植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関して

編集

「日本による植民地支配について」という節で私が執筆した内容に対し、製作工房さんから異議が唱えられ、記述を大幅に削除されました。このことについて、編集合戦に陥ることを避けるため、このノートにて合意を図るべく、書き込みいたします。

製作工房さんは、私が執筆した内容を削除するにあたって、2024-09-29 23:16 (UTC) 版の「編集内容の要約」において以下の2点を削除の理由として挙げておられます。

  1. 「しかし実際は」から「法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた」までは「朝鮮半島地域研究を専門とする木村幹は、・・・」より前に書かれていて、木村幹個人の見解であるかどうかがあいまいです。この部分が木村個人の見解であるならそのことがはっきりとわかるようにするべきでしょう。
  2. 高橋の主張を紹介するセクションなのに、高橋の見解に反対する論者の意見のほうが多く引用されていてバランスが悪いので、だらだら引用するのではなくもう少し短く要点と思われる個所を書くべきでしょう。

まず、1. に関して、「しかし実際は」から「内地と朝鮮では異なっていた」までは、英語における使用法や歴史的事象に関する事実についての記述であって、木村氏個人の見解ではありませんから、製作工房さんのご指摘は筋違いです(なお、事実と意見を区別することについてはWikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはも参照してください)。高橋氏の意見に対して、木村氏はこれらの事実を根拠として反論しているわけですから、「高橋氏の意見」→木村氏が根拠とする「事実の確認」→この事実を踏まえた「木村氏の見解」、という順で記述することはなんら問題はないですし、それどころかむしろ望ましい、と考えています。中間の「事実の確認」が削除されてしまったことで、木村氏が何をもって自身の見解を主張しているのかが不明瞭になってしまっています。よって、この箇所を削除した製作工房さんの編集は不適切であると考えます。

次に、2. に関して、「主張」のセクションを「高橋の主張を紹介するセクション」と解されていますが、これは「高橋の主張を主に紹介するセクション」や「高橋の主張だけを紹介するセクション」では断じてありえません。彼の主張を紹介するだけなら、ウィキペディアで禁じられている「演説台、広告宣伝の手段」に該当しかねませんから、不適切です。高橋氏の主張が木村氏によって否定されているという事実がまず存在しているわけですから、それについてWikipedia:中立的な観点から記述することが求められます。そしてここでの「中立的な観点」は、両者の主張に関する記述の量を等しくするなどということをまったく意味しません。朝鮮植民地支配の歴史に関して高橋氏は素人で木村氏は専門家です。高橋氏の主張は『夕刊フジ』に掲載されたものであり、木村氏のものは学術誌に掲載された学術論文です(どちらがより信頼できる情報源かは自明かと思います)。これらの点を鑑みて、中立的観点を保つためにはそれぞれに「適当な重み付け」が与えられる必要があります(「適当な重み付け」についてはWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けをよくお読みください)。したがって、「高橋の見解に反対する論者の意見のほうが多く引用されてい」ることは、「バランスが悪い」どころか、「適当な重み付け」が求められるWikipedia:中立的な観点からはむしろ「適切なバランス」であると考えます。

以上の理由から、製作工房さんによって実行された取り消しを再度取り消す次第です。ここに私が記した理由に問題があると感じられるのでれば、こちらでさらに議論を進めたいと考えます。製作工房さんだけでなく他の方のご意見も歓迎いたします。よろしくお願いいたします。--H-JAM会話2024年10月7日 (月) 16:58 (UTC)返信

対話の場をご設定いただきありがとうございます。--製作工房会話2024年10月9日 (水) 18:57 (UTC)返信

学術論文という言葉について
H-JAMさんは「学術論文」という言葉をセクション名で使っておられますが、木村幹の書いた論文は学術論文ではないと考えます。
大日本帝国統治下の朝鮮が植民地であるかどうかについて
植民地には朝鮮を含む外地について「アカデミズムの世界ではこれらの地域について「植民地」と呼ぶことを自明の前提として研究や議論が展開されることが多い。」とあります。この文章はアカデミズム(おそらく歴史学・社会学)の世界でも当時の朝鮮を植民地と呼ぶことに反対意見があることを示しています。(「多い」というのは朝鮮を植民地として扱わないときには何らかの断り書きを入れるのだろうと推測しています。)高橋洋一はアカデミズムの世界での考え方について自分の意見を述べているわけではなく、一般的な言葉としての「植民地」についての意見を述べているので、アカデミズムの世界での状況が絶対的な基準になるわけではありません。
「事実」および「中立性」について
私が編集で除去した「しかし実際は、例えば、米国国務省のウェブサイトでは米国によるフィリピンの植民地化に関して「併合 (annex, annexation) 」と「植民地化 (colonize, colonization) 」という二つの言葉が区別されずに用いられていたり[66]、ブリタニカ百科事典ではアフリカ南部の植民地化に関して「植民地として併合 (annex as a colony) 」と記述されたり[注釈 4][67]しており、英語で「併合」と「植民地化」という用語が厳密に区別されているわけではない。対等な合一を表す当時の日本語での用語は「併合」ではなく「合邦」であり、例えば、日本と朝鮮の対等な合一を唱えた樽井藤吉は、両国が対等に「合邦」したうえで国号を「日本」でも「朝鮮」でもない「大東」と改めるべきと主張していた[68]。しかし実際に行われた朝鮮編入は対等な合一からはほど遠く、ゆえに当時の日本政府は対等な合一を意味する「合邦」という用語を嫌い、代わりに一方的な編入を意味する「併合」という用語を新たに用いた、と指摘される[68]。当時の日本による朝鮮統治に関しては、植民地の統治事務・監督を担う官庁である拓務省が管轄しており、当時の政府資料においても朝鮮は台湾・関東州・樺太と並んで「殖民地」として記載されていた[69]。また、当時発行されていた『日本植民地要覧』においても、朝鮮は台湾・満州・樺太と並んで日本の植民地に含まれていた[70]。当時の大日本帝国憲法は朝鮮や台湾では一部しか適用されず、内地とは異なり朝鮮や台湾では現地の人々に国政参政権は与えられなかった[71]。また、内地では明治時代より義務教育が実施されていたが、朝鮮では義務教育は行われなかった[71]。法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた[72]。」の部分は、木村幹の論文中で木村の主張の根拠として書かれた文章の引用です。しかし、H-JAMさんの編集では木村の主張の根拠であることをはっきりさせない形で書かれており、ウィキペディアの地の文であるように書かれています。高橋にしても木村にしても数々の「事実」の中から自分の主張に沿う「事実」を取捨選択して書いているわけで、どの「事実」を選ぶかが主張の一部になっています。したがって、高橋が指摘した「事実」を高橋の主張と関連付けて記述するのに対して、木村が指摘した「事実」は木村の主張から切り離して記述するのは中立性を欠く表現であり適切とは思えません。
中立性について
今回議論の対象としている内容が「大日本帝国統治下の朝鮮の植民地性」というような記事に書かれているのであれば、高橋洋一の見解だけを書くことは中立性を欠くといえます。しかし、今回話題にしている記事は「高橋洋一 (経済学者)」なので、高橋洋一の見解だけを書いても高橋個人の意見であることが明らかならば中立性を欠くことにはなりません。私の編集では「朝鮮半島地域研究を専門とする木村幹は、本国とは異なる統治が行われ、住民の権利も本国よりも制限されていたことを理由に、「現実の朝鮮半島や台湾等に引かれた統治体制は、明らかに内地とは異なるものであり、それが学術的定義に照らして「植民地」である事は誰の目にも明らか[73]」であり、「これを植民地ではなかった、というのはほぼ不可能[72]」と論じ、高橋の見解を否定している。」を残しています。しかし、これは別にこの部分を残す必要があると考えたからではなく、この部分では木村の主張の引用であることが明確に示されていて、上に書いた「しかし実際は、・・・異なっていた[72]。」のような問題がないので残しても構わないと考えたからです。--製作工房会話2024年10月9日 (水) 18:57 (UTC)返信
  返信 お返事ありがとうございます。ご提示いただいた4点それぞれについてこちらからお答えさせていただきたいと思いますが、その前に、1点目について、当該論文が学術論文ではないとお考えの理由をお聞かせいただけますか。製作工房さんがどうしてそのように思われるのかがこちらにはわからないまま議論を進めるのはあまり適切ではないと思いますので。--H-JAM会話2024年10月9日 (水) 19:08 (UTC)返信

学術論文ではないと考えるのは、この論文が研究成果を報告することを目的として学術誌に投稿されたものではないからです。学術論文ならば「誰の目にも明らか」「ほぼ不可能」などの表現は用いられないと思うので、意見発表あるいは読み物と考えたほうがよいと思います。--製作工房会話2024年10月9日 (水) 19:32 (UTC)返信

