ハリエット・タブマン

アフリカ系アメリカ人女性で奴隷制度廃止論者、人道活動家

ハリエット・タブマン・デイヴィス(Harriet Tubman Davis、1822年3月頃 - 1913年3月10日)は、アメリカ合衆国の元黒人奴隷奴隷解放運動家、女性解放運動家。

最晩年のタブマン(1911年)
(南から北へ)タブマンの生地と逃亡先、永住の地。五大湖沿岸の町へは両親を脱出させた。

タブマンは特に、黒人の逃亡奴隷をひそかに領外に逃がすための秘密結社「地下鉄道」の指導者のひとりとして知られる[1]。その功績になぞらえて「モーセ」と尊称された[2]

2016年、20ドル札のデザインに初めてアフリカ系アメリカ人として初めて採用されるも[3]トランプ政権下で棚上げされていたが、2021年1月25日、バイデン政権下で変更手続きが再開されることが発表された[4]

来歴

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出生

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メリーランド州で、黒人奴隷である両親から生まれた[注釈 1]。生まれたときの名はアラミンタ・ロス(Araminta Ross)、通称ミンティ(Minty)。ハリエットの名は、その名から取って名乗ったものであるが、改名時期には諸説(結婚時など)ある。5歳からメイド兼子守りとして働きはじめた。1844年ごろ、自由黒人であるジョン・タブマンと結婚した[8]。長年の奴隷生活に堪え、奴隷監督からの殴打などを含む虐待に耐えたが、頭部に受けた殴打は後遺症を残し、生涯ナルコレプシーてんかんに悩まされることになる。

 
逃亡奴隷の懸賞金に関する公告。Minty(ハリエット)と弟の名前がある。

奴隷解放運動から南北戦争への従軍

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1830年から1865年の期間にアメリカで機能した「地下鉄道」の経路図。実際の列車が走る鉄路ではなく、黒人奴隷を自由州やカナダに逃がす秘密の脱出ルート。食料や衣料品の提供者や、安全な隠れ家を結ぶネットワークが築かれ、「車掌」と呼ばれた引率者が逃亡奴隷を連れて立ち寄った。

1847年、奴隷主が死に、奴隷は売り払われると聞いたことをきっかけに、脱出を渋る夫を残して北部のフィラデルフィアへ逃亡した。その途上、奴隷解放運動主義者で非合法組織である地下鉄道を支援していたクェーカー教徒に助けられた。

フィラデルフィアではレビ・コフィン[注釈 2]やトーマス・ギャレット[注釈 3]フレデリック・ダグラスジョン・ブラウンらの奴隷解放運動家と交流を持った。やがて脱走奴隷を助けることを違法化する「逃亡奴隷法」(en) が1850年に成立した。タブマンは、奴隷を自由にする活動をしている人々の組織である「地下鉄道(Underground Railroad)」に加わる決心をすると、地下鉄道の「車掌」としてその運行をはじめた[10]。やがてタブマンの受け持ち路線は当時のアメリカの北の国境へと伸びていった。

後述の自叙伝によれば、1850年から1860年の間に約19回の南部との往復を繰り返したといい、自分の両親を含む300人余りの奴隷の「乗客」のだれも捕まることなく[11]自由に導いたとされる[12]。ハリエット・タブマン自身も一度も捕まらず、「車掌」として成功をおさめ、その活動のリーダー的な存在になったという。そのためタブマンに掛けられた賞金額は合計4万ドルを超えたとされる。しかしケイト・ラーソン (en) の研究によれば、実際に助けたのは13回の往復で70-80人ほどであり、掛けられた賞金も50-100ドル程度という説もある[1]

1861年に南北戦争が勃発すると、料理人および看護婦として働くとともに、北軍のためのスパイ、武装した斥候をも務めた[10]。1863年夏、タブマンはサウスカロライナ州で解放奴隷に読み書きを教えていたとき、北軍が近くの川の渡し場(Combahee Ferry)を襲撃すると聞いて作戦に加わると、アメリカ史上初の女性指揮官として兵士を動かし、避難した南軍側の地主が置いていった奴隷750人近くを船に載せて北軍領地に移送した[13][14]。このときを含め、軍務においても、タブマンは一度も捕えられることはなかった。「地下鉄道」の「車掌」だった時の経験から、地方の事情に詳しかったため、斥候として高い評価を受けた。

