ノート:統合失調症/過去ログ1

最新のコメント:16 年前 | トピック:差し戻し報告(2008年6月12日) | 投稿者:Diagonal

ノート:統合失調症2008年7月までの議論の一部(議論締結済みの節、議論提起者が無期限投稿ブロックになったために議論進展が見込まれなくなった節)の過去ログです。

統合失調症に罹患したとされる著名人

編集

まずこの項目の必要性が良く分かりません。

また、宮城音弥氏の著書を引用していますが、たまたま同じ本が手元にあったので見てみましたが、病跡学に基づいて統合失調症であると断じることが出来るようなソースではありませんでした。特に夏目漱石については「~躁鬱病ではなかろうかという推測が生まれる」として、統合失調症であったことを否定するようなくだりすらあります。手元の版が古いのでしょうか(手元のは第12版です)。ジャンヌ・ダルクについては英語版がソースとなっていますが該当する記述は見当たりませんでした。Scholars who propose psychiatric explanations such as schizophrenia consider Joan a figurehead rather than an active leader.という下りが見つかったのみです。「病跡学に基づいたもの」という確証が得られないため、ソースが示されるまで該当項目をコメントアウトします。Canadie 2006年3月21日 (火) 15:55 (UTC)

この項目の必要性についてですが、まずウィキペディアのWikipedia:ウィキプロジェクト 病気をごらんになられるとよいでしょう。各疾病がどのような社会的影響を及ぼしたか、を記述することもウィキペディアの百科事典の目的なのです。当然ながら、社会に影響を及ぼした著名人に言及する必要が自然に生じます。夏目漱石については、診断が確定的でないというのは、病跡学ではよくあることです。ですから、項目名を「統合失調症に罹患したと思われる主な著名人」としているわけです。それを、Canadieさんが、「統合失調症に罹患したとされる著名人」に改変されたわけですが。もとの記述のほうが、病跡学の学問的な性格にかなっていると思います。ジャンヌ・ダルクについては日本語の書籍にも出典はあります。以下引用します。
  • 「十五世紀初頭に忽然と現れた「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルクは、幻覚と救世主妄想をもった統合失調症患者であったとする説は現在も定説になっており、」P.6 風祭 元・山下 格著「統合失調症」2005年 ISBN 4535560994
ということで、元の半にrevertし、若干の修正を加えさせていただきます。Neuroleptics 2006年3月22日 (水) 03:29 (UTC)
上述のWikipedia:ウィキプロジェクト 病気を読むと、(病気の)社会的影響に関しては、それが社会的にどのような価値を持つのか分かるように記述して下さるならば、どんどん加筆して下さい!という但し書きがあります。これに従うなら、曖昧な列挙などではなく、具体的に社会的影響について言及すべきでしょう。また、ジャンヌ・ダルクが統合失調症だったというのは「説」に過ぎず(これは英語版を見ても分かります)、夏目漱石にいたっては出典と整合しない。「思われる」を削除したのは根拠の薄い項目を避けるためですが、その懸念が事実だったことに驚いています。統合失調症は100人に1人が罹患する比較的罹患率の高い疾患である一方、直接の問診でも誤診が起こる非常に診断の難しい疾患ですので、このような曖昧な列挙は危険だと考えます。病跡学は有意な学問だと思いますが、故人の疾患を特定することが目的ではないと認識しています。病跡学にお詳しいのであれば、著名人の列挙ではなく、統合失調症と病跡学的見地からの社会的影響について書いて頂ければ有意義な記事になると思いますがいかがでしょうか。Canadie 2006年3月22日 (水) 04:12 (UTC)
「この「統合失調症」は、医学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。」とメディカルスタブが立ってるとおり、書きかけ項目なのですから、記述が少々足りないのは当たり前だと思いますけど。足りない情報は徐々に皆さんでどんどん加筆していけばよいでしょう。ウィキペディアとはそういうものだと思うのですがいかがでしょう。記述が足りないから項目ごと削除だ、というのは少々乱暴すぎやしません?Neuroleptics 2006年3月23日 (木) 11:21 (UTC)
「夏目漱石にいたっては出典と整合しない。」とかって断言できる根拠を示して下さい。夏目漱石は、「東大精神医学の教授、呉秀三博士に診察をうけるようはからった。呉博士は、こういう病気は一生なおりきるということはなく、なおったと思うのは一時沈静しただけだという。呉博士は早発性痴呆の一つの型、妄想性痴呆(今でいう統合失調症妄想型)と診断したのであった。」宮城音弥「天才」164頁 とあり、かの有名な呉秀三先生の診察を受け、診断が下っているのですよ。こっちのほうが事実であり、「~躁鬱病ではなかろうかという推測が生まれる」というのはあくまで、宮城の推測に過ぎない。どっちを重く見るかは火をみるよりあきらかでしょう。中立的でない論を張るのはいかがなものかと思いますが。Neuroleptics 2006年3月23日 (木) 13:02 (UTC)
私は病跡学における記述を探したのですが、夏目漱石だけは「診断の方が事実」なんですか?病跡学自体が「推測」の学問だと思いますし、実際、夏目漱石の精神状態については現在でも(病跡学も含めて)諸説入り混じっている状態だという認識なのですが、それらも「推測に過ぎず、診断の方が事実」で片付けてしまうのでしょうか。同じ理屈でいくと「ゴッホはてんかんだった」というのが事実だということになりますよね。実際には当時受けた診断と後の研究の双方を慎重に検討すべきで、最低限として「統合失調症だったかどうかはっきりしない人(これにはもちろん夏目漱石やゴッホも含む)」はリストされるべきではないと思いますが。Canadie 2006年4月17日 (月) 05:41 (UTC)
「疾病が」社会的影響を持つならば、「疾病が」社会的にどのような価値を持つのか分かるように記述するというのは理解できます。しかし、「疾病」と「社会的影響」との間に一定の因果関係があるのでなければ、「統合失調症に罹患したとされる著名人」を特定の疾病である「統合失調症」に関連付けることに意義を見出すことは困難です。
例えば「ペスト」はかつては大流行して数十万人もの死者を出したので社会的影響を持ちます。しかし、統合失調症は特定個人の内面に作用します。またこれまでの研究で明確に優性遺伝あるいは劣性遺伝する疾患というわけでもないことが明確です。それゆえ罹患した場合の実際の影響範囲はその個人自身と家族・親しい友人に限定されます。したがって、統合失調症が社会的影響を持つとはいえません。むしろ、この疾患が特定個人の精神活動に重大な影響を及ぼすのであれば、統合失調症に罹患したという事実や説はこの記事ではなくその個人に関する記事において記述すべき事柄です。
また、統合失調症の症状の現れ方は多種多様であり、したがって個々の疾病患者を列挙しても統合失調症の症状を列挙したことにならず、疾患に対してステロタイプを設定するだけです。むしろ、ステロタイプを設定することは先入観を与えるだけなので、さほど意味のある行為とは考えられません。そして(精神活動というものは文字通り個性的ですから)列挙する人数が増えれば増えるほどステロタイプとしての概念は曖昧になり、ついにはこの列挙項目の持つステロタイプを提示するという意味も失われます。したがって、「夏目漱石の××という行動は統合失調症の症状と考えられる」というような説明がない限り、個々の患者を単に列挙することはこの記事においては無価値です。著名人であることが統合失調症に列挙する理由であれば、議論の前提において目的と手段が入れ替わっています。あら金 2006年4月8日 (土) 05:29 (UTC)
>例えば「ペスト」はかつては大流行して数十万人もの死者を出したので社会的影響を持ちます。しかし、統合失調症は特定個人の内面に作用します。

とおっしゃいますが、統合失調症は120人に1人というごくありふれた疾患であり、ペストのような一過性の病気ではなく、また歴史的にも病気に対する偏見が根づよい疾患でもあり、また、統合失調症のみならず、精神疾患に罹患した人物が社会に影響を与えた著名人は病跡学という精神医学の一学問分野が存在するほどに人類史・社会史的な影響があると学者の間にも既にみなされていると考えるのが定説になっています。「その個人に関する記事において記述すべき事柄」については、統合失調症の項から各人物名へリンクすることによって、可読性が向上するので、やはり、人物名を列挙、記述すべきであると考えます。 >「「夏目漱石の××という行動は統合失調症の症状と考えられる」というような説明がない限り、個々の患者を単に列挙することはこの記事においては無価値です。」というのは既に上記において議論済みのとおり、これからじょじょに加筆すればいいだけのことと考えます。最初から完璧な記述を求める、さもなくは項目ごと削除という極端な議論はウィキペディアの性格上、全くのナンセンスであると考えます。Neuroleptics 2006年4月8日 (土) 22:10 (UTC)

"統合失調症"を同じく百人に一人罹患するといわれる"乳がん"に置き換えましょう。"乳がんに罹患したと思われる主な著名人"という項目が"乳がん"の記事においてどのような価値を持つかといことを比較検証する為に仮定の例としてあげます。
"乳がんに罹患したと思われる主な著名人の氏名リスト"というものは意味を持ちます。無論、"統合失調症に罹患したと思われる主な著名人"も意味を持ちます。しかし、個々の著名人が乳がんとどのようなかかわりを持ったかを明確にしないと"乳がん"という記事に対して価値がある記事とはいえません。例えば、
"絵門ゆう子氏は生前に自ら乳がん告知を行い、日本国内における乳がんのオピニオンリーダーのひとりとなった。"
であれば疾病に関する社会的影響の記述であり例示としての価値があります。この記述は疾患が社会的影響を及ぼしたことを言及しているのではなく、絵門ゆう子氏の為した数多くの社会的影響をもつ行動の一つですから記事絵門ゆう子で扱われる項目です。一方、"乳がん"の記事から見れば罹患者の個々の事例でありの必ずしも乳がんの記事に記述されていないといって乳がんの記事の価値が低下するものでもありません。逆に、例示であれば1つ2つで十分であり、延々と列挙するのは無駄というものです。また氏名・職業・身分しか列挙されないならばなおさら無価値です。
一方、最終的には女性著名人の百人に一人が列挙されることになる"乳がんに罹患したと思われる主な著名人の氏名リスト"は百人に一人が罹患することをデモンステレーションする意味はありますが、すでに記事中に「女性の百人に一人が罹患する」と記述されているのであれば、意味があっても記事に存在する価値がありません。なぜならば列挙しなくても「女性の百人に一人が罹患する」と書くことで目的が達成されているからです。そして著名人を引き合いに出すのはその人が「社会的影響」を創出した人物で、彼または彼女の社会的影響と"乳がん"という疾患との係わりを言及する意図があるはずです。しかし、氏名列挙だけでは詳細はわからず、もし調べて「若くして名声を確立したが、晩年は殆ど忘れ去られた。死因は乳がんである」というのであれば社会的影響と例出した著名人の乳がんとの間にはまったく因果関係がないことになりそれはミスリードというものです。
したがって、かなり丁寧な対応をしないと"乳がんに罹患したと思われる主な著名人の氏名リスト"というのは「女性の百人に一人が罹患する」という一文以上の価値を持ちえません。これは疾患記事全般に言えることで、乳がんの記事でも成り立つ話であると同時に統合失調症の記事でも成り立つ話であると考えます。そして英語版でも成り立つ話だと考えます。したがって私は、英語版のNotable people thought to be affected by schizophreniaも同様であり、内容が氏名・職業・身分の列挙であっては意味があっても価値はないと考えます。
それ故、統合失調症の統合失調症に罹患したと思われる主な著名人の項については付加価値をつけるには最低でも内容変更は必要で、万が一変更する手立てが無ければすでに記事中に「百人に一人は罹患する」という記述があるのでこの項は存在しなくてもかまわないと考えます。デメリットが懸念され且つ変更の余地も無ければ削除してもかまわないと考えます。あら金 2006年4月9日 (日) 00:15 (UTC)
>"統合失調症"を同じく百人に一人罹患するといわれる"乳がん"に置き換えましょう。
という発想自体、そもそもナンセンスです、なぜなら、乳がんは人類社会に影響を及ぼすほどの創造性を生み出すような精神疾患ではないからです。統合失調症双極性障害などの精神疾患の場合は病跡学で研究されているように、創造性、ひいては社会的文化的影響の多い病気であるといえます。また、乳がん患者は障害者ではありませんが、統合失調症患者は障害者あるいは精神障害者であり、歴史的にも差別や偏見、誤解の対象になりやすいという根本的な違いがあります。(たとえばT4作戦参照のこと)。Neuroleptics 2006年4月9日 (日) 05:37 (UTC)
ご指摘の件は、特定の疾患が社会に影響を及ぼしているのではなく、精神病患者とひと括りにされた集団と日本社会との関係です。原因が"統合失調症"であろうと、幼年期に起こった脳虚血を伴う事故で発生した認知症であろうと、精神病患者といレッテルがはられれば障害者として日本国の社会としては同様に扱われます。そして、身体機能の障害者であっても同様です。個人的な体験から意見を言わせていただければ、父と叔母二人と後天的な聴覚障害者がいますが、先天であろうと後天であろうと、精神であろと身体であろうと、障害者のそんな違いは世間の健常者は気にかけていませんよ。つまり、理由はこの社会的現象の原因は患者にあるのではなく、健常者側に存在するからです。ハレであれケガレであれ健常者が障害者の集団を特別扱いして一般的大衆との間に線引きを行うことが差別の本質です
"統合失調症"が創造性と関与してるというのは、逆の例ですがローンブローソーの提唱した犯罪精神病説で"はげに悪人がいない"とした説ほどに根拠がありません。実際のところは、「健常人でも創造性が発揮できるし、"統合失調症"の患者も創造性が発揮できる。」ということを示す意味しかありません。また、過去では統合失調症でも認知症でも躁うつ症であっても同様に差別や偏見、誤解を受けました。今日でも大同小異で継続しています。しかしこの疾患固有の社会現象現象ではありません。
そして、本文においてはその以上のような内容が扱われているわけではなく、その上で著名人を列挙することとこの疾病の社会現象の関係について一文たりとも何ら説明を試みておられません。したがってこのような点が丁寧ではなく粗雑な扱いだと考えております。そのような丁寧な取り扱いが為されないのであれば著名人の氏名・職業・身分だけのリストはリスト自体に意味があっても疾病を説明する記事においては無価値です。あら金 2006年4月9日 (日) 15:37 (UTC)
>はこの社会的現象の原因は患者にあるのではなく、健常者側に存在するからです。ハレであれケガレであれ健常者が障害者の集団を
>特別扱いして一般的大衆との間に線引きを行うことが差別の本質です。
まずはじめに、私、Neurolepticsは健常者ではなく、統合失調症患者であり障害者及び当事者であるということを明らかにしておきます。 その上で、私は障害者は健常者とは違うのだ、同じではなく違う存在である考えます。あなたのいうように障害者と健常者が同じ扱いであれば差別が存在しないなどと空論を述べられていますが、なぜ障害者には手帳制度が存在するのでしょうか?なぜ障害者関連の法律が存在しているのでしょうか?障害者が厳然として障害者が健常者とは違う立場に立たされているまぎれもない現実が、あら金さんがどう考えようが、現に存在しているからにほかなりません。健常者側の勝手な視点で空論を言われても右から左にすり抜けるだけで空虚に聞こえます。Neuroleptics 2006年4月9日 (日) 17:47 (UTC)
>ローンブローソーの提唱した犯罪精神病説で"はげに悪人がいない"とした説
と、病跡学は同じものではありません。全く違うものです。議論の無意味なすり替えは止めていただきたい。Neuroleptics 2006年4月9日 (日) 17:47 (UTC)
筆者が障害者であろうと、健常者であろうと説明が不十分な丁寧ではない記述であれば無価値です。人間は自分の考えていることと信じるものです。書いてあることを見ても認識はしますが信じるものではありません。機会を捕らえ、繰り返して言を尽くして説明しなければわかるものではありません。読者に対して理解させることが不十分な記述は十分になるようにあたらめれば良いのです。しかし、言をつくさず不十分なまま放置するというのであれは削除すべきです。
障害者関連の法律が存在しているのは、自発意思に基づかない就労あるいは生活困難者に対する公的補助です。別に差別に対する償いでも障害を理由に特別扱することが目的ではありません。年金や生活保護と同じ政策です。
次に事実確認をお願いします。私の発言には「差別は存在しない」などという発言はありません。学校でのイジメであれ、会社でのセクハラ、肩たたき、現実社会での差別はいたるところに存在します。いずれの差別も差別する側である大衆社会の問題です。そしてどの差別についてもひどい差別、ひどくない差別という違いは存在しません。
行為者の出所・身体を勘案して、その行為の評価を変えるのであれば、それこそ差別の本質です。したがって、不十分な記述に対してそれを是とすることは出来ません。逆に、健常者、障害者の分け隔てなく、他人が行為できないことについて助力・協力することは当たり前のことです。しかし助力表明をしていないものに対しておせっかいをするつもりもありません。あら金 2006年4月10日 (月) 07:59 (UTC)
私は統合失調症にかかっています。著名人で同じ病気にかかっている人がいると知れば、すごく勇気がわいてきます。また、リストアップは、社会的スティグマ(偏見)に非常に有効だと思います。ですので、できましたら、リストはなんらかの形で残しておいて欲しいです。お願いします。221.184.73.230 2006年4月9日 (日) 02:32 (UTC)
一言申し添えるならば、偏見は患者に発生するのではなく健常者に生じます。患者がどのように見えているのかは、当然、健常者には理解できません。単に名前を列挙するだけではなく、実際にどの様であったかを客観的に提示することが有効です。それはハンセン氏病にしてもHIVにしても同様です。あわせて。患者さん毎に現れ方は違うので丁寧に事例を集積すれば励ましにもなるでしょう。またどの疾病においても偏見の殆どが不治の病であるという誤解や、実際の患者の生活実態とはかけ離れたフィクションや伝聞といった理解不足が原因です。したがって、とりわけ患者さんの事例を扱うのであれば、単に名前を列挙するような粗雑な扱いではなく丁寧に扱い十分に説明を尽くす必要があります。あら金 2006年4月9日 (日) 03:13 (UTC)
偏見は、私も含めて患者自身ももっています。講談社「イラスト版・統合失調症」に詳しく出ています。それに、症状は、私も含めて、個人個人で非常に多彩です。それぞれ説明せよ、というのはむちゃに聞こえます。専門の精神科医の方でしたら、わかっていただけたと思います。私は、これで失礼させていただきます。220.104.92.236 2006年4月12日 (水) 23:15 (UTC)

