ヒバゴン
概要
編集1970年代に、広島県比婆郡西城町油木・比婆郡比和町・庄原市(2023年現在は市町村合併により全域が庄原市[6])の中国山地にある比婆山連峰において目撃され[3][4][7][8][9]、1970年8月26日付の中国新聞に「比婆山山ろくで〝類人猿〟騒ぎ」との見出しで「ヒバゴン目撃」が報じられると広島県北部の山あいの町に全国から報道陣や研究機関、大学探検部などが押し寄せ、行政や研究者、地元警察を巻き込んだ騒ぎになった[2][4]。旧西城町役場に問い合わせの電話が殺到したことから、1971年(昭和46年)4月、同役場に「類人猿相談係」(通称:「ヒバゴン課」)が新設されるなど[2]、ヒバゴンの名は全国区になり、フィーバーに沸いた[2][3][4][5][9]。目撃者から話を聞こうとマスメディアが殺到したため、住民の日常生活に支障が出るとして、自治体は目撃者に「迷惑料」5千円を支給した[3][4]。同時期に役場に就職した人の初任給は1万4,900円だった[3]。
今日のヒバゴン
編集1975年3月の旧西城町役場による「ヒバゴン騒動終息宣言」から半世紀を経過したが[3][4][9]、当地では現在でも愛すべきキャラクターとして親しまれており[1][2][3][4][5]、至る場所でヒバゴンで出合える[2][3][4][9]。1999年「西城ふるさと祭」のポスターやプログラムにかわいいイラストにおこされたヒバゴンが初登場[2]。山の中で人間に遭遇し、きょとんとした様子のヒバゴンの愛嬌のあるキャラクターが人気を呼び[2]、当初は恐ろしい顔をしていたヒバゴンの着ぐるみ[10]に代わり、キャラクター化後は愛らしいものに変更され[2]、子ども達の人気者になった[2]。キャラクターは様々な場所に利用されて浸透[2]、西城町はヒバゴンを町のシンボルとして"ヒバゴンの里"と掲げ[2][7]、ヒバゴンは町おこしとして活躍している[3][4][5][11]。これはゆるキャラが話題になる以前の約10年前からである[7]。備後西城駅はヒバゴンを強く推し[3]、「ヒバゴン音頭」などの楽曲リリース[4]、ヒバゴンラジオ[12]、ヒバゴンラッピングが施されたバス[2][7]、「ヒバゴン饅頭」や「ヒバゴン味噌」「ヒバゴンネギ」「ヒバゴンのたまご」「ヒバゴン丼」など[2]、ヒバゴンの名を冠した特産品やお菓子[2][4][5][7][13]、携帯ストラップなどのキャラクターグッズが売られる[3][4][5][7][9]。ヒバゴンの目撃が相次いだ場所に作られたレクリエーション施設「広島県民の森」のキャンプ場は「ヒバゴンハウス」と命名されている[14]。
騒動を題材に重松清が2004年に小説『いとしのヒナゴン』を刊行し[5]、翌年、伊原剛志、井川遥主演・渡邊孝好監督により『ヒナゴン』として映画化もされた[2][3][4][9]。
怪獣プロレス[15]代表・雷神矢口は「イギリスネス湖のネッシー、ヒマラヤの雪男という世界の2大UMAに対抗する、日本オリジナル2大UMAはツチノコとヒバゴン」と持論を述べている[16]。
特徴
編集- 類人猿型であり、二足歩行が可能である[3][4][5]。
- 体中が黒もしくは濃い茶色の毛で覆われ[3][4][7]、人の2倍近くある頭には3cmほどの黒褐色の剛毛が逆立つ[3][4]。ゴリラやサルに似ている[2][3][4][5]。
- 尻の左半分の毛が白がかっている。またサルのようなタコ(尻の毛の生えていない部分)が無かったという。
- 顔は逆三角形と報告されている[3][4]。目はギョロ目で大きくつりあがり、オデコに深いシワが3本ある[5]。鼻は潰れて、空を向く形状[5]。
- 背丈は1.5mから1.65m程度[3][4][5]と小柄な大人くらい。ずんぐりむっくりしている。
- 体格から推定される体重は85kg程度。
- 足のサイズは27cm程度。
- 目撃された個体は単一らしく、片足を引きずっていた。
- 歩く際に、鳴き声と思われる音を発する事がある。
- イルカのような鳴き声。
目撃史
編集- 1970年(昭和45年)7月20日夜8時ころ:油木地区の中国電力六ノ原ダム付近をトラックで走行中の男性が、道路を横切り林の中に消えた怪物を目撃[3][4][5][8][9]。姿形はゴリラに似て、子牛ほどの大きさがあったという[9][17]。
- 1970年(昭和45年)7月23日:同地区の農家に住む男性が自宅近くで草刈りをしていたところ、草むらから上半身を出して突っ立った大人の背丈ほどの全身が黒い毛で覆われ、頭部が異様に大きく、顔は人間に似る怪物と遭遇[4][18]。
