ノート:歌舞伎/過去ログ1

最新のコメント:8 年前 | トピック:作品・演目・歌舞伎狂言の語義 | 投稿者:ShikiH
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無題

Hello! I'm Adriano. I love Japan very much! Please visit my user page! --以上の署名の無いコメントは、151.37.156.234会話/Whois IPv4IPv6)さんが 2004年10月18日 (月) 16:30 (UTC) に投稿したものです。


外題の項目で「助六」が外題とされていますが、「助六由縁江戸桜」などが正式の外題で「助六」は略称であり、外題とは言わないのでは? 以上の署名の無いコメントは、222.148.27.41(会話履歴)氏によるものです。

襲名披露 ってなんですか? 以上の署名の無いコメントは、202.124.48.129(会話履歴)氏によるものです。

隈取から

このページを見に来たんですが、隈取の語がここにはないのに驚きました。とりあえず関連項目に入れたんですが。歌舞伎独特の舞台衣装等、あるいは面を使わないことなどはあっていいのではないかと思うんですが、どうなんでしょう?--Ks 2007年10月27日 (土) 14:29 (UTC)

(賛成)ご指摘のような、演出に関する記述は不足していると思います。--ととりん 2007年10月29日 (月) 14:32 (UTC)

独自研究など

2009年9月1日に柳絮さんが「独自研究」「出典」のテンプレを貼っていますが、具体的にどの個所が独自研究らしいとか、この記述には出典が必要だとか書いていただきたい。それができないなら削除したいと思います。 --忠太 2009年9月2日 (水) 12:29 (UTC)

外しました。 --忠太 2009年9月8日 (火) 16:36 (UTC)


明治28年(1895年)11月、東京歌舞伎座上演の『暫』(中央で見得を切るのは九代目市川團十郎の鎌倉権五郎)の画像について

となっているが、その場所にはすでに無い。

  • しかも Copyright (C) 2003 東京都立中央図書館特別文庫室 All Rights Reserved.無断で転載・転用することを禁止します。と記載されている--Mariemon 2010年5月28日 (金) 02:04 (UTC)

Category:異性装者について

一部転記について(告知されず、履歴不継承のおそれ)

ShikiHでございます。白拍子花子さんにお伝えします。歌舞伎の劇場の部分を一部他所の記事に転記なさいました。そのこと自体には別に反対ではありませんが、ちょっと問題があります。

  1. 転記の提案がされてないこと。私はどこかにあるかと思ってさがしましたが、どうもないようです。提案の後に一部転記することがWikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記に定められているので、これに従ってくださいませんか。
  2. 実際は「劇場#歌舞伎」に転記したのに、「歌舞伎」の記事の要約欄に「舞台#歌舞伎」と誤記したために、履歴が不継承となっている可能性があります。

恐れ入りますが、いったん元に戻してください。--ShikiH 2011年11月24日 (木) 14:57 (UTC)下線部追加--ShikiH 2011年11月24日 (木) 15:18 (UTC)

演劇改良運動について

「作者と役者の双方が演出家の役割を兼ね、さらに「お家芸」という口伝がものをいう歌舞伎は、脚本家・演出家・俳優の役割が明確に分担されている西洋演劇を見慣れた者たちには混沌と混乱にしか見えなかった。」というのが、演劇改良運動の動機のように書かれてますが、「西洋演劇を見慣れた者たち」が当時そのような主張をしたのでしょうか? --忠太会話2012年7月7日 (土) 12:08 (UTC)