統合失調症に罹患したと思われる主な著名人の削除・変更について

編集

編集合戦になりかけているので、ここで他の方の意見も聞きたいと思います。「統合失調症に罹患したと思われる主な著名人」の項目について、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか引用、格言、人物といったリストの記録所ではありません。に該当すると考え、削除か、内容・見出しの変更を提案します。また、以下の懸念もあります。

  • 比較的罹患率の高い疾患であり、列挙をはじめるとキリがない(revされましたが、同様の理由でリスト形式を削った方がいたと思います)
  • 診断が確定的でないというのは、病跡学ではよくあること だそうなので、統合失調症でなかった人が列挙されるおそれが高い
  • 「思われる」の一文が恣意的であり、憶測による人物名の記載が懸念される(すでに憶測による記載が発生し削除済み)

以上、ご意見お聞かせ願えればと思います。Canadie 2006年3月22日 (水) 04:46 (UTC)

  • Wikipedia:ウィキペディアは何でないかウィキペディアは紙製の百科事典ではありません ウィキペディアは紙製ではありません。ゆえに、ウィキペディアは、サイズの制限がなく、リンクを含むことができ、よりタイムリーであります。つまり、紙面用の文章の長さやスタイルがウィキペディアでは必ずしも適切というわけではありません。を読めば、「列挙をはじめるとキリがない」という発想は無意味だと思いますけど。
  • 「統合失調症でなかった人が列挙されるおそれが高い」については、その著名人について個別にノートで議論すればすむことで、項目ごと削除するような理屈は通らないと思います。「憶測による人物名の記載が懸念される」も同じく、記述された著名人について個別にノートで議論すればすむことでしょう。なにかCanadieさんは、こ難しく考えすぎてやしませんかね。Neuroleptics 2006年3月23日 (木) 14:24 (UTC)
(削除・変更に賛成)まず「ウィキペディアは紙製ではない」ということは即ち「何でも無限に書いて構わない」という意味ではありません。また「キリがない」というのは「紙面がもったいない」という意味ではなく「無意味で恣意的な列挙が出来てしまう」こと、また結果として情報密度が低くなってしまうことに対する危惧です。「統合失調症でなかった人が列挙されるおそれが高い」については、既にその懸念が現実のものとなっています。運良く削除できましたがイタズラと思しき加筆もありましたし、ゴッホ、夏目漱石については、ソースとされる文献中にすら統合失調症であったと断言する記載は見つかりません。この2人やストリンドベリなどについては、文献を見る限り「統合失調症だと論じた人がいた」に過ぎず、彼らが統合失調症でなかった可能性は低くありません。また、ソースとして挙げておられる著作物の初版が昭和42年。実に40年前のものであってこの間の病跡学や統合失調症に関する研究の進歩によりこれらの「説」が覆されている可能性も大いにあると思います。こういった項目を作るのであれば、活動と疾患の関連についてでさえも神経質にならざるを得ないと思いますが、これが「統合失調症だったという人もいるが、そうでなかったという人もいる」人物のリストではお話になりません。「ノートで論じれば良い」とありますが、実際のところ、Neuroleptics氏の列挙が通るのであれば、一つでも統合失調症だという仮説を立てている文献を見つけるか、(イタズラで)入手困難な文献を持ち出せば削除困難となるわけで、あらゆる人物を恣意的にリストに加えることが可能な状況であり、望ましくないものと思います。Canadie 2006年4月17日 (月) 05:03 (UTC)
(削除・変更に賛成) 理由は前述の通り。あら金 2006年4月8日 (土) 05:31 (UTC)
(削除に反対) 人物といったリストの記録所ではありません、と指摘されましたが、人物のリストだけあるいは人物のリストが大半をしめる項目は他に多数存在しているにもかかわらず、なぜまた統合失調症のごく一部分に疾病の社会的影響の記述が必要であると上記議論ですでに指摘しているにもかかわらず、統合失調症人物の列挙が必要でないと判断しえるのか常識に照らし合わせて考えてもまったく理解できません。統合失調症でなかった人が列挙されるおそれが高いについても、一部記述において個別に発生しうるかもしれないという単なる憶測にすぎず、項目ごと削除する理由などにはなりえないと考えます。統合失調症に罹患した著名人を記述するのは病気に対する社会の偏見を軽減するという社会的意義もあると考えます。英語版のen:Schizophreniaにも11 Notable people thought to be affected by schizophrenia という項目があり、日本語版にあってはいけないという理由もわかりません。以上の理由から削除に反対します。Neuroleptics 2006年4月9日 (日) 05:05 (UTC)
(削除よりコメント) <リスト形式を削った>ヤカラです。ノート:架空のものの一覧の一覧がよい例ですが、一覧記事はとかく問題になっています。「人物のリストだけあるいは人物のリストが大半をしめる項目は他に多数存在している」にしてもそれらに手をいれるだけの余力がないか、記事自体が見捨てられているかという可能性を考えてみて下さい。統合失調症は酷い偏見のもとにある疾患なのですから、罹患した人名の一覧を書くなら、それなりの覚悟が必要でしょう。最低限、その人の業績及び、発症したのはその業績を出した前か後かを示す必要があると考えます。発症後だとしても、その人が投薬によって症状をコントロールされた状態で業績を出したのか、そこまで記述しないと「社会的意義」は認められないでしょう。高機能自閉症のようにほとんど完全に先天的な障害と考えられており、比較的程度も軽く、幼少時に見つかるものとは疾患の種類が大きく違うことに御留意下さい。Neurolepticsさんがそこまで突っ込んだ記事を書いて下さるなら、社会に寄与すること大でしょうし、名前だけだらだら並べるのでしたら、そのような寄与は望めないでしょう。--NekoJaNekoJa 2006年4月11日 (火) 11:00 (UTC)
>発症後だとしても、その人が投薬によって症状をコントロールされた状態で業績を出したのか、そこまで記述しないと「社会的意義」は認められないでしょう。
ジャンヌ・ダルクやヘルダーリンの時代に有効な治療法など存在してませんから、そういう意味でも無意味ですよ。そういう珍奇な発想が出てくるあたり統合失調症をあまりご存じない様にお見受けします。統合失調症は治療を受けなくても寛解するケースは少なくないのですよ。かくゆう自分も薬無しで2回も急性期から寛解しましたし。薬は再発予防の為に飲むという人も大勢おります。これを維持療法と呼びますが。知識なしで統合失調症の議論に参加されてもちょっと困るなあ。Neuroleptics 2006年4月12日 (水) 12:51 (UTC)
「ジャンヌ・ダルクやヘルダーリンの時代に有効な治療法など存在してませんから、そういう意味でも無意味ですよ。」という趣旨は過去には過去には有効な薬物治療法が存在し得なかったのでNekoJaNekoJa氏の問題提起である業績と統合失調症との因果関係や解説(コメント)記述することは無意味だといっていることになります。そうすると病跡学が業績と統合失調症との因果関係や解説することも、薬物療法が存在しないので等しく無意味だといっていると考えます。(それはそれ、これはこれででは中立なPOVではありません)であるならば、現在列挙されている著名人はジョン・ナッシュ氏以外は没年よりいずれも有効な薬物治療法が存在し得えながったころの病跡学の事例であり、そういう意味でも無意味であることが理解されました。では、これらの例は消去してその代わりに、近年の有効な薬物治療法存在する時代の著名人の事例を示していただけますでしょうか?あら金 2006年4月12日 (水) 21:02 (UTC)]
そんな理屈成り立ちえませんよ。病跡学は薬物療法の存在の有無に関わらず、その著名人なり人物の精神医学的心理学的症状が業績に影響した現象を分析する学問であって薬物療法の有効性を問う学問などではないのですから。Wikipedia:ウィキプロジェクト 病気でも社会的影響の記述に関して症状が差別、経済、文学、常識、映像、戦争、テロ、音楽、科学、哲学、等に影響を与え、与えらて来た歴史を記述するとあり、統合失調症の症状が社会的影響があれさえすれば記述する価値があるわけですから。繰り返しになりますが、当然ながら、多くの統合失調症などの精神疾患に罹患した著名人や人物の症状と業績(つまりは社会的影響)を分析するのが病跡学です。どうしてこのような基礎的なことが理解出来ないのか不可解です。Neuroleptics 2006年4月14日 (金) 19:58 (UTC)
病跡学の内容や価値について議論したつもりはありませんよ。
病跡学は人物の精神医学的心理学的症状が業績に影響した現象を分析する学問」であるそうです。であるならば、統合失調症は業績を上げる(あるいは社会的影響を及ぼす)十分条件に過ぎません。すなわちNeuroleptics氏の列挙した例については「統合失調症」に罹患していたことと、それ以外の条件が複合したときに社会的影響を及ぼすはずです。一方NekoJaNekoJa氏の問題提起である業績と統合失調症との因果関係や解説(コメント)記述をするのがふさわしいという提案は、条件の1つである「統合失調症に罹患したこと」と、その他の条件である「因果関係や解説(コメント)記述」をすべきだといっているので、Wikipedia:ウィキプロジェクト 病気が求める要件を満たします。
しかし、Neuroleptics氏が文章責任を持つくだりについては「統合失調症に罹患した(らしい患者とされなかった人も含む)」のリストですから、これだけではWikipedia:ウィキプロジェクト 病気が求める要件を満たしません。
一方、Neuroleptics氏の主張によると、NekoJaNekoJa氏の問題提起である業績と統合失調症との因果関係や解説(コメント)記述をするのがふさわしいという提案に対して、(他にも理由があるが)「ジャンヌ・ダルクやヘルダーリンの時代に有効な治療法など存在してませんから、そういう意味でも無意味ですよ。」とNeuroleptics氏は言われています。であるならば、Neuroleptics氏が薬物治療が存在するか否かを問題にしておられます。議論の論旨は「社会的影響を記述する要件として必要な項目は何か」でしたから、Neuroleptics氏は「薬物治療が存在しない時代こと」を理由に「NekoJaNekoJa氏の問題提起が(社会的影響を記述する要件を満たさず)無価値である」と述べていることになります。そうであるならば、Neuroleptics氏のリストも(社会的影響を記述する要件を満たさず)無価値であることになるので、どんな論拠でも「薬物治療が存在しない時代こと」を理由にして無価値であるということが出来るので、中立なPOVの観点でNeuroleptics氏の主張が成立するのであれば同氏の記述した内容についても同様に出張することができます。
しかしそれに対して、Neuroleptics氏は「そんな理屈成り立ちえませんよ。」といわれてといるので、「「薬物治療が存在しない時代こと」を理由にして無価値であるということ」はできないと認めておられます。であるならば背理法により、「NekoJaNekoJa氏の問題提起が(社会的影響を記述する要件を満たさず)無価値である」も「そんな理屈成り立ちえませんよ。」と主張したことになるので、NekoJaNekoJa氏に対する主張もNeuroleptics氏は撤回すべきです。あら金 2006年4月15日 (土) 02:35 (UTC)
またそれとは別に、 「~の妻」なる著名人(?)「~の息子」なる著名人(???)が経済、文学、常識、映像、戦争、テロ、音楽、科学、哲学、等に与えた影響とは何ですか?また、リンク先は引用箇所であって説明記述は無いです。これはWikipedia:ウィキプロジェクト 病気で記事にするうえで必要な要件であると述べられていることを欠く不完全な内容であるから、まず第一義として他人の加筆を頼るのではなく、記述した執筆者本人が加筆すべきです。Neuroleptics氏のリストは、この人物が経済、文学、常識、映像、戦争、テロ、音楽、科学、哲学等の社会的影響を与えたと判断した上でのノミネートのはずですから説明を加筆できないというのは、論理的に不合理です。必ず説明を加筆していただけると存じます。そうでなければ、Neuroleptics氏は個々の人物がWikipedia:ウィキプロジェクト 病気で求めている社会的影響を持つ事例の、要件を満たすか満たさないか判断せずに著名人リストを作成したことを意味します。それが真実であるならば、削除を求める人がいてもNeuroleptics氏はその要求に対して抗えないと存じます。あら金 2006年4月15日 (土) 02:35 (UTC)
有効な治療法が発見される前でも、「発症後に百科事典的業績を残した」例を挙げれば同様に有用だと思いますが。実の所、こういった論議は疾患そのものについての知識や経験(あまり書くとなんですが、恐らくNeurolepticsさんよりはもっています)以前の問題でして、本当に社会医学、福祉ないし患者の視点に立っておられる方なら、あら金さんのおっしゃる論点はすぐに理解されたことでしょう。面白半分、興味本位にだらだら人名を並べ立てることの問題点が逆に証明された気がします。--NekoJaNekoJa 2006年4月13日 (木) 03:55 (UTC)
なにも証明されていませんよ、理由は前述のとおり。Neuroleptics 2006年4月14日 (金) 19:58 (UTC)
仕方がないなあ。こういうことを書きたくないから遠回しに書いているのですが、はっきり書きましょう。
  1. Neurolepticsさんが一所懸命に貼っている程度の内容では、そのリストはそのまま、統合失調症によって失われた知性の一覧として機能し得るのです。その手の読者にかかれば、偉人を挙げれば挙げる程、「こんなに優秀な人も精神分裂病で駄目になったのか、なんと恐ろしい病気なんだ」と考える材料になってしまいます。
  2. ウィキペディア日本語版の現状を考えると、例えば左派の論客や共産主義者を片端から挙げていく○○が必ず出てきます。
これらの可能性を考えないとしたら、あまりにナイーブ過ぎますよ。Neurolepticsさんが本当に患者なら、日本に今尚残るというかますます盛んな差別嗜好(指向なんてものではありません)を御存じであるはずです。そもそも、治癒はできないが外来でコントロールでき、コントロールすることが治療であるような慢性疾患は沢山あるわけです。統合失調症の現況においても、愚見によれば最も大事なことは、患者の多くは軽症なのであって、優れたメジャートランキライザーの登場によって外来で治療でき、市民生活を送れるようになった(実際には入院患者にも社会的入院がかなりいる)という点でしょう。そして所謂健常者を含め、ほとんどの市民は百科事典的業績とは無縁なのですから、治療の現状を例示するために百科事典的業績を挙げた人々を列挙していくのは、問題の本質からはいささか外れているのです。--NekoJaNekoJa 2006年4月16日 (日) 07:08 (UTC)
折角なのでもう少し議論しておきましょう。ADHDでも著名人リストが載せられたことがあります。偏見を持つ人達でもこの種の障害が「子供の頃からかかるびょうき」程度の認識はありますから、ADHD、LD、アスペルガー症候群といった障害を持つ著名人のリストは、即、「障害を克服して/障害に合った活動を通じて」大きな業績を残した人のリストになります。同じ障害を持つ人にとっては励みになりますよね(挙げられた本人への偏見は別問題として)。もっともこちらの一覧は結局削除されました。その主な理由は本人への偏見問題と、診断名にあります。ある人が自閉症スペクトラムのどこに属するか、正確な診断名を外部から知るのは困難ですから(例えば純粋なADHDと診断することを考えて下さい)。--NekoJaNekoJa 2006年4月16日 (日) 08:52 (UTC)
思うに、Neurolepticsさんがまずすべきなのは病跡学の充実ではないかと。私のような無学なトーシローですら若い頃に宮城先生の岩新を読み、漱石にいろんな病名が割り当てられている程度のことは知っているわけですよ。現状の病跡学はなんとも貧弱です。病跡学の成果として、偉人の名前や推定された疾患名を挙げる分にはこれ程の抵抗はないはずです。内容以前に、このままでは流行りの定期削除のターゲットにされかねません。--NekoJaNekoJa 2006年4月17日 (月) 03:58 (UTC)

