ノート:日本維新の会 (2016-)/過去ログ2

最新のコメント:2 年前 | トピック:不祥事掲載の基準について | 投稿者:桂輝平

不祥事掲載の基準について

編集

ここに書き込む前に直前の議論「編集合戦となっている記述について」での議論を熟読ください。そして、過ぎた議論を蒸し返すのは断じておやめください。無関係な記事を持ち出して、あたかもそれが重要な論拠であるかのように主張されるのはおやめください。ルール違反のWikipedia:規則の悪用に該当します。もし明確な根拠があり反対する場合は、「A.なぜ」「B.その記事」の「C.特定の箇所」が「D.この項目」に適用できるのか、十分な立証(A、B、C、D)を行ってください。「〜では?」「かもしれません」などを語尾につけて、自分の主張に明確な根拠を提示せずに相手側に一方的に立証責任を押し付けるようなことは著しく不公平です。Wikipedia:妨害的編集#主張のために方針を捻じ曲げないに違反しないように注意ください。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月18日 (月) 13:24 (UTC)

上記で合意形成された後に恐縮ですが、また編集合戦となりつつありますので不祥事掲載の基準について以下のように提案いたします。

  • 逮捕、起訴、除名、公認取り消しが全国紙にて確認できるもの

理由についてですが、道義的に問題があるとされる場合でも法的に問題ない場合基準が各々で変わる(その場合の基準の目安のなり得る物が党による除名や公認取り消しである)、週刊誌などに顕著ですが疑惑と報道されるも事実ではなかった(確認できなかった、あるいは本人が否定している)、個人の主張と党の方針が食い違う事はありえる、などの場合党の記事に記載するのは不適当ではないかと考えるためです。

具体的には2018年2月香芝市議の疑惑、猪瀬氏のセクハラとされる問題、石井氏のルッキズム発言批判、大阪市議の住所実態の疑惑及びスノーボードチャンピオン記載についての疑惑、遠藤氏の秋田犬譲渡問題及び代表理事を努める団体の公平性についての疑惑、池下氏の政治団体の政治資金収支報告書記載漏れ、梅村氏の文通費についての疑惑、伊東氏及び杉本氏の議員会館不適切使用についての疑惑。これらを記載する必要性があるか検討お願いします(地方議員に関しては実名表記を避けています)。これらを全て削除したとしても「不祥事が続いている」とする例示には事足りるかと思います。

なお、不祥事の節及び不祥事が続いている旨を記載することには反対しません。桂輝平会話2022年7月12日 (火) 16:47 (UTC)

建設的な提案ありがとうございます。上記の合意形成で結論ですが、その上で申し上げますと、まず、Wikipediaにおいて全国紙と週刊誌で、後者が信頼性が低いとして差別を行う慣例を聞いたことがありません。週刊誌では訴訟リスクがあることから信頼できる証人や証拠物等を確保した上で、本人に事実関係を確認した上でないと報道は行いません。その上で事実と異なる場合は公人であっても名誉毀損等で訴訟を行う流れになりますので、中立性の観点からも本人からの反論を載せた上での両論併記で問題ありません。公共性の高い政治関連の調査報道に積極的な週刊誌からの情報を除外することは公益性を著しく損ないます。以上です。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月16日 (土) 10:54 (UTC)
概ね桂輝平さんの意見に賛成します。記事は政党のものですが、ここで記載されているものの多くは個人の不祥事でありWikipedia:存命人物の伝記を準用すべきです。ここでは「本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」においては不祥事でも記載するべきとなっております。逆に言えば本人の業績に影響を与えたか不明なものについては記載すべきではありません。また、プライベートや不祥事を記載する場合、週刊誌単体では信頼できる情報源とは言えません。もし、本人の業績に影響を与えるような不祥事であるならば、第一報が週刊誌であっても複数のメディアで後追い報道されます。(例:松山三四六)
もう一つの理由として、ここは政党の記事であり、個人の不祥事のまとめ記事ではありません。政党に大きく影響を与えたといえるものに限定されるべきです。先ほどの松山三四六氏の件を自民党の記事に書くべきかといえばそうではありません。
以上により、不祥事の記載は限定すべきです。桂輝平さんの提案以外に「党の代表(党首や幹事長など)が不祥事を認め謝罪ともいえる言及をしたもの」についてケースバイケースで記載を認めるべきと思います。--たびびと551会話2022年7月17日 (日) 17:45 (UTC)
警告します。過ぎた議論を蒸し返すのはおやめください。その意見は直前の議論「編集合戦となっている記述について」で、すでに「党の任命責任」ということで反駁されております。不祥事の多寡は政党のコンプライアンスを示す重要な指標になり、Wikipediaに載せるべき公共性・公益性が極めて高い情報です。そもそもWikipediaのルール上も慣習上も、週刊誌が全国紙に比べて劣ることにはなりません。どちらもWikipedia:信頼できる情報源で、Wikipediaの記事にある情報を載せるためには十分です。議論はこれで十分です。その上であえて反論させていただきますが、「本人の業績に影響を与えるような不祥事であるならば、第一報が週刊誌であっても複数のメディアで後追い報道されます」は論拠が不明で、あなた本人の思い込みではないでしょうか?あるニュースが全国紙に記載されるかどうかは読者の嗜好など総合的に判断されるものであって、「本人の業績に影響を与えるような不祥事である」を判断する材料にはなりません。そもそも全国で販売される週刊誌に取り上げられる時点で社会通念上は「本人の業績に影響を与えるような不祥事である」ことになるでしょう。そうでなければ、週刊誌記事を巡っての名誉毀損訴訟が起こるはずもありません。再度の要請になりますが、無関係な記事を持ち出して、あたかもそれが重要な論拠であるかのように主張されるのはおやめください。ルール違反のWikipedia:規則の悪用に該当します。もし明確な根拠があり反対する場合は、「A.なぜ」「B.その記事」の「C.特定の箇所」が「D.この項目」に適用できるのか、十分な立証(A、B、C、D)を行ってください。「〜では?」「かもしれません」などを語尾につけて、自分の主張に明確な根拠を提示せずに相手側に一方的に立証責任を押し付けるようなことは著しく不公平です。Wikipedia:妨害的編集#主張のために方針を捻じ曲げないに該当します。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月18日 (月) 09:10 (UTC)
まずはお二方、検討及び返信の旨ありがとうございます。
「党の代表(党首や幹事長など)が不祥事を認め謝罪ともいえる言及をしたもの」についてケースバイケースで記載を認めるべきという意見にも賛同します。おそらく人によって書くべきか書くべきではないか議論が分かれると思いますので個別でケースバイケースで検討していく必要があるでしょう。
また、「編集合戦となっている記述について」で問題になっている編集合戦は
  • 全記載か全削除か
  • 丸山氏及び下地氏の件について
であってそれ以外の自分が挙げた個別の件に関しては議論されておりません。合意を経たものは全削除は行わないということ、丸山氏と下地氏の件の記載のみであるという認識です。
たびびと551さんがほぼ言ってくれていますが、重要で記載するに値するものであれば週刊誌のみに留まらず全国紙にて報道があります。ミシェル・フーコーの振り子さんは週刊誌でも全国紙に劣らない取材能力とチェックがあり、本人からの反論を乗せれば両論併記となる旨の記載がありますが、一般的に全国紙に比べ週刊誌のほうがゴシップ記事に積極的で飛ばしも多いという認識です(週刊誌でも正しい記事があることや全国紙でも誤報があることは承知していますが一般論としてです)。また、例えば香芝市議の件は本人や党からの回答すらなく、池下氏に至っては法に抵触する"可能性がある"レベルでしかなく、これで両論併記、バランスを語るには違和感がありますし、仮に両論併記という形になってもそれを党の記事に記載する必要があるようには思えません。党の記事が主、不祥事の記事が従ですらなくなっています。ウィキペディアは百科事典です。情報を無差別に収集する場ではありません
