあるために水はけが悪い上、施設の老朽化や狭隘化が著しく、観覧設備などもないため観客に充分なサービスが提供できなかった。また外野後方には東急東横線の多摩川橋梁が通っており、電車が同橋梁を通過する際には試合を中断せざるを得ないといった問題点を抱えていた。そのため二軍は1992年から相模原市の神奈川県立相模原球場を本拠地として使用し、多摩川グランドは練習専用となった。
ところが、今度は日本ハムの選手が試合のたびに川崎市から相模原市への移動を強いられるなどの問題が新たに生じたことや、長期的な球団運営の上ではファーム育成施設の改善が必須であると判断されたことから、これに対する新しい合宿所と練習施設の建設構想が浮上する[3]。 1991年、球団施設の建設予定地が千葉県鎌ケ谷市に内定[4]し、1994年10月19日に着工した[1]。
完成 - 現在
編集1997年1月に当時一軍の本拠地だった東京ドームとほぼ同じ面積のグラウンドを有する専用球場「ファイターズ鎌ケ谷スタジアム」、室内練習場、そして合宿所(名称は同じく「勇翔寮」)の三施設がからなる「日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷」が竣工[5]。こけら落としとして同年3月8日に千葉ロッテマリーンズとのオープン戦が開催された。以来、オープン戦がほぼ隔年で1試合ないし2試合行われているが、本球場が一軍の試合として使用されるのはこのオープン戦のみである。
日本ハムの一軍は2004年、本拠地を東京都から北海道に移したが(移転当初の本拠地は札幌ドーム[6])、二軍はその後も引き続き鎌ケ谷市を本拠地としている。これは当時イ・リーグ6球団がいずれも首都圏1都3県に本拠地を置いており、仮に日本ハムが一軍だけでなく二軍も北海道に移転してしまうと、公式戦などを行う場合は移動が長距離に及ぶ上、選手やコーチ、スタッフの移動手段も事実上空路だけに限られてしまうため、日本ハムのみならず他球団にも経済面や肉体面での負担が大幅に増加する懸念があることと、札幌ドームや2023年からの一軍本拠地であるエスコンフィールドHOKKAIDO以外に屋内球場がない北海道ではシーズンの早春や晩秋に屋外球場での試合開催が寒冷な気候上困難であることもある。また、営業面のメリットとして既存の首都圏のファンを維持しつつ二軍に振り向けることがあるという。
だが、一軍と二軍の本拠地が大きく離れたことによって一軍と二軍がともに同じ地域に滞在する機会が減ったため、昼間の二軍公式戦のあと当日夜の一軍公式戦にも出場する「はしご出場」を行わせるのが困難になってしまった。この点では一軍と二軍の本拠地が共に同一市内にあるオリックス・バファローズ(大阪市)、中日ドラゴンズ(名古屋市)、埼玉西武ライオンズ(所沢市)、阪神タイガース(西宮市※2024年まで)とは全く対照的で、一軍での監督の采配や戦略面でこれらの球団と比べて大きなビハインドになっているとの指摘もある。ただし、この4球団にしても常に同じ日に一軍と二軍がともに本拠地で試合を行うわけではないため年間を通してビハインドになるとまではいえず、日本ハムも一軍が東京ドームやZOZOマリンスタジアムなど首都圏で試合を行う場合ははしご出場が可能である。
日本ハムは球団内に鎌ケ谷事業部を設け、このファイターズタウンを中心としてファイターズと地元市民との結びつきを更に強めようと様々なイベントを企画、実施している。若手選手はこれらを通じて技術や体作りだけではなく、一軍昇格後の北海道民ないし全国でのファンに対する姿勢やファンサービスのあり方を学んでいる。
また、長期的にはメジャーリーグのように二軍を独立採算化し、地域密着型の運営を行うことを本格的に検討している。併せて球団名の変更も検討しており、本拠地名を冠した「鎌ケ谷日本ハムファイターズ」もしくは「鎌ケ谷ファイターズ」とする方向で検討を進めている。他にもスタジアムの集客策として、温泉やショッピングモールなど複合施設を併設するといった案も浮上しているが、千葉県を保護地域としているロッテとの兼ね合いから球団の主立った活動は全て鎌ケ谷市内のみで行われている。ただし例外としてファイターズスタジアムに向かう京成バスの停留所には鎌ケ谷市以外でもファイターズのロゴが描かれており、そのバスのうちいくつかの停留所ではバスの車内アナウンスを日本ハムの選手の音声で行っている。