さて、問題自体からは離れますが、User:Neuroleptics氏は当該部分を削除された際、何度も差戻しされています。その時に削除は「悪戯」であると称しています。ここで議論が進行中であるのにも関わらず、です。これは実質的な対話拒否ないしは罵倒に当たるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。--NekoJaNekoJa 2006年4月12日 (水) 08:49 (UTC)

議論中にもかかわらず勝手に削除すれば結論が出てない以上悪戯でしょう。議論中にもかかわらず削除する方こそ「実質的な対話拒否ないしは罵倒」では?逆じゃないですか?Neuroleptics 2006年4月12日 (水) 12:30 (UTC)
それはその通りです。ただしそれでも「悪戯」はいいすぎです(議論が始まる前からNeurolepticsさんは頻用されていますが)。また誰の靴下とも知れないIPユーザに声を掛けても無駄でしょうし。なんでしたら保護を申請されてはいかがでしょうか。--NekoJaNekoJa 2006年4月13日 (木) 03:55 (UTC)
対話もなく、何度も削除するのは悪戯だと判断されても仕方ないと思いますが。それと、保護の申請には賛成。--道路N 2006年4月13日 (木) 05:12 (UTC)
議論が始まる前であっても、削除する場合、削除理由のコメントがなければ悪戯ですよ。既にWikipedia:進行中の荒らし行為で警告済み、Wikipedia:投稿ブロック依頼 2006年4月でブロック依頼済み。もう少し様子を見てから、半保護には賛成Neuroleptics 2006年4月14日 (金) 20:15 (UTC)
これは失礼しました。私が履歴を見誤っていました。一応現在の所、IPのリバートは止まっているようですが、また出てくるようでしたら、半保護に賛成します。--NekoJaNekoJa 2006年4月16日 (日) 08:52 (UTC)

「統合失調症に罹患したとされる著名人」の削除

編集

意見交換が停止してから3週間が経過したこと、Neuroleptics氏以外に反対を申し出る方がいなかったことを以って、「統合失調症に罹患したとされる著名人」のリストを一旦削除いたします。当該項目のrevertに際しては再び編集合戦とならぬよう、事前にこのノートで再度議論を交わし、双方納得のいく結論が出てからにしていただくようお願いいたいます。

特に、

のようなケースは再掲しないよう強く求めます。

疾患が社会的影響を及ぼしたと考えられる人物については、Wikipedia:ウィキプロジェクト 病気にもあるように、単なる列挙ではなく、当該疾患が社会的にどのような価値を持つのか分かるように記述していただければと思います。Canadie 2006年5月10日 (水) 15:59 (UTC)

    • まず、議論する場合はマナーだと思いますので署名をしてください。上記Canadie氏の意見陳述には署名がなかったので私が追加修正しておきました。さて、本論にはいります。ウィキペディアのノートでの議論に期限があるというのは一個人的な見解にすぎずルールではありません。「~著名人」の削除に私Neuroleptics以外反対しなかったというCanadie氏の説もノートを全て読めばわかるとおり正確な事実ではありません。221.184.73.230氏も削除しないよう求めています。(あるいはあまりに削除の議論根拠が馬鹿馬鹿しいので反対しないという方もおられるかもしれませんが。)Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの記述にあるとおり、ウィキペディアは演説場所ではありません、もしくは独自の調査結果の発表の場ではありません。出典が明白でないような情報に基づいて編集すべきではありません。「統合失調症に罹患したとされる著名人」の最終版は全て出典が明記されていました。しかし、Canadie氏の削除すべきとする根拠とする上記の「自説」にはそもそも出典がまるでありません。仮に諸説あるとするならば、出展を明確にして併記するべきであって削除の理由にはそもそもなりえません。そもそも「科学」あるいは「医学」とは有力あるいは定説とされている仮説以上でも以下でもなく、絶対これが正しいというものは、とくに精神医学のなかではありえません。もし、仮に仮説であり諸説あるというだけの理由で削除が可能になるのならば「ドーパミン仮説」すら削除対象になってしまいかねません。以上の合理的な理由から議論は依然継続していると推測されるので、記事をCanadie氏の個人的意見の入った削除編集を元の記事にrevertさせて頂きます。念を押しておきますが議論は依然継続中です。個人的見解で勝手に結論めいたものを出さないでください。Neuroleptics

署名の件、失礼しました。まず「統合失調症に罹患していたという確証のない人物」については確かに出典を明記していませんでしたね。しかし、Neuroleptics氏の挙げられた出典からも「有力あるいは定説とされている仮説」とする根拠に足るとは思えません。少なくとも宮城氏の「天才」は40年近く前に書かれたものであり「現在有力な仮説である」という根拠には到底なり得ません。ゴッホについてはen:Vincent van Gogh英語版にて、諸説あるが未だ何の病気だったか判明していない旨が詳細に書かれています(当時、150人の医者にかかり、30の病名がついたというエピソードもあり)。en:Vincent van Gogh's medical conditionは「There is no consensus on the medical condition of Vincent van Gogh. Many competiting hypotheses have been put forward.」と断じています。この一点を取ってもNeuroleptics氏の挙げている「出典」がいかに不確かかが分かります。

「疾患と社会的活動に重要な相関がないと思われる人物」については該当項目、あるいはその英語版を参照して下さい。エドアード・アインシュタインについては、彼は一般人ですのでとりあえずこの項目だけは急ぎ削除させて頂きます。

編集合戦になるのでとりあえず他の項目はそのままにしておきますが、大切なのは「統合失調症が社会的にどのような価値を持つのか」を記述することであり、単なる列挙は百科辞典的でない上、有害となりうるという点です(以前の議論やWikipedia:ウィキプロジェクト 病気参照)。列挙をやめ、例えばルイス・ウェインのような例を取り上げ、統合失調症が社会的活動に与える影響について論じることを提案します。ご意見お待ちしております。Canadie 2006年9月1日 (金) 07:16 (UTC)

で、リスト形式はやめて統合失調症と文化のかかわりについて文章を起こしてみました。リストのものはなるべく残すようにしましたが、「統合失調症発症によりキャリアを終えた例」は削りました。これ、「疾患が社会に価値を持った例」ではないでしょうし、患者の励みになりませんよね。根拠が薄いのに統合失調症と作家活動の関わりを取り沙汰される例としてゴッホを挙げました。夏目漱石やストリンドベリも同様の例と言えますが「相関がはっきりしない例」なわけですから一人で充分でしょう。Canadie 2006年10月1日 (日) 05:34 (UTC)

アリピプラゾールについて

編集

治療についての部分で、アリピプラゾールに対して、評価が高すぎる印象がありました。中立的な立場からすると、まだわが国での評価は定まっていないので、これまでの非定型抗精神病薬と同等の扱いでよいのではないでしょうか。それと、ジプレキサ・セロクエルによる高血糖・糖尿病の問題など、非定型抗精神病薬にも問題はあります。また、アリピプラゾールは、維持量上限で1日薬価744円という、恐るべき高薬価の薬物です。最大量では、セロクエルの方が高いのですが。こうした問題にも触れて置いた方がよいのではと思いました。このような観点から加筆しました。--Amati 2006年10月1日 (日) 03:19 (UTC)

疫学について

編集

疫学の「母体妊娠中のインフルエンザ罹患や大きなストレス・産科的合併症・冬生まれ・子供のときの家ネコへの曝露やトキソプラズマ症などは、わずかながらも有意に統合失調症発症リスクを増加させる。」という記述について。具体的な情報源(医学的な検証がされているサイトや医師が記述しているサイト)を個人的に検索してみた結果、「子供のときの家ネコへの曝露やトキソプラズマ症」を挙げているサイトは見当たりませんでした。確かな情報なのか不明なので、「子供のときの家ネコへの曝露やトキソプラズマ症」のみ削除するか、要出典や未検証のテンプレートを貼った方が誤解を招かずに済むと思うのですが、ご意見を聞かせて下さい。また、医学的に検証されている情報源を知っている方がいましたらご指摘お願いします。-- 2007年6月16日 (土) 17:11 (UTC)

追記:「母体妊娠中のインフルエンザ罹患や大きなストレス・冬生まれ」については2005年時点でとある精神科医さんがリスクを増加させるものとして挙げています(統合失調症のリスクにはどんなものがある? - [心の病気]All About)。-- 2007年6月16日 (土) 17:26 (UTC)

