ハーウッド伯爵: Earl of Harewood[ˈhɑːrwʊd] ( 音声ファイル)[1])は、イギリスの貴族伯爵連合王国貴族爵位。政治家エドワード・ラッセルズ英語版1812年に叙されたことに始まる。

ハーウッド伯爵
Earl of Harewood

紋章記述

Arms:Sable a Cross Patonce within a Bordure Or Crest:A Bear's Head couped at the neck Ermine muzzled Gules buckled Or collared of the second rimmed and studded Gold Supporters:On either side a Bear Ermine, muzzled and collared Gules, buckled and chained, the Chain reflexed over the back Or, the collar studded and rimmed Gold, and pendent therefrom an Escutcheon Sable charged with a Cross Patonce also Gold
創設時期1812年9月7日
創設者摂政ジョージ
(国王ジョージ3世名代)
貴族連合王国貴族
初代初代伯エドワード・ラッセルズ英語版
現所有者8代伯デイヴィッド・ラッセルズ英語版
相続人ラッセルズ子爵アレクサンダー・ラッセルズ
付随称号ラッセルズ子爵
ハーウッド男爵(GB
現況存続
邸宅ハーウッド・ハウス英語版
旧邸宅ゴールズバラ・ホール英語版
モットー神のみぞ我が救い
(In Solo Deo Salus)

配偶者プリンセス・ロイヤルを迎えた者、国王秘書官英語版を務めた者などが一族におり、イギリス王室との関係が深い。

歴史

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初代伯爵の肖像画。
 
伯爵家本邸のハーウッド・ハウス英語版

ラッセルズ家はヨークシャーに起源を持ち、一族のヘンリー・ラッセルズ英語版などは製糖会社を興し、バルバドスの砂糖プランテーション経営者として富を蓄えた[2]。その子のエドウィンはスカーバラ選挙区英語版ノーザラトン選挙区英語版ヨークシャー選挙区英語版の各選挙区から庶民院議員を務めたのち、1790年にヨーク州ハーウッドのハーウッド男爵(Baron Harewood, of Harewood in the County of York)を与えられた[3][4]。しかし彼には子がなく、1795年に男爵位は廃絶した。エドウィンの死後、ラッセルズ家の財産・所領は従兄弟のエドワードが相続した。

エドワードはエドウィンと同じくノーザラトン選挙区から庶民院議員を務めた人物である。彼は財産相続の翌年(1796年)、グレートブリテン貴族としてヨーク州ハーウッドのハーウッド男爵(Baron Harewood, of Harewood in the County of York)を得て男爵位を再興した[5][6]。エドワードは1798年と1804年に小ピット首相に伯爵位を求め、「あなたに揺るぎのない不変の好意を抱いているのに、報われないとしたら非常に残念です」との手紙を送ったほどだったが、小ピットからは結局認められなかった[7]。1812年、リヴァプール首相からようやく陛爵を認められて、ハーウッド伯爵(Earl of Harewood)及びラッセルズ子爵(Viscount Lascelles)に叙せられた[5][8]。初代伯以降、その直系男子による爵位継承が続いている。

2代伯ヘンリーとその子の3代伯ヘンリーはともにウェストライディング・オブ・ヨークシャー統監英語版を務めた[4][5]

5代伯ヘンリーは女王ヴィクトリア、国王エドワード7世、ジョージ5世と三代にわたり国王副官(Aide-de-Camp)を務め[4]、イギリス王室と縁ができた。

6代伯ヘンリーはメアリー王女(国王ジョージ5世の長女、プリンセス・ロイヤル)と結婚し、王室と直接的なつながりを持った[9]

その孫にあたる8代伯デイヴィッドが伯爵家現当主である。

一族からは他にも王室と縁のある人物を輩出しており、4代伯の孫にあたるアラン・ラッセルズ英語版エドワード王太子秘書官補、国王ジョージ6世国王秘書官英語版を歴任した宮廷官僚であった[10]

伯爵家の紋章に刻まれるモットーは『神のみぞ我が救い(In Solo Deo Salus)[4]

伯爵家の本邸は、ヨークシャーリーズ近郊のハーウッド・ハウス英語版

現当主の保有爵位

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現当主の第8代ハーウッド伯爵デイヴィッド・ラッセルズ英語版は以下の爵位を有する[4]

  • 第8代ハーウッド伯爵(8th Earl of Harewood)
    1812年9月7日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第8代ラッセルズ子爵(8th Viscount Lascelles)
    (1812年9月7日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第8代ヨーク州ハーウッドのハーウッド男爵(8th Baron Harewood, of Harewood in the County of York)
    1796年6月18日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

一覧

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ハーウッド男爵(第1期;1790年)

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ハーウッド男爵(第2期;1796年)

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ハーウッド伯爵(1812年)

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Pointon, G.E. (1-September-1990). 『BBC Pronouncing Dictionary of British Names』. Oxford Reference (Subsequent ed.). Oxford Univ Pr. p. 113. ISBN 0-19-282745-6 
  2. ^ Brooke, John (1964). "LASCELLES, Edwin (1713-95), of Harewood, nr. Leeds, Yorks.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年6月13日閲覧
  3. ^ "No. 13210". The London Gazette (英語). 15 June 1790. p. 373.
  4. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Harewood, Earl of (UK, 1812)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2022年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月7日閲覧。
  5. ^ a b c Arthur G.M. Hesilrige (1921). 『Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc』. Wellesley College Library. London, Dean. p. 449. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/448/mode/2up 
  6. ^ "No. 13897". The London Gazette (英語). 31 May 1796. p. 527.
  7. ^ Stokes, Winifred (1964). "LASCELLES, Edward (1740-1820), of Stapleton, nr. Pontefract, Yorks.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年6月13日閲覧
  8. ^ "No. 16632". The London Gazette (英語). 11 August 1812. p. 1580.
  9. ^ 君塚 (2023), p. 211.
  10. ^ 君塚 (2023), pp. 211–212, 248.

参考文献

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