ところで、直接今回の議論につながる話ではありませんが、普通選挙法では内地に住む朝鮮人には選挙権・被選挙権があり、ハングルによる投票を可能で、朝鮮人の代議士(朴春琴)も存在しました。内地に住む朝鮮人から選挙権・被選挙権がはく奪されたのは占領時代の1946年に行われた第22回衆議院議員総選挙からなのですが、このことはご存じでしたか。また、この事実についてどのように考えられますか。--製作工房会話2024年10月9日 (水) 19:32 (UTC)返信

  返信 学術論文ではないとお考えの理由についてありがとうございます。それでは、以下、当方からのお返事になります。
1. まず、木村氏の論文が学術論文に該当しないという製作工房さんのご意見に対して。製作工房さんは学術論文ではないとする根拠として、論文の中の表現を問題視されておられます。しかし、当該表現が学術的に適切か否かを判断するのは、私たちウィキペディアンではありません。ウィキペディアンには、独自の判断を下すのではなく、信頼できる情報源に依拠することが求められます。「Wikipedia:信頼できる情報源」の「分野ごとのアドバイス」の節に、歴史に関する記事においてどのような情報源が信頼できるのかが記載されています。こちらによれば、「専門家による様々な研究」は「査読を経て学術雑誌あるいは各大学の紀要などに掲載されます。これを学術論文と呼びます」と書かれています。これに従えば、査読を経て紀要に掲載されている木村氏の論考は学術論文に該当すると考えるのが妥当です。また、「分野ごとのアドバイス」の節には、「日本の研究ならばCiNiiに数多くの研究が登録されて」いると書かれています。木村氏の論文は学術論文としてCiNiiにも登録されています。この点からも、やはり学術論文とみなすのが妥当です。
2. 次に、製作工房さんは「植民地」の記事における記述を根拠に朝鮮が植民地であったか否かを議論されようとしていますが、これは根拠になりません。なぜなら、ウィキペディアの記事の根拠としてウィキペディアの別の記事を用いることは、認められないからです。もしこれを認めてしまえば、記事Aに書かれている誤った情報を根拠に記事Bが執筆され、その記事Bに書かれている内容が記事Aの根拠として示される、といった具合に、誤った内容が相互参照される事態に陥りかねないからです。ゆえにウィキペディアでは外部の信頼できる情報源にあたることが求められるのです。製作工房さんは「アカデミズムの世界での状況が絶対的な基準になるわけではありません」と書かれていますが、「Wikipedia:信頼できる情報源」をお読みいただければわかるとおり、ウィキペディアにおいては、アカデミックな情報源こそが信頼できる情報源として扱われます。
3. 次に、製作工房さんは木村氏が根拠とする事実を地の文で書くことを問題視されています。しかし私は、これも問題だとは考えません。なぜなら、木村氏が根拠としようとしまいと、事実は事実として存在するのであり、木村氏の主張から切り離して記述したとて事実には変わりありませんから、中立性を損なうことにはなりません(なお、「事実」については、「Wikipedia:信頼できる情報源#事実」も参照してください)。仮に木村氏がこの事実を根拠としていなかったとして、それでもなお高橋氏の主張(例・「annexationとcolonizationは異なる概念である」という主張)とは相反する事実(例・実際には両者が厳密に区別されているわけではないという事実)が存在することに変わりはないのです。
4. 次に、製作工房さんは、「高橋洋一 (経済学者)」という記事であれば高橋氏の見解だけを書いても中立性を欠くことにはならない、と書かれています。これについては、私はすでに「彼の主張を紹介するだけなら、ウィキペディアで禁じられている「演説台、広告宣伝の手段」に該当しかねませんから、不適切です」と書きました。ウィキペディアは、いかなる記事であろうと(「「大日本帝国統治下の朝鮮の植民地性」であろうと「高橋洋一 (経済学者)」であろうと)、個人の主張を展開する場ではないということです。これについて、今一度「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません」をご確認ください。
5. 最後に、製作工房さんはなぜか、「内地に住む朝鮮人に選挙権・被選挙権があったこと」について、私に意見を求められました。しかし、高橋氏と木村氏の主張は内地ではなく朝鮮に関するものです。また、私たちウィキペディアンは、個人の見解を示す立場にはありません。2つの理由から内地の話についてはここで議論すべきではないと思いますし、別の話題を持ち込んで議論を進めることで本来話し合うべきことから逸脱してしまうおそれがありますから、この点についてはこれ以上の議論は控えたいと思います(製作工房さんご自身「直接今回の議論につながる話ではありません」とおっしゃっておられますので、これ以上議論すべきでないことはご理解いただけるかと存じます)。--H-JAM会話2024年10月10日 (木) 00:14 (UTC)返信

  返信 長文のお返事をいただきありがとうございます。対話を進めるために、テーマを絞って対話したいと思います。まず対話したいこととして、私は木村幹の見解は書く必要がないと考えています。理由は、この記事が高橋の記事であり、現在議論の対象となっているセクションが高橋洋一 (経済学者)#主張だからです。H-JAMさんのお考えをなるべく短くお書きください。--製作工房会話2024年10月10日 (木) 03:28 (UTC)返信

  返信 高橋氏の主張が学術的に否定されたという事実は、高橋氏本人に関わることですから、「高橋洋一 (経済学者)」という記事のなかで記述するに値します。また、学術的に否定されたということは中立性の観点から問題のある意見であるということになりますから、そのような主張のみを記述するということは問題です。なお、「en:Wikipedia:Biographies of living persons」で "Criticism and praise should be included if they can be sourced to reliable secondary sources" と示されているように、存命人物の記述にあたって当人に対する批判を含めることは、信頼できる情報源にもとづいている限りにおいて、推奨されています。--H-JAM会話2024年10月10日 (木) 04:14 (UTC)返信

  返信 ご主張の根拠を2つ挙げておられるように思うので、まずen:Wikipedia:Biographies of living personsのほうから書きます。日本語版の方針あるいはガイドラインではなく英語版の方針を根拠としておられるのは、日本語版のルールの中にあなたのご主張に沿うものがなかったということを反映していると思われます。ウィキペディアのルールは基本的に言語により独立しています。この状況は、あなたのご主張が日本語版のルールに基づくものではないということを示していると思われますが、どうお考えですか。--製作工房会話2024年10月10日 (木) 07:34 (UTC)返信

  返信 日本語版のガイドラインでも同じことが書かれています。「Wikipedia:存命人物の伝記」には「批判者、敵対者、中傷者の意見」において「批判者の見解は、それが項目本人の著名性につりあう重要なものでなおかつ信頼できる情報源にもとづくものならば、記事を損なったり批判者に肩入れするような書き方でない限り明言すべきです」とあります。ちなみに、ウィキペディアの各言語版が独立していることは確かですが、同時に同じ基本方針のもとに運営されています。日本語版のガイドラインはほとんどが英語版ガイドラインを翻訳して作成されており、一部日本語版の特徴に応じて修正されることはあっても、英語版ガイドラインと相反する方針が示されることはまずありません。--H-JAM会話2024年10月10日 (木) 09:10 (UTC)返信

  返信 日本語版のガイドラインにも記事の対象となる人物の批判についてのルールが書かれていることを了解しました。しかし、以前から私が特に問題だと指摘している「しかし実際は、」から「法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた[72]。」までの文章は単に高橋が提示した「事実」と異なる「事実」が存在していることを指摘しているだけで、高橋の見解に対する批判になっていません。H-JAMさんはこの点についてどのように説明されますか。--製作工房会話2024年10月10日 (木) 18:44 (UTC)返信

以下は、以前のメッセージで内地在住の朝鮮人には選挙権・被選挙権があったことに言及したことに関連する補足説明です。敗戦まで、朝鮮では普通選挙法が施行されていませんでした。したがって、木村幹の論文にある「現地の人々に国政参政権は与えられなかった」のは事実です。木村がこの箇所で「現地の人々」という言葉を使い他の箇所で使っている「現地住民」という言葉を使わなかったのは「現地住民に国政参政権は与えられなかった」と書くと上記の理由で間違いになってしまうからだろうと思います。ちなみに、「現地の人々」には朝鮮人ではない内地に戸籍がある日本人も含まれます。--製作工房会話) 2024年10月10日 (木) 19:06 (UTC)(補足)木村の論文で「現地の人々」と書かれていると思っていたのですが、確認したところ木村の論文では「現地の住民」であり「現地の人々」はH-JAMさんが書かれた言葉でした。木村が他の箇所で使っている「現地住民」と変えた理由についての私の推測は変わりません。--製作工房会話2024年10月10日 (木) 19:46 (UTC)返信

