ピーテル・アールツェン
ピーテル・アールツェン(Pieter Aertsen 、1508年ごろ - 1575年6月2日)は、オランダの画家である。風俗画や静物画を描いた。
ピーテル・アールツェン Pieter Aertsen | |
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アールツェン作「肉屋の屋台」 | |
生誕 |
1508年ごろ アムステルダム |
死没 |
1575年6月2日 アムステルダム |
略歴
編集アムステルダムで生まれ、アールトヘン・クラースゾーン・ファン・ライデン(Aertgen Claesz. van Leyden:c.1498-c.1564) の弟子であったと伝えられている[1]。長身であったことから「Lange Pier」や「Pietro il Lungo」という仇名で呼ばれた[2]。18歳でアントウェルペンに移り[3] 、1535年にアントウェルペンの聖ルカ組合(Sint-Lucasgilde)に登録され、1542年にアントウェルペンの市民(burgerschap)になった[1]。アントウェルペンで結婚して2人の息子が生まれた。妻の甥、ヨアヒム・ブーケラール(Joachim Beuckelaer: 1534-1574)はアールツェンの後継者となりよく知られた画家となった。
1556年から1557年の間、アムステルダムの旧教会(Oude Kerk)のために装飾画を描く仕事でアムステルダムに戻り、1563年に再びアムステルダム市民となり[4]、1573年にアムステルダムで没した。
市場の情景など風俗画を多く描き、宗教画に風俗画のような情景を描いたりした試みで知られる。また静物画というジャンルの開拓者の一人とされる。
作品
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パンケーキ屋
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田舎の室内画
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静物画
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猟の獲物の売り手(1561)
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肖像画
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市場の風景
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聖母戴冠
脚注
編集- ^ a b Vanessa Paumen, Pieter Aertsen in: Vorstelijk verzameld, Van Eyck Gossaert Bruegel, Meesterwerken uit het Kunsthistorisches Museum Wenen, red. Sylvia Ferino-Pagden, Till-Holger Borchert, Manfred Sellink, Lannoo, 2012, p.195.
- ^ Karel Van Mander, Schilderboeck, Haerlem 1604, f243v-f244r.
- ^ Volgens Karel van Mander trok hij eerst naar Bossu (Boussu) in Henegouwen vooaleer zich te vestigen in Antwerpen.
- ^ Biografie en werken van Pieter Aertsens op RKD-Nederlands Instituut voor Kunstgeschiedenis.
参考文献
編集- Schilderkunst van A tot Z, MPI Books, Amstelveen, 1997, p. 11