- 1970年(昭和45年)7月30日:午後8時ごろ、同地区の当時47歳の男性が水田のあぜ道を歩いてくる親類に声を掛けたつもりが、ゴリラそっくりの怪物だった[4]。以後、ダムを中心に3キロ四方で同様の怪物の目撃例があいつぐ[4]。当時、「広島県民の森」の工事が進められていたこともあり、「比婆山の神の祟りじゃ」と畏れる住民もいたという[4]。約90キロ離れた広島市安佐動物公園(広島市)から逃げ出したゴリラではないかとの噂もあった[4]。騒ぎで地元の小学生は集団下校した[4]。山に囲まれた西城町の一部は当時、テレビが映らず[4]。旧西城町役場は、山のアンテナ設置に追われ、町にテレビは一気に普及した[4]。町はヒバゴンの話で持ち切り[3][4]。夕方のニュースの時間になると、町はシーンとなり[3][4]、「近所のあの人が映っとった」などと町民もテレビに釘付けになり、フィーバーに拍車をかけた[3][4]。
- 1970年(昭和45年)12月:吾妻山で、雪原に怪物のものとみられる足跡が発見される[9]。12月だけでも合計12件の目撃報告があった。
- 1974年(昭和49年)6月20日:庄原市川北町須川の市町境に位置する山間の道で、全身毛むくじゃらで身長1.6メートルほどの怪物を男性が目撃。胴は人間の2倍ほどもあり、怪物は男性の乗った車にびっくりしたような仕草で、林に姿を消した[19]。
- 1974年(昭和49年)7月15日:比和町で、女性が自宅の目の前を通っている県道に茶色の体毛の、足は人間のような1.6メートルの「大ザル」が立っているのを目撃。歩き方もサルそっくりだったといい、女性はヒバゴンを「年をとった大ザル」と思ったという[20]。
- 1974年(昭和49年)8月15日:庄原市濁川町で目撃された際、写真撮影に成功したとされる[9][21]。撮影した男性は、県道付近で道路の真ん中あたりで四つ足になったり、二本足で立ったりして歩いている怪物を目撃。車で近づくと怪物は山の中の柿の木に飛びつき、その瞬間を撮影した。怪物は約1.5メートル、全身ネズミ色の毛で覆われており、首の周りは白かった。怪物は山に逃げる際に近くの田んぼに「足跡」を残していた。ただし、写真は不鮮明で、専門家はサルかクマではないかとコメント。ヒバゴンの目撃者も写真の生物について「(写真に写っているのは)ヒバゴンではない。サルだ」と否定的であった[22]。
- 1974年(昭和49年)10月11日:写真が撮られた現場近くの濁川町の県道で目撃された[4]。29件に上った目撃情報は[2][5]、これを最後に目撃報告はパタリと途絶えた[3][4][8][9]。最後まで正体は明らかにならず[2][4]、旧西城町は1975年3月、「ヒバゴン騒動終息宣言」を出し、役場の「類人猿係」も廃止[3][4][9]。騒ぎが収まると「類人猿係」もバラバラになり、みな役場に残らず、お食事処を始めた人もおり、店で「ヒバゴン鍋」(イノシシの肉)を提供した[5]。
ヤマゴン
編集1980年(昭和55年)10月20日午前6時40分頃、広島県福山市山野町田原の県道において、農作業を終えた男性が乗用車で帰宅中に身長1.5メートル、黒色の顔で腹部を除いて全身灰褐色の毛で覆われたゴリラのような怪物と遭遇した[5]。怪物は山に逃げる際、四つ足になり5メートル下の原谷川の土手をすべり降り、川を膝までつかりながらものすごいスピードで渡りきり、川から上がるとサルのように木々をつたいながら山中に消えていったという[23]。1981年(昭和56年)には山野町田原のヘルスセンター前の県道で30センチほどの「足跡」が見つかっている。1980年の目撃よりも4年前に地元のタクシー運転手が怪物を目撃しており、当時は注目されず地元紙に小さく載るだけであったが、山野町は一連の目撃証言と足跡発見に「観光資源」として注目。ヒバゴンに倣い「ヤマゴン」と命名した。ヤマゴンについては比婆山にいたヒバゴンと同一個体であり、比婆から山野町まで移動したのでは?とも推測された[24]。実際、最初の目撃者が記憶を元に描いたヤマゴンのスケッチをヒバゴンの目撃者に見せたところヒバゴンと同じであると答えたとされる。ヤマゴンもヒバゴン同様、1980年の目撃を最後に消息は途絶えている。
影響
編集正体の可能性