34年後の年金

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タブマン夫妻(左の帽子の人物2人)と救出された奴隷。(撮影地はオーバーンのタブマン家と推定。ニューヨークタイムズ、1887年頃[注釈 4]。)

三年にもわたる看護兵、料理人、密偵、斥候としての北軍への従軍は非公式であり文書化されていなかったため、戦後、タブマンが政府から恩給を支給されることはなく、生活は困窮した。1865年、彼女は補償を求めて連邦政府を訴え、また1867年に再度訴えた。最初の申請から34年後の、1899年2月、タブマンが79歳になって未亡人年金という形で年間240ドルが支給されることになった[17]。その少ない年金を元手に、1908年、高齢者と貧困者の家として、オーバーンに木造の施設を建てた。彼女はその家で働き、1913年に亡くなるまでの数年間、そこで過ごした[12]

権利活動家として

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南北戦争が終わり、南部での奴隷解放の後も、黒人と女性の権利のために活動家として講演旅行に出かけるなど活躍した。伝記筆者セーラ・ブラッドフォードの協力を得て、1869年に自叙伝『ハリエット・タブマンの生涯の情景』[18][19]を出版した。これはタブマンの経済的困難[注釈 5]を著しく改善したが、先述のように歴史資料としては誇張や美化も多いとされる。同年、黒人の退役軍人ネルソン・デービスと再婚した。

ジョン・ブラウンはタブマンを「タブマン将軍」と呼び、「この大陸でもっとも勇敢な人物」と評した。フレデリック・ダグラスもまた、「ジョン・ブラウンを除けば、奴隷の逃亡を助けるため、タブマン以上に危険で困難な仕事をした人物を挙げることは出来ない」と述べている[20]

高齢になると、ニューヨーク州オーバーンにかねて買っておいた家に拠点を構えた。かつて南部から脱出に成功した両親が1859年頃に住んだ家である。合衆国陸軍から少額の恩給が受られるようになり、1908年、この街に施設を建てて身寄りのない元奴隷を住まわせ、その家で働きながら戦死した黒人兵の遺族への支援を続けた[10]。最晩年には自らもそこに身を寄せて、1913年肺炎で死去。93歳であった。臨終の際には、仲間や助けられた人々、支援者が集まり「スイング・ロウ・スウィート・チャリオット」を歌ったとされる[21][22]

 
2016年の原案。

21世紀のハリエット・タブマン

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新紙幣デザインの計画

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2016年4月20日、新紙幣のデザインをめぐる60万人以上を対象とした調査で、タブマンが1位を獲得していた結果を受け、オバマ大統領と米財務長官ジェイコブ・ルーがタブマンを紙幣のデザインに採用する計画を発表した。2020年に行われる予定の新20ドル札で、タブマンを表面にデザインし、それまで採用されていたアンドリュー・ジャクソンを裏面に置く。アメリカドル紙幣にアフリカ系アメリカ人がデザインされるのは初となる。当初は2020年に発行される新10ドル札で女性がデザインされ、新20ドル札は2030年発行予定だった。しかし、「女性に参政権が与えられてから100年の節目となる2020年に20ドル札の変更を」という草の根運動により、10ドル札の変更は見送られ、新20ドル札が繰り上げて発行されることに決まった[3]

大統領候補ドナルド・トランプはこの決定を「純粋にポリティカル・コレクトネス」と批判的に語った[23]。2017年、トランプ大統領が就任して以降は、タブマンの20ドル札についての情報が米財務省のウェブサイトから消滅した[24]。2019年5月、スティーブン・ムニューシン財務長官は2028年までにはタブマンの新紙幣は実現化されないと発表した[25][26][27]

バイデン大統領就任後の2021年1月25日、「わが国の紙幣が歴史や多様性を反映したものであることは重要で、タブマン氏が新20ドル札の肖像になるのはまさしくそれを反映する」として、20ドル札の肖像をタブマンに変更する手続きを財務省が再開することが発表された[4]