また、ここは議論の場ですので、「〜では?」「かもしれません」のような記載でも問題ないかと思います。表現が柔らかいだけで「ですます調」や「だ・である調」と内容は同じです。
現状ミシェル・フーコーの振り子さんが不祥事のほぼ全項目を書いており、また、ミシェル・フーコーの振り子さんの記載がほぼ全て維新の不祥事についての記載であるため、かなり偏りがあり、一切の異論を認めないように見えます。党の記載として適切か否かという意見は全削除を行うユーザー以外からも出ており、その度に「ノートでの議論を望む」と差し戻してきているようですが、一方的な押し付けにならぬよう更なる建設的な議論を求めます。桂輝平会話2022年7月18日 (月) 13:34 (UTC)
警告します。過ぎた議論を蒸し返すのはおやめください。あなたは直前の議論「編集合戦となっている記述について」を読まれておりませんよね。あなたの主観を聞いているのではありません。「Wikipediaのルール上あるいは慣習上、週刊誌が信頼できる情報源とみなされないことを示せ」と申しております。そもそもあなたはソースの週刊誌記事を確認されておりませんよね。「香芝市議の件は本人や党からの回答すらなく」ではなく本記事には暴力団からの破門状や関係者の証言があり、暴対法違反の疑いが強いにもかかわらず説明責任を放棄して取材を拒否したのです。事実誤認も甚だしいです。「重要で記載するに値するものであ〜承知していますが一般論としてです)。」は根拠は不明で、その週刊誌の取材プロセスを無視した暴論に過ぎないでしょう。「池下氏に至っては法に抵触する〜違和感がありますし」は公人であるがゆえに本人からの説明が求められるということです。本人から十分な説明があれば疑いは晴れます。「仮に両論併記〜」以下は直前のスレッドで反駁されております。過ぎた議論を蒸し返すあなたは編集妨害行為を行おうとしております。「情報を無差別に収集する場ではありません」が記述を取り除く理由にならないことは何度も説明しました。「党の記載として適切か否か〜」に至っては私に対する侮辱も甚だしいでしょう。「更なる建設的な議論を求めます」とは何ですか?あたかも直前の数ヶ月にもわたる議論が建設的でないような侮蔑的なレトリックです。数ヶ月にも及ぶ議論が終わった後に、後出しジャンケンのように過ぎた論点を蒸し返すこと、それ自体が著しく不毛でコミュニティを著しく消耗させる行為です。慇懃無礼も甚だしいです。そもそもあなたは信頼できる情報源の出典がある記述を除去する行為自体がWikipediaでは荒らし行為とみなされることをご存知ないようです。あなたは議論に参加する以前の正しい事実認識がないように思われます。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月18日 (月) 13:53 (UTC)
半保護などの対処をした立場上、議論に深く踏み込むつもりはないのですが、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源にあるように、メディアによって信頼性の重みづけは変わってくることが方針文書によって明記されており、それゆえに
など、(特に政治分野ではなおさら)情報源の取り扱いについてはケースバイケースで議論されてきました。なので一律に週刊誌を出典とすることが、少なくとも「慣習上」無条件に是認されてきたとは、私には見なしがたいです。実際、週刊誌報道はあっても削除(または版指定削除)された案件は存在します(ちょっと簡単に調べただけでもWikipedia:削除依頼/皇族の姻族Wikipedia:削除依頼/卞在昌ほか)。
で、それはそれとして「かなり偏りがあり、一切の異論を認めないように見えます」とか「あなたは議論に参加する以前の正しい事実認識がないように思われます」といった言葉の投げつけ合いは、お互いにもう少しセーブしていただけるとよろしいのかなとは思います。--Sumaru会話2022年7月18日 (月) 14:45 (UTC)
仲裁及び有益な情報提供ありがとうございます。公共性が高い公人たる政治家の不祥事が週刊新潮や週刊文春などの大手週刊誌に報道された場合は、原則記載という風にすべきです。上記のリンクの記事では以前は週刊誌を理由にした削除があったようですが、議論の中で最初から週刊誌記事を差別するルールなどないことが再認識されたように見えます。現在のWikipediaの慣例上もそうなっていると認識しております。上記のリンクにもあるとおり「自ら信頼性に乏しい」とするスポーツ紙や夕刊紙ならともかく、論題にもなっている週刊文春や週刊新潮による記事が政治分野において、信頼性が乏しいとして議論になった例は現在ないように思われます。また、例に挙げていただきましたWikipedia:削除依頼/皇族の姻族Wikipedia:削除依頼/卞在昌のいずれも私人であり、特に前者は独立記事作成の議論であることから、やはり今回の例には当てはまらないと思います。公共性のない私人に対する著しい名誉毀損・侮辱・信用毀損につながる内容なら削除すべきですが、やはり今回の例には当てはまらないと思います。公人たる政治家への調査報道を積極的に行う大手週刊誌の記事を除外することはやはり公益性を著しく損ねるので、原則記載とすべきです。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月18日 (月) 15:12 (UTC)
>現在のWikipediaの慣例上もそうなっていると認識しております。
要はこの部分について、どのような事例を確認した結果、そのような「慣例」が成立していると御判断なさったのか(方針文書にある、ないという議論は、その文書1つで論じられますが、「慣例」というのは一定程度の事例の積み重ねを裏付けとするもののはずですから)、具体的な例をお示しになるべきでしょう。
そうしたものがなく、「政党の記事はこうあるべき」といった認識を前面に押し出しても、新たな合意は難しいのではないでしょうか。
もちろん、逆にそれを「偏っている」とする側は、その「慣例」の「認識」に対して反証となる方針文書や事例を具体的にお示しになるべきでしょうけれども。
で、私はこれ以上議論に関わりませんので、とりあえずWikipedia:コメント依頼#議_2022年7月に掲出しておきました。--Sumaru会話2022年7月18日 (月) 16:18 (UTC)
  追記 議論に関わらないと言いつつなんですが、上の私のコメントの後にもこんなふうにご自身のコメントを改変していらっしゃるようですし、前にもあったようですが、Help:ノートページ#投稿済のコメントの修正などにあるように、それはマナー違反です。その点ご注意ください。--Sumaru会話2022年7月18日 (月) 16:34 (UTC)
失礼しました。今後注意します--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月18日 (月) 16:41 (UTC)
仲裁ありがとうございます。利用者に対する意見は控えます。
「編集合戦となっている記述について」及び該当の情報源について目を通しています。その上で当節の提案をさせていただきました。
井戸端の内容も確認しました。やはり人それぞれで意見が異なり最終的に統一された見解は出ていないように読み取れました。