ShikiHでございます。ご質問は「西洋演劇を見慣れていれば、そのような主張をしなかったのではなかろうか?」ということでしょうか。
現状を見れば、シェークスピアを観る人と歌舞伎を観る人は大体同じだと言えるでしょう。プロ野球は観ないけど、マクベスは観るという人は多いと思いますが、マクベスは好きだけど助六は嫌いだと言う人は少ないと思われます。そうであれば明治時代においても、状況は似ていたかもしれないと思います。
本文の歌舞伎の記事はよくまとまっていて、奇抜な記載は少ない。典拠をさがせば、あらゆる部分につけられます。しかし私はあらゆる所に典拠を挙げているわけではありません。賛同できないところにはわざと出典を挙げていません。2012年8月10日 (金) 14:43の版で歌舞伎劇の部分をある方が削除なさいました。議論が起こり、削除される可能性がなきにしもあらずと判断される所には、あえて出典を付けないでおきました。段落によってはまったく出典の付いてないところがあります。演劇改良の所にも出典がすくのうございます。もちろん、私に知識がないため典拠を示せないところもありますが、読者におかれては、それなりに読んでくださると幸いです。--ShikiH会話2013年1月24日 (木) 08:54 (UTC)

『日本の伝統芸能講座 舞踊・演劇』の記述について

ShikiHでございます。2013年8月29日 (木) 15:01の版でIdutsuさんが下記の編集をなさいました。しかしちょっと経緯に誤解があります。

(引用)『日本の伝統芸能講座 舞踊・演劇』p210に下記の文章の1文目が誤りだと書かれているので、コメントアウト。2文目以降は出典があがってはいるものの、1文目をうけての文章なので、信頼性が不明であると判断し、やはりコメントアウトした。

経緯をご説明します。まず、ウィキペディアのもともとの文章があった。それを同書が2009年に「歴史的にそうした名称が存在しないことは確かである」と批判。それに基づき2012年8月10日にどなたが記事本文を修正。よって同書はウィキペディアの2013年の最近の版について誤りだと言っているわけではありません。同書のいう「そうした名称」とは「歌舞伎劇」のことと思われます。私も同意見なので、かつて出典要求されたときに出典を示しませんでした。しかし、「歌舞伎踊り」と「科白劇(狂言)」については、まあだいぶ怪しいとも言えますが、下記のままでいいんじゃないでしょうか。いずれにせよ時系列から言って、同書を理由にはできないように思います。そういうわけでコメントアウトは解除します。

荒事、和事のところにも出典をつけませんでした。かなり怪しいので出典が付いてると修正の邪魔になるだろうと思ったからです。し出典つきの記述は、なぜその出典が信用できないか示さない限り、変更は難しいのです。--ShikiH会話2013年8月29日 (木) 16:44 (UTC)

経緯のご説明ありがとうございます。 コメントアウトした理由の詳細を書きます 携帯からなので手短に。

江戸時代の歌舞伎は、その成立の過程からは歌舞伎踊りと科白劇(狂言)に分けられる。
→歌舞伎劇が科白劇に変わった以外は誤りとされている文章と同一。現在のところ科白劇なら正しいとする出典は上がっておらず、誤りとする指摘をクリアしていない可能性もある
歌舞伎踊りは若衆歌舞伎までの歌舞伎を指す。
→本文にも書いたように若衆歌舞伎等の時代区分はできないというのが現在の説である事に矛盾
一方その後の歌舞伎に見られるようになった狂言は、踊りの要素を備えながらも科白劇が主体となった。これは若衆歌舞伎が禁止される際に、江戸町奉行所から「物真似狂言づくし」を義務付けられたことがその一因ともなっている。
→本文にも書いた物真似狂言づくしを条件としたのは否定されている件に矛盾


下記の文のみ出典がありますが、現在の記述では「この頃」が若衆歌舞伎を指しており、時代区分の件に矛盾し、適切な修正がなされるまでコメントアウトが適切だと思われます。

この頃はレビュー式の総踊が中心だった[1]。若衆歌舞伎ではさらに飛躍した軽業なども見せていた[2][3]

wikipediaでは真実かどうかよりも出典があるかどうかの方が重視されるので、書いてくださった方には申し訳ないですが、一週間程度待って出典がでない場合はコメントアウトが適切だと思われますIdutsu会話2013年8月29日 (木) 23:33 (UTC)