2008年度には、入場者数がそれまで1位だった湘南シーレックスを抜きイ・リーグ1位となった。さらに2009年には9月22日と翌23日の2日間だけで約10,000人の入場者数を記録したこともあり、過去最大となる入場者数年間70,000人を突破した。
合宿所と室内練習場がスタジアムの左翼場外にあるため、施設間の移動距離を考慮して日本ハムは三塁側ダッグアウトを使用し、ビジターチームは一塁側を使用する。
主なエピソード
編集- オープン初年度の1997年11月16日、ナイキ主催による少年野球教室が開催され、この時特別参加したケン・グリフィー・ジュニアがフリー打撃で打撃投手を務めた田吹昭博から放った打球は、右翼スタンドの遥か後方の崖に到達する場外本塁打となった。推定飛距離は160メートルとされており、到達点にはそれを記念した「ケン・グリフィーJr.場外ホームラン記念碑」が建てられている。
- 東京ドームが一軍本拠地だった頃、秋に行う一軍の「ファン感謝デー」をここで実施した年があった。これは経費節減もしくは「ファン感謝デー」と同じ日に東京ドームで他のイベントを行っていたという理由からである。
- 2007年と2009年に日本ハムの一軍の試合のパブリックビューイングが球場外駐車場の一部のスペースに大型映像設備を運び込んだ上で実施された。2009年の試合はいずれもナイトゲームで、10月23日実施分は初の夜間イベントとなった。
- 2007年 - 10月13日・同14日(クライマックスシリーズ第二ステージ)および10月27日・同28日(日本シリーズ)
- 2009年 - 10月23日・同24日(クライマックスシリーズ第二ステージ)および11月7日(日本シリーズ)
- 2008年、一軍がシーズン最終戦の10月1日にクライマックスシリーズへの進出を決めた際、急遽その実戦対策として10月5日に紅白戦を開催した。
- 2010年8月24日、8月25日および9月29日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦は、二軍の公式戦ながら楽天の主催(日本ハムが先攻、楽天が後攻)で行われた。これは当時楽天の二軍本拠地だった楽天イーグルス利府球場[7]が他のイ・リーグ6球団の本拠地と離れており、それによる遠征費用の節約や同球場の秋季気候のプレー困難に対する配慮である。
- 2011年3月12日の二軍の教育リーグ「鎌ヶ谷ファイターズフェスタ」と3月16日のオープン戦は、同年3月11日に起きた東日本大震災の影響により中止となった。なお、「鎌ヶ谷ファイターズフェスタ」は雨天など天災で中止となった場合は、2010年も雨天中止となったことを踏まえ、3月13日を予備日として設定していたが、地震規模が大きいことや余震への警戒などを考慮して予備日の開催も取り止めとなり、球場敷地内は安全確保のため立ち入り禁止となった。
- このファイターズフェスタは毎年3月上旬の週末に行われる教育リーグの開催期間中に設定されているが、2010年と2012年も試合が雨天中止となってしまっていた。ただし2012年は過去2年間、イベントの開催も全て中止となったこと(2012年はイベントの代替予備日の設定がなかった)を踏まえ、一部を屋内練習所やコンコースに移し規模を縮小する形で開催された。
施設概要
編集- 両翼:100m、中堅:122m
- 内野:クレー舗装、外野:天然芝
- 収容人数:2,400人
- 照明設備:なし
- スコアボード:2013年に改修を行い、ダクトロニクス製の大型ビジョン(LEDディスプレイ)を導入。二軍の球場にフルビジョンのスコアボードを導入するのは初となる[8]。
- ダッグアウト ホーム(ファイターズ): 3塁側、ビジター(遠征): 1塁側
- トランペットを使用しての応援は二軍戦では禁止されているが、一軍戦では可。
- 内野スタンドの広告には親会社の日本ハムのほか、JRA競馬学校(鎌ケ谷市に隣接する白井市に所在)も名を連ねている。
