ハスダイ・イブン・シャプルト
ハスダイ・イブン・シャプルト(スペイン語: Hasdai ibn Shaprut、ヘブライ語: חסדאי בן יצחק בן עזרא אבן שפרוט 、アラビア語: حسداي بن شبروط、 915年頃-975年頃) は、後ウマイヤ朝の首都コルドバで活動した医師、学者、政治家で、ユダヤ教徒。
概説
編集コルドバ東方のハエン生まれ[1]。初代カリフ(イスラム国家の指導者)アブド・アッラフマーン3世に登用され、宮廷医、ワズィール(廷臣)を務めた。
960年頃、黒海北方の王国ハザールのカガン(可汗、支配者)でユダヤ教徒でもあるヨセフとの間で交わした、ヘブライ文字の往復書簡(『ハザール書簡』en:Khazar Correspondence)が残されており[2][3]、ハザール史やユダヤ史の史料として研究されている。
脚注
編集- ^ 上間篤「中世アル・アンダルスにおけるユダヤ系住民の社会的地位について」『名桜大学紀要』第4号、名桜大学、1998年、1-9頁、CRID 1050850634993305728、ISSN 1882-4412。
- ^ S.A.プリェートニエヴァ『ハザール謎の帝国』(城田俊訳)新潮社、1996年、pp.223-246
- ^ 三浦清美「歴史的ヴォルガ―ヴォルガがロシアの川となるまで―」