  返信 「高橋が提示した「事実」と異なる「事実」が存在している」という点に関して、高橋氏自身がどのような「事実」を提示しているのかご教示願えますか。--H-JAM会話2024年10月10日 (木) 19:22 (UTC)返信

  返信 「「英語の文献では、日韓併合のことを「アネクセイション」(annexation) と表現する。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization) とは概念が異なる」と述べている[65]。」の箇所が高橋が提示した「事実」ということになるでしょう。ただ、この引用はH-JAMさんが書かれた文章から引用したもので原文を確認していません。したがって。上に書いた「現地の人々」と同様にH-JAMさんが変更されているかもしれません。--製作工房会話2024年10月10日 (木) 19:46 (UTC)返信

お詫びと補足です。私は先ほどまで「しかし実際は、」から「法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた[72]。」までの文章はすべて木村の論文からの引用であり、単に分けて書いたものであると誤解していました。そのため、つじつまの合わない主張をしていたかもしれないのでその点をお詫びします。ただ、この部分が特に問題であるという見解に変更はありません。--製作工房会話2024年10月10日 (木) 20:01 (UTC)返信

  返信 「annexation と colonization は異なる概念である」というのは、「事実」ではなく、高橋個人の意見です。そして、この高橋個人の意見を反証する事例が存在するという事実が存在するわけです。事実と意見の違いについて、今一度「Wikipedia:信頼できる情報源」をお読みください。なお、「現地の住民」を「現地の人々」と書くことで意味が変わってしまうというご指摘を受け、本文を修正いたしました。--H-JAM会話2024年10月10日 (木) 20:36 (UTC)返信

  返信 2024年10月10日 (木) 20:36 (UTC) のメッセージでH-JAMさんが書かれたことについてのお返事です。「annexation と colonization は異なる概念である」は高橋個人の意見ではなく、事実として扱ってよいと考えます。そう考える理由は、この2つの言葉が共存しているからです。一般論として全く同じ概念を表す言葉が2つ存在すると淘汰が発生してどちらかの言葉が使われなくなります。 annexation と colonization についてはこのような現象は発生していません。ただ、「マック」と「マクド」のように同じ概念であっても地域によって異なる言葉が生き残り、日本全国でみると複数の言葉が生き残ることもありますが、annexation と colonization は同時に使われることもあるようなのでそういう関係ではなさそうです。次に「「英語の文献では、日韓併合のことを「アネクセイション」(annexation) と表現する。」という主張ですが、おそらくこれは「言い過ぎ」で、実態は「多い」程度だろうと思います。これの反証としては日韓併合のことをcolonizationと表現している例を1つ示せばよいだけです。しかし、「しかし実際は、例えば、米国国務省のウェブサイトでは米国によるフィリピンの植民地化に関して「併合 (annex, annexation) 」と「植民地化 (colonize, colonization) 」という二つの言葉が区別されずに用いられていたり[66]、ブリタニカ百科事典ではアフリカ南部の植民地化に関して「植民地として併合 (annex as a colony) 」と記述されたり[注釈 4][67]しており、英語で「併合」と「植民地化」という用語が厳密に区別されているわけではない。」に書かれている例はいずれも「日韓併合」に関するものではないので「反証」になっていません。--製作工房会話2024年10月11日 (金) 08:10 (UTC)返信

  返信 「2つの言葉が共存している」とか「一般論として…」とかおっしゃっていますが、いくら製作工房さんがご自身のお考えを語られようと、私たちウィキペディアンにそこを判断する資格はないのですよ。ウィキペディアンがすべきなのは、信頼できる情報源に依拠することです。次に、米国国務省やブリタニカ百科事典の事例について、「「日韓併合」に関するものではないので「反証」になっていません」とのことですが、これら事例は、「英語における annexation と colonization は異なる概念である」という高橋氏の主張を反証するものです。--H-JAM会話2024年10月11日 (金) 09:21 (UTC)返信

  返信 どうもH-JANさんは「異なる概念」という言葉を「全く重なるところがない概念」という意味にとらえておられるように思います。しかし、少なくとも私はそのような意味では使っていません。例えば「親」と「父親」は明らかに重なるところがありますが私の使い方では「異なる概念」を表す言葉です。そのあたりご理解の上、再度お考え下さい。--製作工房会話2024年10月11日 (金) 15:12 (UTC)返信

  返信 また個人のお考えを述べておられますが、私たちウィキペディアンは自分の考えを勝手に述べてはいけません。「独自研究は載せない」のは、ウィキペディアの最も重要な原則の一つです。製作工房さん個人のお考えはもう結構ですから、信頼できる情報源にもとづいて議論いたしましょう。--H-JAM会話2024年10月11日 (金) 16:05 (UTC)返信

  返信 残念ながら堂々巡りに陥っているようなので、話題を変えます。以前私が削除しその後H-JAMさんが回復された箇所には、いくつか論証の根拠らしいものが書かれています。しかし、肝心の「本文」が書かれていません。H-JAMさんはどのような「本文」を想定してこれらの「根拠」を書かれたのでしょうか。このページでお示し下さい。--製作工房会話2024年10月12日 (土) 11:42 (UTC)返信

  返信 製作工房さんがどういう意味で「本文」という言葉を使っておられるのかがわからないので、お答えしかねるのですが、私は、高橋氏や木村氏の主張に関する記述であれ、その根拠となる事実に関する記述であれ、記事に書かれたものはすべて本文であると認識しています。—H-JAM会話2024年10月12日 (土) 11:55 (UTC)返信

  返信 高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配についての一番最後の文章は「朝鮮半島地域研究を専門とする木村幹は、(中略)、高橋の見解を否定している。」となっていますが、この「高橋の見解を否定している。」を指す言葉として「本文」を使っています。なお「(中略)、」と書いた部分を指す言葉として「根拠」を使っています。私独自の表現で分かりにくいかもしれませんが、H-JAMさん自身の言葉で読み替えてご理解下さい。--製作工房会話2024年10月12日 (土) 12:31 (UTC)返信

  返信 つまり、製作工房さんがおっしゃる「本文」とは、ある種の結論部のようなものでしょうか。いずれにせよ、「高橋の見解を否定している」という部分がそれに該当するのであれば、すでに書かれているわけですよね。「肝心の「本文」が書かれていません」という指摘はあたらないと思います。--H-JAM会話2024年10月12日 (土) 15:52 (UTC)返信

  返信 今後は私も「本文」ではなく「結論」という言葉を使うことにします。「否定している。」が「結論」の述語だとすると、「結論」の主語は「木村幹」であって、私が以前削除した箇所についても主語は「木村幹」であり、『「しかし、」「朝鮮半島地域研究を専門とする木村幹は、」「実際は例えば、(中略)法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた[72]。」「本国とは異なる統治が行われ、(中略)というのはほぼ不可能[72]」と論じ、」「高橋の見解を否定している。」』というように並べ替えて読んでも(このまま書くとつながりがおかしくなる箇所は修正するとして)意味は変わらないというように理解してもよいですか。--製作工房会話2024年10月13日 (日) 00:28 (UTC)返信

  返信 いや意味は大きく変わるでしょう。それぞれの段落、それぞれの文のもつ意味をきちんと考えてください。
まず確認していただきたいのは、高橋氏の主張は以下の3点からなるということです。
  • 意見A「併合は対等に行われた」
  • 意見Aから導き出される意見B「植民地化とは異なる」
  • 意見Aの根拠として示されている意見C「英語の annexation と colonization は異なる概念である」
つまり、論理の筋道としては、C⇒A⇒B となります。そのため、これを受けて続く記述箇所も、Cに関わる点、Aに関わる点、Bに関わる点、の順で記述されています。それぞれの記述箇所のもつ役割を、以下、隅付き括弧で補足してお示しいたします。

しかし実際は、例えば、米国国務省のウェブサイトでは〔…〕「併合〔…〕」と「植民地化〔…〕」という二つの言葉が区別されずに用いられていたり[66]【Cを反証する事例1】、ブリタニカ百科事典では〔…〕「植民地として併合〔…〕」と記述されたり[注釈 4][67]しており【Cを反証する事例2】、英語で「併合」と「植民地化」という用語が厳密に区別されているわけではない【1および2から導き出される結論I:英語における概念について=Cの否定】。対等な合一を表す当時の日本語での用語は「併合」ではなく「合邦」であり【結論II:日本語における概念について(高橋氏自身は触れていないがAを考察する上では英語概念以上に重要となる点)】、例えば、〔…〕対等な合一を唱えた樽井藤吉は、両国が対等に「合邦」したうえで国号を〔…〕「大東」と改めるべきと主張していた[68]【結論IIを示す具体的な事例3】。しかし実際に行われた朝鮮編入は対等な合一からはほど遠く、ゆえに当時の日本政府は対等な合一を意味する「合邦」という用語を嫌い、代わりに一方的な編入を意味する「併合」という用語を新たに用いた、と指摘される[68]【結論III=Aの否定】

