ピエトロ・ラブルッツィ

ピエトロ・ラブルッツィ(Pietro Labruzzi、1738年1月28日 - 1805年2月13日)は、イタリアの画家である。イタリアやポーランド・リトアニア共和国(連合王国)で働き、ポーランド・リトアニアの最後の国王、スタニスワフ2世アウグストの宮廷画家も務めた[1]

ピエトロ・ラブルッツィ
Pietro Labruzzi
ピエトロ・ラブルッツィ作のスポレート聖堂の装飾画
生誕 (1738-01-28) 1738年1月28日
ローマ
死没 1805年2月13日(1805-02-13)(67歳没)
ローマ
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略歴

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ローマで生まれた。弟に版画家、画家のカルロ・ラブルッツィ(Carlo Labruzzi: c.1748-1817)がいた。絵を誰に学んだかは知られていない。ローマの教会の祭壇画や肖像画など数多くの絵画を制作した。1750年代以降、しばしばワルシャワに滞在したとされ、特に 1764年にスキスタニスワフ2世アウグストが王位に就いた後は、ワルシャワで数多くのポーランド貴族の肖像画を描いた。

1770年代にはフィレンツェの宮廷詩人のマリア・マッダレーナ・モレッリ(Maria Maddalena Morelli: 1727-1800)から注文を受けて肖像画を描いた。1780年にローマの美術文学アカデミー(Accademia dei Virtuosi al Pantheon)の会員になった。1780年代には他の芸術家とイタリア中部のスポレートの聖堂(Duomo di Spoleto)の装飾の仕事をした。1791年にローマ州のロッカ・ディ・パーパの教会(Chiesa di Santa Maria Assunta)のために描いた作品は一旦失われた後、1906年の大地震で倒壊した教会の廃墟で発見された[2]

1905年にローマで亡くなった。

作品

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脚注

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  1. ^ Enciclopedia Treccani, short biographical entry.
  2. ^ Duomo dell'Assunta

参考文献

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  • Francesco Petrucci, Pittura di Ritratto a Roma. Il Settecento, 3 voll., Andreina & Valneo Budai Editori, Roma 2010, ad indicem