「子供のときの家ネコへの曝露やトキソプラズマ症」をリスク増加として挙げている海外サイトがありました(Avoiding Childhood Exposure to Cats with the the T. Gondi parasite may reduce schizophrenia risk - schizophrenia.comPregnancy, Cats and Schizophrenia - schizophrenia.com)。このサイトの日本語訳では「精神分裂症を開発する危険を高めるかもしれないことを示した。」というものです。追記にあるAll Aboutでの記述は「統合失調症のリスクとしてよく知られていること」としてあります。前者は「かもしれない」という断定はできないがその可能性を否定することもできないというニュアンスであるのに対し、後者は「よく知られている」ということから前者に比べて断定度は高いと思われます。この二つの記述をまとめて「母体妊娠中のインフルエンザ罹患や大きなストレス・産科的合併症・冬生まれ・子供のときの家ネコへの曝露やトキソプラズマ症などは、わずかながらも有意に統合失調症発症リスクを増加させる。」とするのには無理があると感じます。
そこで、反対意見がなければ以下のように記述を改めたいと考えています。
「冬生まれや都会育ち、出生時の父親の年齢が高い、母親が妊娠中に風疹に感染する、妊娠中のストレスが多い、マリファナを使用する(始めた年齢が低いほど)等はわずかながらも有意に統合失調症発症リスクを増加させるものとして知られている[1]。また、リスクを増加させるとは断定できないがその可能性を否定することもできないものとして、子供のときの家ネコへの曝露[2]やトキソプラズマ症なども挙げられる[3]。出生国による罹患率の違いも見られる[4]。日本は約1%で世界的には平均レベルなのに対し、アイルランドでは統合失調症の罹患率が約4%と高率である。イタリアは比較的少なく、オーストラリアの上に位置する熱帯の島パプア・ニューギニアではほとんど見られないという。」
上記ではrefの動作ができていませんが、その部分に出典先を載せる予定なので明記しました。引き続きご指摘ご意見等ありましたらお願いします。-- 2007年6月17日 (日) 07:48 (UTC)
ご指摘ご意見等がなかったので、前述の通り本文を修正しました。-- 2007年8月9日 (木) 01:54 (UTC)

冬生まれや都会育ち、出生時の父親の年齢が高い、母親が妊娠中に風疹に感染する、妊娠中のストレスが多い、マリファナを使用する(始めた年齢が低いほど)等はわずかながらも有意に統合失調症発症リスクを増加させるものとして知られている

の部分ですが出生時の父親の年齢が高いに疑問在ります。 宮崎勤はねずみ男を見たと病気の症状を言いますが妹2人は正常です。 松本昭夫著、精神病棟に生きて を読むと七人兄弟の長男で本人と次男が精神病で弟と妹が正常とあります。またゴッホは長男で精神病で弟は仕事をしていたとあります。 知人に3人兄弟の長男が精神病で次男三男は正常で大学を普通に卒業して仕事をしているのを知っています、 事実なら逆で男が若すぎて病気になる子供が産まれることになります。削除してよろしいですか. 例えば宮崎勤が東京生まれだから東京生まれは犯罪のリスクがあがるという表現は偏見です。 むしろ男は早過ぎの結婚が危険です 田中角栄は長男早死に

夏目雅子(女優)は27才で白血病で亡くなっているが父宗ーが20才のときの子

参考      >アリストテーレス第5巻 多くの動物では精液の分泌が始まってもそれと同時に生殖力があるわけでなくずっと遅れるということである、 若い者の精液には生殖力がないし、あったとしてもうまれでる子普通よりもよわくて小さいのである. この点ではっきりしているのは人類や胎生動物である

発症の環境の出典についてですが、[1]などを見る限り、精神医学について正しい知識を持っている方とは思えません。また、情報源・統計について全く記述がありません。検証可能性が極めて低いため、当該項目を削除いたします。--Canadie 2007年9月4日 (火) 17:59 (UTC)

AllAboutの記事を元に記述した者です。まずはwikipedia:査読依頼をされてみてはいかがでしょうか。-- 2007年9月9日 (日) 17:21 (UTC)
ページ冒頭にテンプレートを貼りました。他の方の意見も待ちましょう。-- 2007年9月9日 (日) 17:44 (UTC)
ども。召喚に応じて参上いたしました。WikiBrake中で、時間無いので、ざっとしか読んでないので勘違い等ございましたらご容赦願います。また、疫学はサポート外の知識なので、あくまでWP的な見地からなので。
特に統計がないからといってそのものがReferenceとしてまったく意義のないものとは感じられない。しかし、それが本当に正しいものかどうかは記述した方の責任であり、それが虚偽である(若しくは著しく疑わしい)ことがわかればDELすべきであると感ずる。どちらにせよ双方が自主張の正当性を明確化することが第一であり、それを元に話をしなければただの論争に終わるだけです。
出せるだけの根拠を示し、WP:CIVWP:NPOVWP:FAITHを忘れずに、のんびりとやりましょう。 --Lonchi Awotsuki** 2007年9月14日 (金) 10:32 (UTC)
私の意見としましては、Lonchiさんのご意見(「特に統計がないからといってそのものがReferenceとしてまったく意義のないものとは感じられない。しかし、それが本当に正しいものかどうかは記述した方の責任であり、それが虚偽である(若しくは著しく疑わしい)ことがわかればDELすべきであると感ずる。」)と同じです。記述が疑わしいのであれば削除が望ましいと思います。それから、疑わしい記述があったからと言って突然削除するのではなく、査読依頼やノートで第三者の意見を求める等の手順を踏んでいただきたいと感じました。
Canadieさんの主張と編集方針を今一度確認させていただきたいと思います。「1.医学的にも正しい知識が見受けられない」「2.情報源・統計について全く記述がなく、検証可能性が極めて低い。」という理由から削除されたとのことですが、
Q1.どのような基準で出典先の精神科医を正しい知識がないと判断しているのでしょうか?
Q2.編集人側が出典先に情報源を求めるのは限度があるように感じますが、これについていかがお考えでしょうか?-- 2007年10月2日 (火) 22:38 (UTC)

件の記述を2年ほど前に加えた者です。私が出典を書かなかったばっかりに、いつのまにか空論が膨らんでしまったようです。さんには、わざわざAll Aboutなどで調べていただき、微妙な修正もしていただいて申し訳ありませんでした。宮崎勤やゴッホなどの「具体例」を挙げて「疫学」の研究結果の信用性を論じてしまう(!)疫学素人の方も出てこられ、混乱しかけているようですので、出典つきで件の記述を再現しておきます。

また疫学では、「リスクが増加する」「リスクが増加するかもしれない」の線引きは主観です。どちらも有意にリスクが増加するという優位な疫学データがあります。調査対象数や研究数の多さに違いがあるようですが、その線引き基準は個人の主観が決め、普遍合意があるわけではありません。この線引きの基準の是非を「客観的に」示すことは不可能に近いと思いますので、面倒な問題を避けるために客観的に述べる場では、線引きはすべきでないと思います。現時点で「リスク増加」の疫学データが優位なら、単純に「リスクが増加する」と言わざるをえないわけです。もともとリスクというのが「非全数」調査の統計的概念である以上、やむをえません。ただどうしてもしっくりこない場合は、「リスクが増加するというデータがある」との記述にしてもいいかとは思います。

ちなみに現在、トキソプラズマ感染で統合失調症罹患リスクが増加するという疫学データが次々と現れており、その関連がちょっとしたトピックになっています。現在の興味は、それがウイルスの直接効果によるのか、それとも抗体による間接的な効果なのか、といったメカニズム自体に移りつつあります。--Mega stride 2007年10月27日 (土) 02:30 (UTC)

出生時の父親の年齢についての原論文が見つかりましたので、再記述しました。
あと、国による罹患率の違いですが、調べてみたところ、、、かなりの議論があったようです。中でもアイルランドの高い罹患率は研究者の興味を大きく引いたらしいですが、診断基準の問題や、飢餓・やむなき移住などの大きなストレス下にあった、などの問題が提起されていました。結局は結論が出ていないのですが、罹患率に地域差があるという確たる証拠は今のところはないようです。1990年代までの文献によると、アイルランド人は他民族よりも精神病にかかりやすいと思われていたそうです。いやはや。
なお、貼られたテンプレートは除去しました。--Mega stride 2007年10月28日 (日) 11:02 (UTC)

収束して良かったです。Mega strideさんの具体的な補足とLonchiさんの第三者的なご意見に感謝いたします。-- 2007年11月8日 (木) 19:48 (UTC)

IP氏(OvercameTheWise1000)の投稿について

編集

IP氏が投稿した「医療と支援への、評価及び問題点と注意点」の節。([2]) 内容的にうなづける部分もあり、また共感する所もありますが、これはエッセイです。私の知っている範囲ですと、フーコーという哲学者や、Anti-psychiatryといった言葉の周辺に、こうした問題を論じた文献が多数あります。--Was a bee 2007年10月27日 (土) 14:27 (UTC)

218.217.221.240さんにより、方針に反する個人的意見が出典もなく繰り返し加筆されるため、3ヶ月の半保護(2008-01-29T08:22:35 に解除)をかけました。218.217.221.240さん、ウィキペディアでは対立する意見があれば、出典を示した上で両論併記することになっています。Wikipedia:中立的な観点などウィキペディアの諸方針をお読みの上で、書かれた内容に関する出典として信頼できる情報源を提示できる場合は、ここでお知らせください。また他の編集者の皆様には、218.217.221.240さんの加筆の中で項目に組み込める情報があれば取り入れていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。--miya 2007年10月29日 (月) 08:44 (UTC)


IP改め、OvercameTheWise1000です。

*破滅的でなく建設的な態度になりましょう。感覚戦法が成り立つのは、自然と向き合う世界だけです。


まず、当方の立場を明らかにします。

・統合失調症と診断された当人です。(当人側:誤診であり医療過誤である、医療側:病識がない)

・2回の取り消された診断の後、更に診断を2回される(今後、取り消し請求を予定)。

・精神医療による損害が甚大。

・精神医療を無視し、科学的独自研究の結果によって完治(ただしその独自研究を論ずるつもりはない)。

・”独自に完治した成功原理”により、”全くといって完治(寛解と仮病は除外)した患者のいない精神医学”以上の態度を示す。

・精神医学は家電製品の説明書ぐらいの物で取るに足らない物と考えている。また、医学・医療職に興味もない。医師の脳内は精神医学の1/3程度しかない。

・気構えとしては、日本で統合失調症と診断された当人達の中で最高レベルと見て良い。度量はあるから、正論であれば受け入れる。

・記述内容を肯定または否定された所で、私自身に貢献するものではない。火事の通報に似る、気遣いである。

・精神医療が否定されても、不毛な仕事を辞めて転職すればいいだけだから、それらを攻撃とは思っていない。教育・指導・しつけである。

・共同論文の”最後尾記名”だけで取得できる様な、医学博士号などの学士の価値に疑いがある。

・人間的にマトモかどうか、正しく判断できる為の理性・知能があるかどうか、専門性はどうか、について判断されない医師免許(保険医)の価値に疑いがある。

・精神医療関係者とは統計的に、まともに話すような相手ではないと考えているが、今ここでは再確認する姿勢である。

・これ以上の情報はプライベートに影響を与える可能性を考慮し、控える。

そちら側も立場を明らかにしてください。真意を知る必要があります。


フーコーや反精神医学(Anti-psychiatry)に関して私は否定的で共感できません。

当然調べた事はあり、これらは御取りか罠にしか成り立っていないと感じます。

なぜなら、医療の為の政治的な詐欺の一環の可能性もある、悪印象と出来の悪い内容であるからです。

つまり当方は、フーコーや反精神医学とは別の領分として考えてください。

粗探しから始まるのでなく、”医療に逆らった事による障害の完治”が原動力となっているのです。


良識ある態度で書けば普通は問題が発生しないと思ったのですが、この言葉は警戒が厳しいようです。

確かに問題であったと、こちらも認める部分としては、

・出典が必要ないまでも、情報源(当人)に検証可能にしなければならなかった事。

・障害年金を”クソ”と呼んだ事に始まる、棘のある表現。

しかし、本当は成否はともかく、本業の人が嫌だから何とかしようとしているのでしょう。

そして、医療と管理する行政にとって脅威の存在が表面化しない様にしているのでしょう。


一応言っておくと、当時見ても、今見ても、あれは”エッセー”ではありません。

”個人的観点”にならないように配慮してある事は、末尾に「考え方の1つ」と記述した事からも明らかでしょう。

そもそも、あれは”統合失調症”の記事中の、反論の”一項目”であり、他の医療側の記述を排除・削除した訳ではありません。

両論の片側を担当したという事なのです。

”意の赴くまま”でもなく、現象を大局的に見て要所を押さえて書いてあります。

こちらからも言えば、あなた達の意見/出典/参考文献は”ゴシップ”です。

つまりこれは、”エッセー呼ばわり”と、”ゴシップ呼ばわり”の議論となります。


学問について述べているのでなく、病気の情報です。

診断された当人の情報であるのだから、当人には権利があります。

つまり、意見が事実であり、出典の必要がありません。

誰からも事実として認識される記述は出典の必要がありません。利権の集合体の思惑は関係ありません。

第一あれは、理論や学説ではありません。評価と注意点です。

普通に考えた内容というのは、出典・参考文献が必要になる様なレベルに達していません。

公的な制度の検証には、出典・参考文献までもは必要にはなりません。各機関に問い合わせるだけです。

医療機関の疑惑の検証には、出典・参考文献までもは必要にはなりません。医療機関を調査するだけです。


仕事の空き時間が出来次第、「統合失調症」の項目の出典・文献について検証可能かどうか調べます。

検証不能であった場合、あるいは信頼できないソースであった場合、その情報が入手できる状態になっていない場合、

可能な環境が整いしだい修正・削除します。



ウィキペディアの「基本方針及びガイドライン」に照らして考えを述べます。


Wikipedia:中立的な観点


1.履歴中、はずみで”意見”と呼んでしまいました。意見でなく内容に訂正です。>

(米国原文) 【「A simple formulation」 Assert facts, including facts about opinions-but do not assert the opinions themselves.】

(日本版訳) 【この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな】

(自分の訳) 【「簡素に表現するならば」”意見らについての事実群を含んだ、事実群”を主張しなさい--だが”意見らによる意見ら”を主張するな。】

要するに、”意見性を抑制して減らし”、”事実性を強化して増やす”、事を推進したいという唯それだけの意味です。

厳密には、文以前に書かれた詳細な記述を用いよ、という事です。


2.対立する意見の事実も述べる事ができなければいけません。常に肯定的で好意的な形にするべきです。>

”ですが、ウィキペディアの中立性のポリシーについて、それは事実だけを記述し意見は控えるというものだと言うだけでは不十分です。ある意見についての事実を述べる時には、その意見に対立する意見についての事実を述べ、かつ、それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せずにおくことも重要です。”

”もしも論争についてフェアに説明するのであれば、競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべきです。多くの記事は、対立する見方について紹介しつつも、特定の見方を支持するものになってしまっています。これは失敗です。”

