ビヨウヤナギ
ビヨウヤナギ(未央柳[4]・美容柳[4]、学名: Hypericum monogynum)はオトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉低木。ビョウヤナギとも通称するが、園芸的な呼び名であり植物名としては誤り。
ビヨウヤナギ | |||||||||||||||||||||||||||
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ビヨウヤナギ
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分類(APG III) | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Hypericum monogynum L. (1763) [1] | |||||||||||||||||||||||||||
シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||||||||
ビヨウヤナギ |
名称
編集枝先がやや垂れ下がり葉がヤナギに似ているので、ビヨウヤナギと呼ばれるが、ヤナギの仲間ではない。
中国では金糸桃と呼ばれている。ビヨウヤナギに未央柳を当てるのは日本の通称名。由来は、白居易の「長恨歌」に
太液の芙蓉未央の柳此に対ひて如何にしてか涙垂れざらむ
と、玄宗皇帝が楊貴妃と過ごした地を訪れて、太液の池の蓮花を楊貴妃の顔に、未央宮殿の柳を楊貴妃の眉に喩えて 未央柳の情景を詠んだ一節があり、美しい花と柳に似た葉を持つ木を、この故事になぞらえて未央柳と呼ぶようになったといわれている。
特徴
編集中国原産[5]。日本へは江戸時代に中国から渡来した[4]。古くから庭木や生け垣、公園樹としてよく植えられ、花材としてもよく用いられる[5][4]。
半落葉広葉樹の小低木で[5]、高さは1.5メートル (m) 前後、よく枝分かれして株立ち状になる[5][4]。葉は十字対生する[4]。葉身は長さ5センチメートル (cm) 、幅25ミリメートル (mm) の披針状の長楕円形で、中央部が最も幅広く、葉質は薄くてやわらかい[5][4]。冬場の間も落葉せずに残っており、新葉が出ると同時に古い葉が落ちる[5]。葉縁に鋸歯はなく、基部が茎を抱く[4]。
花期は6 - 7月ごろで[5]、直径5 cm程度の鮮やかな黄色の5枚の花弁のある花を多数枝先に咲かせる[4]。花弁はくさび形で、特に長い雄蕊が多数つき、よく目立つのが特徴的である[5]。これら雄蕊の基部は5つの束になっていて、雌蕊の先端は5つに裂けている[4]。果実は円錐形で、先端に萼片を残す[5]。
一見してよく似ている植物にキンシバイがあるが、こちらは葉が披針形で基部が最も幅広く、普通に平面的に対生しており、花が小ぶりで雄しべが長くないので容易に区別できる[4]。
薬用
編集全草に消炎、利尿、鎮痛の効果があるといわれている[4]。特に、全草を煎じて飲むと、腎臓結石を下す効果があるとされ、婦人病の薬としても利用されているといわれる[6]。虫刺されに、葉を揉んで汁を患部につけると、効果があるといわれる[4]。
脚注
編集- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Hypericum monogynum L. ビヨウヤナギ(標準)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年6月11日閲覧。
- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Hypericum chinense L. var. salicifolium (Siebold et Zucc.) Choisy ビヨウヤナギ(シノニム)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年6月11日閲覧。
- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Hypericum chinense L. ビヨウヤナギ(シノニム)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年6月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 川原勝正 2015, p. 110.
- ^ a b c d e f g h i 平野隆久監修 永岡書店編 1997, p. 85.
- ^ 川原勝正 2015, p. 110a、内藤喬『鹿児島民俗植物記』鹿児島民俗植物記刊行会、1964年、215頁からの孫引き。
参考文献
編集- 川原勝征『食べる野草と薬草』南方新社、2015年11月10日、110頁。ISBN 978-4-86124-327-1。
- 平野隆久監修 永岡書店編『樹木ガイドブック』永岡書店、1997年5月10日、85頁。ISBN 4-522-21557-6。