【ここまでの段落は「併合」という言葉に関する記述(CおよびAに関わる点)。ここからの段落は朝鮮統治の実態に関する記述(Bに関わる点)】

当時の〔…〕朝鮮統治に関しては、植民地の統治事務・監督を担う官庁である拓務省が管轄しており【Bを反証する事例4】、当時の政府資料においても朝鮮は〔…〕「殖民地」として記載されていた[69]【Bを反証する事例5】。また、〔…〕『日本植民地要覧』においても、朝鮮は〔…〕日本の植民地に含まれていた[70]【Bを反証する事例6】。当時の大日本帝国憲法は朝鮮や台湾では一部しか適用されず【Bを反証する事例7】〔…〕朝鮮や台湾では現地の住民に国政参政権は与えられなかった[71]【Bを反証する事例8】。また、内地では〔…〕義務教育が実施されていたが、朝鮮では〔…〕行われなかった[71]【Bを反証する事例9】。法律の施行も、内地と朝鮮では異なっていた[72]【Bを反証する事例10】〔…〕木村幹は、本国とは異なる統治が行われ、住民の権利も本国よりも制限されていたことを理由に、「現実の朝鮮半島や台湾等に引かれた統治体制は、明らかに内地とは異なるものであり、それが〔…〕「植民地」である事は誰の目にも明らか[73]」であり、「これを植民地ではなかった、というのはほぼ不可能[72]」と論じ【4–10を根拠として導き出される結論IV=Bの否定】、高橋の見解を否定している。

製作工房さんが以前に行われた編集によって、AおよびCに関わる記述がすべて削除されてしまったのです。さらに、Bに関わる記述も、根拠となる事例がすべて削除されてしまいました。その結果、木村氏の主張(最後の文)については書かれているものの、同氏が何を根拠にそのように主張しているのかが不明瞭になっています。それぞれの主張内容を論理的に考察する上でも、それぞれが何を根拠としているのかという点は重要です。--H-JAM会話2024年10月13日 (日) 02:49 (UTC)返信

  返信 お返事が遅くなってすみません。これまで、「批判」について対話をしてきました。しかし、「批判」について議論をする以前にH-JAMさんが書かれた高橋の主張の要約が不正確なものであることに気づきました。色々考えたのですが、長くなるので続きは後日投稿します。--製作工房会話2024年10月20日 (日) 01:01 (UTC)返信

サブセクション高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配についての削除を提案します。--製作工房会話2024年10月24日 (木) 21:23 (UTC)返信

  反対 ここまでの対話を一切無視していきなり削除を提案されたことを非常に残念に思います。私たちウィキペディアンは、ウィキペディアの編集方針に従いつつ合意形成を目指すべきとされています。もしウィキペディアンのあいだに意見の相違が見られる場合には、「Wikipedia:論争の解決」のページに示された方法で合意形成を図るべきとされています。製作工房さんの今回の突然のご提案は、これまでの議論を無視するものであり、議論を通じて合意形成を目指すというウィキペディアの精神に反する行為です。--H-JAM会話2024年10月25日 (金) 16:07 (UTC)返信

  返信 途中の説明を抜かして、いきなり対処法だけを提案したのは間違いでした。お詫びします。合意なしにサブセクションの削除を強行するつもりはないのでご安心ください。順番が逆ですが途中の説明を書きます。このサブセクションで書いている高橋の主張は、2020年6月にzakzakへの投稿[1]中で表明したものです。この投稿で高橋はいわゆる徴用工裁判に対する韓国政府の姿勢を批判しています。しかし、H-JAMさんの書かれた文章にはそのことが書かれていません。そこで本来ならば新しい文章に変更するべきところです。ところが、当時韓国の政権与党であった共に民主党は2022年の政権交代で下野しているため、高橋の主張はいさささか時代遅れのものになっています。そのため、高橋の主張を記事に掲載する必要はないのでサブセクションごと削除するというのが私が考えたことです。よろしくご検討ください。--製作工房会話2024年10月26日 (土) 09:34 (UTC)返信

  返信 「2022年の政権交代により高橋の主張は時代遅れになった」という点には賛同できません。今回高橋氏と木村氏のあいだで論争となったのは韓国併合が植民地化にあたるか否かという点であり、そのような論争が起きたという事実は政権交代が起きようと消えることはありません。—H-JAM会話2024年10月28日 (月) 22:59 (UTC)返信

  返信 お返事を下さりありがとうございます。さて、最近、私はH-JAMさんは高橋の投稿と木村の論文の両方を読み違えておられると考えており、今回書かれた「今回高橋と木村のあいだで論争となったのは韓国併合が植民地化にあたるか否かという点であり」という見解もこの読み違えに起因するものだと考えます。しかし、単に「H-JAMさんは読み違えている」と書いても話がかみ合わないので、今後、高橋の投稿と木村の論文の両方について私が考えていることを書きます。今回は予告だけで、残りは日を改めて順次投稿します。--製作工房会話2024年10月29日 (火) 22:10 (UTC)返信

続きです。木村の論文の要約について書きます。H-JAMさんは2024年2月25日 (日) 15:40 の投稿で『木村幹は、本国とは異なる統治が行われ、住民の権利も本国よりも制限されていたことを理由に、「現実の朝鮮半島や台湾等に引かれた統治体制は、明らかに内地とは異なるものであり、それが学術的定義に照らして「植民地」である事は誰の目にも明らか」であり、「これを植民地ではなかった、というのはほぼ不可能」と論じ、高橋の見解を否定している[1]。』と書いておられます。しかし、私はこの論文は直接高橋の投稿を批判するものではないと考えます。木村の論文では冒頭に高橋の投稿からの引用が書かれていて、「はじめに」の中には他に引用はなく、一見高橋の投稿を批判しているように見えます。しかし、木村が論文中で批判しているのは『「そもそも日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった」という言説』全般であり、高橋の投稿はその種の言説の一例として引用されているに過ぎません。「はじめに」の中には『とりわけこの種の言説は所謂「嫌韓本」として知られる韓国に対する否定的な著作で顕著であり』『これらの問題については著者も過去に幾つかの文章で言及した』などの文章もあり、木村が批判の対象としている「言説」に高橋の投稿以外の物も含んでいることは明らかであり、H-JAMさんの書かれた文章は木村の論文を正確に要約したものとは言えません。(続きます)--製作工房会話2024年10月31日 (木) 07:44 (UTC)返信

  1. ^ 木村幹第二次世界大戦前における「植民地」言説を巡る一考察」『国際協力論集』第28巻第2号、神戸大学大学院国際協力研究科、2021年、103–135頁。 

続きです。先ほど(2024年10月31日 (木) 07:44 (UTC))の投稿の後木村の論文を見返していて気が付いたことを書きます。先にも書いた通り、H-JAMさんは木村の論文から「現実の朝鮮半島や台湾等に引かれた統治体制は、明らかに内地とは異なるものであり、それが学術的定義に照らして「植民地」である事は誰の目にも明らか」という箇所を引用しておられます。しかし、この文を最初から最後まで引用すると「しかしながら、その様な「精神」を離れて現実の朝鮮半島や台湾等に引かれた統治体制は、明らかに内地とは異なるものであり、それが学術的定義に照らして「植民地」である事は誰の目にも明らかだった。」であり、大日本帝国が「植民地」を支配していた当時の状況について記述している「第5章 三一運動の意図せざる影響」の「むすびにかえて」に掛かれている文章です。敗戦後の「日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかったという言説」について書かれているものではないのて、この引用を高橋の投稿のに対する批判の根拠として木村が書いているように要約するのは不正確です。--製作工房会話) 2024年10月31日 (木) 12:43 (UTC) --製作工房会話2024年10月31日 (木) 13:55 (UTC)返信

  返信 まず第1点目について。製作工房さんのご指摘のとおり、木村氏の論文において高橋氏の投稿は植民地否定論の一例として冒頭で紹介されています。その後、植民地否定論そのものを批判(というか否定)しているわけです。木村氏自身が高橋氏の投稿を植民地否定論のなかに含めているのですから、高橋氏の投稿もまた、ほかの植民地否定論と同様に批判されているのは明らかです。植民地否定論全体を批判しながら高橋氏の投稿自体は批判の対象に含めていない、などということはありえません。
次に第2点目について。「むすびにかえて」は、第5章の下位項目ではなく別個の章です。論文全体の構造をきちんと把握してください。論文の冒頭部にあたる章「はじめに」では、高橋の投稿とともに植民地否定論が紹介されたうえで、「言うまでもなく、この様な議論には致命的な問題が大きく二つある」として、植民地否定論の問題点が2点指摘されています。そのうちの1点目は次のとおりです。