誤解されそうなので付記: 出典のある箇所ですが、正確な引用&引用元の前後関係があれば適切に修正して活かす事もできますが、現在のものはもとの記述の要約である関係上、こちらで勝手に修正すると更なる誤りを招く危険があるので、引用元の再確認&それによる修正がなされるまでコメントアウトするのが適切だと思います。Idutsu会話2013年8月30日 (金) 00:38 (UTC)

ShikiHでございます。それでは出典が必要なところに要出典のタグをはってください。出典が示されない場合、削除することになりますが、1週間では短すぎましょう。慣例的に1か月程度はお待ちください。--ShikiH会話2013年8月30日 (金) 01:01 (UTC)
ShikiHでございます。本文の出典があるところまで要出典となさいましたが、やめたほうがいいでしょう。逆襲される恐れがあります。あなたがもし1回でも出典のあるところを要出典として覆した履歴があると、今度は他の人があなたの出典をつけた記述を覆したとき、対抗できなくなります。--ShikiH会話2013年8月30日 (金) 08:31 (UTC)
ShikiHでございます。本文の記述位置を一部移動しました。「総踊り」については典拠があるが「いつ」かが不明確で、記述不備とみなせば、この段落を全部削除することができるかもしれません。--ShikiH会話2013年8月30日 (金) 12:17 (UTC)
  1. ^ 新版 歌舞伎事典(平凡社)、歌舞伎舞踊の項
  2. ^ 新版 歌舞伎事典(平凡社)、若衆歌舞伎の項
  3. ^ なお歌舞伎踊りにはその後に発達した踊り主体の演目も含める場合もある( →「歌舞伎舞踊」項も併せて参照)。
  4. レビュー式の総踊について

    ShikiHでございます。レビュー式の総踊についての文章は、「上の文章の前半とほぼ同義」との指摘をIdutsuさんより受けましたが、私の見るところ、同義の文章はみあたりません。いったいどこのことでしょうか。ひょっとすると私の思っている「レビュー式の総踊」とIdutsさんの思っているものが異なっている可能性があるので、ちょっと書きます。

    レビューは豪華な衣装をまとった人が舞い踊り、この世とは思われないような豪華絢爛を舞台にくりひろげる。総踊はその一座の役者たちのすべてがそのような拵えで舞台上がり、たぶん音楽に合わせて統一的な振付をくりひろげる、といったようなもの。官能的な舞台です。現代でいえば宝塚がそうでしょうか。しかし、官能的な舞台には別の種類のものがあって、たとえばストリップ。これは服を脱ぎそうで脱がず、観客を焦らすことによって女性の美しさを舞台に表現します。原則としてひとりで踊ります。官能的な舞台ってどんなのだろうかを、歌舞伎事典はこのことを解説しています。このことを記述してるところは他にはないように見えますが、いかがでしょうか。--ShikiH会話) 2013年11月25日 (月) 20:07(UTC)***全体を取り消します。おおきな勘違いのような気がしてきました。--ShikiH会話2013年11月25日 (月) 20:24 (UTC)

    引用文献の位置の移動に関して

    12/28の編集でShikiHさんが私のつけた引用の位置を(可読性をあげる為)移動してます。申し訳ございませんがこの編集をrevertさせていただきました。引用文献に書いていない事に引用がついてしまったり、引用の意味が変わってしまったりする為です。(最初は個別に対応する事も考え、そのように編集したのですが、引用をいじった個所が多いようなので、revertという対処にさせていただきました。rv後の編集は可能な限り取り込みましたが見落としもあると思うのでShikiHさん側での再確認をよろしくお願いします。)

    たとえば「もともとお国が演じていたものも上述したようなエロティック[26]な場面を含んだものであるため」は引用元の著者がお国歌舞伎を「エロティック」と判断している事への註なので引用文献の位置を文末に変えるべきではありませんし、「19世紀末[55]になると新歌舞伎という新たな歌舞伎狂言が登場する」も新歌舞伎が登場したのが19世紀末である事を保証する為に註を付けたのであって「新歌舞伎が登場した」という事実そのものに対して註をつけたわけではないので引用位置を変えるべきではありません。