編集- 全てのUMAに言えることであるが、何かの見間違いである可能性がつきまとっている。ヒバゴンの場合、ツキノワグマかニホンザルである可能性が高い(ただし地元の人に言わせれば、熊が現れるのはもっと山奥で、ヒバゴンが目撃された地点では熊の餌がないという)。動物学者の今泉忠明は、ヒバゴンはその大きさを除けばニホンザルそのものであり、ニホンザルの老いた個体が群れから脱落し、人里に現れたのではないかと推察している[30]。
脚注
編集- ^ a b ヒバゴン - コトバンク
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t ヒバゴン〜実在した、謎の類人猿〜 - 庄原観光推進機構(庄原DMO)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 「謎の類人猿「ヒバゴン」庄原市西城町で“目撃地”の探検ツアー」『広島 NEWS WEB』NHK広島放送局、2024年5月25日。2024年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月12日閲覧。下井田和恵「広島県庄原市JR芸備線の備後西城駅 謎の類人猿ヒバゴン一色に」『ひろしまWEB特集』NHK広島放送局、2022年10月18日。2023年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月12日閲覧。「騒動から半世紀…未確認生物「ヒバゴン」 今では地元のマスコット 50周年オンラインツアーも【広島発】」『FNNプライムオンライン』フジニュースネットワーク、2021年3月14日。2023年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月12日閲覧。「シリーズニッポンと日本人 ヒバゴン目撃50年…謎の怪物は今」『NNNドキュメント』日本ニュースネットワーク、2020年11月22日。2022年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月12日閲覧。
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- ^ 西城町観光協会公式HP ヒバゴンのまち
- ^ ヒバゴンラジオ
- ^ 郷土への愛が生み出した、未確認生物「ヒバゴン」の名を冠した郷土銘菓。
- ^ 2024 ハウスキャンプ【ヒバゴンハウス】お得なプランでスタートです
- ^ 怪獣プロレス
- ^ 北村泰介 (2023年7月17日). “広島の獣人系UMA「ヒバゴン」が半世紀経て再注目 地元観光協会が「探検隊」募集、プロレス参戦も!?”. よろずー. デイリースポーツ. 2023年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月12日閲覧。
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- ^ 横山雅司「比婆山の怪獣ヒバゴン伝説」(ASIOS『謎解き超常現象III』彩図社・2012年、252頁)
- ^ 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、65頁~68頁
- ^ 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、72頁~74頁
- ^ 宇留島進 『日本の怪獣・幻獣を探せ!』廣済堂文庫 1993年、79頁
- ^ “二宮清純コラム 甲子園、光と影の物語 78年センバツ、津田恒美の衝撃デビュー ライバルが見た“炎のストッパー”の原点”. J:COM番組ガイド. JCOM (2019年10月24日). 2024年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月12日閲覧。
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- ^ Senda, Yoshihiro (2020). “A new apterous rove beetle, Lathrobium hibagon (Coleoptera, Staphylinidae, Paederinae), from western Honshu, Japan”. Japanese Journal of Systematic Entomology 26 (1): 183-189 .
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