- 外野スタンドの一角には畑が設けられており、ジャガイモ等が栽培されている。2011年はブロッコリーの収穫栽培を行っている。
ファイターズタウン内その他の施設
編集- 室内練習場
- 合宿所「勇翔寮」
交通
編集至近に鉄道の駅が無いため、公共交通機関はバスでのアクセスとなるが、スタジアムの停留所に乗り入れる定期バスは便数が少ない。また、球団事務所前にはタクシーを呼ぶための電話機が備え付けられている。
定期交通
編集- 西船橋駅(JR東日本中央・総武緩行線・武蔵野線・京葉線、東京メトロ東西線、東葉高速鉄道東葉高速線)北口3番線乗り場・京成西船駅(京成本線)から
- 京成バスFs01「ファイターズタウン鎌ヶ谷」行き(1日11便、土休日は1日10便)で終点ファイターズタウン鎌ヶ谷停留所下車すぐ
- 運賃390円、所要約40分
- 京成バスFs02「市川営業所」行きで戸崎交差点停留所下車、徒歩7分
- 京成バスFs01「ファイターズタウン鎌ヶ谷」行き(1日11便、土休日は1日10便)で終点ファイターズタウン鎌ヶ谷停留所下車すぐ
- 船橋法典駅(JR武蔵野線)から
- 京成バスFs11「ファイターズタウン鎌ヶ谷」行き(1日8便、土休日は1日7便)で終点ファイターズタウン鎌ヶ谷停留所下車すぐ
- 運賃260円、所要約20分
- 京成バスFs12「市川営業所」行きで戸崎交差点停留所下車、徒歩7分
- 京成バスFs11「ファイターズタウン鎌ヶ谷」行き(1日8便、土休日は1日7便)で終点ファイターズタウン鎌ヶ谷停留所下車すぐ
- 鎌ヶ谷駅(東武野田線)から
- 馬込沢駅(東武野田線(東武アーバンパークライン))西口から
- 船橋新京成バス「[馬01] 慈祐苑」行(概ね毎時3 - 4便)で鎌ヶ谷グリーンハイツ停留所下車、徒歩15分
- 市川大野駅(JR武蔵野線)から
- タクシー約7分
シャトルバス
編集本球場で公式戦が開催される日には、新鎌ヶ谷駅(土、日、祝日の試合のみ運行)(北総鉄道北総線、新京成電鉄新京成線、東武野田線(東武アーバンパークライン))および東武鎌ヶ谷駅から船橋新京成バス(なお松戸新京成バスも混雑状況次第では運行に加わる)によるシャトルバスが運行される。運賃はいずれも200円(大人)。スタジアムで降車・スタジアムから乗車の際に職員に直接支払う。開門後に試合中止が決定した場合の帰宅便は無料。
- 鎌ヶ谷駅東口から(開催日すべて)
- 往路は午前11時30分から30分間隔で原則3本運行。復路は8回裏終了時から試合進行に合わせて3 - 4本運行される。なお、鎌ヶ谷スタジアム年間パスポートを持っている場合は無料で乗車できる。
脚注
編集- ^ a b “「日ハムファイターズ鎌ケ谷」着々と造成 3年後の完成目指し関係者ら集め起工式”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 16. (1994年10月20日)
- ^ ファイターズ鎌ケ谷スタジアムのアクセス方法 北海道日本ハムファイターズ(2023年5月25日閲覧)
- ^ 大沢啓二「現場復帰のきっかけは幻の『日本ハム王監督』プラン? 90年代の親分旋風を振り返る」
- ^ “新天地でV狙う 日本ハムファイターズ 鎌ヶ谷市に練習場建設 市民にも開放予定”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 1,13. (1991年10月18日)
- ^ “「日本ハムファイターズタウン鎌ケ谷」完成 市民ら待望のプロ野球施設”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 10-11. (1997年1月21日)
- ^ 2024年8月からの呼称は「大和ハウス プレミストドーム」
- ^ また、当時は山形県野球場(現:ヤマリョースタジアム山形)も二軍本拠地としていた。
- ^ 鎌ケ谷スタジアムのスコアボードに大型ビジョンを導入 - 北海道日本ハムファイターズ 2013年1月15日
関連項目
編集外部リンク
編集前本拠地: 神奈川県立相模原球場 1992 - 1996 |
北海道日本ハムファイターズ二軍の本拠地 1997 - 現在 |
次本拠地: n/a - |