週刊誌のみで信頼できる情報源と出来るか、週刊誌のみで信頼できるとは言い切れないか、当然両方の意見があると思いますが、井戸端の内容を確認した上でやはり自分は後者であり、具体例として挙げた項目について、まず週刊誌のみの場合は信頼できる情報源とすべきではなく、次に仮に信頼できる情報源としての意見が認められた場合でも単なる疑惑や処分にならない批判の時点では記事に記載すべきではなく、更に記事に記載することに支障がないという意見が認められた場合でも個人の問題であれば党の記事に記載すべきではない、という意見です。特に単一の週刊誌が情報源の物でしか確認できない香芝市議や遠藤氏の内容に関してはWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源の「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。」に該当すると思いますので除去すべきだと強く主張します(日本のメディアの事情が海外とは異なるという内容は井戸端にて確認しましたが他にソースがないということには違いがありません。また特筆するほど重要であるとも思いません。)。
おそらく平行線になると思いますのでコメント依頼に記載していただいたこともありがたいです。
しばらくは自分からは除去せずに他の方のコメントも聞いてから対応を決めようと思いますが、現時点では"除去しないという合意"ではない点を明記しておきます。桂輝平会話2022年7月20日 (水) 15:40 (UTC)
あらゆる情報を無差別に取捨選択すべきではないというのわかりますが、全国紙に掲載という基準を設けることには反対します。週刊誌が一律に信頼できないとみなすことはできません。世間を騒がせたかんぽ生命保険不適正募集問題は西日本新聞が最初に問題としましたし、第二次安倍政権のスキャンダルの一つである桜を見る会問題しんぶん赤旗が最初に報道しました。「文春砲」と呼ばれる週刊文春が数々の政治家の不祥事を最初に報道していますよね。これらからも分かる通り全国紙ではないということが信頼性が低いということにはならないのではないかと思うのです。全国紙というのは発行部数あるいは発行エリアの話であり、媒体の信頼性を測る指標とはなり得ないのではないでしょうか。そもそも全国紙の定義も不明瞭です。不祥事を掲載するかは党の関与や党活動への影響個別に検討した上で判断すれば良いのであり、全国紙だからOK、週刊誌だからNGという機械的な基準を設けることに意味があるとは思いません。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年7月21日 (木) 12:23 (UTC)
ここでの週刊誌の取り扱いは、「出典として用いてはいけない」ではなく、「週刊誌単一出典のものは取り上げない」です。例えば松山三四六氏では、初報は週刊文春ですが、後に多くのメディアが後追い報道していることから週刊文春を他の出典と合わせて本人記事に用いることは可能です。また、ここでの「全国紙」はスポーツ紙やタブロイド紙に対して用いており、読売、朝日等のほか、西日本新聞のような地方紙や時事通信や共同通信等の通信社の記事でも信頼できる情報源にあたると思います。(赤旗は別途Wikipedia:中立的な観点の問題があります。)
本人や党の業績に影響を与えたといえるものは週刊誌が端を発したものであっても複数のメディアで取り上げられますので、週刊誌単一の記事は取り上げるべきではないと思います。--たびびと551会話2022年7月21日 (木) 15:03 (UTC)
  コメント「週刊誌単一の記事は取り上げない」という基準を作ることにどのようなメリットが有るのか全くわかりません。個別の事象をウィキペディアの記事に掲載するか否かは(議論となった際に)個別に検討すればいい話であり、なぜ今から「週刊誌単一の記事は取り上げない」という基準を作る必要があるのでしょうか?必要性が全くわかりません。
 まず、本記事に関してそのような基準をあらかじめ作ることが本記事の充実や質・量ともに最大規模の百科事典を作るというウィキペディアの目的達成にどのように貢献するのか具体的に明らかにしてもらえませんか。
 そして、それが明らかにされた上でなぜ週刊誌が一律に出典として全国紙よりも出典として不利な扱いをする必要があるのか、その根拠を示してもらえますか。上記二点について不祥事掲載の基準を設けることに賛成の方からの回答をお願いします。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年7月22日 (金) 01:33 (UTC)
桂輝平さんも含め、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源を根拠にされたいそうですが、もう一度記事を確認されて、本当にこのルールが適用できるかを再確認してください。Wikipedia全体で週刊誌の単独出典は政治記事に限定しても見られますし、正直かなりの拡大解釈をされているように思えます。Wikipedia:規則の悪用は禁止されております。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月22日 (金) 09:38 (UTC)
とりあえず、お二人のご意見がまとまるまで待とうと思います。「編集合戦となっている記述について」の合意は生きているので、勝手に記述全体を削除されないようにご注意ください。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月22日 (金) 10:00 (UTC)
自分が節冒頭で挙げた「具体的には~」の記事の再確認をしましたが、自分が提案した「逮捕、起訴、除名、公認取り消しが全国紙にて確認できるもの」には当てはまりません。Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源の拡大解釈ではないかと言いたいようですが逆です。現状がWikipedia:信頼できる情報源の拡大解釈になっています。同じ全国向けの発行媒体であっても新聞雑誌では信頼性に差があります。その許容される線を雑誌の上に引くか下に引くかは個人で差があるでしょうが、同列ではありません。
Wikipedia:ウィキペディアについて及びWikipedia:五本の柱をお読みください。再度言いますがWikipediaは百科事典です。Wikipediaは新聞ではなく情報を無差別に収集する場ではなくスキャンダルやゴシップのまとめサイトではありません。前述の通り、「重要で記載するに値するものであれば週刊誌のみに留まらず全国紙にて報道があります。」「まず週刊誌のみの場合は信頼できる情報源とすべきではなく、次に仮に信頼できる情報源としての意見が認められた場合でも単なる疑惑や処分にならない批判の時点では記事に記載すべきではなく、更に記事に記載することに支障がないという意見が認められた場合でも個人の問題であれば党の記事に記載すべきではない」という意見です。第一報が週刊誌であり、その後全国紙で取り上げ社会的な問題となったもの、あるいは社会的な問題となった後全国紙で取り上げられたものに関して週刊誌を情報元として記載することには反対しません。また、逮捕、起訴、除名、公認取り消しなどが発表されたことは事実の報道であるため反対しません。尤もそのようなものであれば、週刊誌のみならず全国紙でも取り上げるでしょう。私が全国紙でと明記したのはそれが理由です。しかし自分が節冒頭で挙げた具体例に関してはそれに当てはまりません。政党は政治家の集まりであり、Wikipedia:存命人物の伝記に準じて執筆時には特段の注意を払わなければなりません。自分が節冒頭で挙げた「具体的には~」の内容を削除しても「「不祥事が続いている」とする例示には事足りる」のは冒頭でも挙げています。
「個別の事象をウィキペディアの記事に掲載するか否かは(議論となった際に)個別に検討すればいい話」とのことですが、今まさに個別の事象をウィキペディアの記事に掲載するか否かを議論としているところですが、その個別に検討というのが全くなされておりません。読んでください
また、前節から殊更Wikipedia:規則の悪用を挙げられていますが、「メディアによって信頼性の重みづけは変わってくる」「一律に週刊誌を出典とすることが、少なくとも「慣習上」無条件に是認されてきたとは、私には見なしがたいです」と指摘されているように、週刊誌が無条件で信頼できるという前提は(崩れるまで行くかは各々で差があるかと思いますが少なくとも)疑問視されています。その上でそれを押し通そうとするのはそれこそWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用ではないでしょうか。