一つは、その議論の論者達が日本の朝鮮半島や台湾に対する支配の実態を正確に理解していない事である。〔…〕これらの地域においては施行された法律も内地とは異なっており、内地と同様の支配が行われた、というのは明らかに無理がある。(pp.104–105)

2点目は省略しますが、木村氏は、これらの点を踏まえたうえで、「日本の朝鮮半島や台湾等への支配に、西洋列強の支配との決定的な違いを見出だし、これを植民地ではなかった、というのはほぼ不可能だと言える」(p.105)と論じています。そのうえで、この論文の主題である植民地否定論の起源について論じていく、という流れになります。そして、論文全体の結論部にあたる章「むすびにかえて」では、実際に行われた統治体制が「学術的定義に照らして「植民地」である事は誰の目にも明らかだった」ことを改めて確認しているわけです。このような論文全体の構成を今一度ご確認いただきたいと思います。--H-JAM会話2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC)返信

  返信 お返事を頂きありがとうございます。『2点目は省略します』ではコメントするべきかどうかの判断もできないのでどうぞお書きください。--製作工房会話2024年11月1日 (金) 08:50 (UTC)返信

  返信 10月31日に製作工房さんが書き込まれた2つのコメントに関わる点をお示しするため、直接関係しない箇所を省略したのですが、そこが気になるのであればご自身でお読みになればよいではないですか。こちらは、このノートに何でもかんでも書いてしまえば文章が冗長になり議論もややこしくなってしまうと思い、省略すべきと判断した箇所を省略したまでです。製作工房さんは、他人に要約してもらわないと論文の内容も理解できないのですか。その程度の読解力しかお持ちではないのですか。どの論文のどの箇所について触れているのかお互いに共有しているのですから、ご不明な点があればご自身で調べるようにしてください。製作工房さんは論文に直接あたることすら横着されているようですから、以下に省略した箇所をそのまま引用しておきます。また省略したことを理由にコメントを控えられては困りますから、どこかを省略したり要点をまとめたりすることは控え、すべてそのまま引用いたします。

もう一つの問題は、この様な議論をする人々が、比較の対象となるべき西洋列強による植民地支配の実情を正確に理解していない事である。15世紀や16世紀、スペインやオランダがアジアやアメリカ大陸に進出を始めた時点とは異なり、19世紀の西洋列強は自らの植民地への活発な投資を行い、結果として、植民地と宗主国の財政的関係は宗主国側が財政的に赤字になるのが常態になっていた。この様な宗主国による活発な投資の結果、19世紀後半には多くの植民地で急速な人口増加と経済成長が見られる事となっている。冒頭に引用した文章で触れられている高等教育機関の設置もインドやインドネシア等多くの植民地で見られ、そこに日本による朝鮮半島や台湾等に対する支配との大きな違いは見られない。そしてそれは当然であった。後に詳しく論じる様に、日本の朝鮮半島や台湾等に対する支配は西洋列強による19世紀後半以降の植民地支配の実態を調査し、忠実に模倣した結果行われたものであり、だからこそそこには当然、相違点より遥かに多くの類似点が存在したのである。(p.105)

議論の筋を逸らすような指摘はもう結構ですから、私が昨日書き込んだコメントに対してきちんとお返事いただきたいと思います。--H-JAM会話2024年11月1日 (金) 23:22 (UTC)返信

  返信 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC) に頂いたメッセージについてお返事を用意していたのですが、その後かなり長文の追加のメッセージを頂いたので改めてお返事を用意します。なお「議論の筋を逸らすような指摘はもう結構です」とお書きですが、これまでの「お返事」ではあなたのメッセージへの「お返事」だけを書いているわけではなく、 2024年10月20日 (日) 01:01 (UTC)のメッセージで「後日投稿します。」と書いた「続き」も含まれます。あなたの書かれたすべてのメッセージに返答しているわけではないので、「返答するべき重要なメッセージを見落としている」と思われたときは、今回のようにご指摘いただくようお願いします。--製作工房会話) 2024年11月2日 (土) 00:12 (UTC) (補足)2024年10月24日 (木) 21:23 (UTC)のサブセクション削除提案も「続き」の一部です。つまり、現在私が書いている「お返事」にはサブセクション削除提案の説明が含まれているとお考え下さい。--製作工房会話2024年11月2日 (土) 00:21 (UTC)返信

以前から木村の論文による高橋の投稿に対する批判について議論をしてきており、現在も木村の論文について書いているので、私のサブセクション削除の提案は木村の論文の要約を主な理由としているとお考えかもしれません。しかし、2024年10月20日 (日) 01:01 (UTC)のメッセージをご覧いただけばわかるようにサブセクション削除提案の主な理由は「H-JAMさんが書かれた高橋の主張の要約が不正確なものであること」です。なるべく早く高橋の投稿に関する説明に入りたいと思っていますが、木村の論文について考えたことがもう少し残っているので、今しばらくH-JAMさんが書かれた木村の論文の要約についての私の見解を書かせてください。--製作工房会話2024年11月2日 (土) 00:46 (UTC)返信

  返信 私が申したことを勘違いされているようですが、私が「議論の筋を逸らすような指摘」と申したのは、私が「省略します」と書いたことに対して「それでは判断できない」などとおっしゃったことを指しています。判断するために製作工房さんご自身で内容をご確認すればいいのにそのようなことを書かれたので、「そのようなご指摘はもう結構です」と申しました。セクションの削除についてではまったくありません。
また、1点お願いですが、書くべきことを複数回に分けて個別に書くのはやめていただけませんか。こちらがどのタイミングで書き込みすればよいかわかりません。急いでお返事していただかなくても構いませんから、すべてまとまってから一度に書き込みするようにしてください。よろしくお願いいたします。--H-JAM会話2024年11月2日 (土) 04:51 (UTC)返信

  返信 H-JAMさんからのメッセージでお返事を書いていないものがたまってきているので、順不同になりますが、お答えしやすいものから順次お答えしていきます。早く回答をもらいたいものが後回しになっていると思われたら、質問等を再度示してご請求ください。
まず、 2024年11月2日 (土) 04:51 (UTC) のメッセージで書かれた「議論の筋を逸らすような指摘」についてのお返事です。「『2点目は省略します』・・・」について書かれたものであるとのことなので改めて説明します。同じ文章を読んでも読み手により重要と思う箇所が違うことがよくあります。H-JAMさんが重要だと思っておられる個所を私が想像してお返事等を書いても、実際にH-JAMさんが重要だと思っておられる個所と違った場合、双方ともに無駄な労力を費やすことになります。 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC)のメッセージでH-JAMさんは「植民地否定論の問題点が2点指摘されています。」「そのうちの1点目は次のとおりです。」「2点目は省略しますが、」と書かれました。このメッセージに対して私は『H-JAMさんが重要と考える問題点が2つある。1点目については具体的に引用しておられるので返答ができるが、2点目はそうはいかない。重要と考えておられるので2点目にも返答する必要があるだろうが、H-JAMさんが重要と考えておられる個所を私が推測して返答を書いてもそれがH-JAMさんが重要と考えておられる個所と違った場合、双方ともに無駄足を踏むことになる。』と考えて 2024年11月1日 (金) 08:50 (UTC)に「『2点目は省略します』ではコメントするべきかどうかの判断もできない」と書きました。したがって、「議論の筋を逸らすような指摘」をしたとは考えていません。--製作工房会話2024年11月2日 (土) 12:55 (UTC)返信

  返信 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC)の「植民地否定論全体を批判しながら高橋氏の投稿自体は批判の対象に含めていない、などということはありえません。」とのご指摘について。私がH-JAMさんによる木村の論文の要約が不正確であると評しているのは、主に木村の論文の引用の仕方です。木村の論文で明らかに高橋の投稿に言及しているのは「はじめに」にある『冒頭に引用した発言に典型的にみられる様な、「そもそも日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった」という言説の広まりである。』だけです。この文中に「高橋」という記述はありませんが、冒頭の引用の脚注に書かれています。H-JAMさんが書いておられるそれ以外の引用文が高橋の投稿に言及しているというのはH-JAMさんの推測に過ぎず、いずれも独自研究です。またこれらの引用文から導かれたと思われる「高橋の見解を否定している。」という記述も独自研究とまではいいませんがいささか過剰な表現です。--製作工房会話2024年11月2日 (土) 17:55 (UTC)返信