    細かい事のようですが、引用位置にこだわっているのは、wikipediaが複数人で編集する為、引用位置を変えると間違いが混入する危険があるからです。

    たとえば「19世紀末[55]になると新歌舞伎という新たな歌舞伎狂言が登場する」とすべきところを「19世紀末になると新歌舞伎という新たな歌舞伎狂言が登場する[55]」としてしまうと誰かがこの部分を編集して「19世紀末になると新歌舞伎という面白い歌舞伎狂言が登場する[55]」としてしまった場合、まるで[55]に新歌舞伎が面白いと書いてあるように読めてしまいます。かといって引用を消して「19世紀末になると新歌舞伎という面白い歌舞伎狂言が登場する」としてしまうと、[55]には「19世紀末」と書かれていたという事実が消えてしまいます。

    ShikiHさんのいうように引用のある文章を残す事や可読性も重要ですが本来引用元に書いていない事に引用をつけてしまわないようにする事の方がもっと重要だと思います。これをしてしまうと偽情報に引用という信頼がついてしまい、偽情報が独り歩きする可能性がある為wikipediaの信頼性を著しく損ねてしまいます。(そして引用文献を持っていない人はこのミスを修正できないので偽情報はいつまでも残り続ける。)

    ですので危険を回避する為、申し訳ございませんがrevertという形にさせていただきました。 --Idutsu会話2014年1月3日 (金) 17:03 (UTC)

    付記: コメント欄に「「19世紀末になると」の直後に典拠をあげてもちょっと。「19世紀末になるとなんとかでかんとかで」に典拠をあげるべし」とあるのを発見しましたが、上述のように「19世紀末」に典拠が必要だと思ったからここに註をつけました。

    なぜ必要かというと、そもそもどこからを「新歌舞伎」と呼びどこからをそうでないと判断するのか人によって異なる可能性があるので、「新歌舞伎」の定義次第によっては新歌舞伎の登場が「19世紀末」にならない事もありうる為です。したがって「19世紀末」に引用が必要だと判断し、この位置に引用をつけました。 --Idutsu会話2014年1月3日 (金) 17:21 (UTC)

    ShikiHでございます。ご指摘の件ですがリバートしても構いません。私も要約で「註の位置は特に問題がなければ句読点のあたりが適当」と書いたのであって、問題があると考えるなら元のとおりになさってください。ただし「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと」のなかの「文章を丸写しすること」にあるごとく、ウィキペディアでは文全体が原典のままということはありません。そっくりだと丸写しだとして削除されることがあります。出典がつけてあっても、そのあたりにだいたいそのような内容が書いてあるってだけなんです。論文を書くときに引用は送り仮名も、句読点もゆるがせにせずそのままでなければいけませんが、ウィキペディアは恐ろしいことに、それは望まれていません。読むほうも、また他の編集者もそのように理解しているので、出典がつけてあっても平気で編集されます。それだと内容が変わってしまうから戻さなくちゃならないということをわたくしもしばしば体験し、苦々しく思っておりますが、それがウィキペディアの宿命でしょうか。--ShikiH会話2014年1月3日 (金) 18:26 (UTC)

    リバートへの合意ありがとうございます。どこからどこまでが引用なのかを明示できる機能がwikipedia側にないので、改変されてしまうのは致し方がないですが、内容が間違った方向に変わってしまわないよう可能な限りの自衛策(=文末でなく該当箇所に引用を張る)を事前に講じておくにこした事はないので。--Idutsu会話2014年1月3日 (金) 19:29 (UTC)

    ShikiHでございます。まあ、それをやりすぎると、この文は最初から最後まで引用もとと同じじゃないのかという印象をもたれ、確認の上丸写しだと削除されることがあります。この場合著作権を犯したと判断されて、その記述を含まない版まで管理者がもどし、以降の版を削除します。なんて迷惑、なんてむごい、とも感じますが、むかしはページを白紙化しましたから、現在はそれから見るとだいぶましです。ところで歌舞伎座のノートで議論しているところの歌舞伎座の普通名詞の所、だいじょうぶでしょうね? それから「概要節」をお建てになりましたが、私は反対です。内容から言って「第5期歌舞伎座」がよろしいでしょう。概要節の問題点は「利用者:ShikiH」にまとめてあるのでご覧ください。--ShikiH会話2014年1月3日 (金) 20:38 (UTC)

