ハティ・マクダニエル
ハティ・マクダニエル(Hattie McDaniel, 1893年6月10日 - 1952年10月26日)はアメリカ合衆国の女優。
ハティ・マクダニエル Hattie McDaniel | |||||||||
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生年月日 | 1893年6月10日 | ||||||||
没年月日 | 1952年10月26日(59歳没) | ||||||||
出生地 |
アメリカ合衆国 カンザス州ウィチタ | ||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||
配偶者 |
George Langford (1922) Howard Hickman (1938) James Lloyd Crawford (1941-1945) Larry Williams (1949-1950) | ||||||||
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来歴
編集カンザス州ウィチタ出身。父親は牧師、母親は歌手[1]で、13人の子供がいる家族に生まれる。1910年代は歌手として活躍。1915年には黒人としては初めてラジオで歌う。1932年に映画デビュー。ハリウッドではメイド役がほとんどだったが、『風と共に去りぬ』のスカーレット(ヴィヴィアン・リー)のメイド役でアカデミー助演女優賞を受賞した。黒人でオスカーを受賞したのは彼女が初めてであった。
主な出演作品
編集公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
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1932 | ブロンド・ヴィナス Bronde Venus |
コーラ | |
輝く西部 The Golden West |
マミー・ルー | クレジットなし | |
1933 | 妾は天使ぢゃない I'm No Angel |
ティラのメイド | |
1934 | 砲煙と薔薇 Operator 13 |
アニー(料理人) | |
プリースト判事 Judge Priest |
Aunt Dilsey | ||
1935 | 小聯隊長 The Little Colonel |
マム・ベック | |
支那海 China Seas |
イザベル・マッカーシー | ||
乙女よ嘆くな Alice Adams |
マレナ・バーンズ | ||
1936 | 結婚設計図 Next Time We Love |
ハンナ | |
ショウボート Show Boat |
クイーニー | ||
情熱への反抗 Valiant Is the Word for Carrie |
エレン・ベル | ||
結婚クーデター Libeled Lady |
メイド | クレジットなし | |
五つ児天国 Reunion |
サディ | ||
1937 | サラトガ Saratoga |
ロレッタ・ワシントン | |
ステラ・ダラス Stella Dallas |
エドナ(メイド) | クレジットなし | |
真実の告白 True Confession |
エラ | ||
1938 | 気儘時代 Carefree |
ハディ | クレジットなし |
美人は人殺しがお好き The Mad Miss Manton |
ヒルダ | ||
1939 | 風と共に去りぬ Gone with the Wind |
マミー(召使) | アカデミー助演女優賞 受賞 |
1941 | 偉大な嘘 The Great Lie |
ヴァイオレット | |
壮烈第七騎兵隊 They Died With Their Boots |
キャリー | ||
1942 | 男性 The Male Animal |
クレオタ | |
追憶の女 In This Our Life |
ミネルヴァ・クレイ | ||
1943 | キャグニイの新聞記者 Johney Comes Lately |
アイダ | |
1944 | 君去りし後 Since You Went Away |
フィデリア | |
1946 | 南部の唄 Song of the South |
テンピー | アニメ、声の出演 |
1948 | ママの新婚旅行 Family Honeymoon |
フィリス |
脚注
編集- ^ Jackson, Carlton. Hattie: The Life of Hattie McDaniel, page 4