  返信 「H-JAMさんが重要と考える問題点が2つある」という点はまったくの誤解です。私は、木村氏が植民地否定論の問題点として2点挙げていると申しましたし、当該論文にもそう書いてあります。そのうち2点目は今回の議論に関係ないと考えたため省略したのです。つまり、私自身、ここでの議論にとっては重要ではないと考えたから省略したわけです。きちんと読んで理解してください。私のコメントも木村論文も誤読ばかりされていますが、それでは進めるべき議論も進みません。
次に、製作工房さんは、木村論文において「高橋の投稿はその種の言説〔植民地否定論〕の一例として引用されている」と述べておられました。つまり、木村氏が批判している植民地否定論に高橋の投稿も含まれていると考えておられるわけですよね。この点確認させていただきます。--H-JAM会話2024年11月3日 (日) 07:33 (UTC)返信

  返信 H-JAMさんが 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC) のメッセージで『2点目は省略します』と書かれた趣旨について理解しました。『木村氏が批判している植民地否定論に高橋の投稿も含まれていると考えておられる』についてはその通りです。ただ、これはH-JAMさんとの対話での中身には直接関係しないことですが『植民地否定論』という表現は使わないほうがよいと考えています。木村自身も使っている表現ですが、『植民地否定論』というように省略してしまうのは、読者が「なんとなくわかってしまったような気になってしまう」よくない表現だと思います。--製作工房会話2024年11月3日 (日) 19:08 (UTC)返信

  返信 ( 2024年11月2日 (土) 04:51 (UTC) で書かれた『こちらがどのタイミングで書き込みすればよいかわかりません。』とのご指摘について} どのタイミングでお書きいただいても構いません。私が直前に書いたメッセージ以外のメッセージについて「返信」されるときはどのメッセージについて書いておられるのか誤解する可能性があるので、どのメッセージについて「返信」しておられるのかがわかるようなご配慮をお願いします。--製作工房会話2024年11月3日 (日) 19:08 (UTC)返信

  返信 2024年11月1日 (金) 00:38 (UTC)に書かれた『「むすびにかえて」は、第5章の下位項目ではなく別個の章です。』について。ご指摘の通りです。ありがとうございます。--製作工房会話2024年11月4日 (月) 14:04 (UTC)返信

  返信 2024年10月28日 (月) 22:59 (UTC) に書かれた『今回高橋氏と木村氏のあいだで論争となったのは韓国併合が植民地化にあたるか否かという点であり、そのような論争が起きたという事実は政権交代が起きようと消えることはありません。』について。(あるいは、H-JAMさんが作成された高橋の投稿の要約について)高橋の2020年6月13日のZakzakへの投稿[1]は、タイトルの中に『日韓併合は「植民地」支配ではない』と書かれているので、高橋の日韓併合に対する主張が含まれていると解釈してもよいと考えます。しかし、この投稿に対する木村の見解と木村の論文の影響を強く受けていると思われるH-JAMさんが作成された要約は間違っていると考えます。そう考える理由を簡単に書くとタイトルの『「植民地」』につけられた『「』と『」』を無視しているからです。詳しく説明を書きだすと長くなるので後日投稿します。--製作工房会話2024年11月4日 (月) 20:10 (UTC)返信

  返信 繰り返しになりますが、まず、木村氏は自身の論文のなかで植民地否定論を否定しています。そして、木村氏は、高橋氏の投稿をその植民地否定論に含めています。つまり、木村氏は、高橋氏の投稿も合わせて否定していることになります。「高橋の見解を否定している」と書くことに問題があるとすれば、それは、「木村氏が、植民地否定論全体については否定しているものの高橋氏の見解については例外的に認めている」場合のみとなりますが、果たして木村氏はそのようなことを論じているでしょうか。論じていませんよね。木村氏がそのように高橋氏の見解のみを例外とみなしているわけではないのであれば、やはり高橋氏の見解は木村氏によって否定されていると言わざるをえません。--H-JAM会話2024年11月4日 (月) 21:38 (UTC)返信

  返信 言葉の印象の問題に過ぎないかもしれませんが、(他人の考え方を)「否定する」という表現はあまり好きになれません。私としては「反対している」のほうが好きかなというところです。木村本人は論文中で自分自身の考え方を示す際に(他人の考え方を)「否定する」という表現を使っていないように思います。--製作工房会話2024年11月5日 (火) 19:30 (UTC)返信

  返信 2024年11月4日 (月) 20:10 (UT) のメッセージの続きを書こうと思って木村の論文を検索していて、木村の論文中に『植民地否定論』と書かれた箇所は1か所もなく、『「植民地」否定論』が6か所、『朝鮮植民地否定論』が1か所であることに気づきました。このことは、木村が高橋と同様に「植民地」という言葉の意味がさまざまであることを意識して限定的な意味で使っていることを示しています。私は、 2024年11月4日 (月) 20:10 (UT) のメッセージで木村の見解が間違っていることの理由として≪タイトルの『「植民地」』につけられた『「』と『」』を無視しているからです。≫と書きましたが、自分自身で「植民地」という書き方を使っている木村が『「』と『」』を無視しているとは考えられないので、お詫びして訂正します。--製作工房会話2024年11月6日 (水) 00:16 (UTC)返信

  返信 「好きになれません」とか「好きかな」とか、製作工房さん個人の印象だけでお話しされても困ります。論理的にお話し願えますか。「否定している」という言葉が不正確なのであれば、「(全面的あるいは部分的に)肯定している」という証拠をお示しください。--H-JAM会話2024年11月6日 (水) 13:30 (UTC)返信

  返信 お返事をいただきありがとうございます。すでに書いていると思っていたのですが、書き忘れていたかもしれないので書いておきますと、私が間違っていると考えているのは「併合後の朝鮮は日本の植民地には当たらないとの見解を示している」の部分です。根拠としては植民地に「併合」が植民地の一つの形態であることが記述されていることを上げます。なお、以前(2024年10月10日 (木) 00:14 (UTC))H-JAMさんは『製作工房さんは「植民地」の記事における記述を根拠に朝鮮が植民地であったか否かを議論されようとしていますが、これは根拠になりません。なぜなら、ウィキペディアの記事の根拠としてウィキペディアの別の記事を用いることは、認められないからです。』と書いておられますが、今回の主張にこのご意見は当てはまりません。それは、私が「記述を提案する」側ではなく「記述の削除を提案する」側だからです。つまり、私はH-JAMさんの記述があやしいことを主張しているだけなので、上で引用した記述が信頼性のある情報源に基づく正しい記述であることを立証する責任はH-JAMさんにあります。--製作工房会話2024年11月7日 (木) 01:03 (UTC)返信

補足です。『否定している』という表現についても立証責任は同様です。私の理解では木村が『高橋の見解を否定している』ことを示す信頼できる情報源はありません。単に私が見落としているだけということも考えられるので、H-JAMさんがこの言葉を使いたいのなら、「信頼できる情報源」をご提示ください。--製作工房会話2024年11月7日 (木) 02:18 (UTC)返信

  返信 製作工房さんは「信頼できる情報源」の提示を求められておられますが、私はすでに木村論文を提示しています。これが「信頼できる情報源」に該当するかどうかについては、すでに議論したとおりです。--H-JAM会話2024年11月7日 (木) 05:07 (UTC)返信

  返信 基本的に木村の論文を「信頼できる情報源」として扱うことに反対しませんが[1]、木村の論文をH-JAMさんが要約した箇所については「信頼できる情報源」には当たりません。そして、『高橋の見解を否定している』という表現はこれに該当すると考えています。ただ、2024年11月7日 (木) 02:18 (UTC)にも書いたように私が見落としているだけという可能性も否定できないので、木村の論文中にこの文章がそのまま使われている箇所があるなら、すこし長めに引用するなど、どのあたりにあるかがわかるような形で引用してお示しください。また、例えば『高橋の見解を』と『否定している』が別の場所に書かれている記述であるというようなことがあるなら、それぞれが元の文ではどのような形で使われていたのかわかるように引用してお示しください。--製作工房会話2024年11月7日 (木) 09:30 (UTC)返信

  1. ^ 実は、一か所事実関係で木村の勘違いではないかと思う箇所があるのですが、今回の議論には直接関係ない場所です。
  返信 「木村の論文をH-JAMさんが要約した箇所については「信頼できる情報源」には当たりません」と製作工房さんがお考えになられる理由をお教えいただけますでしょうか。理由がわからないままでは適切なお答えもできないと思いますので。--H-JAM会話2024年11月7日 (木) 09:59 (UTC)返信

  返信 それは、要約を作成する際に元の文と意味が変わってしまう可能性があるからです。--製作工房会話2024年11月7日 (木) 10:09 (UTC)返信

  返信 つまり、木村論文は「信頼できる情報源」に該当するけれども、私が書いた文章は要約なので「信頼できる情報源」に該当しない、ということでしょうか?--H-JAM会話2024年11月7日 (木) 10:27 (UTC)返信

