ハクタイセイ
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
ハクタイセイ(欧字名:Haku Taisei、1987年4月17日 - 2013年10月28日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。
ハクタイセイ | |||||||||
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十勝軽種馬農業協同組合種馬場にて (2002年3月22日) | |||||||||
欧字表記 | Haku Taisei[1] | ||||||||
品種 | サラブレッド[1] | ||||||||
性別 | 牡[1] | ||||||||
毛色 | 芦毛[1] | ||||||||
生誕 | 1987年4月17日[1] | ||||||||
死没 | 2013年10月28日(26歳没) | ||||||||
父 | ハイセイコー[1] | ||||||||
母 | ダンサーライト[1] | ||||||||
母の父 | ダンサーズイメージ[1] | ||||||||
生国 | 日本(北海道三石町)[1] | ||||||||
生産者 | 土田農場[1] | ||||||||
馬主 | 渡辺重夫[1] | ||||||||
調教師 | 布施正(栗東)[1] | ||||||||
競走成績 | |||||||||
生涯成績 | 11戦6勝[1] | ||||||||
獲得賞金 | 1億8067万100円[1] | ||||||||
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戦績
編集デビューから重賞初制覇まで
編集ハクタイセイは1989年7月、小倉競馬場でデビューしたがなかなか勝ち切れず、10月に未勝利を脱するまでに5戦を要した。だが、未勝利戦を勝ち上がると、400万下、シクラメンステークス(OP)と3連勝。
年が明けて4歳になって、1月の若駒ステークス(OP)にも勝利して、4連勝でクラシック路線の有力候補の1頭に名を連ねたハクタイセイは5連勝をかけて、阪神3歳ステークス馬コガネタイフウ、ダイタクヘリオスら有力馬が集まったきさらぎ賞に出走した。レースでは不良馬場を物ともせず、1番人気に応えて快勝。鞍上の須貝尚介ともども重賞初制覇を飾った。このきさらぎ賞の勝利により、ハクタイセイは自身と同じ芦毛・ハイセイコー産駒の牝馬・ケリーバッグ(桜花賞2着)とともに「白いハイセイコー」として、春のクラシック戦線で注目を集める存在となった。
きさらぎ賞後、陣営はハクタイセイが輸送に弱いことを考慮して、トライアルを回避、皐月賞に直行する道を選んだ。
皐月賞とその後
編集鞍上が須貝から南井克巳に乗り替わった皐月賞で、ハクタイセイはアイネスフウジン、メジロライアンに次ぐ3番人気に推された。レースでは好位をキープし、逃げるアイネスフウジンをクビ差差し切って、6連勝で父のハイセイコーに続く皐月賞父子制覇を成し遂げた。調教師の布施正は、既にバンブーアトラスで東京優駿(日本ダービー)、バンブービギンで菊花賞を獲得しており、この勝利で史上7人目の3冠トレーナーとなった。また、小倉デビュー馬のクラシック制覇は史上初の快挙だった。
続く東京優駿(日本ダービー)では南井が所属厩舎のロングアーチに騎乗することとなったため、新たに鞍上に武豊を迎えて、父が果たせなかった2冠制覇に挑んだ。しかし、レースでは逃げるアイネスフウジンをマークする2番手で追走したが、直線でぱったりと止まり5着に終わった。
ダービー後、ハクタイセイは屈腱炎を発症し、長期休養に入った。復帰の目途が立ったのは1年後、安田記念がその復帰戦となるはずであった。しかし、レースを目前にして繋靭帯炎を発症。出走取り消しとなり、引退を余儀なくされた。
競走成績
編集競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上り3F) |
着差 | 騎手 | 斤量 | 1着馬(2着馬) |
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1989. 7.15 | 小倉 | 3歳新馬 | 芝1000m(良) | 10 | 6 | 6 | 7.0 (3人) | 2着 | 0:59.1(35.3) | 0.7 | 須貝尚介 | 53kg | ハギノハイタッチ | |
9.10 | 阪神 | 3歳未勝利 | 芝1600m(良) | 13 | 4 | 6 | 1.8 (1人) | 4着 | 1:37.8(38.1) | 0.6 | 須貝尚介 | 53kg | クィーンズキッス | |
9.24 | 阪神 | 3歳未勝利 | 芝1200m(良) | 11 | 7 | 8 | 3.0 (2人) | 6着 | 1:11.7(36.3) | 0.7 | 須貝尚介 | 53kg | エイシンサニー | |