    ShikiHさんのいう「概要の問題点」は「概要」が論文でいうabstractやintroductionである事を前提に書いてますが、ここでいう「概要」は「歌舞伎座の特徴」くらいの意味で使っているので論がずれてます。(したがって節の名前を「第5期歌舞伎座」、「歌舞伎座の特徴」といったものにしてもよいのですが、読者に不親切&かえって誤解を与えるのでやめました。) もちろん「言い出しっぺの法則」にしたがって今私が書いている概要とは別にShikiHさんがabstractやintroductionに相当する節を付け加えるのは何ら問題なしですし、むしろ望まれている行為ですので是非お願いします。--Idutsu会話) 2014年1月3日 (金) 21:16 (UTC)

    ShikiHでございます。私のページの主張は、概要節を書くならばあのようにということであって、基本的には概要節は不要と思っています。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#概要文には「Wikipedia日本語版では、特に長大な記事の場合、読みやすさの観点から「概要」「概略」などの見出しを設けて記事の概要を記すことが認められています」とあって、逆に言えば長大でない記事に概要節は記さない。この考え方に賛成です。英語版ではそういう節はめったにありませんが、そのほうが構成がすっきり見えます。さっきの記事を書いたときにちょっと筆が滑り、ここでの本来の議論と関係ないことに話を進めてしまいました。お忘れください。--ShikiH会話2014年1月3日 (金) 22:27 (UTC)

    ShikiHさんの編集を見ているとノートへの加筆の方が目立ちますが、この項目にしろ歌舞伎座の項目にしろ必要事項がまだまだ足りていないので、本文の加筆にご協力願えると幸いです。その方がずっと建設的なはずなので。--Idutsu会話2014年1月4日 (土) 02:41 (UTC)

    ShikiHでございます。あらら、大変荒らされやすいページ/議論が盛んなノート に載ってしまいました。ブロックされたくないのでしばらく沈黙します。--ShikiH会話2014年1月4日 (土) 05:43 (UTC)
    こんにちは。「荒らされやすいページ/議論が盛んなノート」の作成に携わった一人、Freetrashboxと申します。「荒らされやすいページ/議論が盛んなノート」は、編集回数が多いノートページを機械的にピックアップしたものですので、このページに載ったからといって、不適切な行為があったというわけではありません。御心配無く。--Freetrashbox会話2014年1月5日 (日) 00:03 (UTC)

    「引用の位置」の問題はウィキペディアでも定まっていないところがあります。私個人の意見は、Idutsuさんに近いです。引用を文節全体に付けてしまうと、後で別の人が編集した時に、引用元にない記述が引用で裏付けられているように見えてしまうことがあります。私も、別の記事でそのような体験をしたことがあります(引用元と真逆の記述になってしまったこともあります)。そのため、引用の位置を、重要な語句(数字など)の後ろに付ける方法はかなり有用だと思います。ただし、このような付け方は煩わしいという人も少なくないようなので、そのような意見があった場合には、ケースバイケースでうまく折り合いを付けていく必要があるとも思います。--Freetrashbox会話2014年1月5日 (日) 00:03 (UTC)