”事実上特定の立場の推進のために書かれる形で始まり、その後、全ての立場を明確に、好意的に提示するように心がけている人々によってきれいに仕上げられることになった記事のサクセスストーリーはたくさんあります。”


3.仮に疑似科学ですら書いても良いのです。>

”むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。”


4.即削除するのはいけません。>

”われわれの多くは、ある記述が偏った見方から書かれているという事実だけでは、その記述を即削除してしまう理由としては不十分だと考えます。もしもその記述が完全に妥当な情報を含んでいるなら、それを活かすべく編集されるべきで、削除されるべきではありません。”


5.訂正で応じるよう訴えた事から判る様に、変更・改良をする姿勢でやっています。変更する可能性がある内に記述を本文から消すべきでありません。そして、完全に削除するのはいけません。>

”時折、特にほんの少数の人しか知らないトピックについて、ある主張が真実なのか、あるいは有用な情報なのか、を判断するのが難しい場合があります。このような場合、ノートのページで疑問を提起するといいでしょう。もし偏った記述を投稿した人が今後その記述を変更することがないだろうと考えられるのであれば、その記述を本文からは消してノートのページにコピーするという方法をとってきました。(ですが、完全に削除するという方法はとりません。)しかし、この方法は、多かれ少なかれ最後の手段として用いられるべきであって、決して、偏った記述をした人への罰のように行われるべきではありません。”


Wikipedia:検証が可能


6.「統合失調症と診断された当人自身」(情報源自身)に関する記事においては、情報源として使用する権利がある。>

”自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。例えば、 Stormfrontのウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、第三者によって公表された信頼できる情報源と矛盾していない限り、Stormfrontについての記事においてStormfront自身に関する情報源として使用できます。”


Wikipedia:独自研究は載せない


7.用語を定義した訳ではない。「初級妄想・精神医学混乱症候群」とは例えただけである。>

「独自研究と認定される編集」の1つ  ”* 新しい用語を定義する。”



最新版を書きます。しかしまだ改良途中です。

明らかに出典が必要な事が判明した場合、以下の文章は削減と調整をする事になります。


==《当人による》 医療/支援への評価と注意点 ==(先頭)

まず、人生を狂わされ大損害を受けない様に、日本の医学・医療の「詐欺」を疑うのは必要である。ノウハウ自体の間違いに関して、「詐欺」だったからといって後で裁判で正しい判決が成されるとは限らないし、金では償えない多くのかけがえのない物事の為には、事前に対処しておかなくてはならない。危険を感じたら、話す必要もなくその場からそっと逃げると良い。本人が本当は病気でなかった場合は、医療が復帰行動を著しく妨げるので注意しなければならない。精神医療側の情報を幾ら読んだところで、利権を持つサイドの偏見だけ(総じて薬などの金が儲かる意見)であることに注意が必要である。医療過誤情報が一切公開されない所は不健全さが免れない。精神科の場で善良・合法な状態で正論を続けても、覆す事なしに多くは反論が一切無しで、非科学的で非論理的な独裁で確定してしまう重大な欠陥構造が、現在も稼働している。医師の職務上の意見に、本人の職務外でする意見を訂正能力機構として機能させるのは立場的に不利があり、釣りあわないのは自然な事である。精神医療側は、確信犯により平気で嘘をつき治療に引きずり込む意図があるので少しも油断できない、そして態度の悪い事で著しく気分を害してくる。何でも曖昧にし、本人に意味や情報を与えない事による医療の危険性への不安を発生させたまま、インフォームドコンセント(納得と同意)を達成しない。特に、薬の副作用について何も説明がないので、あらかじめ副作用情報について念入りに調べておく必要がある。空虚感により老婆心旺盛になっている身辺の人間をだまし、周囲から拗(こじ)れて当人が医療に引きずり込まれないように、警戒する。医療側の偏執狂的な姿勢は「初級妄想・精神医学混乱症候群」と例える事ができる状態だ。

精神医療側は、体外的要因であるという着眼点を黙殺してしまっている。統合失調症で考えると不可解なそれぞれの症状について、体外的要因を投入すると…”あら不思議”全てつじつまが合ってしまう。『前駆症状』は、一般認識を超えた異常事態の時の健常な混乱状態と一致する。『陽性症状』は、真実かどうかは別として自分の答えを見つけた状態と一致する。『陰性症状』は、(医療により)損害をこうむった時の状態と一致する。『コミュニケーションの障害』は、有害な人間から逃れなければならない時の状態と一致する。『家族やまわりの人に気づかれる症状』は、病気の状態を痴呆・アルツハイマーと想定してしまっている事による「当てはめ」と思われる。『統合失調症の後遺症(生活障害)』は、悪質な医療によって”グレ”ている時の状態と一致する。これらの一致は、偶然には見えない。また、異常な様子=精神病ではない。異常な様子の原因となりうる物は沢山ある。例えば「強制・誘導」「偶発」「勘違い」「理にかなった行動であるのに1つの側面だけを見て、観察者が誤解」「異常事態に、異常で対抗する必要性」「故意」「本当の異常」が考えられ、固定観念や先入観により”知ったかぶる”のを止めるべきである。

今や脳イメージを分析できる技術を備えた現代において、最も解明が優先されうる精神病仮説に関して不自然にも未だに、「原因はまだはっきりわかっていません」と言っているままであるのなら、精神医療側は危機的状況にある者になおさら干渉する資格がないというのが良識であるだろう。”医療機関行き”が唯一の答えという論説は頭がどうかしている。そして体外的要因の説では「原因も回復方法もはっきりわかっている」のだから、何を迷う問題が残っているのだろうか?原因不明の医療の創始者よりも理性と知能の高い非医療専門家は当然居るのだから、その意見が優先されなければならない。

新しい良い薬があると言う割には完治する事はなく、緩解(寛解)するだけという。改善時期は数十年後の様な遠い未来だという。薬を飲んで悪化しても、薬を飲まないで改善しても、気にも留めない。そもそも、現在主流となるSDA及びMDAと呼ばれる抗精神病薬は、侵蝕的に脳を鈍らせ、良くも悪くも能力低下させる事が目的の薬である。このように、医療は矛盾に満ちているが、医療過誤の責任は取らずに、責任転嫁するのが慣習となってしまっている。薬による『症状悪化』の例としては、肥満、性欲のある性不能、性格悪化等がある。医療による『損害』の例としては ”金・気力・体力・時間・職・経歴・名誉・イメージ・生活の明るさ・安心・勢い”の悪化、人生観の狂い、機会のとり逃し、周囲人間の態度悪化、他人の過失を助長等がある。

入院中は、法律の例外事項を悪用して、拘束しながら静かに人権を侵害する可能性がある。監視カメラ付きの便所の様な隔離室に閉じ込められて出られなくなる事もあるだろう。その時には、要求を訴えるのは1日に数回くる”馬の耳”の様な見回りにであり、自由が失われ不快な不便を強いられ追い詰められる。厄介者は悪く扱われる関係上、レッテルを貼られた当人を閉鎖病棟に閉じ込めても誰も文句は言わない。閉鎖病棟に閉じ込めて、医療側は優位状態によって”支配気分”となっている。「治療へ協力的かどうか」と称して脅迫によって強制的に薬を飲ませる。そして、入院者に対するいじめを教育・指導だと思って肯定している。当人がいくら「治った」と訴えても、普通にしていても、退院できるわけではなく、退院を促す気も無く、病気の疑わしい症状が見られないか常に目を光らせ、度々人を試してくるだろう。

『自立支援医療(精神通院)』という物があり、自己負担額が原則医療費の1割(それでも約数千円/月)となる。『障害基礎年金』という物があるが、まるで障害者の証明であり、まるで”養ってくれる皆さんのお陰”かの様であり、医療の誤った対処をまるで正しい事かの様に装う作用を持ち、まるで税金の無駄という意味の引け目が存在し「金を恵んでやっている」様な社会保険庁の言い回しもあり、これはその様な物と引き換えに受け取る”shityな金”だと釘を刺しておく必要がある。健常者として働いていたら手に入る金額に比べ、支給金額は最低限度額である。働けない状態であったとしても、障害者という経歴の痛手に対して、シケた年金支給金である。他の保障制度として、『精神障害者保健福祉手帳』はメリットがありそうになっているが、金額的に言ってみればつまらない金額である。必要のない物が、100円や200円安くなるだけの話であり侘(わび)しい気分になるだけである。割引に飽きれば必要がなくなり、その後1円も得にならない。価値があるのは「税金の控除」であるが当人の税金ではないので、少しでも負担を楽にしたい扶養者の為に手帳を取得するか、当人もろとも扶養者が一連の責任を取って全額支払うべきとして手帳は無用か、と言う事になる。後は、扶養者の有無を併せ、資産や能力等を活用しても、どうしても困窮な場合には『生活保護法の適用』による最低限度の生活の保障がある。

社会復帰の支援においても目が当てられない状態であり、『公共職業安定所(ハローワーク)』では一般雇用から障害者雇用に切替が行われ、正規社員としての就労を一切不可能にし、「パート・アルバイト・(パートとほぼ変わらない名ばかりの)契約社員」だけ残し、条件・待遇等まともな仕事が全くないので”憲法上の職業選択の自由”も無く、当てにならない。『精神障害者通所授産施設』での就労は、平成18年度の工賃(手当て-利用料)の全国平均は月額1万2222円(厚生労働省調査)であり、4年前(授産施設の全国組織による調査)と比べ約3000円低下しているらしい。『精神障害者小規模作業所』での就労は、利用料が手当てを上回る事態らしく話にならない。『その他の社会復帰支援』でも無駄な相談・訓練・リハビリテーションをするだけの事で、斡旋を行わない為全く意味がない。『デイケア』も窮地に立たされた人々と一緒に価値が無い内容をするだけである。『障害者雇用促進法』【雇用義務制度】…障害者雇用率=民間企業(1.8%)、国・地方公共団体・特殊法人等(2.1%)、都道府県等の教育委員会(2.0%)に相当する人数の身体障害者・知的障害者の雇用を義務づける。精神障害者(手帳所持者)については、雇用義務の対象ではないが、各企業の雇用率(実雇用率)に算定することができる。【納付金制度】…”常用労働者301人以上の事業主の場合”は、障害者雇用納付金(雇用率未達成事業主)不足1人月額5万円徴収、障害者雇用調整金(雇用率達成事業主)超過1人月額2万7千円支給、”常用労働者300人以下の事業主の場合”は、報奨金制度あり(超過1人月額2万1千円支給)。【在宅就業障害者支援制度】…在宅就業障害者に仕事を発注する事業主に対する特例調整金・特例報奨金の制度がある。公開情報内では算定式や数値について不明な点がある。しかしこれを見る限り、事業主は障害者を雇うよりもまだ金を徴収された方が安全かつ有利としか言いようがない。煩雑になった道筋で甚振られる余計な負担によって、良い解決手段が用意されているかの様に見せ、下手に「希望」を見せようとするから、可哀想な事に、もはや当人達には限界が訪れているのが予想される。 

”厚生労働省の統計データ抜粋”

精神障害者全体302.8万人(平成17年 患者調査)の内、雇用者数1.3万人(平成15年 障害者雇用実態調査)、実雇用率1.52%(平成18年6月1日現在)、5人以上規模企業1.3万人(平成15年障害者雇用実態調査)、56人以上規模企業0.2万人(平成18年障害者雇用状況報告)。 激変緩和措置として、平成16年4月1日からの除外率の10%ポイント引き下げにより、除外率相当労働者数が増えた結果、障害者雇用率が減ってしまっている。

進学・職・結婚について、発想の転換だとか頓知によって、気休めな意見に走らないのが身の為である。普通に考えれば、少しでも不審な点があれば不合格・不採用・拒絶するのが現実の社会であり、ましてや精神病では論外である。健常者の一般雇用ですら”職”がないのに、障害者雇用にまともな” 職”がある訳がない。これらの問題は医療側にとっては本末転倒であるから、それこそ確信犯的に嘘幻で包み隠そうとする願望と意図が強く表れる。廃人となった人間というのは転機を求めてしまうもので、自分を失わないよう気をつけるべきである。

以上の様に、異なる考え方が同在する事を理解し、自分で真実を見極めよう。

==《当人による》 医療/支援への評価と注意点 ==(末尾)

OvercameTheWise1000 2007年11月3日 (土) 15:07 (UTC)

差し戻し報告

編集

先ほどの編集除去差分について、「原因」の除去が、特定の説に偏向しているわけでもなく、複数説を併記しているなど、Wikipedia的にも問題ないように思えたので、「原因」節内の編集除去を差し戻してあります。「統合失調症と文化」についてはとくにどちらという意見はありませんが、いずれにしても節レベルの除去であれば、ノートにて議論を経てからの記述除去としてほしいと思い、一旦差し戻しさせていただきました。ということで、除去理由について記載いただきたく存じます。--NISYAN 2008年6月8日 (日) 08:42 (UTC) 日本語としておかしな点を修正 --NISYAN 2008年6月9日 (月) 10:42 (UTC)

すぐ上の項が視認することができないようでしたら、志願的に退いて頂けませんか?--218.217.209.72 2008年6月12日 (木) 12:26 (UTC)

回答は下の節で。後、この節の差し戻し報告はOvercameTheWise1000さんの編集への差し戻しを指しています。なので確認ですが、IP:218.217.209.72さんはOvercameTheWise1000さんでしょうか?(同じ人だったら、OvercameTheWise1000さんの編集への差し戻しの段階でノートにコメントいただきたかったなと、少し悲しく思うだけで、それ以上どうというつもりはありません。)--NISYAN 2008年6月12日 (木) 13:16 (UTC)

ええ、上は、わたしです。--OvercameTheWise1000 2008年6月12日 (木) 14:39 (UTC)

差し戻し報告(2008年6月12日)

編集

本日の、IPさん(218.217.209.72)による編集の目的地が全然見えないこと(上から順に修正しているわけでもなさそうですし、大きな修正の修正ミスを後追いで修正しているわけでもない)、「統合失調症と文化」の編集差分が破壊的に見えたことを理由に、最終どのように修正する予定なのかをノートにて説明いただきたいと思い、一旦差し戻しさせていただきました。ということで、編集の方向性、最終的な編集の目的地をご説明いただきたく存じます。--NISYAN 2008年6月12日 (木) 12:08 (UTC)

すぐ上の項が視認することができないようでしたら、志願的に退いて頂けませんか?

