ビル・ホソカワ
ウィリアム・クンペイ・ホソカワ(William Kunpei Hosokawa、日本名:細川 勲平[1]〈ほそかわ くんぺい〉、1915年1月30日 - 2007年11月9日)は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、作家。日系アメリカ人の視点による著作は、日本語に翻訳されて出版されたものも多い。
経歴
編集1915年、ワシントン州シアトルに生まれる。ワシントン大学に進学してジャーナリズムを専攻するが、1937年に大学を卒業しても日系人を採用してくれる新聞社は無かった。英字新聞の立ち上げを志し、シンガポールや上海を渡り歩いた後、真珠湾攻撃が行われる直前に帰国。
第二次世界大戦中は、ワイオミング州のハートマウンテン移住センター(強制収容所)に収容され、所内新聞である「ハートハウンテン・センチネル」の編集にあたった。所内で収容者の徴兵拒否運動が組織化された際には、徴兵拒否に否定的な立場を取っている[2]。
1946年、コロラド州に移り「デンバー・ポスト」の編集を行う傍ら日系人の強制収容を題材にした書籍を出版。「パシフィック・シチズン」紙でも差別を題材にしたコラムを長年担当した[3]。
著書
編集脚注
編集- ^ [1]
- ^ “詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』-その2/5”. ディスカバー・ニッケイ (2011年6月3日). 2018年9月1日閲覧。
- ^ “ビル・ホソカワ ジャーナリスト(1915 - 2007年)”. ディスカバー・ニッケイ (2008年4月5日). 2018年9月1日閲覧。