ビオランテ・デ・ウングリア
ビオランテ・デ・ウングリア(スペイン語: Violante de Hungría, 1216年頃 - 1251年10月9日)は、アラゴン王・バルセロナ伯ハイメ1世の2度目の王妃。名はヨランダ(Yolanda, Iolanda)とも。カタルーニャ語ではビオラン・ドングリア(Violant d'Hongria)。ハンガリー王アンドラーシュ2世と王妃ヨランド・ド・クルトネーのただ一人の子として、エステルゴムで生まれた。ハンガリー語名はヨラーンタ(Jolánta)。
ビオランテ・デ・ウングリア Violante de Hungría | |
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アラゴン王妃 | |
ビオランテの棺 | |
出生 |
1216年頃 ハンガリー王国、エステルゴム |
死去 |
1251年10月9日 アラゴン連合王国 アラゴン王国、ウエスカ |
埋葬 |
アラゴン連合王国 カタルーニャ君主国、リェイダ、サンタ・マリア・ダ・バルボナ王立修道院 |
結婚 | 1235年9月8日 バルセロナ |
配偶者 | アラゴン王ハイメ1世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | アールパード家 |
父親 | ハンガリー王アンドラーシュ2世 |
母親 | ヨランド・ド・クルトネー |
宗教 | ローマ・カトリック |
1235年、ハイメ1世と結婚した。2人の間には10子が生まれた。