ハネリュ・コミシオン
ハネリュ・コミシオン(Janelle 'Penny' Commissiong、1953年6月15日 - )は、トリニダード・トバゴのモデル。1977年7月16日、ミス・ユニバース1977で優勝したことにより、「黒人初のミス・ユニバース」としてよく知られる。
2014年 | |
プロフィール | |
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愛称 | Penny |
生年月日 | 1953年6月15日 |
現年齢 | 71歳 |
出身地 | ポートオブスペイン |
瞳の色 | ブラウン |
毛髪の色 | ダークブラウン |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | 165 cm / 53.4 kg |
BMI | 19.6 |
スリーサイズ | 89 - 59.5 - 92 cm |
活動 | |
備考 | ミス・ユニバース1977 |
他の活動 | 旅行会社社長 |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
経歴
編集1953年6月15日、トリニダード・トバゴの父とベネズエラの母のもと生まれる[1]。ポートオブスペインの女子校に学ぶ。13歳のとき家族とともにアメリカ合衆国に移る。ニューヨーク州のハイスクールを経てニューヨーク州立ファッション工科大学でファッションを学ぶ。準学士[2]。
1977年、Miss Trinidad and Tobago Universeのタイトルを獲得、国を代表してミス・ユニバース1977に出場。優勝し、黒人として初のミス・ユニバースとなった。当時の身長165センチは歴代ミス・ユニバースの中でも小柄で、ペニー銅貨になぞらえてPennyと呼ばれた。記者たちの取材に対し「極東をよく見たい。あそこは工業化の途上にあり、その変化に惹かれている」「チャームポイントは右頬のえくぼ。魅力がないのは濃い眉毛」などとコメントした[3]。
ミスとしての任期の間、彼女は黒人の権利と世界平和の擁護者だった。1977年、トリニダード・トバゴ最高の栄誉であるTrinity Crossを授与される[1]。また、彼女の記念切手も発行された[2]。
2017年、ポートオブスペインのQueen StreetがQueen Janelle Commissiong Streetと改称される。同年10月、トリニダード・トバゴ観光省よりTourism Trinidad Destination Management Company社長に選任される(2012年から2015年まで同社の前身であるTourism Development Company副社長)[4]。
私生活
編集ミスとしての任期を終えた1978年、最初の夫Brian Bowenと結婚[1]。ブライアンは1989年事故死。その後Alwin Chowと再婚[5]。
出典
編集- ^ a b c Mildred Europa Taylor (2018年7月17日). “The Caribbean Woman Who Shocked The World As The First Black Miss Universe In 1977”. missuniverse.com. 2018年7月29日閲覧。
- ^ a b c Ronald C. Emrit. “JANELLE COMMISSIONG”. bestoftrinidad.com. 2021年12月6日閲覧。
- ^ 「史上初の黒人女王 ミス・ユニバース」『朝日新聞』1977年7月18日、夕刊。
- ^ “Penny Commissiong heads new tourism agency”. looptt.com (2017年10月4日). 2021年12月9日閲覧。
- ^ “THE PENNY THAT DIDN'T DROP”. nalis.gov.tt. National Library and Information System Authority. 2021年12月9日閲覧。