10.14 | 京都 | 3歳未勝利 | ダ1200m(良) | 16 | 6 | 11 | 2.2 (1人) | 2着 | 1:13.7(37.7) | 1.4 | 須貝尚介 | 53kg | ヤマノカグヤヒメ | |
10.28 | 京都 | 3歳未勝利 | ダ1400m(良) | 11 | 4 | 4 | 1.7 (1人) | 1着 | 1:25.6(37.6) | -0.7 | 須貝尚介 | 53kg | (エイシンキャロル) | |
12. 3 | 阪神 | 3歳400万下 | ダ1200m(良) | 12 | 2 | 2 | 6.0 (3人) | 1着 | 1:12.7(37.0) | -0.5 | 南井克巳 | 54kg | (ヤマノカグヤヒメ) | |
12.24 | 阪神 | シクラメンS | OP | 芝2000m(稍) | 7 | 5 | 5 | 4.2 (3人) | 1着 | 2:03.9(37.2) | -0.1 | 須貝尚介 | 55kg | (インターボイジャー) |
1990. 1.20 | 京都 | 若駒S | OP | 芝2000m(良) | 10 | 3 | 3 | 2.9 (2人) | 1着 | 2:04.0(35.5) | -0.3 | 須貝尚介 | 56kg | (ダンディスピリット) |
2.11 | 阪神 | きさらぎ賞 | GIII | 芝2000m(不) | 12 | 3 | 3 | 2.7 (1人) | 1着 | 2:04.1(38.4) | -0.2 | 須貝尚介 | 56kg | (コガネタイフウ) |
4.15 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000m(良) | 18 | 7 | 15 | 5.6 (3人) | 1着 | 2:02.2(36.9) | -0.0 | 南井克巳 | 57kg | (アイネスフウジン) |
5.27 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 22 | 7 | 19 | 3.9 (2人) | 5着 | 2:25.9(37.0) | 0.6 | 武豊 | 57kg | アイネスフウジン |
1991. 5.12 | 東京 | 安田記念 | GI | 芝1600m(良) | 16 | 6 | 12 | 取消 | 大崎昭一 | 57kg | ダイイチルビー |
引退後
編集1992年から日本軽種馬協会静内種馬場で種牡馬入りし、初年度の種付けは26頭。1993年から1996年まで九州種馬場(鹿児島)で供用され、佐賀競馬で8勝をあげたタイセイウルフ[2]などを出した。
その後、1997年、1998年に静内種馬場、1999年には胆振種馬場、2000年以降は十勝軽種馬農協種馬場で繋養されたが、活躍馬を出せず、2006年を最後に種付けは行われなかった。2010年の種付けシーズン終了後に種牡馬を引退し、静内種馬場で功労馬として余生を送っていた。
血統表
編集ハクタイセイの血統 | (血統表の出典) | |||
父系 | ロックフェラ系 |
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父 ハイセイコー 1970 鹿毛 |
父の父 *チャイナロックChina Rock 1953 栃栗毛 |
Rockefella | Hyperion | |
Rockfel | ||||
May Wong | Rustom Pasha | |||
Wezzan | ||||
父の母 ハイユウ1961 黒鹿毛 |
*カリム Karim |
Nearco | ||
Skylarking | ||||
*ダルモーガン Dalmogan |
Beau Son | |||
Reticent | ||||
母 ダンサーライト 1982 芦毛 |
*ダンサーズイメージ Dancer's Image 1965 芦毛 |
Native Dancer | Polynesian | |
Geisha | ||||
Noors Image | Noor | |||
Little Sphinx | ||||
母の母 ネバアーライト1966 栗毛 |
*ネヴァービート Never Beat |
Never Say Die | ||
Bride Elect | ||||
ミスフォール | クモハタ | |||
スターライト F-No.4-d | ||||
5代内の近親交配 | Nasrullah5・5(母内)=6.25% |
- 牝系は小岩井農場の基礎輸入牝馬であるプロポンチス系
- 半妹エクセレンスの子に京都ハイジャンプ2着のハイローラーがいる
脚注
編集外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビJBISサーチ
- ハクタイセイ - 競走馬のふるさと案内所