  返信 ご理解いただいてありがとうございます。--製作工房会話2024年11月7日 (木) 10:42 (UTC)返信

  返信 製作工房さんは、「信頼できる情報源」の意味をまったく理解されていないようです。これはウィキペディアの記事の出典に関する概念であって、ウィキペディアの記事そのものは対象にはなりえません。「情報源」という言葉の意味はおわかりですか? 「出典」を「ソース」(source)と言い換えればわかりますか? いずれにせよ、ウィキペディアの記事における記述そのもの(例えばこの記事で私が書いた文章)に関して「信頼できる情報源」に該当するか否かを議論するのはまったくのナンセンスです。私は以前、「Wikipedia:信頼できる情報源を参照してください」「Wikipedia:信頼できる情報源をお読みください」と製作工房さんに繰り返しお願いしてきましたよね? きちんと「Wikipedia:信頼できる情報源」のページをお読みになっていないのではないですか? あるいはお読みになったけれども理解できていないのでしょうか。このページの冒頭部では「ウィキペディアの記事の出典には〔…〕」と書かれており、そこを読むだけでもこれが出典に関する概念であることは誰でも理解できるはずですが、製作工房さんにはそれすらもご理解いただけないのでしょうか。ウィキペディアの基本的なガイドラインすら理解できないのであれば、編集もノートでの議論もお控えいただきたいと思います。--H-JAM会話2024年11月7日 (木) 11:16 (UTC)返信

  返信 私がこれから書くルールはWikipedia:信頼できる情報源には書かれていないのかもしれませんし、あるいはガイドラインすら存在しないのかもしれませんが、あたりまえのルールだと考えています。それは、「情報源に書かれた情報を正確に記事に反映させる」ということです。いささか極端な例を設定して説明すると、ある信頼できる歴史書Aに「B戦争でC軍はD軍を壊滅させた」と書かれているときに、ウィキペディアのB戦争の記事に「この戦争でD軍はC軍を壊滅させた(出典:歴史書A)」と全く逆のことを書くことが技術的には可能です。(私を含む)記事を読んだときに出典を確認しないうかつな読者はこの「嘘」にすぐに気づくことはありませんし、出典の存在を確認するだけでその中身まで読まない読者もやはりこの「嘘」に気づくことはありません。もちろん、いずれは誰かがこの「嘘」に気づいて修正することになるでしょうがそれまでの間はこの「嘘」が堂々とウィキペディアに掲載されることになりますし、修正されるまでの期間が長ければGOOGLE検索などにも反映する可能性があります。今「嘘」という言葉を使って説明しました。「嘘」という言葉は「わざと」行った場合に使う言葉ですが、「わざと」ではなく「勘違い」などでこのような状況になる可能性もあります。それで、話をこのセクションの話題に戻すと、以前から書いているように私はH-JAMさんが作成した要約は不正確な要約だと考えています。H-JAMさんがわざと情報源と違うことを書いておられるとは思いませんし、情報源に書かれていることと全く逆のことを書いておられるとも思いませんが、少しでも「ずれ」があれば不正確な要約と呼んでも間違いではないと考えます。この点についてはかなり以前より書いていると思うのですが、これまでの議論を見ているとH-JAMさんは「もしかすると勘違いあるいは見落としがあるかもしれない」と考えられることがあまりないように思います。--製作工房会話2024年11月7日 (木) 16:54 (UTC)返信

  返信 私の書いた文章が不正確な要約であると製作工房さんがお考えで、その点を問題視されているということは理解いたしました。ただ、それを「木村の論文をH-JAMさんが要約した箇所については「信頼できる情報源」には当たりません」などと意味不明なことを書かれれば、混乱を来たしてしまいます。製作工房さんは「Wikipedia:信頼できる情報源には書かれていないのかもしれません〔…〕」とおっしゃられましたが、問題は製作工房さんが「信頼できる情報源」という概念を理解しないままに誤って用いられていることなのであって、「Wikipedia:信頼できる情報源」というページに書かれている書かれていないといった話ではありません。よくわからない言葉や概念を無理に使って議論しようとしたりせず、よくわからないことはしっかりと調べて、言葉一つひとつの使い方にもっと注意を払っていただきたいと思います。もしそのような意識がおありであれば、今回のように「信頼できる情報源」という言葉を誤って用いられることもなかったのではないでしょうか。
さて、「これまでの議論を見ているとH-JAMさんは「もしかすると勘違いあるいは見落としがあるかもしれない」と考えられることがあまりないように思います」とのことですが、きちんと論理的にご説明いただければこちらも納得できるでしょうけれど、まだ製作工房さんにきちんとご説明いただけていないので、どのような「勘違いあるいは見落とし」があるのかいまだわかりかねるという状況が続いているのです。製作工房さんからは、「木村が批判の対象としている「言説」に高橋の投稿以外の物も含んでいることは明らかであり、H-JAMさんの書かれた文章は木村の論文を正確に要約したものとは言えません」というご指摘を以前いただいていました。これに対して私は、木村氏が否定した言説のなかには高橋氏の投稿も含まれているため、高橋氏の投稿も合わせて否定されていることになる、とお答えしました。それに対して製作工房さんは「「否定する」という表現はあまり好きになれません。〔…〕「反対している」のほうが好きかなというところです」などといった個人的な好みだけをお話しになられました。このご回答がまったく論理的ではなかったので、「論理的にお話し願えますか」とお願いしたのですが、これに対してはきちんとご説明いただいていません。ですから、結局「否定している」という表現の何が問題なのか、いまだにわからないのです。これがどのような「ずれ」を生じているのか、今一度ご説明いただけますでしょうか。--H-JAM会話2024年11月8日 (金) 15:31 (UTC)返信

  返信 お返事ありがとうございます。私は、高橋が投稿のタイトル中で「植民地」というかっこ付きの表現を用いていることが重要であり、H-JAMさんが高橋の投稿の要約を作成するにあたってこのかっこを無視しておられるのが問題であると考えています。そこで、なぜかっこを無視しておられるのが問題であると私が考えているかをH-JAMさんにご理解いただけるまで説明しようと考えています。ただ、もしH-JAMさんがこのかっこを無視されているわけではないなら、このような説明は無意味になります。そこで、説明を始める前に「H-JAMさんは高橋の投稿のタイトルの植民地の語につけられたかっこを無視しておられるのか。もし、無視しておられないならどのような形で要約に反映しておられるのか。」について質問します。--製作工房会話2024年11月8日 (金) 20:09 (UTC)返信

  返信 「H-JAMさんが高橋の投稿の要約を作成するにあたってこのかっこを無視しておられるのが問題であると考えています」とのことですが、 製作工房さんはこれまで、「私がH-JAMさんによる木村の論文の要約が不正確であると評しているのは、主に木村の論文の引用の仕方です」「木村の論文をH-JAMさんが要約した箇所については「信頼できる情報源」には当たりません」とおっしゃられてきました。つまり、私の木村論文の要約に問題があるとおっしゃってこられてきたのに、ここにきて「高橋の投稿の要約を作成するにあたって〔…〕」と高橋氏の投稿の要約に問題があるとして、別の話を始めておられます。製作工房さんはどちらも問題とお考えかもしれませんが、まずは木村論文の要約の問題に絞ってお話しを進めましょう。それが解決してもいないのに別の話に移るのは得策ではありません。まずは私の木村論文の要約にどのような問題があるのかお教えいただけますか。--H-JAM会話2024年11月9日 (土) 02:16 (UTC)返信

  返信 『まずは木村論文の要約の問題に絞ってお話しを進めましょう。』とのご提案ですが、私が途中で高橋の投稿の要約の話題を追加したためにわかりにくくなってしまったようです。そこで別セクション#サブセクション「高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配について」における高橋の投稿の要約についてを作りました。--製作工房会話2024年11月11日 (月) 11:29 (UTC)返信

  返信 H-JAMさんの木村論文の要約で一番問題だと思うのは、高橋の投稿について指摘しているのかどうかが明らかでない木村の論文からの引用が含まれていることです。--製作工房会話) 2024年11月11日 (月) 11:40 (UTC) 補足です。木村は論文中で自身の言う「「植民地」否定論」を様々な観点から批判しています。木村の論文中にある「即ち、それは冒頭に引用した発言に典型的にみられる様な、「そもそも日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった」という言説の広まりである。」という文章から判断すると、木村の言う「「植民地」否定論」は言説中に「日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった(ない)」という表現を含むものをすべて含んでおり、戦前のものや高橋の投稿を含めていることから、言説の主張が何であるかは問わないようです。主張の異なる言説が含まれることになるため、木村の批判はある言説には当てはまるが他の言説には当てはまらないという現象がしばしば生じます。したがって、木村が高橋の投稿を批判していることが明らかなのは「冒頭の引用」等の表現で高橋の投稿に対する批判であることを明示しているものだけであり、それ以外の「「植民地」否定論」に対する批判は高橋の投稿を対象に含むかどうかは不明です。--製作工房会話2024年11月12日 (火) 05:38 (UTC)返信

