ビクトル・チブレンコ
ビクトル・チブレンコ (ウクライナ語: Цибуленко Віктор Сергійович、1930年7月13日 - 2013年10月19日[1])は、旧ソビエト連邦の陸上競技選手。1956年メルボルンオリンピック、1960年ローマオリンピックと連続出場し、2大会連続のメダル。ローマ大会では金メダルを獲得した選手である。
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選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | ビクトル・セルゲーエヴィチ・チブレンコ | ||||||||||||||
国籍 | ソビエト連邦 | ||||||||||||||
種目 | やり投 | ||||||||||||||
生年月日 | 1930年7月13日 | ||||||||||||||
没年月日 | 2013年10月19日(83歳没) | ||||||||||||||
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経歴
編集チブレンコは国際大会のデビューとなった1952年ヘルシンキオリンピックで4位となり、3位のフィンランドのトイボ・ヒューティアイネン(Toivo Hyytiäinen)にわずか17cm差の4位と、惜しくもメダルに届かず、2年後のヨーロッパ選手権でも4位という結果であった。だが、2年後の1956年メルボルンオリンピックでは4位に終わっていた前回までからジャンプアップし、79.50mの自己ベストの投てきで見事銅メダルを獲得。チブレンコはさらに力をつけてゆき、3度目のオリンピックとなった1960年ローマオリンピックでは、1投目に84.64mの大投てきを見せ、結果は2位に5m以上の大差をつけ金メダルを獲得した。彼は1962年が選手として最後のシーズンとなり、同年のヨーロッパ選手権で、同国のヤーニス・ルーシスについで2位となっている。
主な実績
編集年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1956 | オリンピック | メルボルン(オーストラリア) | やり投 | 3位 | 79.50m |
1960 | オリンピック | ローマ(イタリア) | やり投 | 1位 | 84.64m |
1962 | ヨーロッパ陸上選手権 | ベオグラード(ユーゴスラビア) | やり投 | 2位 | 77.92m |
脚注
編集- ^ “Сайт федерації легкої атлетики України”. Uaf.org.ua. 2013年10月22日閲覧。
外部リンク
編集- ビクトル・チブレンコ - Olympedia