ピエール=ナルシス・ゲラン
ピエール=ナルシス・ゲラン(Pierre-Narcisse, baron Guérin、1774年3月13日 - 1833年7月6日)は、フランスのパリ出身の画家。
ピエール=ナルシス・ゲラン Pierre-Narcisse Guérin | |
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生誕 |
1774年3月13日 フランス王国・パリ |
死没 | 1833年7月6日(59歳没) |
国籍 | フランス |
著名な実績 | 絵画 |
略歴
編集1785年に王立絵画彫刻アカデミーの美術学校に入学しジャン=ユーグ・タラヴァル(Hughes Taraval:1729–1785)、ニコラ・ギー・ブレネ(Nicolas Guy Brenet:1728-1792)、ジャン=バプティスト・ルニョー(Jean-Baptiste Regnault:1754-1829)に学んだ。1797年に有望な学生に与えられるローマ賞を『ウティカのカトの死(La Mort de Caton d'Utique』で受賞した。1799年にサロン・ド・パリに『マルクス・セクストゥスの帰還』を出展し賞を得た。
ローマ賞の奨学金でイタリアに留学し数年間滞在した。1810年からサロンへの出展を再開し、パリにスタジオを作り後進の画家を教えた。1816年に彫刻家のクロード・ドジュー(Claude Dejoux)の後を継いで、王立アカデミーの教授となった。1822年から在ローマ・フランス・アカデミーの校長を務めた。
ゲランに学んだ人物
編集ゲランの教えを受けた画家には以下のような人物がいる[1]。
- テオドール・ジェリコー (1791-1824)
- レオン・コニエ (1794-1880)
- アリ・シェフェール (1795-1858)
- ギョーム・ボディニエ (1795-1872)
- ビクトール・オルセル (1795-1850)
- ルイ=ピエール・アンリケル=デュポン (1797-1892)
- オーギュスタン・ブルデ(fr) (1798-1870)
- アレクサンドル=マリー・コラン (1798-1875)
- ウジェーヌ・ドラクロワ (1798-1863)
- ピエール・ミシェル・アダム (fr) (1799-1853)
- シャルル=オーギュスト・ヴァン・デン・ベルヘ (1798-1853)
- フランソワ=グザヴィエ・デュプレ(fr) (1803-1871)
- ポール・ユエ (1803-1869)
- アンリ・シェフェール (1798-1862)
作品
編集-
『小カト(ウティカのカト)の死』(La Mort de Caton d'Utique)
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『マルクス・セクストゥスの帰還』
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『トロイアでの災難を語るアエネアス』
-
『若い女性の肖像画』
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『モルフェウスとイーリス』
脚注
編集- ^ Frédéric Chappey, Les Professeurs des Beaux-Arts (1794-1873), dans : Romantisme, 1996. N°93. p. 95-101.