また「記述全体を削除されないように」とのことですが、前節で編集合戦となっていた「問題の節の全削除は行わない」という合意が形成されている旨承知しているのは前述のとおりです。むしろ自分はその合意に基づいて全削除を差し戻しています[1]。その上で個別の事象について挙げております。桂輝平会話2022年7月24日 (日) 13:32 (UTC)
(追記) 全国紙の定義についてとのことですが朝日、読売、毎日、日経、産経の五大紙の意味で挙げましたが、北海道新聞、中日新聞、西日本新聞のブロック紙、共同通信、時事通信などの通信社もそれに準ずるものと考えております。新聞である全国紙(五大紙)と雑誌である週刊誌には一般論として単体の扱いとして信頼性には差があります。桂輝平会話2022年7月24日 (日) 13:58 (UTC)
「個別の事象をウィキペディアの記事に掲載するか否かを議論としている」ということですが、現在は不祥事事象に共通する掲載基準について議論している認識です。個別の記述について議論されたいのであれば、個別の記述の対象となった事象自体の特筆性や記事との関連性を述べるべきで、出典自体の信頼性に言及するのは筋が違うのではないかと思います。
個別記述を掲載するかしないかという個別事象の特筆性の話と、記事に取り上げるべき出典の信頼性の問題は、この際分けて議論すべきだと思います。
掲載基準に関して述べますが、"全国紙と週刊誌の信頼性に差がある"となぜ言えるのでしょうか。
全国紙はたしかに歴史と権威があり、組織が大きく、購読者が多いという特徴があり、週刊誌は大衆的で、身近な話題が多く、それ故に権威がないように思われているという特徴があります。したがって全国紙のほうが(週刊誌が持ち得ない豊富な取材力で)記事の数が多かったりすることはあると思います。したがって紙面が充実しているという点では全国紙のほうが優れています。
しかし、その優位性はあくまでも読み物としての新聞・雑誌の優劣や権威の話であり、掲載された個々の記事の信頼性という点の話ではないと思います。週刊誌も取材精度や査読精度は全国紙と遜色なく、むしろ名誉毀損等の訴訟リスクを抱えているが故に裏付けとなる事実関係の確認(いわゆる裏取り)は全国紙同様行っていますし、独立した二次資料としての要件は満たしていると考えます。したがって、記事に書かれた事実が「週刊誌だから信用できない」あるいは「全国紙だから信用できる」という話にはならないと考えます。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価でも「出典を幅広く選ぶようにして下さい。」と書かれています。あらかじめ週刊誌を情報源の対象から排除するようなことはすべきではないと思います。読者として読み物を選ぶときの信頼性と、記事の記述の裏付けとしての出典事実の信頼性は、あくまでも別のものとして考えるべきではないでしょうか。
ましてや「全国紙」あるいは「五大紙」といったなんの根拠もない序列(大学の優劣を語る際の日東駒専関関同立などと同じように根拠のないものだと考えます。)で信頼性を評価しようとしている時点で、私としては賛成しがたいものです。
個別の記述を記事に載せるかどうかは、あくまでも当該記述の対象となる事実自体の特筆性等の評価によるべきで、出典媒体がどこかによるべきではありません。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年7月25日 (月) 02:47 (UTC)
革命的共産趣味全ウィキ全共闘さんに同意します。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月26日 (火) 14:35 (UTC)
桂輝平さんにあらためて質問させていただきます。
「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源の拡大解釈ではないかと言いたいようですが逆です。現
状がWikipedia:信頼できる情報源の拡大解釈になっています」
その説明をもう少し詳しくお願いします。その記事には「週刊誌を排除する」とは書かれていませんし、慣習上も週刊誌の単独出典は多く見られますので不可解です。
「同じ全国向けの発行媒体であっても新聞と雑誌では信頼性に差があります」
「「メディアによって信頼性の重みづけは変わってくる」「一律に週刊誌を出典とすることが、少なくとも「慣習上」無条件に是認されてきたとは、私には見なしがたいです」と指摘されている」
それが全国紙に対しての週刊誌の差別的取り扱いにどうつながるのかが不可解です。かなりの論理の飛躍があるように思えます。まず少なくとも、1.あなたの意見と、2.Wikipediaのルール、3.その解釈(誰によってか)、4.Wikipediaの編集慣習、を区別して意見を表明していただきたいです。
「重要で記載するに値するものであれば週刊誌のみに留まらず全国紙にて報道があります。」「まず週刊誌のみの場合は信頼できる情報源とすべきではなく、次に仮に信頼できる情報源としての意見が認められた場合でも単なる疑惑や処分にならない批判の時点では記事に記載すべきではなく、更に記事に記載することに支障がないという意見が認められた場合でも個人の問題であれば党の記事に記載すべきではない」
あなたのこの意見の根拠はどこにあるのですか?客観性があり、Wikipediaの編集慣習に取り入れるだけの明確な根拠はありますか?--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年7月26日 (火) 14:45 (UTC)

  提案 議論がこの2週間以上停滞しており、「不祥事掲載の基準」を設けることに賛成の方からの反論がないようですので、議論を終了させることを提案します。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年8月13日 (土) 14:27 (UTC)

  反対 議論の終了に反対します。まず、最後にレスしたものが勝ち、みたいな安直な考え方はやめてください。私は提案、具体例、根拠、それがWikipediaのあるべき形のどこに値するか、記事の書き方の根拠となるべき方針とガイドラインについて全て述べています。それらを無視して反論がないというのはおかしいでしょう。
「全国紙はたしかに歴史と権威があり、組織が大きく、購読者が多いという特徴があり、週刊誌は大衆的で、身近な話題が多く、それ故に権威がないように思われているという特徴があります。したがって全国紙のほうが(週刊誌が持ち得ない豊富な取材力で)記事の数が多かったりすることはあると思います。したがって紙面が充実しているという点では全国紙のほうが優れています。」とご自身でも理解はしているのではないですか?個別の件についての検討をお願いすれば「掲載基準について話している」、掲載基準について話せば「個々の記事の信頼性」で評価すべきだと矛盾しており破綻しています。
では仮に全国紙週刊誌というくくりは一度置いといて、個別記事の内容で見ていただきたいのですが、自分が挙げた具体例は「逮捕、起訴、除名、公認取り消し」などの検証可能な事実の報道ではなく、「疑い、可能性」などの週刊誌などに載っているだけの第三者には検証不可能な独自研究の物です。事実に対する報道という二次資料ではなく、独自研究という一次資料なのです。画像は出所不明、証言は(プライバシー保護の観点はあるとは言え)匿名の私人、それは信頼できる情報源とは言えません。
「週刊誌も取材精度や査読精度は全国紙と遜色なく、むしろ名誉毀損等の訴訟リスクを抱えているが故に裏付けとなる事実関係の確認(いわゆる裏取り)は全国紙同様行っています」とする主張についても私は懐疑的ですのでそれが確認できる根拠や資料を示して頂けますでしょうか。その週刊誌の記事となりますが週刊誌元編集長による「噂の段階から追及するのが週刊誌の強み」「新聞は、確たる裏付けがなければなかなか飛びついてはくれない」という記事もあります[2]。「文春砲」もすっかり一般に浸透しましたが、数多くの噂のうち、そのいくつかが事実で、更にそのいくつかが致命的だったが故にそういう言葉が出てきただけで、全部が全部「文春砲」という名に値する記事ではありません。また、いくら自分達でしっかりやっていますと言っても一般論として新聞と雑誌では信頼性に差があります[3][4][5]