    ShikiHでございます。一般の読者は注釈番号の大多数が句読点前後にあるという形式に慣れています。それ以外の位置にあるものの数がある一定の限度を超えると、不思議に思うかもしれません。この際にウィキペディアの特殊事情、あるいは記事の事情を察してくださる保証はありません。悪くすると、注釈の位置も知らない無教養な人が書いたに違いない、なんて思われる可能性は否定できない。今回、この記事では私の編集をリバートしても限度を超えないと思ったので、リバートに同意しましたが、一般論として注釈番号は句読点付近がよろしいと思います。--ShikiH会話) 2014年1月6日 (月) 15:45 (UTC)  発言は取り消します。--ShikiH会話2014年1月12日 (日) 18:20 (UTC)
    注釈の位置の習慣は分野によって異なり、文中に引用がある例をグーグルスカラーなりarXivなりからいくらでも探せます。「無教養な人」といったwikipediaらしからぬ蔑称を述べる前にまずは「注釈番号の大多数が句読点前後にあるという形式に慣れてい」る「一般の読者」のパーセンテージとその根拠となる文献の提示をお願いします--Idutsu会話2014年1月12日 (日) 16:57 (UTC)
    ShikiHでございます。その証拠は出せません。あくまで私がそう思うだけです。申し訳ありませんでした。文中の語句に引用記号をつけることはいくらでもあることは知っております。私の編集でも語句の後につけたものがあります。よって、おわびの上の私の発言は取り消します。おゆるしください。--ShikiH会話2014年1月12日 (日) 18:20 (UTC)
    再びShikiHでございます。取り消したままではいささか無責任のような気がするので、差し替えの文章を下にお示しします。これで納得してくださると幸いに存じます。
    なにかと批判の多いウィキペディアでは、読者に奇異な感じをもたれることは不利なことです。奇異に思われて評価が上がるとは考えられませんが、随分ひどい評価をする人がいる可能性があるからです。注釈番号の位置のみならず、個々の言葉遣い、文体など、あらゆることが平凡であるほうがたぶん評価が高い。学問の分野ごとに注釈番号の位置は異なるので、語句の所に番号を書くことに慣れている読者もいるでしょうが、慣れていない読者も想定されます。一方、句読点付近に注釈番号をつけてはならないとする分野はほとんどないと思われるので、番号が句読点付近にあることに違和感のある読者は少ないでしょう。そうであれば、不信感の軽減という立場からは、可能であれば、番号は句読点付近にあるほうが有利と判断します。--ShikiH会話2014年1月12日 (日) 20:51 (UTC)

    書き込みありがとうございます。ShikiHさんからはrevertに合意する旨の返事をいただいているので大丈夫だとは思いますが、新たにFreetrashboxが増えたので念の為説明すると、本稿の旧版には現在は学術的に否定されている説が複数書かれていた(し、一般向けの解説書にも相変わらず旧説が書かれている)という経緯があった為、本稿の場合は内容の真偽に対して細心の注意が必要だと思い、引用位置にこだわらせていただいた次第です。--Idutsu会話2014年1月6日 (月) 14:17 (UTC)

    作品・演目・歌舞伎狂言の語義

    ShikiHでございます。用語についてIdutsuさんにお伝えしたいことがあります。「歌舞伎狂言」には舞踊は含まれません。「歌舞伎の作品」と言った時には舞踊を含みます。

    1)歌舞伎狂言 歌舞伎で演じられる芝居。能狂言や歌舞伎舞踊に対していう。また、歌舞伎の芝居台本・脚本。歌舞伎劇。(日本国語大辞典)
    2)歌舞伎の作品をごく大まかに分類すると、丸本物(丸本歌舞伎、義太夫物)、純歌舞伎、所作事(舞踊劇)の三種類になる。(新版歌舞伎辞典、序)

    大きな異論がなければ、この言葉遣いを踏襲してくださいませんか? Idutsuさんは「演目」という語も使っていらっしゃいます。「歌舞伎の演目」ってあんまり見ませんが、「演目」は「作品」と同様に使うのがよろしいのではないでしょうか。http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/5/5_04.html のサイトでも舞踊を含んでいます。
    今のところ記事は工事中なので、編集が一段落したところで私が上記のごとく変更したいと思います。もちろんその前にIdutsuさんが直しても構いませんが、それよりは春休み頃の編集が終わって、一段落するのを待ちます。--ShikiH会話) 2014年1月16日 (木) 10:15 (UTC) 2)の出所を追記、等--ShikiH会話2014年1月16日 (木) 10:40 (UTC)