両論述べなければなりません。また、当然法的な人権の侵害を抑えなければなりませんから。医療側の表現が偏執狂的でしょう。

あなたのやる事は全体を一発で差し戻しているだけで、とても誠実なものとは言えた物ではありません。違うIDでまたやるんでしょう?

ですから、読めば直ぐに判る事を説明する必要はありません。まだ他に、何か意見がありますか?

編集の方向性:医師側だけの意見に固執せず、実際人の尊厳を考慮したうえで、サイトの基本方針にのっとって両論のべる。

最終的な編集の目的地:基本方針にのっとる事を配慮しながら、患者の事、社会的な事、その他適切な記述をする。

意図不明な編集がなくなりましたら、削除の乱発を行う事を止めて頂けませんか?あなたは、サイトの基本方針に違反していますよ?

あるいは、問題のある記述の詳細について説明していただけませんか?--218.217.209.72 2008年6月12日 (木) 12:48 (UTC)

ええ、上の項は見えますが、IP:218.217.209.72さんの編集が上の項に沿った編集かどうかは判らないです。判らない理由は小出しの編集だからというのもあります。今なお編集途中なわけですから、今後どう編集し、最終どういう形に持っていこうとしているかなんて、説明いただくなんてわかりませんし。ということでお願いです。要約欄に「ノート議論を反映」とか書いて、一回の投稿(+誤字脱字程度の修正を少ない回数)とか、2~3節単位の数回の投稿で済ませていただきたく。IP:218.217.209.72さんが一回の投稿で済ませているなら編集内容を確認する側も一度ですみますが、ここまで繰り返した投稿をされると、それを確認する側としては大変です。--218.226.14.139 2008年6月25日 (水) 03:52 (UTC)
それでもなお繰り返して小出しに投稿されるのであれば、一度{{工事中}}を貼っていただけませんか?それでしたら{{工事中}}を剥がした後で編集内容を確認しますので。但し、{{工事中}}貼ったまま放置とか、{{工事中}}剥がした後でまた繰り返して編集とかは止めていただきたいです。
後、具体的に問題のあると考えている記述を全然挙げてないと思われているようなので、「問題のある記述の詳細」について、既に挙げている「統合失調症と文化」の編集差分が「編集の方向性:医師側だけの意見に固執せず、実際人の尊厳を考慮したうえで、サイトの基本方針にのっとって両論のべる。」に沿ったものであることを説明いただけるとありがたいです。両論併記っぽい編集には見えなかったので。--NISYAN 2008年6月12日 (木) 13:16 (UTC)
小出しになる理由も、また差し戻し一発で済まされてしまうという理由ですよ。1つ1つの内容にきちんと読んで理解して修正で対応してください、という事です。現に、上の項の返答は成されないではないですか。返答がないのでは話が進みませんから、異議なしとみて本文を編集する以外ないでしょう。こちらも確認するのは大変なんですよ。
>要約欄に「ノート議論を反映」とか書いて、一回の投稿(+誤字脱字程度の修正を少ない回数)とか、2~3節単位の数回の投稿で済ませていただきたく。
>一度{{工事中}}を貼っていただけませんか?
これは、要望という事になりますね。基本方針や法律ではありませんから。なるべく配慮しますが、他の影響力のある修正はノートで議論も無く記述されていますからね…。それこそ”編集途中”なんですから、皆がいきなり書いているのですけれど。差し戻しや削除を乱発しないと約束頂ければ、もちろんそうしますよ。
「問題のある記述の詳細」についての返答ですが、つまり実際人のイメージに影響の強い記述になりますし、社会的地位に関してダメージとなるため、他人が勝手に書いてはいけないという事です。それは、基本方針(情報源)も、それ以上に法的(尊厳や人権)に、問題になります。これでは、患者=(ルイス・ウェイン、高村智恵子、ジョン・ナッシュ、草間彌生、フリードリヒ・ヘルダーリン)の様な偏った集合に見えかねないでしょう。こういう事を研究したのは、ユングですか?そんな人、誰も信じてませんよ。これは、イメージアップのつもりですか?いいえ、イメージダウンです。この場合、「統合失調症と診断された有名人」と書かれるのが一般的です。この病気に「文化」なんて関係ないでしょう?しかも、聞いた事ありませんから、有名人とも書くこともできません。ですので不快のため削除するのです。事実などの内容より上の次元で、蛇足になっているのです。
絵や詩ですか?心理学とか精神分析や精神鑑定にて、面白げにフロイトみたいに性的な問題として”扱いたくて、扱いたくて、我慢ができないのですか?”こういうのは、不愉快なのです。
精神医学や心理学や脳神経科学だろうと、余裕でできる理性的な人間ですよ。誤解を与えるから、無い方が無難という考えです。異論がなければ項目を削除致しますので、削除するべきでない理由をおっしゃってください。--OvercameTheWise1000 2008年6月12日 (木) 15:34 (UTC)
上の項への返信は「今後どう編集し、最終どういう形に持っていこうとしているか」に対する具体的な回答がない(抽象的な回答しかいただけていない)以上、こちらが回答するための判断材料が揃っていないわけですから、どうする(退くとか、意図不明な編集がなくなったから差し戻さないと確約するとか)という回答はできません。OvercameTheWise1000さんの考えている最終形(というと曖昧かもしれませんので、OvercameTheWise1000さんがノートに提案した内容を反映させ終わるという段階の記事、と理解してください)に到達するまでにそれほど時間が掛からないのであれば待って、編集結果を見て判断という方法もありますが、どの程度の時間で最終形に到達しますか?Template:工事中に書かれている、終了予定を記す書き方にしていただけると助かります。
小出しに編集せず、まとめて投稿してほしいという点の方針系文書については、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすがあります。私は、そこに書かれている「『履歴』や『最近更新したページ』を閲覧する時に、同じ人の些細な修正が連続すると、全体の見通しが悪くなり、誰がいつどこを変えたかを見たい時に、手間取ります。」の観点で、まとめて投稿してほしいとお願いしています。
{{工事中}}を貼っては?と言ったのは、上に挙げた「最終形」に達したことが客観的に判るからです。それと、OvercameTheWise1000さんの編集が1時間に10回という高頻度のものであったとしても、他の人の編集がその間に割り込みさえしなければ、それらの編集は一括のものとして確認できるので、その「他の人の編集が割り込む」のを防ぐ意味もあります。私が差し戻す直前までの修正(10回ほど)であればこんな感じでしょうか。確認する側としては、{{工事中}}を貼ってから剥がすまでの間の編集差分を確認すればいいわけですから。
「問題のある記述の詳細」の回答については、正直OvercameTheWise1000さんの考えはよく判りませんでしたので、実際に編集された結果を見てから判断しようかなと思いました。まあ、いずれにしても{{工事中}}を貼ってあるので、剥がれるまでしばらく待ちます。長期間貼ったままにしていると、他の人が剥がすかもしれませんので、念のため。--NISYAN 2008年6月12日 (木) 19:11 (UTC)
ええ、ですから当初からまとめて投稿しましたよね?それに、文章の長さ相応でそれ程の数の投稿をする気はありませんし、無駄な投稿は無いはずですよ。全体の修正を、”節単位の修正”に切り替えただけの事です。なぜなら、”読解と議論を行わずに全てを差し戻ししてしまいますから”。それに、履歴を上手に閲覧操作すれば、問題にならないでしょう。
心理学・精神医学系の過ちとしてよくあるのが、”マニュアルや項目リストやチャートどおりで済むと思い込んでいる”事です。あなたの面している問題は、自然や機械ですか?医学や医師の思考レベルに収まると買いかぶらないように。具体性とは、あなたの型に落とし込もうとしているというだけでしょう。目的地は、上記の「編集の方向性」、「最終的な編集の目的地」の返答内容以外の何物でもありません。それは、状況に応じて流動的に変化し、常に発展・進歩・改善していくのですから。全問題に対する回答は、一語では済みません。各事項ごとに条件・課題・成果が不定数ありますから。それこそ、マニュアルどおりがあなただというなら、その具体物を見せてみたらどうです?すぐに問題点や矛盾点を指摘できますが?
結論が直ぐに出ない事を、我慢できるようになってください。短絡的な結論や、その返事に何か"ボロだとか意識下・無意識下の抑圧だとか"が出ると思い込まないように。--OvercameTheWise1000 2008年6月12日 (木) 23:22 (UTC)
一つ上のコメントでは間違ってコメントつけてしまいました。最終の編集差分について、(差分だけ見て){{工事中}}が貼ってあると思い込んでいましたが、工事中テンプレは貼っていない様子です。そういうことであれば、百科事典的記述としては変でしたので、差し戻しを行ないました。
「私が問題としているものが何かであるか」ということを、OvercameTheWise1000さんに理解していただくように説明する能力が私には不足しているようなので、説明することはあきらめました。残りの「過去の」OvercameTheWise1000さんの編集については、時間が取れ次第、確認しようと思います。もしかすると、その確認結果によって、個別にノートで質問することになるかもしれませんし、自己差し戻し(OvercameTheWise1000さんの編集を復活)することになるかもしれません。「未来の」OvercameTheWise1000さんの編集については、都度確認しようと思います。--NISYAN 2008年6月13日 (金) 00:13 (UTC) 一部訂正 --NISYAN 2008年6月22日 (日) 01:44 (UTC)

インデント戻します。余りに差し戻しが多く行われている為保護依頼を掛けました。差し戻し合戦を行う前に合意形成が必要ではないかと思います。--目蒲東急之介 2008年6月19日 (木) 11:31 (UTC)

少し上部を見てもらえば解かると思いますが、返答がない(毎度の逃げ戦法です)ためです。--OvercameTheWise1000 2008年6月19日 (木) 11:34 (UTC)

上のOvercameTheWise1000さんの発言が私を指しているのであれば、「結論が直ぐに出ない事を、我慢できるようになってください」という発言をそのままお返しします。OvercameTheWise1000さんの生活パターンと私の生活パターンは異なりますし、Wikipedia活動においても、この記事に掛けるリソース比率は多分異なるでしょう。今のところ、少し上に書いた私のコメント以降、過去分についても未来分についてもOvercameTheWise1000さんの編集を確認するだけの時間を取れていないだけです。OvercameTheWise1000さんが合意に向けてこれからの編集内容を説明していただけるのなら合意に向けてノート議論に参加します(が、迅速な回答は期待しないでください)。そうでないなら保護解除までの期間をかけてじっくり過去の編集内容を確認するつもりです。--NISYAN 2008年6月19日 (木) 12:24 (UTC)

何か勘違いしてるようですが、忙しいのはあなただけではないんですよ。野暮な話、たぶん忙しいはこちらです。少し上にも書いてあることですが、まして私は医療関係者でなく、医療を受ける事にも、医学自体にも、興味のある人間ではない。自分の為という訳でもなく、面白がっている訳でもない。ただ、他から抜きん出て、完治レベルの治療を出来る立場でもある。手際は良い方だし、客観的な立場から総合的に判断して憂慮する訳です。それと何を言ってるんですか…。私が言った事が自分で守れていないとでも思ったんですか?「結論が直ぐにでないのを我慢」というのが、何を指しているのかと言えば、あなたが直ぐに”削除もしくは差し戻し”を連発していることや、簡単に他人の意味合いを決定できると踏んでいること、心理学や精神医学を持ち込む嫌な予感をさせたからじゃあないですか。今のところ、私が差し戻しを行ったのは、2回と実行拒否されただけですが、あなたは何回連発したんですか?特にこの分野は、色んな人がきますからね。「編集結果を見て判断」という方法すら、行えるかどうかと言えば難しいでしょう。今までの様子からすれば、ノートを使っても収集が着かないでしょう。要領よく話す能力と、ヤル気と、誠意、”善意”に欠ける皆さんですから。解かりきった事ですが、この件についてこれからも何もやる事は変わらないでしょう。まずは、自分の利権にしがみつきっぱなしになるのを”我慢”できなければ、始まりませんよ。それと、会話的にやると内容が繋がらないので、一気にまとめて意見を書いてもらった方が良いと感じます。--OvercameTheWise1000 2008年6月20日 (金) 18:34 (UTC)

順に回答しておきます。
  • どちらが忙しいということには興味はありません。『どの程度の時間で最終形に到達しますか』と書きましたが、別に『1ヵ月後になりますよ』とか『半年後になりますよ』でも構わなかったのです。別に『1日で書き上げろ』とか『1週間で書き上げろ』とかいったことは書いてないはずです。ただ、長期だったら他の人も影響があるだろうといっただけです。この記事はOvercameTheWise1000さんと私だけで編集しているわけではないですから、私が「まあいいんじゃないですか」といっても、他の人にとってどうか判りませんし。
  • 私の差し戻しについては、NISYANの名前がついている2回です。他のアカウントは持っていませんし、この記事に対してIPユーザーとしての執筆も行なっていませんので、NISYANと履歴に書かれているもの(UTCで、2008年6月12日(木)の12:01と23:58)だけです。『私のコメント以降、過去分についても未来分についてもOvercameTheWise1000さんの編集を確認するだけの時間を取れていない』と書いた通り、そのときの差し戻しに私は関与していません。
  • 「『私が問題としているものが何かであるか』ということを、OvercameTheWise1000さんに理解していただくように説明する能力が私には不足しているようなので、説明することはあきらめました」と書いたように、何を問題としているかを説明するつもりはありません。あくまでOvercameTheWise1000さんがどう編集したか、今後どう編集するか(編集方針ではなく、実際に編集される具体的内容)について確認するつもりです。
  • 『会話的にやると内容が繋がらないので、一気にまとめて意見を書いてもらった方が良いと感じます。』とありますが、先に書いたように、OvercameTheWise1000さんが今後どう編集するかを示していただかないと、意見は書けません。過去のOvercameTheWise1000さんの編集については、先に書いたようにまだ確認できていません。
以上、ご理解いただけるかどうかわかりませんが、あくまで予定している編集内容について話をするつもりですので、まずはOvercameTheWise1000さんが予定している編集内容を書いていただくのが先かと。また、抽象的な編集予定と、実際に書かれる具体的な編集内容が一致していないと感じていますので、具体的にどのように編集される予定なのかを教えていただかないと、意見は書けません。このノートの下に記事編集案のようなサブページ(例:ノート:統合失調症/記事編集案20080622など)を作って、そこに現在の記事内容をコピー(履歴継承に注意、参考はWikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記)して、そこで編集案を示していただくのが、こちらとしては一番意見を書きやすい(履歴機能を使って編集個所を確認しやすい)です。OvercameTheWise1000さんにとっても、保護解除後に記事本体にコピーするだけですみますから、そのやり方がやりやすいのではないかと、ご提案します。--NISYAN 2008年6月22日 (日) 01:44 (UTC) 誤字訂正、記事編集案の提示方法の提案 --NISYAN 2008年6月22日 (日) 05:36 (UTC)