ミュージアム

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2019年5月、メリーランド州ケンブリッジにあるハリエット・タブマン博物館教育センター[28]に描かれている壁画が話題となった。三歳のアフリカ系アメリカの少女が、博物館の壁に描かれているタブマンの手に自分の小さな手を差しだしている写真が SNS で拡散され[29]、メディアでも話題となった[30]。煉瓦の壁を乗り越え、岸辺の小舟に導こうと手を差しだす力強いタブマンの壁画は、画家マイケル・ロザトの制作中の作品で、小さなミュージアムはこの絵のおかげで一気に有名になった[31]

映像

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2020年6月5日、映画『ハリエット』が公開された。監督はケイシー・ レモンズ。ハリエット役はシンシア・エリヴォ[32]

参考文献

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発行年順
  • Bradford, Sarah Hopkins (1971). Scenes in the Life of Harriet Tubman. Freeport: Books for Libraries Press. ISBN 0-8369-8782-9 
  • Humez, Jean (2003). Harriet Tubman: The Life and Life Stories. Madison: University of Wisconsin Press. ISBN 978-0-299-19120-7 
  • Clinton, Catherine (2004). Harriet Tubman: The Road to Freedom. New York: Little, Brown and Company. ISBN 0-316-14492-4 
  • Larson, Kate Clifford (2004). Bound For the Promised Land: Harriet Tubman, Portrait of an American Hero. New York: Ballantine Books. ISBN 978-0-345-45627-4 
  • 東理夫『アメリカは歌う。―歌に秘められた、アメリカの謎』作品社、2010年2月25日。ISBN 978-4-86182-275-9 
  • §5 奴隷制度の鎖を断ち切る : ハリエット・タブマン」『女性実力者の系譜』アメリカ国務省、2015年、11-13頁https://americancenterjapan.com/wp/wp-content/uploads/2015/11/wwwf-pub-women.pdf 

脚注

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注釈

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  1. ^ 戸籍制度や出生届のない奴隷は生年の記録がない人がほとんどで、タブマンも諸説あり、後年の出生証明には1815年と記され、墓碑には1820年頃、没地のオーバーンに建てられた銘板には1921年と刻まれている。ケイト・ラーソンは、逃亡奴隷として懸賞金をかけられた時の公告や、産婆への支払い等の歴史資料から、1822年3月生まれ説[5]を、ジーン・ヒュームズは1820年が妥当だが、1-2年遅い可能性もあるとしている[6]。キャサリン・クリントンは1825年生まれとしている[7]
  2. ^ レビ・コフィン (en) は1830年代からインディアナ州で商売を広げたクェーカー教徒で、取引のつながりを活用し地域の地下鉄道(英語)を支えた中心人物。
  3. ^ トーマス・ギャレット (en) はペンシルベニア州デラウェア郡の裕福な地主の生まれで熱心なクェーカー教徒。父の代のとき不法組織に奴隷としてさらわれた自由黒人を奪い返した経験から、兄弟ともども奴隷解放運動に心を寄せ、自身は特に地下鉄道に深く関与。父の代の地所はほぼアーリントン国立墓地全域を占めたといい、地下鉄道を指揮した当時の邸宅がフィラデルフィア市西郊のアッパーダービーに現存する[9]
  4. ^ ニューヨークタイムズ紙の集合写真に映る左端3人はタブマン一家である。向かって左端のハリエット、その隣が養女ガーティー・デイビス (ワトソン)、杖を握る夫ネルソン・デイビスは第8連隊の退役軍人であった[15]。ついで隣人の子リー・チェイニー、タブマン家の下宿人ジョン・アレグザンダー〈パパ〉、隣人の子ウォルター・グリーン、下宿人サラ・パーカー〈おばさん〉、弟ロバート・ロスの孫娘ドーラ・スチュワート(スチュワートは弟の偽名)。ドーラ・スチュワートの肖像はこの写真のカット違いを加工した例が多い[16]
  5. ^ スパイとしての軍務にもかかわらず、政府は南北戦争後30年を経過するまでタブマンの恩給支給を拒否した[10]

