パストゥール・ビジムング
パストゥール・ビジムング(Pasteur Bizimungu, 1950年 - )は、ルワンダの政治家、第4代大統領。フツ族。
パストゥール・ビジムング | |
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ルワンダ共和国第4代大統領 | |
任期 1994年7月19日 – 2000年3月23日 | |
首相 | フォスタン・トゥワギラムング ピエール=セレスティン・ルウィゲマ ベルナール・マクザ |
副大統領 | ポール・カガメ |
前任者 | テオドール・シンディクブワボ |
後任者 | ポール・カガメ |
個人情報 | |
生誕 | 1950年(73 - 74歳) ギセニ県、ルアンダ=ウルンディ |
政党 | ルワンダ愛国戦線(1990年-2000年)、民主革新党(2001年- ) |
配偶者 | セラフィナ・ビジムング |
出身校 | ルワンダ国立大学 ストラスブール大学 |
初期の経歴
編集1950年にルワンダのギセニ県に生まれる[1]。政治学者の Filip Reyntjens によれば、ビジムングは1970年代に学生として急進的な反ツチ族グループと関係を持っていた[2]。しかし後にはフツ系政権に対抗するルワンダ愛国戦線(RPF)に加わることになった[2]。妻のセラフィナはツチ族の出身である[1]。ビジムングは1994年のルワンダ虐殺の後、ルワンダの大統領を務めた。
開発国民革命運動との関係
編集1980年代と1990年代に、ビジムングは1994年までルワンダを統治した開発国民革命運動(MRND)の政府内で勤務していた。1990年より以前、ビジムングはフツ系大統領のジュベナール・ハビャリマナと密接な関係にあった[2]。この期間中、ビジムングは国営電力会社であるエレクトロガズ社(Electrogaz)の社長を含むいくつかの役職を務めた[1]。
1990年に兄弟のルワンダ国軍の大佐が殺害された後、ビジムングはルワンダ愛国戦線(RPF)に加わった[3]。当時、RPFはウガンダからルワンダへ侵入し、ルワンダ紛争を開始したばかりであった[1]。ビジムングはベルギーで亡命生活を送っていたが、RPFへ加入後は党のブリュッセル本部において情報責任者を勤めた[2][4]。また、1993年に成立したアルーシャ協定における交渉を支援した[1]。
1994年4月6日に発生した飛行機撃墜事件によってハビャリマナ大統領が死亡した後、民族過激派がルワンダ虐殺を引き起こすことになった。
大統領職
編集1994年7月、RPFが国政を掌握し、ルワンダの統一政府を樹立した。事実上のRPFの指導者であるポール・カガメが副大統領に選出され、ビジムングが大統領となった。
ビジムング政権の時代、多くの者がビジムングは単なる名目的な存在であると考えており、カガメが実権を保持していた[3]。すぐにビジムングは反対意見に対する抑圧が不当なものであると主張したことに関してカガメとは相容れない立場にあることを理解した[1]。一方でビジムングの批判者は汚職についてビジムングを非難し、ビジムングが腐敗した大臣を問責する議会の試みを阻止し、ビジムングが関わる建設現場から強制退去させられた住民への補償を支払うことを拒否した上に、2台のトラックをコンゴ民主共和国で登録することによってルワンダの税から逃れたと主張した[3]。
民主革新党
編集ビジムングは2001年5月にルワンダ語で「ウブヤンジャ」(Ubuyanja)として知られる、民主革新党(PDR)を設立した。しかし政府によってほぼ即座に活動を禁止され、フツ族の過激派組織であるとして非難された。ビジムングは逮捕され、アムネスティ・インターナショナルはビジムングを「良心の囚人」に認定した[5]。
ビジムングは党の活動を継続したために自宅軟禁下に置かれ、2002年4月19日に国家の安全保障を脅かしたとして起訴された。2004年6月7日に、民兵組織を結成しようとした罪、暴力を扇動した罪、そして横領罪についてそれぞれ5年、合計で15年の実刑判決を受け、連続して執行されることになった[1]。ビジムングは控訴したものの、ビジムングが最初に起訴された犯罪とは異なる犯罪で有罪判決を受けたという事実に基づき、2006年2月17日に最高裁判所によって却下された[6]。
ビジムングはポール・カガメ大統領の恩赦によって2007年4月6日に釈放された。しかしカガメは恩赦の理由について説明をしなかった[4]。PDRの共同設立者であり、後に共同被告となったチャールズ・ンタキルティンカは2011年4月の時点でも刑務所に残っており、アムネスティ・インターナショナルの「優先的案件」に指定された[7]。ンタキルティンカは2012年3月1日に10年間の刑期を終え出所している[8]。
出典
編集- ^ a b c d e f g “From president to prison”. BBC News (7 June 2004). 1 March 2020閲覧。
- ^ a b c d “The Three Victors Who Will Lead Rwanda”. The New York Times (20 July 1994). 1 March 2020閲覧。
- ^ a b c “Analysis: Why Bizimungu mattered”. BBC News (23 March 2008). 1 March 2020閲覧。
- ^ a b c Arthur Asiimwe (6 April 2007). “Rwanda's ex-president freed from prison”. Reuters. 1 March 2020閲覧。
- ^ “Rwanda: Number of prisoners of conscience on the rise”. Amnesty International (7 June 2002). 1 March 2020閲覧。
- ^ “Rwanda's ex-leader loses appeal”. BBC News (17 February 2006). 1 March 2020閲覧。
- ^ “Charles Ntakirutinka, prisoner of conscience”. Amnesty International. 29 April 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。1 March 2020閲覧。
- ^ “Rwanda: Prisoner of conscience released after decade in detention”. アムネスティ・インターナショナル (2012年3月1日). 2022年12月21日閲覧。
公職 | ||
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先代 テオドール・シンディクブワボ |
ルワンダ共和国大統領 第4代:1994年7月19日 - 2000年3月23日 |
次代 ポール・カガメ |