あのう…、差し戻しが3つあるのを確認いたしました。(汗)

2008年6月12日 (木) 23:58 NISYAN
2008年6月12日 (木) 12:01 NISYAN
2008年6月8日 (日) 08:32 NISYAN

上記に対応した返答です。

  • 「どちらが忙しい事には興味」って何ですか?私だって興味ありませんよ。ただ「時間は言い訳にならない」と言ったんです。最終形に到達する事は永久にありません。既に上述したように、状況に応じて流動的に変化し、常に発展・進歩・改善していくという事です。多様な考え方があるでしょう、しかしどちらにしても、勝手に大幅に消す事は基本方針において違反です。それから、勝手に管理する気分になるのも変ですよ。アクセスする全員に権利があるのがここなんですから。それらを踏まえた上でやっている事ですから。「利権」には、しばしば対抗する「慈善」があるものです。
  • わかりました。
  • あなたが『私が問題としているものが何かであるか』を説明できたとしても、何らこちらの方針に影響を与えるものにはならないでしょう。そういうものも含めて、総合的に判断していますから。それは、「どうしても自分はそうしたい!」というのではなくて、高次の判断と言う意味です。また、完全に自分の意見そのままにしたいという独善さでもありません。例えて言うならば、「お腹が空いたから → マクドナルドにいく」という”関係”による見定めでなく、脳内マップによって「お腹が空いたけど、マクドナルドは前に食べたし、吉野家も牛肉禁止だから → 家に帰って冷蔵庫に余り物があるから料理をする」という”全体図”での見定めを行っているという意味です。
  • 「抽象的な編集予定と、実際に書かれる具体的な編集内容が一致していない」というのはつまりは、NISYANさんの”主観”と、私の”客観”では脳内マップの様なものが異なるという事です。一致していないのではありません。互いの考え方を詰めようとするのは困難でしょうし、しかしどのみち建前を失って損得勘定によって本音が出て、いつものごとく現実逃避の世界に陥り、変わらない。そういう事がおおよそ、待っています。私がではなくあなたがです。
  • サブページに関しては良いアイデアだと思います。但し、議論内容は本文にて編集された物について行われるのが、対等な関係という理由から筋であり、私がチェックする前に勝手に書いてあるのですし、みんなのWikipediaですから一般的です。そのため、NISYANさんは、時間はどれだけ掛かっても良いので、納得が行かなければ本文からチェックと転記を行ってください。例え議論をして止めて欲しいという欲求が出たとしても、間違いがなければ記述されなければなりません。しばしば医療側の意見や価値観が、そうでない側の意見や価値観と異なっても、記述されなければなりません。私は決して話の聞けない人間ではありませんから、「常に編集途中」、「両論併記」の意味が分かっているなら問題ありませんよね?譲歩という意味ならば、それ相応の理由がなければなりません。理想論はそんな所ですが、現実ずるい消し方をされているので、そういう人が来たらどうにもなりません。如何ですか?

”最終形”という事でなく”予定”はどうか、という事ならばとりあえず以下のことを予想してください。

  • 文章的な不適切さの訂正
  • 利権の為だけにある誘導的、洗脳的、騙し、脅しを含んだいかがわしい文章の改善
  • 現場や事実との相違に基づく修正
  • 客観的な立場からの判断による補正
  • イメージのネガティブ操作に対する抑止
  • 何か勘違いして勝手に人を試す文章。熟年夫婦の鬱積のように見苦しく無駄に反逆的。形容するなら”諭したがり坊や”と、そう見えかねないものを除去。
  • 全ての意見の対等な表記(1つだけ目立たせたりしない)への変更

試しに、概要の初めの一文についてどうですか?

編集前:脳に器質的な障害が発生することにより幻覚や妄想などの症状を呈し従前の生活能力が失われてしまう病である。

編集後:脳に器質的な障害が発生することによるかどうかは両論あるが、幻覚や妄想などの症状を呈し従前の生活能力が失われてしまう病である。

”時間がない”は言い訳になりません、こちらもですし、NISYANさんのお考えに期限はないのですから。--OvercameTheWise1000 2008年6月22日 (日) 12:12 (UTC)

そもそも8日のことは既に頭にありませんでしたので、それは確かに漏れていました。申し訳ないです。差し戻し回数は3回ですね。
私の考えだとかそういったところへの分析(「そういう事がおおよそ、待っています。私がではなくあなたがです。」のようなこと)は別に構いませんが、あくまで記事の編集内容についてしか議論、説明するつもりはないですので、その点は私に何を言っても無意味かと。
さて、概要の初めの1文について。まず「脳に器質的な障害が発生する」という1つの説を冒頭に持ってこなければいけないほど有力な説でしょうか?どこに位置付けて書きたいのかが判りません。「『脳に器質的な障害が発生する』をほぼ間違いないとする」(編集前の文章など)、「『脳に器質的な障害が発生する』を有力説としつつも、他の説もあるとする」、「『脳に器質的な障害が発生する』が他の説に比べて優位性がない」など。OvercameTheWise1000さんは「『脳に器質的な障害が発生する』が他の説に比べて優位性がない」という立ち位置で書こうとしているように私には思えるのですが、でしたら「脳に器質的な障害が発生するという説には触れずに、「原因には諸説があり判明していないが」「原因には諸説がありこれといって有力な説はないが」のような書き方が適切ではないかと思います。
という書き方の話はともかく、「脳に器質的な障害が発生する」でないとする説が「原因」節に記載されていないように思いますので、OvercameTheWise1000さんの立ち位置をバックアップする資料を提示いただけると助かります。現状の私の認識としては、「原因」節に書いてあるもののうち、「発達障害仮説」「Two-hit theory」は明らかに器質起因、後は「ドーパミン仮説」「グルタミン酸仮説」が器質起因かどうかですが、「心因説」が元々の原因としては否定されているようですので、「ドーパミン過剰」「グルタミン酸受容体の異常」は器質起因のように思います。また、それ以外は「その他」とされていて、有力説とは言いがたいと思うので、どれも「器質起因」(一応、私はOvercameTheWise1000さんの編集が掛かる前の、2008年6月6日 (金) 20:09(UTC)を見ているので、一応念のため)と書いてあるように思うのです。で、OvercameTheWise1000さんの考えであろう「『脳に器質的な障害が発生する』が他の説に比べて優位性がない」を裏付ける資料とか情報サイトとか、何か情報はありませんでしょうか?そういうものがあれば納得できると思うのです。--NISYAN 2008年6月22日 (日) 16:31 (UTC)
書き忘れていました。今後どうしましょうか?未来の時代推移に伴って変化する部分はともかく、今の時代背景で、今の記事内容に対してOvercameTheWise1000さんがノートに示した内容を反映するまでの分について、です。過去の編集内容については私が時間を掛ければいいわけですが、未来分は編集されるものがないと確認のしようもありませんし。ノートのサブページという提案は行ないましたが、それを採択するかどうかはお任せします。その結果、一つ一つの編集内容を出していただいても構いませんが、即座の確認はできるかどうは判りませんのでその点はご容赦いただきたく。--NISYAN 2008年6月22日 (日) 16:37 (UTC)

「その点は私に何を言っても無意味かと。」…そう感じるようですね。しかしそのレベルの話でなく、これは今反応を求めているのではありません。解かりきっていた事を示す記録文章という役割です。たぶん、医療関係者のグループとばかり話をしていると、自分だけ有能と感じられる世界と思うのですが、どうなのでしょう?広い世界ではもっと違いますよ。それから、上の予定のリストは1つ増やしました。

>「『脳に器質的な障害が発生する』が他の説に比べて優位性がない」という立ち位置で書こうとしているように

そうでもないです。事実とそれらの先にある真実はさておき、公平に見ていますよ。

復習しますと、器質(性)<旧 外因性>あるいは身体因(性)とは、症状(性)、中毒(性)の3つからなる精神病の種類である。
症状性精神病:脳以外の身体疾患によって起こる。多くは可逆性である。意識障害で幻覚・妄想も起こす。
器質性精神病:脳の器質的な障害があり、精神症状をきたしている。多くは慢性である。
中毒性精神病:物質・薬物摂取による。
外因:1)一般的に脳以外の身体部位に疾患の主座があり、2次的に脳が侵襲を受ける事である。その結果、随伴症状として精神疾患が出現する場合。
   2)外傷とか物質が外部から脳に作用する場合。アルツハイマーも外因に分類されているという。
3つの因(症状性、器質性、中毒性)合わせて、身体因とも?
その他に心因、環境因がある。
気質と器質は全く異なる。症状性を器質性に含むとする場合もある。ついでに、外傷と書いたらトラウマと読むかもしれない。
人によって諸説あるようで混乱しているようです。意味不明です。
  • とりあえずは、Wikipedia(US)を参考にして頂いて、「Diagnostic issues and controversies」の項を見ると、診断の論争点と議論が書いてありますから、日本の方言から覚めてはどうですか?他の国はまだ調べていませんが、診断自体が怪しいのですから器質的ではないという論、説、があるという意味はもちろんであり、それの参考文献です。
  • 色々書籍はありますが、「専門医をめざす人の精神医学 第2版 医学書院 2005年10月15日 第2版第2刷」では、統合失調症の概念についての説明で、「素因(発症脆弱性)と心理社会的な因子の相互作用により発病する。」とあります。つまり器質的原因とは言えません。

ついでに本文のその後に続く、「ギリシャ時代にこの病があったか」について、Wikipedia(US)の「History」ではこう述べられています。

統合失調症風の徴候の説明は、古代のエジプトエーベルスパピルスの”心の本”の中の、およそ2000年BCに遡ります。
しかし古代のギリシャとローマの文学の研究は、一般の住民はたぶん精神病性障害の自覚を持っていたけれども、中世の間にアラビア語医学の、
そして心理学的な文献において報告されて、しかし統合失調症と似ている徴候があった統合失調症.[175]のために、現代の基準を満たすであろう記録された条件が全くなかったことを示します。

つまり、この病気があったのではなくて、似た病気という程度の説明が一般的です。

ノートのサブページという提案は、その様な書き方に解かりやすくしておこうと思います。 他の主要な医学書と別の面からの書籍、web、海外Wikipedia、ICD-10、DSM-IV、論文は、これからゆっくり調べます。上の説明も必要に応じて改善します。--OvercameTheWise1000 2008年6月23日 (月) 05:29 (UTC)

出張中ですので簡単に(ってつもりで書いたのですが、結果、結局は簡単になりませんでした)。
先の版の記事では「心因説は、素因としては否定されている」「素因として挙げられている主力の節はいずれも器質起因である」と言っているように思うし、提示された文面とも矛盾しないように思います。それはさておき、挙げられた書籍の説が有力な説であれば、冒頭で素因だけに限定して話をする必要もないので、「素因(発症脆弱性)と心理社会的な因子の相互作用により発病するとされている<ref>専門医をめざす人の精神医学 第2版 医学書院</ref>。」と書いておけばいいと思うんです。どうせ素因について諸説あることは後で触れられているわけですし。
で、はじめの記事編集のときからOvercameTheWise1000さんの編集の妥当性を裏付ける「<ref>専門医をめざす人の精神医学 第2版 医学書院</ref>」(ベストは<ref>{{Cite book|和書|year=2004|title=専門医をめざす人の精神医学 第2版|publisher=医学書院|id=ISBN 978-4260118941}}</ref>という書き方をすることで、<ref>『専門医をめざす人の精神医学 第2版』医学書院、2004年。ISBN 978-4260118941 </ref>って感じに)のようなこと(出典)が書かれていれば、他の執筆者も読者も納得してたと思うんです。以降の編集も同様かと。編集の裏付けとなること(出典)がつけられていたら私は差し戻ししなかったと思うし、他の人も差し戻ししなかったような気がするし、裏付けを提示できる力のある人なのにそれをしなかったことで変な方向に評価されるのはもったいないと思うんです。--NISYAN 2008年6月23日 (月) 11:18 (UTC)

今、何の話をしてると思ってるんですか?唯の1つの説程度を、Wikipedia本文に勝手に決定して書かれただけだと言っているんです。今やっているのは、先の版のそれらも同時に訂正されるものです。それを真面目に言ってるんだとしたら、認知症ですか(出張で慌てていただけですか)?否定したのは誰です?それこそ出典されなければ、ただの悪質な嫌がらせですよ。主力の説なんてものが何でいつまでもくすぶっていると思いますか。あんなものは、「こういう原因もサイエンス・フィクションできるね。」と言っているだけで損傷とかならまだしも、例えばドーパミン説とか、笑っちゃいますよ。ちゃんと考えたんですか?

