ピーテル・ファン・ルストラーテン
ピーテル・ヘリッツゾーン・ファン・ルストラーテン(Pieter Gerritsz. van Roestraten、1630年4月21日(洗礼日) - 1700年7月10日)は、17世紀のオランダ生まれの画家である。静物画や風俗画を描いた。ハールレムで働いた後、1666年ころからイギリスで働き、イギリスの上流階級の間で人気のある画家であった[1]。
ピーテル・ファン・ルストラーテン Pieter van Roestraten | |
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自画像を元にしたAbraham Blootelingによる肖像版画 | |
生誕 |
1630年4月21日(洗礼日) ハールレム |
死没 |
1700年7月10日 (70歳没) ロンドン |
略歴
編集ハールレムで生まれた。1649年から、有力なハールレムの画家フランス・ハルス(15811585-1666)の弟子になり、1654年にアドリアーンチェ(Adriaantje)という名のハルスの娘と結婚した[2]。18世紀初めに画家の伝記を出版したアルノルト・ホウブラーケン(1660-1719)の著書によれば、2人は幼児のころから知り合いであったとされる[3]。夫妻はアムステルダムに住んだ後、当時多くのオランダの画家が仕事をしていたロンドンへ移った。アルノルト・ホウブラーケンの著書では1666年のロンドンの大火でファン・ルストラーテンは負傷し足が不自由になったとしているので、ロンドンに移った時期は1666年より前であったと推定されている[2]。
ロンドンで、チャールズ2世の主席宮廷画家であったオランダ生まれの画家、ピーター・レリー(1618-1680)と知り合い、チャールズ2世の宮廷で働くことができるようになった。レーリーと仕事を取り合うことを避けるためとされるが、ファン・ルストラーテンは肖像画を描くことを止めたとされ、 自画像を除いて、その後に描かれた肖像画は知られていない[2]。
静物画や風俗画を描いて成功した。上流階級の所有する骨董品や高価な食器などを描き、「ヴァニタス」と呼ばれる人間の死すべき定めの隠喩である頭蓋骨や時計、楽器などを描いた作品もある。銀器の質感などに優れたの表現力を見せた。
妻が亡くなり、再婚した少し後の1700年にロンドンで亡くなった。
作品
編集-
「ヴァニタス」(1685)
Rijksmuseum Twenthe -
「ヴァニタス」
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靴屋
アルゼンチン国立美術館 -
パンを焼く女性
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ロブスターとワインのある静物画(c.1650)
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ヴァイオリンと頭蓋骨のある静物画
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「ヴァニタス」
美術史美術館
参考文献
編集- ^ Pieter Gerritsz. van Roestraeten at the Frans Halsmuseum
- ^ a b c Pieter Gerritsz van Roestraten at the Netherlands Institute for Art History
- ^ Houbraken over Van Roestraeten