出典

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  1. ^ a b Larson 2004, p. xvii.
  2. ^ 『ハリエットの道』| キャロル・ボストン・ウェザフォード, カディール・ネルソン, さくま ゆみこ”. (全ページ読める)みんなの声・通販. 絵本ナビ. 2019年7月27日閲覧。
  3. ^ a b 米紙幣に初の黒人 元奴隷女性のH・タブマン、新20ドル札に”. AFP BB NEWS. 2016年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月21日閲覧。
  4. ^ a b Staff, Reuters「女性奴隷解放家の新20ドル札計画、バイデン政権が再開」『Reuters』2021年1月26日。2021年1月30日閲覧。
  5. ^ Larson 2004, p. 16.
  6. ^ Humez 2003, p. 12.
  7. ^ Clinton, p. 4.
  8. ^ Harriet Tubman” (英語). National Women's History Museum. 2020年6月13日閲覧。
  9. ^ Member Details »Thomas Garrett House” (英語). NETWORK TO FREEDOM. アメリカ国務省 (November 17, 2010). 2019年7月26日閲覧。
  10. ^ a b c d 国務省 2015, pp. 11–13.
  11. ^ Clinton 2004, p. 192 (引用).
  12. ^ a b 女性実力者の系譜-奴隷制度の鎖を断ち切る「ハリエット・タブマン」”. About THE USA|アメリカンセンターJAPAN. 2019年7月27日閲覧。
  13. ^ Larson, Kate Clifford (2004年6月25日). “Harriet Tubman's Civil War Campaign (引用元はBound For The Promised Land: Harriet Tubman–Portrait Of An American Hero”. W.E.B. DuBois Learning Center. 2016年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月26日閲覧。
  14. ^ Larson 2004, pp. 212–214.
  15. ^ Humez 2003, p. 86.
  16. ^ Larson 2004.
  17. ^ Compensation for Civil War Services : Harriet Tubman”. www.harriet-tubman.org. 2020年2月10日閲覧。
  18. ^ Scenes in the Life of Harriet Tubman (1869年発行の自叙伝の英語版全文と挿し絵、参考資料)” (英語). ノースカロライナ大学チャペルヒル校. 2019年7月26日閲覧。
  19. ^ ブラッドフォード 1869.
  20. ^ Humez 2003, pp. 306–307.
  21. ^ Raph 1964.
  22. ^ 東理夫 2010, p. 185.
  23. ^ CNN, David Wright. “Trump: Tubman on the $20 bill is 'pure political correctness'”. CNN. 2020年2月10日閲覧。
  24. ^ Harriet Tubman Museum Benefits from Viral Photo” (英語). VOA. 2020年2月10日閲覧。
  25. ^ Higgins, Tucker (2019年5月22日). “Harriet Tubman $20 bill no longer coming in 2020: Mnuchin says redesign postponed” (英語). CNBC. 2020年2月10日閲覧。
  26. ^ Rappeport, Alan (2019年6月14日). “See a Design of the Harriet Tubman $20 Bill That Mnuchin Delayed (Published 2019)” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2019/06/14/us/politics/harriet-tubman-bill.html 2020年10月7日閲覧。 
  27. ^ H・タブマン採用の新20ドル札延期へ=ムニューシン財務長官”. mashup NY (2019年5月23日). 2020年10月7日閲覧。
  28. ^ danielled6514 (2016年12月7日). “6. Harriet Tubman Museum & Educational Center” (英語). Harriet Tubman Byway. 2024年3月1日閲覧。
  29. ^ 「Lovie meets Harriet ❤ This picture was taken in downtown Cambridge, MD on Cannery Way. This mural is on the back wall of the Harriet…」”. Instagram. 2020年2月11日閲覧。
  30. ^ CNN, Gabrielle Sorto. “The story behind the photo of a 3-year-old reaching out to Harriet Tubman”. CNN. 2020年2月11日閲覧。
  31. ^ Harriet Tubman Museum Benefits from Viral Photo” (英語). VOA. 2020年2月11日閲覧。
  32. ^ 映画『ハリエット』オフィシャルサイト”. harriet-movie.jp. 2020年8月27日閲覧。