精神医学 金芳堂 2008年1月版
「器質論」内の記述で、「追及されているが、決定的なデータは得られていない。」と述べられています。(出典あり、関係全記述は両論併記に変更します。)

「素因の内の1つ」を冒頭に書いたのは私みたいな立場ではなく、「器質的な原因であると洗脳したい医療側、つまり投薬・解剖学・定期的診断・入院医療、あるいは慢性的である事にしたくて我慢できない」、人ですよ。ですから、要らないので一時期はその削除を2度程行ったんです。それをどうしても復元したいようなので、「両論あるが」とわざわざ冗長に書いたのです。心因説、環境因説はまだ終わっていません。ただUSで生物学派の身体因が流行したという事でしょう。それこそ、出典の記述がないのを消したと言えば判かるでしょうか?そしてそれは一般的なことで、器質であると断定した普及書籍はありません。「ICD-10 精神および行動の障害 新訂版/医学書院(青)」「ICD-10 精神および行動の障害 研究用診断基準 新訂版/医学書院(緑)」では症状性の解説がまるごと省略されてしまっています。第一、原因不明なのに器質だ器質だと言っているのが既に変ですね。遺伝論を持ち出しても、関連している事は判るかもしれませんが「障害」だと言った覚えはありませんし、それだけでは発生しないのですから「選択的に向かってくる広義の敵」があるという可能性があるか、正しい調査がされていたかどうかという所に留まるでしょう。心因説を否定した出典を要求します。そういえば、医療の範疇を超えるからか、環境因説についてどこかに記憶障害の(忘れてしまっただけ)ようですね。<上の病因の分類の説明を加筆しました。>--OvercameTheWise1000 2008年6月24日 (火) 01:32 (UTC)

「唯の1つの説程度を、Wikipedia本文に勝手に決定して書かれただけだと言っているんです。今やっているのは、先の版のそれらも同時に訂正されるものです。」って言い方で話をするなら改めて言います。「一文一文切り出して話をしても無意味なようですので、全部変更したものをサブページのような形などで提示してください。それがないとこちらは確認できません」「ある文章について話をしていたらこっちもそれに合わせて直すと後で言われても、そんなのがあるなら関連する変更点を先に全部示しといて、と思って当然でしょ」と言わせていただきます。改めて書きますが「1日で仕上げろ」とか「1週間で仕上げろ」と言っているわけじゃないので、そこは勘違いしないでくださいね。
で、心因説を否定した出典ですか。ちょっと調べた限りでは確かに「最近の研究では否定されている」以上の情報(誰々の研究によると、みたいなもの)はなかなか見つからないですね。逆に、心因説を今なお肯定している情報についてもなかなか見つかりませんが。そこまでこの記事にリソースをかけるつもりはありませんが、心因説の一つであるダブルバインドを否定しているらしいと書評が某サイトに記されていたので、「E.フラー・トーリー『統合失調症がよくわかる本』南光 進一郎、中井 和代訳、日本評論社、2007年7月。ISBN 978-4535562462 」あたりに、出典とできそうな情報が多分載っているんだろうとは思います。あるいは{{要出典}}を貼っておけば、たまたま知っている人がいれば出典をつけてくれるんじゃないでしょうか?どうしても心因説を否定したくないという立場を取るつもりなら話は別ですが。立場という言葉を出したついでに一応言っておくと、私自身は心因説を肯定しているわけでも否定しているわけでも、どちらの立場でもないです。たまたま今見える情報の中で心因説を否定する意見が多いと感じているだけであって、心因説が正しいかどうかについては正直なところさほど興味はないです。この記事の執筆上、どちらとするのがふさわしいのだろうという程度の興味です。では、全部変更したものについて、提示を宜しくお願いいたします。--NISYAN 2008年6月24日 (火) 14:28 (UTC)

それは、あなたの問題でしょう?(>それがないとこちらは確認できません)統合失調症(確認できないだけ)なら、誠意なし、能力なし、とみなされますので志願的に退いていただけませんか?あなたが(診断した医師もそうですが)呼び出したから、仕方なくご足労してあげたんですよ?

いいえ、それはあなたの勝手な都合です。(>先に全部示しといて、と思って当然でしょ)履歴ページで2クリックかするだけの事もできない知能障害(優利になりたいだけ)なのですか?そういう場合は、基本方針とガイドラインにもあるように、記述を失わせてしまう事になるあなたがノートに移動する礼儀がそちらにあるでしょう?それとも、この文は悲鳴か嘆きの声でしょうか?

ただし、「お願い」という事なら話は違ってきます。これは、日本語の問題ですね。即日は無理かもしれませんが致しましょうか…。

了承済みのようですが、ダブルバインドを否定している説があるだけでは、心因説が否定された訳ではないです。”説の一形態を部分否定した説”があるだけです。しかも、ダブルバインドなんて私も統合失調症の素因と思っていないし、ある時現実に存在したという単純化された基本要素としてあるだけだと思いますよ(詳しくは参照してから明日回答します)。

[要出典]とするのは良いと思います。たぶん情報は増える事を望まれているように観えます。間違った事を欲望に任せて無理に記述しておきたいわけではありませんから。器質・心因だけでなく、症状、中毒、外因、環境因も分類に挙げられる事を確認ください。主観的な話をしますと、統合失調症においては1次的な原因とは思えませんが、2次的に関係してくるかもしれませんし、どちらかというとそういう場合は「痴呆とかの知能障害」の場合に思えますね。知能が健常のレベルを維持できる場合には心因上、よほど高度な世界を以ってしても惚け・呆け・開き直り・トチリ・逆転の発想くらいの能力は存在しますので。患者だってそのくらいの潜在力は持ち合わせていますが、その点間違えられそうなんですよね(溜息)。--218.226.14.139 2008年6月25日 (水) 03:52 (UTC)

一点。もし上の発言がOvercameTheWise1000さんでしたら、とりあえず投稿ブロック期間の1週間は発言を控えていただくほうがOvercameTheWise1000さんのためです。こちらは投稿ブロック期間明けまで待ってますので。1回目(上の発言)だけであれば知らなかったで済まされるかもしれませんが、引き続いて発言された場合、投稿ブロック期間中のブロック逃れという理由で無期限ブロックとなる可能性がかなり高いです。ひとまず会話ページにあったように、この1週間は方針系文書を読まれたほうがいいと思います。慌てて発言しなくてもいいと思いますよ、こちらもブロック明けまで待ちますし。--NISYAN 2008年6月25日 (水) 04:11 (UTC)
先に、OvercameTheWise1000さんが自ら、統合失調症の診断を受けたと述べられましたが、ここでの言動を見る限り、その診断はまったく見当はずれのものではないように思われます。個人的には、彼の行動は、彼自身の立場から見ればもっともな点は多々あるにせよ、病によるものであると考えるので、他の皆様におかれては、必要な対処(ブロック等)をとるのは結構ですが、彼個人に対する行動や判断については、慎重さを期待します。--Diagonal 2008年6月29日 (日) 13:05 (UTC)
それは、あなたでしょう。--God breath you 2008年7月3日 (木) 01:55 (UTC)

OvercameTheWise1000さんの意に沿う形での文面を考えてみました。

概要

幻覚や妄想などの症状を呈し従前の生活能力が失われてしまう病である。古代ギリシャから似たような病の存在は知られていた。病因については、現在においても不明である。仮説としては、神経伝達物質の一つであるドーパミンの過剰等の脳の器質的な障害をはじめとして、様々のものが提唱されているが、決定的なものはない。治療では、1950年代にフランスでクロルプロマジンという薬物が一部の患者に効果があることが発見され、これを契機に抗精神病薬による薬物治療が広く行われるようになった。1990年代後半からの非定型抗精神病薬の使用や、効果的な急性期治療、社会復帰のため福祉施設や法制度の整備などにより、患者の入院期間は短縮されているが、薬物療法が部分的にしか効果を示さず病棟内で長期に生活を継続している患者も少数であるが存在することも事実である。

原因

明確な原因は未だに確定されていない。遺伝的要因に関しては、一卵性双生児研究において一致率が高い(30 - 50%)ことから、何らかの関与があると考えられている。約60%が遺伝によるとの報告[5]もあるが、遺伝形式も不明であり、信頼できる原因遺伝子の同定もされていない。また環境要因の関与も否定できない。

予後

統合失調症の予後については、「進行性経過を取り、ほとんどが人格の荒廃状態に至る」と考えられてきたが、現在では否定されている。

体感幻覚

幻覚を体験する本人は外部から知覚情報が入ってくるように感じられる。そのため、「悪魔が憑いた」、「狐がついた」、「が話しかけてくる」「宇宙人が交信してくる」「電磁波が聴こえる」、「頭に電波が入ってくる」、「脳の中に装置を埋め込まれた」と実際に外部に知覚を発生する人物や発生源が存在すると解釈することが多い。

--Diagonal 2008年7月1日 (火) 08:41 (UTC)

まず、他人をあなた個人の主観的思考で判断するのを我慢できるようになって下さい。単純に医学的記述に照らしただけなら、あなたを”躁状態”にでも”統合失調症”にでも”ヒステリー”にでも”てんかん”にでも”知能障害”にでも”神経症状”にでもこじつけることができます。まして、痴呆にでもなるような老齢者や、その他知的問題を抱えた者は判断すべきではありません。”理由付けも書く配慮のない”様な人の意見は、あてになりません。あなたの言う「見当はずれのものではない」事の、出典を要求します。それに、「ここでの言動を見る限り」と言う割には、

  • 全ての意見の対等な表記(1つだけ目立たせたりしない)への変更

についてあなたの言う、私の「意に沿う形での文面」に成り得ていないというmissがあります。これは、正しい判断を任せられる人格ではないと思いますよ?

器質についての出典作業を再開します。

  • 『全診療科対応/ICD-10準拠の傷病名・診断・治療法  標準・傷病名事典 医学通信社 2005年7月1日 第1版第1刷発行』、【統合失調症の項】「器質性(側頭葉てんかん,SLE,進行麻痺等)や精神作用物質性(覚醒剤,幻覚剤等)および気分障害を除外する必要がある。」(合計出典数3、少なくとも両論併記は確定です。)

心因説を否定した出典がいまだ1つも成されていません。また、私も普及している書籍はほとんど読みましたが、記述はありません。このままでは、慣習に従い一定期間を過ぎた後、削除を行うことになります。なお、「統合失調症がよくわかる本 日本評論社」は、取り寄せに2週間あれば届くマイナーな本という事で7月10日には読む事が可能になります。医学以外の方面の書籍もぼちぼち読み始めますし、ICD-10とDSM-IV-TR本文についても近いうちに読む事になります。では、原因の種類復習を更新します。

復習しますと、器質(性)<旧 外因性>あるいは身体因(性)とは、症状(性)、中毒(性)の3つからなる精神病の種類である。

症状性精神病:脳以外の身体疾患によって起こる。多くは可逆性である。意識障害で幻覚・妄想も起こす。
器質性精神病:脳の器質的な障害があり、精神症状をきたしている。多くは慢性である。
中毒性精神病:物質・薬物摂取による。
外因:1)一般的に脳以外の身体部位に疾患の主座があり、2次的に脳が侵襲を受ける事である。その結果、随伴症状として精神疾患が出現する場合。
   2)外傷とか物質が外部から脳に作用する場合。アルツハイマーも外因に分類されているという。
もともとクレペリン(ドイツの精神医学者1856-1926年)が外因と内因を区分けし、器質的原因を外因、原因不明の原因を内因とした。
3つの因(症状性、器質性、中毒性)合わせて、身体因とも?
その他に心因、環境因、状況因がある。
心因:第3者が客観的に考えても精神異常の原因とみなしうるような強いインパクトを伴う出来事(体験)である。
状況因:過酷な極限的状況による。
気質と器質は全く異なる。症状性を器質性に含むとする場合もある。ついでに、外傷と書いたらトラウマと読むかもしれない。
人によって諸説あるようで混乱しているようで、現在の医学においても、統合ができておりません(笑)。
simple formulationしますと、「意味不明」です。

(OvercameTheWise1000からハンドルネームを変更しました)--God breath you 2008年7月3日 (木) 01:55 (UTC)

もう一度。投稿ブロックはログインユーザー単位ではなく、利用者自身に対して適用されます。つまり、今の投稿は、期間延長された投稿ブロック期間(2008年7月1日 (火) 23:03 (UTC)からの1週間、と思います)中のブロック逃れという扱いとなってしまっています。とりあえず、投稿ブロック期間は1週間なので、上記の発言以降、1週間は発言を控えていただくほうがOvercameTheWise1000さん、改め、God breath youさんのためです(期間延長時点から1週間ではなく、上記の発言以降1週間である点については、Wikipedia:草案/投稿ブロックの「1.1 投稿ブロックの概要」を参照。自制が困難なら、強制ウィキブレークとか、管理者への報告で新アカウントに投稿ブロックをかけてもらうのも一つの方法)。こちらは投稿ブロック期間明けまで待ちますので。ただ、この発言か、次にブロック期間中の発言あたりでアウトになりそうな、フォローしきれない段階に来ているという点は理解していただいたほうがいいかと。改めて、急いで発言されなくても、ブロック明けまで待ちますので。--NISYAN 2008年7月3日 (木) 02:23 (UTC)
OvercameTheWise1000さん改めGod breath youさんへ。全ての判断は本来、主観的なものです。客観的とは主観によらない、ということではなく、主観的判断のうちの共通性の高いものをいう言葉です。さて、私の判断の根拠は、あなたが「志願的に退く」という独自の表現を用いている点です。統合失調症にかかっている人は、自分の独自の言葉の用法にこだわる傾向がありますので。おそらく、この表現は、他人が用いていたものではなく、自分で考え出したものだと思いますが、あなた以外の人にとっては耳慣れない奇怪なものと感じられます。それはさておき、統合失調症は決して知能の障害ではないし、また回復不能な病ではありません。「対等」な表現ではないとのご意見ですが、この点に関して言えば、今までの経緯があなたの考える意味での対等でなかったので致し方ないと思います。私としては脳の器質的な障害だからといって、人間としての尊厳が損なわれるものではないと考えます。--Diagonal 2008年7月3日 (木) 05:37 (UTC)
OvercameTheWise1000氏の統合失調症の診断が妥当であると考えるもう一つの根拠は以下の文章です。「精神医学程度の事は、”言うまでもないから機械のような位置に留まらない”。だからやっている。この事は、医師らの反逆心を誘った。それが、意味もなく文化などと言って記述している理由。そうすると、「自分だってできるんだい!」とか、言い出す。医者ってのはやっぱり予想通り、そんな大きさ程度の動作原理の頭ですよ。まさか、そんなもののイメージを植え付ける気でしょうか?だから、これはイメージダウンである事は既に言ったとおりです。」まず冒頭の文章の”機械”が何を指しているのか不明です。また、「自分だってできるんだい」の”自分”も誰を指すのか明らかではありませんし、何ができるといっているのかこれだけでは全くわかりません。総じて文章につながりがありません。残念ながら、私や他の人には、この文章からあなたがなにをいいたいのか理解することはできません。--Diagonal 2008年7月3日 (木) 06:21 (UTC)
  1. ^ 統合失調症のリスクにはどんなものがある? - [心の病気]All About Pedersen, et al.
  2. ^ Avoiding Childhood Exposure to Cats with the the T. Gondi parasite may reduce schizophrenia risk - schizophrenia.com Pedersen, et al.
  3. ^ Pregnancy, Cats and Schizophrenia - schizophrenia.com Pedersen, et al.
  4. ^ 統合失調症のリスクにはどんなものがある? - [心の病気]All About Pedersen, et al.
  5. ^ Moldin SO, Gottesman II. At issue: genes, experience, and chance in schizophrenia — positioning for the 21st century. Schizophr Bull. 1997;23(4):547-61.
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