また、全国紙週刊誌というくくりを置いといたとしても、単なる疑惑や処分にならない批判の時点では記事に記載すべきではなく、更に記事に記載することに支障がないという意見が認められた場合でも個人の問題であれば党の記事に記載すべきではありません。
(以下「利用者に対する意見は控えます」と以前言いましたが、どうしても必要な内容となりますので利用者に対する指摘・意見ご容赦ください。)
それとも革命的共産趣味全ウィキ全共闘さんはこの記事のみに適用される基準の作成ということ自体に反対なのでしょうか。それならばわからなくはないです。しかしながらこれらの不祥事について記載している利用者は最初から一切の修正を拒否しており[6][7][8](他少なくとも5利用者による見直し要請についても一切応じていない、また最初の差し戻し時からことある毎に「ノートでの議論を」と言っているが、自らは立項せず編集合戦を引き起こし、見かねた第三者がノートに議論の場を用意した[9]という背景があり)、その根拠としていた週刊誌出典の「慣習上」無条件での是認について疑念を示され[10]その判断に至った具体例を示すべきと言われた[11]後も全く応じていただけません。それどころか「不祥事の多さ自体が政党のコンプライアンスの欠如を示す」として載せられるだけ載せようとしているように見えます。何度も前述しましたが、それではWikipediaは新聞ではなく情報を無差別に収集する場ではなくスキャンダルやゴシップのまとめサイトではないに完全に反する物となりますので何らかの基準が必要だと考えています。桂輝平会話2022年8月14日 (日) 06:37 (UTC)
  賛成 もっと早く指摘すべきでしたが、Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源には「権威のある出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは、信頼できる情報源です。」と明記されています。よって、この議論は終了すべきです。桂輝平さんは「雑誌は信用できない」との私見を押し通したいようですが、Wikipediaのルール・慣習上も雑誌の単独出典は明確に問題がありません。Wikipediaは新聞ではなく情報を無差別に収集する場ではなくスキャンダルやゴシップのまとめサイトではないを理由にされたいようですが、議論中の話題はその記事にあるいずれの例にもあてはまりません。曖昧な解釈の余地のある「ページのタイトル(ウィキペディアは新聞ではありません)」のみを見せて、その「中身(1.ジャーナリズム 2.報道 3.日誌)」には言及しないことで、ありえないルールをでっちあげていると思われても仕方がありません。Wikipedia:規則の悪用です。直前の議論を踏まえての発言をしろと繰り返し申し上げました。しかし、これも直前の「編集合戦となっている記述について」で行われたWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありませんWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんが政党の不祥事の間に当てはまるかの議論の蒸し返しになっています。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんについても、曖昧な解釈の余地のある「ページのタイトル(ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません)」のみを見せて、その「中身(1.プロパガンダ、アドボカシー(提言)、あるいは求人や勧誘 2.論評(評論) 3.スキャンダルやゴシップのまとめサイト 4.自己宣伝 5.広告活動)」には言及しないのは不誠実な議論です。1、4、5はむしろ批判的な視点を記事に取り入れるべきということになりますから、理由になりません。2は独自研究の禁止です。「3.スキャンダルやゴシップのまとめサイト」が理由ならば、Wikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人には「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」と書かれております。Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源に「権威のある出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは、信頼できる情報源です。」と明記されているため記載できます。戦前からの歴史ある新潮社・文藝春秋社は「権威のある出版社」とすることが社会通念上妥当です。このスレッドでのこれまでの議論を踏まえると、桂輝平さんは直前の議論の論点を確認せよとの勧告を無視して、同じ論点を何度も蒸し返して不毛な議論を続けようとしていると思われても仕方がないと思います。桂輝平さんの主張に進展がなく客観性のあるエビデンスが付加されないなら、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないの適用も検討する必要があります。議論の終了に賛成します。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年8月14日 (日) 10:34 (UTC)
  返信 (桂輝平宛) 相当の期間反論をお待ちしていたにも関わらず反論がないので、終了を提案しただけであり「最後にレスしたものが勝ち」というのは大変心外です。合理的かつ有意な反論もないまま時間が経過すれば、議論の終了にむけて進んで行くのは自明のことではないでしょうか。
私の発言について、矛盾しているとは思いません。読み物として、読者の立場からどのような文献を信頼するかということと、ウィキペディアの出典資料として何がふさわしいかというのは全く別の問題であるということを申し上げているに過ぎません。
「全国紙週刊誌というくくりを置いといたとしても」という時点で、本項で提案のあった不祥事掲載基準についてから議論が脱線しているように思います。ここで個々の記述の是非について論じるべきではないと考えます。
繰り返しになりますが、提案者である桂輝平さんからなぜ掲載基準が必要であるのか、なぜ一律に全国紙が信頼でき週刊誌単体の出典が信頼できないのか、といった本提案の根拠をお示しいただくようお願いしていますが明確なお答えがありません。ミシェル・フーコーの振り子さんからも指摘のあった通り、Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源においても新聞に限らず雑誌も信頼できる情報源足りうるむね明記されているのですから、桂輝平さんが例外を主張されている以上、その根拠を桂輝平さんがお示しいただくべきかと存じます。
なぜこのような一律的な基準が必要なのか、全くその必要性・有用性が理解できません。広く出典を求め、幅広い情報源を参考にして記事を書くべきだというウィキペディアの方針・ガイドラインと真っ向から対立しており、賛同できません。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないの適用にも反対しません。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年8月14日 (日) 14:57 (UTC)
Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源には以下のように書かれています。
その情報源を採用するにふさわしいかどうかは、記事の内容に関係してきます。
一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。その話題について調査が精密であればあるほど、たいていその情報源は信頼できます。とりわけ存命人物の伝記や医学分野の記事のときは、情報源については細心の注意を払ってください。
とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。
