パーシー・スレッジ(Percy Sledge、1941年11月25日[1] - 2015年4月14日 [2])は、アメリカ合衆国歌手R&B/ソウルの分野で活動し、1966年に「男が女を愛する時」を大ヒットさせた。2005年にはロックの殿堂入りを果たしている[3]

パーシー・スレッジ
パーシー・スレッジ(2010年)
基本情報
生誕 1941年11月25日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アラバマ州レイトン
死没 (2015-04-14) 2015年4月14日(73歳没)
ジャンル R&B
ソウルミュージック
職業 歌手
レーベル アトランティック・レコード
カプリコーン・レコード
モニュメント・レコード
ポイントブランク・レコード
Diablo Records
Sledgehammer Records
公式サイト http://psledge.com

来歴

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アラバマ州レイトンの田舎で生まれた。ラジオでカントリーを聴きながら育ち、21歳になるまで黒人の歌手がいることを知らなかったという。1960年代には看護師として働きながらThe Esquiresというグループで歌っていたが、クイン・アイヴィーというDJの勧めによりソロ活動を始める[1]

フェイムのリズム・セクションが演奏を担当した1966年のデビュー・シングル「男が女を愛する時」は、『ビルボード』誌のR&Bシングル・チャートとBillboard Hot 100の両方で1位を獲得する大ヒットを記録した[4]。この曲は、アトランティック・レコードのシングルとしては初めてゴールドディスクに達した[5]。同曲はイギリスでも大ヒットして、全英シングルチャートで4位に達した[6]。また、同曲を収録したアルバム『男が女を愛する時』(1966年)は、『ビルボード』誌のR&Bアルバム・チャートで2位、総合チャートのBillboard 200で37位に達した[4]

スレッジは1960年代後半を通じて10曲を『ビルボード』誌のR&Bシングル・チャートのトップ100に送り込み、うち4曲で同チャートのトップ10入りを果たした[4]。1970年代に入るとヒット曲に恵まれなくなるが、1974年にはカプリコーン・レコードに移籍し[1]、同年に発表された「アイル・ビー・ユア・エヴリシング」はR&Bシングル・チャートで15位に達したのに加えて、5年振りに総合チャートのBillboard Hot 100にもチャート・インしている[4]

1983年にはモニュメント・レコードからアルバム『Percy!』を発表[7]。その後10年以上にわたってアルバムのリリースは途絶えるが、1987年、「男が女を愛する時」がイギリスで再ヒットして、オリジナル・リリース時を上回る全英2位に達した[6]1995年にはヴァージン・レコード傘下の、ポイント・ブランク・レコーズ英語版からアルバム『Blue Night』を発表。同アルバムにはスティーヴ・クロッパーボビー・ウーマックがゲスト参加した[7]

2014年2月に肝癌のため入院し、予定されていたツアーが中止となった[8]。そして、2015年4月14日にルイジアナ州バトンルージュの自宅で死去[9][2]。享年73。

代表曲

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タイトル Billboard Pop Singles[4] Billboard R&B Singles[4] UK Singles Chart[6]
1966 "When a Man Loves a Woman" 1 1 4
1966 "Warm and Tender Love" 17 5 34
1966 "It Tears Me Up" 20 7 -
1967 "Baby, Help Me" 87 44 -
1967 "Out of Left Field" 59 25 -
1967 "What Am I Living for" 91 - -
1967 "Just out of Reach (Of My Two Empty Arms)" 66 - -
1967 "Cover Me" 42 39 -
1968 "Take Time to Know Her" 11 6 -
1968 "Sudden Stop" 63 41 -
1969 "My Special Prayer" 93 44 -
1969 "Any Day Now" 86 35 -
1973 "Sunshine" - 89 -
1974 "I'll Be Your Everything" 62 15 -
1987 "When a Man Loves a Woman"(再発) - - 2

関連項目

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脚注

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