これ以上二人で議論し続けても平行線であまり益がないと思います。逆にログが長くなることで他の人の参加を妨げる可能性があります。暫く他の人の意見を待つのはどうでしょうか。コメント依頼をしました。--2001:240:2461:2886:187D:E1DD:2BC3:BDE2 2024年11月16日 (土) 10:12 (UTC)返信
  返信 (製作工房さん宛) お返事遅くなり申し訳ありません。現実世界で忙しくしていてウィキペディアを確認する時間がとれませんでした。さて、製作工房さんの先のコメントで、「高橋の見解を否定している」という表現の何を問題とお考えなのかがようやく理解できた気がいたします。つまり、木村氏は、高橋氏の投稿のうち「植民地であった」という見解のみを否定しているのにもかかわらず、「高橋の見解を否定している」と書いてしまえば、高橋氏の投稿に含まれるほかの言説(徴用工問題など)も否定しているように読めてしまう、ということでよろしいでしょうか。私の意図といたしましては、この節の冒頭で「高橋は、日韓併合とその後の朝鮮における植民地支配に関して、「併合は対等に行われたものであり、植民地化とは異なる」として、併合後の朝鮮は日本の植民地には当たらないとの見解を示している」と記述したため、植民地に当てはまるか否かという点のみに限定して書いたつもりでした。--H-JAM会話2024年11月18日 (月) 16:34 (UTC)返信
  返信 (2001:240:2461:2886:187D:E1DD:2BC3:BDE2さん宛) コメントありがとうございます。私は、議論が平行線だとは感じていません。確かに我々の見解にはまだ距離があるように感じられますが、しかし議論の内容は決して堂々巡りなわけではなく、意見交換することで着実にお互いの考えがより明瞭になっていっていると感じています。実際、議論の途中で記事のなかの表現を一部修正するに至ったところもございます。二人が納得する結論に辿り着くまでまだ時間がかかるかもしれませんが、今少し辛抱強くお待ちいただけないでしょうか。もちろん、これは二人だけに閉ざされた議論というわけではありませんので、議論の内容に関するコメントも歓迎いたします。--H-JAM会話2024年11月18日 (月) 16:34 (UTC)返信
コメント依頼から来ました。過去にノート:宇山卓栄の議論で、予備校の歴史学世界史の講師だった宇山の著作は信頼できないとして、彼の著作が出典として使われた記事から除去されたことがあります。歴史に詳しかったとしても専門家ではないとみなされればこうなるので、なおさら慎重になったほうがいいのではないでしょうか。--ペン打ゴン会話) 2024年11月21日 (木) 09:55 (UTC)誤記を訂正--ペン打ゴン会話2024年11月21日 (木) 11:45 (UTC)返信

  コメント H-JAMさんは「二人が納得する結論に辿り着くまでまだ時間がかかるかもしれませんが、今少し辛抱強くお待ちいただけないでしょうか。」とお書きですが、私は少し前から「二人だけで合意に到達することはむずかしいだろう。自分の主張を書き終えた時点で合意のためのコメント依頼をしよう」と考えていました。書き残したことも少しあるのですが、2001:240:2461:2886:187d:e1dd:2bc3:bde2さんが合意のためのコメント依頼をされたのを機に、(いささか無責任かもしれませんが)この議論から撤収します。もちろん、H-JAMさんが引き続き議論に参加されることについては何ら問題ありませんし、議論がどのような形で終了することになったとしても不満等を申し上げるつもりはありません。--製作工房会話2024年11月25日 (月) 10:07 (UTC)返信

  終了 製作工房さんがこれ以上議論されないとのことですので、このノートでの議論はここで終了したいと思います。もし他に異論がおありの方がいらっしゃるようでしたら、再度提起していただけますと幸いです。--H-JAM会話2024年11月25日 (月) 10:37 (UTC)返信

SNS

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外部リンクにSNSのリンクが複数がありましたがWP:ELMINの観点から過剰だと思われるので削減しました。 --2001:240:2479:665D:9961:74DA:D2B:5EB2 2024年11月11日 (月) 00:53 (UTC)返信

サブセクション「高橋洋一 (経済学者)#日本による植民地支配について」における高橋の投稿の要約について

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このセクションは#植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関してでの議論の一部を切り分けたものです。今後高橋の投稿の要約についてのメッセージは#植民地支配に関する高橋氏の主張とそれを否定する学術論文に関してではなくこちらに書きます。--製作工房会話2024年11月11日 (月) 11:24 (UTC)返信

現在、H-JAMさんが作成した要約が不正確なものであると考えている点は二つあります。一つ目は。高橋のZakzakへの投稿は いわゆる徴用工問題について自身の主張を述べたものであることに関連します。この投稿で書かれている大日本帝国の朝鮮支配に関する意見は、一般的な議論で述べられている意見の中で自身の主張に有利であると高橋が考えたものを抜粋したものです。ところが、H-JAMさんの要約にはこの投稿が徴用工問題に関するものであることが書かれておらず、まるで高橋が大日本帝国の朝鮮支配全体についての意見を述べたかのように受け取られる内容になっています。発言等の一部を取り出して誤解を与える報道をするというのはマスコミ等でしばしばみられる現象です。H-JAMさんにそのような意図はないと思いますが、外見的にはこのようなマスコミの不適切な行為と同様な行為になっています。二つ目は高橋がタイトルに「植民地」というようにかっこを使っていることを考慮していない点です。わざわざかっこを使っているのには何か意味があるのでしょうが、残念ながらこのかっこが何を意味しているか投稿中に明確には書かれていないようです。この投稿が徴用工問題についての意見であることから見て、木村の論文にある「韓国においては日本による朝鮮半島支配は、正当な国際法的手続きに反した違法なものであり、故にその支配は法的には無効である、という理解が公式のものとなっている。」のことではないかと推察していますが、あくまで私の推察に過ぎません。この点についてはH-JAMさん自身は何らかの形で反映させておられるつもりなのかもしれないので、もしそうなら説明してください。--製作工房会話2024年11月12日 (火) 04:52 (UTC)返信

  コメント H-JAM殿、制作工房殿、両者とも不要な記述が多くはないですか?
H-JAMによる要約について、制作工房の挙げる問題点というのを抜き出すと、
 ・徴用工問題に係る投稿であることが欠けている
  ・戦時日本による朝鮮半島支配全体についての投稿のように見える(?)
  ・一部を切り出していてマスコミ的である(?)
 ・投稿タイトルから「」が取り除かれていること
↑このあたりでしょうか。
--青犀会話2024年11月16日 (土) 11:11 (UTC)返信
高橋の投稿に対する要約とは↓ですか?これですべて?
高橋は、日韓併合とその後の朝鮮における植民地支配に関して、「併合は対等に行われたものであり、植民地化とは異なる」として、併合後の朝鮮は日本の植民地には当たらないとの見解を示している。
これに関して高橋は、「英語の文献では、日韓併合のことを「アネクセイション」(annexation) と表現する。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization) とは概念が異なる」と述べている[68]。--青犀会話2024年11月16日 (土) 11:50 (UTC)返信
  賛成 「いわゆる元徴用工問題」を受けての投稿であることを明示すべき、とする点に同意します。
植民地支配について議論している場の発言ではないことが分かるように書くべきと思う。--青犀会話2024年11月16日 (土) 11:56 (UTC)返信

  コメント H-JAMさんは「二人が納得する結論に辿り着くまでまだ時間がかかるかもしれませんが、今少し辛抱強くお待ちいただけないでしょうか。」とお書きですが、私は少し前から「二人だけで合意に到達することはむずかしいだろう。自分の主張を書き終えた時点で合意のためのコメント依頼をしよう」と考えていました。書き残したことも少しあるのですが、2001:240:2461:2886:187d:e1dd:2bc3:bde2さんが合意のためのコメント依頼をされたのを機に、(いささか無責任かもしれませんが)この議論から撤収します。もちろん、H-JAMさんが引き続き議論に参加されることについては何ら問題ありませんし、議論がどのような形で終了することになったとしても不満等を申し上げるつもりはありません。--製作工房会話2024年11月25日 (月) 10:07 (UTC)返信

  終了 製作工房さんがこれ以上議論されないとのことですので、このノートでの議論はここで終了したいと思います。もし他に異論がおありの方がいらっしゃるようでしたら、再度提起していただけますと幸いです。--H-JAM会話2024年11月25日 (月) 10:37 (UTC)返信

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