それ以外でも、大学レベルの教科書・権威のある出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは、信頼できる情報源です。 電磁的な出版物でも、同等の基準を満たしていれば使用できます。 — Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源
ここで言われている雑誌というのは歴史分野における歴史雑誌、医学分野における医学雑誌、科学分野における科学雑誌などであって、文春や新潮のような日本におけるいわゆる週刊誌の政治家の不祥事についての記事を肯定する内容ではありません。文脈を呼んで判断する必要があります。また、自分が示した具体例に関しては「専門家によって検証・分析されている」ものではありません。
一方でWikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源には以下のように書かれています。
一般に、信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「テレビで観た」や「ラジオで聴いた」など)、または編集上の監督を欠く情報源です。
ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください。例えば「イギリスの日刊タブロイド紙『サン』によれば…」としてください。 — Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源
主観的な評価となる雑誌が新聞に比べ「評判が良くない」とされる根拠について客観的資料を自分は示しました[12][13][14]。「信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられない」に相当する具体例に関して、主観的な評価となる「重要で残す値打ち」の根拠について私はないと考えますが、客観的資料があるのでしたらご提示お願いします。
革命的共産趣味全ウィキ全共闘さんが一律的な基準は不要とする主張、基準と具体例は切り離して考えるべきとする主張は理解しました。しかしながらあまりに無節操な(と私は考える)具体例によって基準が必要ではないかと提案したわけなので完全に切り離すのは難しく、基準と具体例の同時検討、もしくは具体例を見直した上で基準の制定についての検討が必要だと私は考えます。そういう意味ではより良い提案の仕方があったかと思いますのでそこは反省します。桂輝平会話2022年8月15日 (月) 16:30 (UTC)
  返信 Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源に記載されている「事実確認について評判がよくない」、「事実確認の機能を欠く」、「編集上の監督を欠く」といった要件に日本の週刊誌全体が当てはまるという根拠を示してください。
なお、お示しのあった客観的資料は、例えば総務省の調査資料であれば、アンケート調査で回答者がどう思っているかを回答したもので、「利用していないメディアについては、大体の印象で回答」という条件で回答を得たものです。要するに、国民がどのようにメディアを利用しているかを調査するために行った調査であり、各メディア媒体がどの程度信頼性があるか、といったことを明らかにする調査ではないことにご留意ください。そのため、これらの資料をもって「事実確認について評判がよくない」ということはできないと考えます。
週刊誌元編集長の記事を出されていましたが、お示しの「噂の段階から追及するのが週刊誌の強み」という発言は、「新聞やテレビは、事件化し、警察などが発表しないと書かない。」という言葉と対置されるものです。新聞やテレビは公式発表をもとにして記事を書くが、週刊誌は公式発表以外の関係者の告発やスキャンダルの持ち込みを契機として取材を開始する、と言っているに過ぎません。普通に読めば、週刊誌が「事実確認について評判がよくない」、「事実確認の機能を欠く」、「編集上の監督を欠く」といっているわけではないと思います。
断片的な情報をもとに週刊誌の信頼性を意図的に貶めようとしているように見えます。
加えて、ご提案のあった掲載基準を採用して、どのようなメリットが有り、記事の充実にどのように資するのか、明らかにしてもらえないでしょうか。編集合戦となっている記述についてで議論された結果、結局不祥事に関する記述は復活させ、残すことで議論は集結しています。例えば特筆性のない不祥事記述が多く書かれていて、それらが結果として特筆性なしとして除去された、という経緯があるのであれば掲載基準を設けようという発想も理解出来るのですが、現状特筆性不足として不祥事記述が除去されているという事実もないのに、なぜいきなり掲載基準を設けようという提案に至るのでしょうか。現状にどのような問題があり、掲載基準を設けることでそれをどのように改善しようとしているのか、それが一切見えてきません。なぜこのような一律的な基準が必要なのか、全くその必要性・有用性が一切疎明されていないように思います。その点を意図的に説明しないのか、説明できないのか、説明を忘れているのかはわかりませんが、この点について現状を踏まえた明確な説明もないのにいつまでも納得せず掲載基準にこだわるのは、議論のための議論になっていないでしょうか。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年8月16日 (火) 06:06 (UTC)
仮に「世論調査で週刊誌が新聞やテレビに比べて信頼できない」との数字が出たとしても「Wikipediaで週刊誌が出典として使用できない」根拠にはできません。Wikipedia:検証可能性には「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できる情報源(ソース)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性 (Verifiability, V) と呼んでいます」とされています。そして、世論調査で信頼性が評価されようと、テレビ番組の内容を出典として利用できないことは有名です。それは検証可能ではないからです。つまり、世論調査で週刊誌が新聞やテレビに比べて信頼できないとする数字が出たとしても、週刊誌の記事は検証可能であるゆえ、Wikipediaに記載することができます。あと、Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源についても、桂さんの主張:「雑誌というのは歴史分野における歴史雑誌、医学分野における医学雑誌、科学分野における科学雑誌に限る」というのは、文章をあまりに自分の都合の良いようにねじ曲げていると言われても仕方がないと思います。
その情報源を採用するにふさわしいかどうかは、記事の内容に関係してきます。その情報源を採用するにふさわしいかどうかは、記事の内容に関係してきます。
一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。その話題について調査が精密であればあるほど、たいていその情報源は信頼できます。とりわけ存命人物の伝記や医学分野の記事のときは、情報源については細心の注意を払ってください。
とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。
それ以外でも、大学レベルの教科書・権威のある出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは、信頼できる情報源です。 電磁的な出版物でも、同等の基準を満たしていれば使用できます。 — Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源
この文章は、Wikipediaの記事全体に適用される信頼できる情報源の基準を示すもので、「歴史・医学・科学分野」に限定した内容を示すものではありません。三番目の文はその中で「歴史・医学・科学分野」における限定的な基準を示すものです。仮に桂輝平さんの意見が正しいとして、「主流の新聞」はどう解釈するのですか?