    あ、すみません。これ本文の引用範囲を誤解してたんですが、よく見てみると「歌舞伎の演目(もしくはその各場面)はその内容により時代物と世話物に大別される」の部分には国史大辞典の引用が付いてないんですね。であればShikiHさんのご指摘通りに直してください。

    「演目」って表現を使ったのは前述のように「歌舞伎狂言」って言葉を避ける為です。我々はこの表現に慣れてますが、読者はそうではないと思われるので、何の説明もなく突然章のタイトル等で使うのは避けたかったわけです。

    でその代替表現を「演目」にすべきか「作品」にすべきかついてはさほどこだわりはないのでどちらでもよいですが、グーグルで検索してみればわかるように、歌舞伎美人なんかでも「歌舞伎の演目」と書いてあるし、wikipediaでも「歌舞伎の演目一覧」って項目があります。「戯曲」、「出し物」など類似の表現は色々とあるので正確を期すのであればShikiHさんお手持ちの歌舞伎辞典で「歌舞伎狂言」を確認してみてください。(私は残念ながら持ってないので)。

    編集についてですが、実はすでにかなり収束しています。もっと書きたい事・書くべき事はあるのですが、今手元にある本では参考資料として不足してますので、一旦編集を止めて後日調べたらまた書きます。(舞台の変遷あたりは手持ちの資料で何とかなるので書き加えるかも。)

    あと別件ですが、「花道」と「行ってこい」に関するコメントに対して。見ての通りまだまだこの項目には不足事項がたくさんあるので、「ここが不足だよ」と指摘するのは比較的簡単です。しかしいざ実際にそれを編集に反映しようとすると「文献を確認する」、「この項目の趣旨や読者の理解度等に応じてどこまで詳しく記述するか取捨選択する」、「簡潔かつ分かりやすい文章に落とし込む」、「前後の文章との整合性や位置づけを考える」、「必要に応じて全体の文章の流れを再構成する」といった作業が必要となりやたら大変です。例えば世界の説明は4度も書き直しました(が、あの通りの分かりにくい文章…)し、舞台の節も3時間がかりで書いたのに重要事項を先に説明するよう改変する為にさらに2時間がかりで書き直しています。

    というわけでShikiHさんにもその手の作業をちょいと手伝っていただけると嬉しいです。 例えば花道が移動の強調に使われるってのはそりゃその通りなんでしょうけど、「突然「移動の強調」なんて難しい表現を使っても歌舞伎を知らない人は分からないかも」とか「「移動の強調」ってかなり特殊な表現だからもし使うなら引用文献がほしいよな」ってな事を考えると私の方ではちょっと反映できなかったんで、ご自身の意見を反映したいのであればShikiHさんの方でそのあたりを突き詰めて分かりやすい文章に落とし込んでいただけると幸いです。(まぁ私の書いた「空間的広がり」だって似たような欠点を抱えてるんで、あそこは何らかの書き直しが必要なんだとは思ってますが)。--Idutsu会話2014年1月21日 (火) 14:16 (UTC)

    ShikiHでございます。いずれにせよまだ工事中らしいので、上記の事、他のことも含めて私はしばらく手を休めます。途中で直すと混乱します。何の根拠もないので、ちがったらごめんなさい。、Idutsuさんがもし大学生だった場合、今、試験期間だろうから、2月になってゆっくりしてからの作業でけっこうです。2月は今度は私が忙しくなりますから、作業できないかもしれない。私としては4月にならないうちにやろうというくらいのつもりでおります。--ShikiH会話2014年1月21日 (火) 14:49 (UTC)

    大幅な改編は数カ月単位でしないと思われるので、今日からでかまいませんのでどんどん編集してください。ノートは編集する為の手段であって目的ではないので、ここでの議論よりも本文の編集を優先していただいてかまいません。--Idutsu会話2014年1月21日 (火) 14:57 (UTC)

    ShikiHでございます。ご報告し忘れていて大変遅くなりましたが、2014年3月28日 (金) 14:09‎ あたりで修正いたしました。--ShikiH会話2016年9月30日 (金) 21:58 (UTC)
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