バルバラ・ダウストリア
バルバラ・ダウストリア(イタリア語:Barbara d'Austria、ドイツ語:Barbara von Österreich, 1539年4月30日 - 1572年9月19日)は、フェラーラ公アルフォンソ2世・デステの二度目の妃。
バルバラ・ダウストリア Barbara d'Austria | |
---|---|
モデナ=レッジョ公妃 フェラーラ公妃 | |
| |
在位 | 1565年 - 1572年 |
出生 |
1539年4月30日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
死去 |
1572年9月19日(33歳没) フェラーラ公国、フェラーラ |
埋葬 | フェラーラ公国、フェラーラ、ジェズ教会 |
結婚 | 1565年12月5日 |
配偶者 | フェラーラ公アルフォンソ2世・デステ |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝フェルディナント1世 |
母親 | アンナ・ヤギエロ |
生涯
編集神聖ローマ皇帝フェルディナント1世と皇后アンナ・ヤギエロの第8子として、ウィーンで生まれた。姉マグダレーネ、マルガレーテ、ヘレーネ、妹ジョヴァンナとともに、1547年以降インスブルックの宮殿で育てられ、信仰篤い人物となった。
バルバラの容貌は良いとはいえなかったが、縁談が途切れることはなかった。1565年、アルフォンソ2世と結婚。夫婦仲は良かったが子供はできなかった。トルクァート・タッソは、フェラーラ宮廷でバルバラに数作のソネットを捧げている。1570年と1571年の地震後、親を失った少女たちのために私費を投じて支援を行った。バルバラは定期的にイエズス会と接触し、またプロテスタントに同情的だった義母レナータとも非常に密接であった。
1566年以降病がちとなり、1572年に肺結核のため死去した。夫は1579年、バルバラの姪マルゲリータ・ゴンザーガを3番目の妻に迎えた。