あと、桂さんの主張の中でとりわけ酷い内容のものがありましたので指摘します。
では仮に全国紙週刊誌というくくりは一度置いといて、個別記事の内容で見ていただきたいのですが、自分が挙げた具体例は「逮捕、起訴、除名、公認取り消し」などの検証可能な事実の報道ではなく、「疑い、可能性」などの週刊誌などに載っているだけの第三者には検証不可能な独自研究の物です。事実に対する報道という二次資料ではなく、独自研究という一次資料なのです。画像は出所不明、証言は(プライバシー保護の観点はあるとは言え)匿名の私人、それは信頼できる情報源とは言えません。
Wikipedia:独自研究は載せないに独自研究の定義があります。
独自研究 (original research) とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。
ウィキペディアは独自研究を発表する場ではありません。情報源を明記することと独自研究を避けることは、密接に関わり合っています。独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです
つまり、Wikipediaにおける独自研究とは、第三者によって発表された信頼できる情報源によらないWikipedia編集者の主観に基づく記述のことです。週刊文春・週刊新潮は、Wikipedia編集者ではない第三者ですから、独自研究にはなりません。Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源にも雑誌は含まれています。桂さんは「真実であるかどうか」にこだわるあまり週刊誌を排除しようとされているようですが、ウィキペディアの掲載基準は、「真実であるかどうか」ではなく、「検証可能かどうか」です。事実のみでなく論争を記述することも、Wikipediaの特徴です。根本的な誤解がありますので、いい加減に納得していただきたく思います。
Wikipediaの慣習上も、例えば公明党の記事には、公明党#論議のある問題にある公明党#生活保護不正受給の口利き問題で『週刊ポスト』を単独出典とした記述「また週刊ポストの調査では公明党市議の母親は以前居住していた塩竈市でも同様の手口で生活保護費を受給していた事が確認されたが受給された生活保護費がどのように使われたかは全く不明としている。最後に決議に反対した公明党議員へ(党籍が同じというだけで)は返還請求訴訟に反対するのであれば公明党は党全体で生活保護の不正受給を容認していると締めくくられている」が少なくとも、2019年7月26日 (金) 20:19 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版[15]から存在しております、政治家個人につきましても、蓮舫の記事の、蓮舫#不祥事・批判に「1997年の雑誌インタビューでは「私は中国人の父と日本人の母の間に生まれたんですが、父親が日本人として子どもを育てたので日本のことしか知らないし、日本語しか話せない。それが自分の中でコンプレックスになっていました。だから自分の国籍は台湾なんですが、父のいた大陸というものを一度この目で見てみたい、言葉を覚えたいと考えていました。」と話していた」との週刊誌単独出典の記述も、少なくとも、2019年3月21日 (木) 02:14 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版[16]からあり、Wikipediaの慣習上も問題がありません。そしてこの記事のみに限らず、週刊誌単独出典を一律に制限することのWikipedia全体への悪影響は、極めて大きく、Wikipediaの編集活動に大きな制約を与えることにつながります。ましてや議論中の記事は公人と国政政党にまつわるものですから、公共性・公益性を第一に考えるべきで、いくら本人たちに不都合であっても積極的に記載するのが原則です。 
追加ですが、週刊文春における内容の真実性について、[17]「おそらく読者のみなさんが思っているよりも、しっかり証拠固めをしていると思います。噂レベル、推測レベルで書くようなことは決してせず、事実であることの裏付けや、事実と信じるに足りる『相当の理由』を入念に調べています。週刊文春に書いてあることは事実だ、と読者の皆さんに信頼していただけるよう努力を続けています。それこそが、週刊文春が今後もメディアとして存続するうえでの生命線だからです。」とあり、少なくとも東京スポーツのような自ら信頼性の低いタブロイドと開き直るような媒体ではありません。
私に対して「しかしながらこれらの不祥事について記載している利用者は最初から一切の修正を拒否しており」「(他少なくとも5利用者による見直し要請についても一切応じていない、また最初の差し戻し時からことある毎に「ノートでの議論を」と言っているが、自らは立項せず編集合戦を引き起こし、見かねた第三者がノートに議論の場を用意した」との事実に反したことを述べているのは遺憾です。過去の版を確認すればわかりますが、修正には応じています。そもそも修正ではなく、出典付きの記述を理由なく丸ごと除去する荒らし行為を繰り返す別のユーザーがおり、議論を呼び掛けても応じなかったのが発端です。そのユーザーはすでに一度ブロック処分を受けていますが、反省せずにまた同じ行為を始めたようです。私の編集歴に言及した以上、文句を言わせていただきますが、桂さんがいつまでも納得せずに直前の議論を何度も蒸し返し、私や革命的共産趣味全ウィキ全共闘さんに、長々と説明の手間をとらせていることも一種の編集妨害に思えます。Wikipediaの規則の曲解や詭弁も目に余ります。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年8月18日 (木) 11:09 (UTC)
まず、提案した基準を採用するメリットに関してですが、中立的な観点から外れ不祥事に過度に偏っている現状の改善が見込まれます。現状党が関係ない関係者個人の不祥事や不祥事と言えるかすら怪しい疑惑や批判まで過度に記載されておりバランスを欠いています。不祥事が続出しているという記事が出たこと及び実際に多いと考慮しても、自分が挙げた具体例に関しては党の記事に記載する必要性はなく、削除しても続出していることを示すには十分な例が出ています。
ミシェル・フーコーの振り子さんは否定していますが、全削除ではなく個別事例についての精査を行いその利用者なりに問題があると考えたと思われる事例の削除[18]をも問答無用で差し戻してきた[19]という経緯があります。この時点ではまだノートへの立項もされておらず、その前には(こちらは全削除ですが)削除[20]に対して差し戻し[21]のみならず、差し戻しに見せかけた追加[22]を行ったり、編集合戦を引き起こし第三者がノートに立項した[23]後も双方ノートでの議論は行っておらず、それにより全削除か全記載かという形の編集合戦が再度巻き起こっております。
その後ノート:日本維新の会_(2016-)#編集合戦となっている記述についてで議論が行われましたが、こちらでの結論は全削除はしないというものであり、議論されているものに関しても前半は鈴木宗男氏のロシアについての発言、後半は丸山氏と下地氏についてが主であって、自分が提案した基準から外れる挙げた具体例に関しては話されておりません。
ミシェル・フーコーの振り子さんがいう「全削除を繰り返しブロックされたが再度全削除を繰り返している」としているユーザーはこちらの方[24]でしょうか。そうであれば私も問題だと感じておりますので差し戻し及びノートでの議論を呼びかけておりますが、発端はそれより更に前のことだという認識です。上記で述べた通りミシェル・フーコーの振り子さんの強硬な態度が全削除か全記載かという編集合戦を引き起こした主因です。ノートでの議論に参加しないで編集を強行していることや全削除をしないという合意ができた後も繰り返していることは問題だと強く感じてはいますが。
次に、自分が挙げた資料についてですが、回答者がどう思っているかと各メディア媒体がどの程度信頼性があるかは同義ではないでしょうか。信頼性という言葉には主に「どの程度信じられているか」と「どの程度正確であるか」の2つの意味がありますが、信頼できる情報源の信頼は前者の意味で使用されているという認識です。後者の方は主に工業製品やシステムの正確性という概念で使われていますが、これをメディアの信頼性に当てはめるには全て(もしくは無作為に選んだある程度の数)の記事のうちどれだけ事実であったかという検証を行わねばならず、そのような検証は信頼できるとする側、信頼できないとする側双方難しいのではないでしょうか。
また、ここで挙げられている主流の新聞というのは農業における農業新聞、工業における工業新聞などその分野における主流の新聞(日本で言えば日本農業新聞日刊工業新聞など)と解釈しております。
