ノート:神社非宗教論

最新のコメント:5 日前 | トピック:黙雷「教導職治教、宗教混同改正ニツキ」 | 投稿者:Kurihaya

この項目は、日本国内での議論に留まっており、客観的かつ中立な要件での記述は困難なため削除することにした。例えば、当時の社会的慣習や宗教行政、仏教教団、キリスト教教団、神道教団における信仰の定義が異なっており、それぞれの学説を紹介するに留める記事ならば執筆可能だろうと思う。果たして、それが百科的な記事なのかは、議論が分かれる。一般的に通説となった時に、記述が可能なのが、事典であり辞書であるからである。--126.159.232.125 2021年4月13日 (火) 12:29 (UTC)返信

この項目を復活させる人に言いたいこと。本文の記述典拠出典はボランティアが調べているが、ほぼ一人の作業と思われる。彼に果たして、それだけの義務を負わせるのは正しいことなのだろうか?彼の苦労(本質的な所まで調べようとする態度)も知らずに、復活させているのではないだろうか?学問的に安定した答えが出るまで、削除するのが正しいと思う。--126.159.232.125 2021年4月13日 (火) 13:40 (UTC)返信

コメント {{要出典}} などを貼り付けた者です。すこし厳しく改善を求めすぎて、IP利用者さんのやる気を削いでしまったのではないかと反省しております。細かい点についてはウィキペディアの流儀に則っていない部分がありますが、基本的にはこの記事の記述のレベルについては問題視しておらず、中立性についても(すくなくとも表面的な記述の仕方としては)おおむね問題はないと感じております。私の編集意図は一人にだけ義務を負わせようとするものではなく、共同作業を進めやすくするためのものであるということ(うまいやり方であったかはともかく、すくなくとも私はそういう意図を持っているということ)をご理解いただけましたら幸いです。
コメント ウィキペディアにおける編集は共同作業です。なので、たとえば私が記述を改めたことや{{要出典}}などを貼り付けたことに対して、要約に理由を示して差し戻したり、ノートページでちょっとやりすぎじゃないかと議論を提起するということも可能ですし、すくなくとも私はそれを歓迎します。ただ、共同作業ですので、たとえば政治・行政上においては、「神道は宗教ではない」から特別扱いしても良いとするという記述に疑問を持った編集者がそれを確認するさいに、出典のうちどの文献を確認すればよいのか、できるだけ分かりやすく明示して欲しい、私が求めているのはとりあえずそれだけです(個人的な話になりますが、たとえばいま編集を進めている縄文時代の記事において、元々ついていた出典に不備があったり、大雑把すぎたりということから、元あった記述の検証に手間がかかっているといった体験が背景にあります)
コメント そういった点が満たされていれば、ほぼ一人の作業にはならずに済む可能性があると私は思います。この記事は執筆依頼にも出されていることなどから、ある程度注目が見込める記事ですし、コメント依頼査読依頼を通じてほかの編集者の意見を募ることも可能です。具体的にどこどこの箇所の記述が中立的であるか疑問があるということでしたら、ノートなどに書いていただけましたら、他の記事ではこういう両論併記の仕方をしている、研究史節を別に作ってはどうだろうか、などといったアドバイスや提案をほかの編集者から得られる場合もあります。そうすればこの記事は十分に中立的なものに育てられると考えております。
とりあえず以上です。--Jutha DDA会話2021年4月13日 (火) 18:31 (UTC) 微修正--2021年4月13日 (火) 18:33 (UTC)~返信

黙雷「教導職治教、宗教混同改正ニツキ」

編集

節「明治維新初期の祭政一致とそれへの批判」 の「現代語訳」ですが、これは出典からの正確な引用でしょうか。一つには、原文「悉クスル能ハスト云へドモ」、現代語訳「万能であると言えども」とある点ですが(2024年11月14日 (木) 08:02 (UTC) の版)、「能ハス」の打ち消し助動詞「ず」が飛んでいたりして、「原文」、「現代語訳」のどちらが転記誤りなのか分かりませんが、対応がおかしくなっていませんか。--Kurihaya会話2024年11月23日 (土) 15:44 (UTC)返信

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