ピョートル・ミハウォフスキ
ピョートル・ミハウォフスキ(Piotr Michałowski, 1800年7月2日 - 1855年6月9日)は、ポーランド・ロマン主義の画家。肖像画や戦争画、馬をモチーフにした作品で知られる。幅広い教育背景の持ち主であり、社会活動家、法曹、都市行政官、クラクフ農業協会会長(1853年より)としても活動した。[1]クラクフ国立博物館分館であるスキェニチェ美術館にはミハウォフスキの名にあやかった展示室があり、彼の作品を多く取り扱っている。
ピョートル・ミハウォフスキ | |
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Piotr Michałowski | |
生誕 |
1800年7月2日 オーストリア大公国、クラクフ |
死没 |
1855年6月9日 (54歳没) オーストリア帝国 クラクフ大公国、クラクフ |
墓地 |
ラコヴィツキ墓地 北緯50度4分30秒 東経19度57分7.2秒 / 北緯50.07500度 東経19.952000度 |
国籍 | ポーランド |
著名な実績 | 絵画 |
流派 | ロマン主義 |
配偶者 | ユリア・オリンピア・ミハウォフスカ |
生涯
編集クラクフ周辺のクシュシュトフォジュチェにクラクフ共和国上院議員であった領主ヨゼフ・ミハウォフスキ(Józef Michałowski)の子として生まれる。ミハオ・スタホヴィチ、ヨゼフ・ブロドフスキ、フランチシェク・ランピなどの画家によって、13歳でその芸術的才能を見出されていた。ヤギェウォ大学において古典哲学や農業、数学など幅広く学業を修めた[1]のちに、ゲッティンゲン大学では法学や歴史学を学んだ。
ロシア帝国の圧政に対する武装反乱である11月蜂起(1830–31年)の間、ポーランド軍需工場の運営補佐を務めたのち、配偶者であるユリア・オストロフスカ(Julia Ostrowska)と義父と共にフランス、パリへと亡命する。パリではニコラ=トゥサン・シャルレのもとで絵画の勉強を続け(1832–35年)、テオドール・ジェリコーやレンブラント、ベラスケスらから多大な影響を受けた。馬を描いたミハウォフスキの水彩画はフランス国内で非常に有名になり、1833年にはイギリス、ドイツ、アメリカの画廊で取引されるようになった。[1]
1835年にクラクフに戻り、1837年には家督のクシュシュトフォジュチェに居を移した。1848–53年にはクラクフ市行政官を務めた。1840–50年代には、馬を題材にした絵画や著名なロマン主義的作品『ソモシエラの戦い』(Battle of Somosierra; 1844–1855年、バリエーションあり)、『ナポレオンの観兵式』(Parade before Napoleon)やその他戦争画を含むドラマティックな風景画など数多の作品を残している。[1]1948年にパブロ・ピカソがポーランドを訪れた際、ミハウォフスキの作品を見てこう叫んだという。「見ろ、画家だ!」
ギャラリー
編集代表作
編集- Amazonka (1850–), 55 × 45 cm, ビャウィストク・ポドラシェ美術館
- Apoteoza Napoleona (1846頃), 259 × 204,5 cm, ワルシャワ国立美術館
- Autoportret (1849–), 54 × 45 cm, ワルシャワ国立美術館
- Bitwa krakusów i studium konia (1830年頃), 60 × 86 cm, ポズナン国立博物館
- Błękitni huzarzy (1837年頃), 53 × 65 cm, ビトム上シレジア博物館
- Błękitny chłopiec (1850-55), 76 × 59,5 cm, カトヴィツェ・シレジア博物館
- Jazda austriacka (1836), 49 × 63,5 cm, クラクフ国立博物館
- Jeździec polski (Lisowczyk) (1841-45), 61 × 47,5 cm, ポズナン国立美術館
- Kardynał lub Mężczyzna w birecie (1846-48), 70 × 57 cm, クラクフ国立博物館
- Kobiety wiejskie (1840-48), 59 × 76,5 cm, クラクフ国立博物館
- Konny pocztylion (1832-35), 46 × 53 cm, クラクフ国立博物館
- Maksymilian Oborski na koniu (1824), 89 × 62 cm, クラクフ国立博物館
- Maksymilian Oborski w fezie (1840-48), 68 × 55,5 cm, クラクフ国立博物館
- Napoleon konno wydający rozkazy (1835-37), 71,5 × 57,5 cm, ヴロツワフ国立美術館
- Napoleon na koniu (1830-40), 53 × 44 cm, ウッチ美術館 (ヘルプスト城)
- Paweł Popiel na koniu (1831-32), 53 × 44 cm, キェルツェ国立美術館
- Portret chłopa w kapeluszu (1846-48), 52,7 × 35,5 cm, ワルシャワ国立美術館
- Portret córki artysty Celiny na koniu (1853年頃), 123 × 84,5 cm, ワルシャワ国立美術館
- Portret syna artysty z psem (1845-48), 94,3 × 68,5 cm, ワルシャワ国立美術館
- Portret syna na kucu (1842年頃), 82 × 61 cm, ワルシャワ国立美術館ワルシャワ国立美術館
- Przejazd artylerii przez rzekę (1844),年頃 69,3 × 90 cm, クラクフ国立博物館
- Samosierra (1844-55), 106 × 71 cm, クラクフ国立博物館
- Samosierra (po 1843), 50,5 × 44 cm, クラクフ国立博物館
- Seńko (1846-48), 62 × 46,5 cm, クラクフ国立博物館
- Starzec siedzący na stopniach (1837-40), 48 × 36 cm, クラクフ国立博物館
- Studium chłopca żydowskiego (1840-48), 60 × 40 cm, クラクフ国立博物館
- Studium głowy końskiej lub Łeb siwego konia (1846年頃), 94 × 72 cm, クラクフ国立博物館
- Szarża w wąwozie Somosierra (1837年頃), 81 × 65,5 cm, クラクフ国立博物館
- Wiarus I (1846), 82 × 65 cm, クラクフ国立博物館
- Wiarus II (1846), 82 × 66 cm, クラクフ国立博物館
- Wjazd do stajni (1844-46), 43 × 54 cm, グダニスク国立美術館
- Żydzi (1845-55), 72 × 118 cm, クラクフ国立博物館
記念物
編集関連項目
編集- ヤン・ネポムツェン・グウォヴァツキ – ポーランドの風景画学校の父でありポーランド・ロマン主義者
- en:Category:Burials at Rakowicki Cemetery – ラコヴィツキ墓地埋葬者
- en:Category:equine artists
外部リンク
編集- プロフィールと作品集 at Artyzm.com
- ピョートル・ミハウォフスキ at Cracow Life.com (英語版)
- ソモシエラ – ピョートル・ミハウォフスキ at Culture.pl
脚注・参考文献
編集- ^ a b c d Irena Kossowska (April 2004). “Piotr Michałowski”. Culture.pl. October 15, 2012閲覧。
- ^ “Polscy Malarze XIX/XX Wieku: Piotr Michałowski (1800-1855)”. 2013年11月5日閲覧。
- Maciej Masłowski: Piotr Michałowski, Warsaw 1957, ed. „Sztuka”;
- Maciej Masłowski: Piotr Michałowski, Warsaw 1974, ed. „Arkady” (in series „W kręgu sztuki” - "In the Circle of Art", also German version: Berlin 1974, ed. Henschel Verlag und Gess.);
- Jerzy Sienkiewicz: Piotr Michałowski, Warsaw 1959, ed. "Auriga - Wydawnictwa Artystyczne i Filmowe" (Art and Film Publisher).