ピエール・ジャン・ジューブ

ピエール・シャルル・ジャン・ジューブ[1]フランス語:Pierre Charles Jean Jouve1887年10月11日 - 1976年1月8日)は、フランス詩人小説家評論家翻訳家

ピエール・ジャン・ジューブ[1]
Pierre Jean Jouve
クレール・ベルトランフランス語版作《ピエール・ジャン・ジューヴの肖像》(1930年代)
誕生 Pierre Charles Jean Jouve
(1887-10-11) 1887年10月11日
フランスの旗 フランス共和国アラス
死没 (1976-01-08) 1976年1月8日(88歳没)
フランスの旗 フランスパリ
墓地 モンパルナス墓地
職業 詩人小説家評論家翻訳家
言語 フランス語
ジャンル 小説文芸評論音楽評論翻訳
文学活動 ユナニミスムフランス語版
代表作血の汗フランス語版』(1933年 - 1935年)『婚礼フランス語版』(1925年 - 1931年)
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ジューブの墓(モンパルナス墓地

性を巡った苦悩と認識が人間を崇高な存在へ高めると言う主題を独自の文体で書く[2]詩風で知られ、1933年から1935年にかけて著された詩集血の汗フランス語版』はオーストリア精神科医ジークムント・フロイト精神分析学の影響を受けた作品で、ジューブの代表作である[3]フランス文学者松田穣はジューブを、ポール・エリュアールルイ・アラゴンと共に「進歩的現代三大詩人」の一人とした[4]

生涯

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1887年10月11日、フランスパ=ド=カレー県のアラスに生まれる。戦前は同国出身の詩人ジョルジュ・デュアメルシャルル・ヴィルドラックらと共にジュール・ロマンが主導したユナニミスムフランス語版運動に加わり、「アベイ派」の同人として活躍した[4]

第一次世界大戦中はロマン・ロランの影響を受け、戦後ダダイスム運動に参加し、フロイトの影響を受けた。1924年頃、キリスト教に入信し、カトリック信者となった。この間、詩集『時間』や『悲劇詩』を著した。

第二次世界大戦中は軍隊に従軍し、戦後は1944年に著された戦争に敗北したフランスに苦悶する宗教的な霊性をうたった[5]詩集『パリの聖母フランス語版』で人気を博した。

その後も『ボードレールの墓(Tombeau de Baudelaire)』などの詩集を発表し、1976年1月8日にパリで亡くなった。遺体モンパルナス墓地に埋葬された。

シェイクスピアのフランス語翻訳者[6]文芸評論家・音楽評論としても知られる(著書参照)。

詩風と主な作品

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詩風

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ジューブの詩風は難解で、戦前は人類の終末や不幸、善と悪との永遠の闘争などの宗教的で哲学的な主題をうたい[4]、戦後は敗戦したフランスに対する苦悶を『パリの聖母』で表現している。代表作『血の汗』ではフロイトの精神分析学の影響を受け、無意識的なエロスと詩の合一をはかったもので、人間のエロティックな力から生まれる「血の汗」により崇高な実態へ邁進するのが詩人であるとした[3]

著書(邦訳)

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脚注

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  1. ^ a b 岩波書店から出版されている『広辞苑第六版』では「ジューヴ」の表記を用いているが、本記事では「ジューブ」で統一する。なお、邦訳はルネ・ミシャ編、平井照敏訳『ピエール・ジャン・ジューブ』以外はすべてピエール・ジャン・ジューヴである。
  2. ^ 世界文化大百科事典 1971, p. 70.
  3. ^ a b 万有百科大事典 1973, p. 193.
  4. ^ a b c 世界大百科事典 1972, p. 212.
  5. ^ 新潮 世界文学小辞典 1971, p. 413.
  6. ^ マクベス』(GF-Flammarion, 1993)、『ソネット集』(Poésie/Gallimard, 1975)のほか、ジョルジュ・ピトエフフランス語版との共訳『ロミオとジュリエット』(GF-Flammarion, 1992)などがある。

参考文献

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