関連文献

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発行年順
  • Weatherford, Carole Boston ; Kadir Nelson, “Moses : when Harriet Tubman led her people to freedom”, New York : Jump at the Sun/Hyperion Books for Children, 2006. さくまゆみこ訳書の原書。
  • キャロル・ボストン・ウェザフォード (文)、カディール・ネルソン (絵)、さくまゆみこ (訳)『ハリエットの道』日本キリスト教団出版局、2014年。NCID BB15739501。(原題:MOSES : When Harriet Tubman led her people to freedom — コルデコット賞銀賞、コレッタ・スコット・キング賞 画家部門の受賞作)
  • キャサリン・クリントン (著)、廣瀬 典生 (翻訳) 『自由への道 逃亡奴隷ハリエット・タブマンの生涯』晃洋書房、2019年03月10日。ISBN 9784771031463
  • 上杉 忍『ハリエット・タブマン 「モーゼ」と呼ばれた黒人女性』新曜社、2019年03月15日。ISBN 9784788516083
  • 池田まき子 (著) 『自由への道: 奴隷解放に命をかけた黒人女性 ハリエット・タブマンの物語』学研プラス、2019年5月28日。ISBN 978-4052049125

研究書、論文

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著作者の姓の50音順
  • 岩本裕子「2016年夏におけるアメリカ黒人女性の諸相 : ハリエット・タブマンから「カラー・パープル」まで」『浦和論叢』第56号、31-66頁、2017年2月。
  • Conrad, Earl (1943). Harriet Tubman. Washington DC: Associated Publishers. OCLC 08991147 
  • コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-上-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第4号、34-44頁。1960年4月。ISSN 0287-7740
  • コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-中-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第5号、54-61頁。1960年5月。
  • コンラッド、アール「ハリエット・タブマンの半生-下-」山田拓男 (訳)、『部落』第12巻第6号、34-43頁。1960年6月。
  • 佐藤晴雄「モーセと呼ばれた「男」--ハリエット・タブマンの少女時代」『武蔵野英米文学』第39巻、29-43頁。2006年。ISSN 0388-6662
  • 栩木玲子「ハリエット・タブマン (1820?-1913) : 黒人たちのモーセ」「国境を越えるヒューマニズム」鈴木靖 (編著)、法政大学国際文化学部 (編)、『国際社会人叢』第1巻、2013年3月。 NCID BB12142590
  • 皆河宗一 (編訳)「ハリエット・タブマン」『アメリカ黒人の民話』、東京:未来社〈世界の民話〉第6巻、203-218頁。1960年。doi:10.11501/9543702
  • 宮津多美子、黛道子、中村安子「アメリカン・デモクラシーの実現を目指して--19世紀改革期のパイオニア女性」『医療看護研究』第7巻第1号、21-34頁。2011年3月。
  • ヨスト、エドナ「§7奴隷解放の勇者—黒人女性 ハリエット・タブマン(1820-1913)」『輝く女性たち』 浅田孝二 (訳)、東京:新紀元社〈パイオニア物語〉 、93-107頁。1964年。doi:10.11501/2983462
  • Raph, Theodore (1964). The American Song Treasury: 100 Favorites. Courier Corp.. ISBN 978-0486252223  臨終の場で合唱した歌のエピソード

音楽その他

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  • スティーリン・ホーシズ「(4) ハリエット・タブマン」『スティーリン・ホーシズ』、東京:BMGファンハウス〈アリスタ〉、1988年9月。録音ディスク 1枚 : CD ; 12cm。
  • ケイト・テイラー「(3) ハリエット・タブマン」『ケイト・テイラー』、東京:ソニーレコード〈ソニーSRCS-645〉、1995年3月。録音ディスク 1枚 : CD ; 12cm。

関連項目

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  • ハリエット (映画)
  • Harriet Tubman National Historical Park (en) ハリエット・タブマン国立歴史公園
  • Harriet Tubman Underground Railroad National Historical Park (en) ハリエット・タブマン地下鉄道国立歴史公園
  • Harriet Tubman Day (en) ハリエット・タブマンの日。3月10日をあてるとメリーランド州とニューヨーク州で法制化された。
  • Harriet Tubman Press (enロヨラ・メリーマウント大学内のアフリカ系アメリカ文学の出版社。
  • オペラ Harriet, the Woman Called Moses (en) 1985年初演。スコットランド生まれの作曲家テア・マスグレーブ (en) 制作。

外部リンク

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資料集
H・タブマン伝記
記念館、記念の施設