ミシェル・フーコーの振り子さんが挙げたWikipediaの慣習上週刊誌単独出典が問題ないとされる根拠についてですが、放置されてきたものではなく議論の末に問題なしと認められて残ったものを示して頂けますでしょうか。
その上で個別の事例についてですが、公明党#生活保護不正受給の口利き問題についてはその前文で赤旗を情報源とした内容が書かれており、それの追記事としてのものだと思われます。赤旗の中立性や(電子版記事がないため)該当の週刊ポストの記事を読めていないため深入りは避けますが、ここで議題になっている週刊誌単独出典とは違うものかと。また、市議の母親は私人であるため記載には一層の注意が必要かと思います。
蓮舫#不祥事・批判については二重国籍問題が当時社会的に大きな議論を巻き起こしていたため特筆性を満たすものであるかと思います。また、こちらも二重国籍問題における情報源となる朝日や読売などの記載に関連するものであってここで議題になっている週刊誌単独出典とは違うものです。
また、不祥事に対する取材でしたとされる発言と宣伝を兼ねたインタビューでしたとされる発言は主体性が全く異なるので同格ではないと思います。信頼できる根拠として挙げられた記事[25]についても、現役の編集長が宣伝の記事で「うちは信頼できない記事を書いてます」みたいな事を言うことはまずありえないんじゃないでしょうか。桂輝平会話2022年8月20日 (土) 15:25 (UTC)
相変わらず、過去の議論の蒸し返しやWikipediaのルールへの致命的な誤解を続けておられ、私の編集履歴に対する悪意ある言及・自分の意見を押し通すための詭弁もおやめにならないことを残念に思います。あなたの主張に対して論点ごとに反論を行います。
まずはこの主張です。
まず、提案した基準を採用するメリットに関してですが、中立的な観点から外れ不祥事に過度に偏っている現状の改善が見込まれます。現状党が関係ない関係者個人の不祥事や不祥事と言えるかすら怪しい疑惑や批判まで過度に記載されておりバランスを欠いています。不祥事が続出しているという記事が出たこと及び実際に多いと考慮しても、自分が挙げた具体例に関しては党の記事に記載する必要性はなく、削除しても続出していることを示すには十分な例が出ています。
「中立的な観点から外れ不祥事に過度に偏っている」というのは事実誤認です。Wikipediaでは広告・自己宣伝的な記事は望ましくないとされており、記事全体のバランスとして批判的な観点を取り入れる必要があります。ましてや議論中の記事は公人と国政政党にまつわるものですから、公共性・公益性を第一に考えるべきで、いくら本人たちに不都合であっても積極的に記載するのが原則です。「問題・処分」が追加される前は党に対する自己宣伝・肯定的な内容に偏っており、とりわけ「自民党」や「公明党」のような他政党の記事との公平性に問題がありました。党職員や所属議員の不祥事は直前の「編集合戦となっている記述について」で「党の任命責任」ということで結論がついています。いい加減過ぎた議論の蒸し返しはおやめください。迷惑行為です。
この発言も実に酷い内容です。
ミシェル・フーコーの振り子さんは否定していますが、全削除ではなく個別事例についての精査を行いその利用者なりに問題があると考えたと思われる事例の削除[53]をも問答無用で差し戻してきた[54]という経緯があります。この時点ではまだノートへの立項もされておらず、その前には(こちらは全削除ですが)削除[55]に対して差し戻し[56]のみならず、差し戻しに見せかけた追加[57]を行ったり、編集合戦を引き起こし第三者がノートに立項した[58]後も双方ノートでの議論は行っておらず、それにより全削除か全記載かという形の編集合戦が再度巻き起こっております。
Wikipedia:荒らし#不当な白紙化をご覧ください。Wikipediaでは理由なき出典付き記述の削除は荒らし行為とみなされます。あなたはこの編集[26]を「個別事例についての精査を行いその利用者なりに問題があると考えたと思われる事例の削除」とされますが、大手新聞を出典にしているものも含め、無差別な削除を行なっており、「荒らし」に該当するものです。一応「不確定な情報を除いた上で、確定的な条項のみを残した。」との一見それらしい理由を添えてはいますが、このユーザーは新規ユーザーであり、Wikipedia:検証可能性を理解していないことは明白でしょう。論外な編集を差し戻すのは当然のことで責められる理由はありません。[27]も同様です。そしてルールを無視して何度も削除を繰り返すユーザーに「wikipediaのルールに適合する客観的な理由があれば、ノートでの議論をお願いします」と呼びかけてきたことを無視するのは、悪質な印象操作をしていると断言できます。[28]を問題視していることも意味不明です。編集合戦が起こったことを問題視するのであれば、出典付き記述を除去するには相当の理由が必要なのにもかかわらず恣意的な削除を繰り返した別のユーザーに責任があります。Wikipedia:中立的な観点#中立を達成するためにでは「原則として、単に偏向しているように思われるなどという理由で、出典を明記した情報を除去しないでください。その代わりに、その一文や一節をより中立的な言い回しに書き改められないか、試してみてください。偏った情報は大抵、他の情報源を引用した資料を持ち合わせて執筆することで釣り合いがとれ、より中立的で幅広い視野を提供することができるため、そのような問題は正常な編集工程を通して可能であれば解決すべきです。記述を除去するのは、それが読者に誤った情報を伝えたり誤解を招いたりするおそれがあり、なおかつその部分を書き換える方法では対応できないと信じるに足る妥当な理由がある場合のみにしてください。」とされています。あたかも私が身勝手な編集行為を繰り返しているかのような主張は不当です。ルール違反は記述を取り除く側です。
この主張についても、相変わらず他人の発言の曲解が酷いと思います。
その後ノート:日本維新の会_(2016-)#編集合戦となっている記述についてで議論が行われましたが、こちらでの結論は全削除はしないというものであり、議論されているものに関しても前半は鈴木宗男氏のロシアについての発言、後半は丸山氏と下地氏についてが主であって、自分が提案した基準から外れる挙げた具体例に関しては話されておりません。
ノート:日本維新の会_(2016-)#編集合戦となっている記述についてでは「所属議員の不祥事について党の任命責任や使用者責任があるので記載する」と結論づけられております。
次にこれです。
次に、自分が挙げた資料についてですが、回答者がどう思っているかと各メディア媒体がどの程度信頼性があるかは同義ではないでしょうか。信頼性という言葉には主に「どの程度信じられているか」と「どの程度正確であるか」の2つの意味がありますが、信頼できる情報源の信頼は前者の意味で使用されているという認識です。後者の方は主に工業製品やシステムの正確性という概念で使われていますが、これをメディアの信頼性に当てはめるには全て(もしくは無作為に選んだある程度の数)の記事のうちどれだけ事実であったかという検証を行わねばならず、そのような検証は信頼できるとする側、信頼できないとする側双方難しいのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、Wikipedia:検証可能性には「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できる情報源(ソース)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性 (Verifiability, V) と呼んでいます」とされています。そして、世論調査で信頼性が評価されようと、テレビ番組の内容を出典として利用できないことは有名です。それは検証可能ではないからです。つまり、世論調査で週刊誌が新聞やテレビに比べて信頼できないとする数字が出たとしても、週刊誌の記事は検証可能であるゆえ、Wikipediaに記載することができます。あなたの考える信頼性の基準は記述を除去する理由にはなりません。
とりわけ酷いのはこれです。
また、ここで挙げられている主流の新聞というのは農業における農業新聞、工業における工業新聞などその分野における主流の新聞(日本で言えば日本農業新聞や日刊工業新聞など)と解釈しております。
あまりに酷い返答だと思います。「歴史・医学・科学分野」における「主流の新聞」とは何かとの質問に対し、なぜ「農業・工業分野」の新聞の例を挙げるのでしょうか?論点をずらすだけの稚拙で不誠実極まりない回答です。程度の低い詭弁です。仮にあなたの主張:「雑誌というのは歴史分野における歴史雑誌、医学分野における医学雑誌、科学分野における科学雑誌に限る」というのが正しいならば、「歴史・医学・科学分野」にも「主流の新聞」(「主流」があるということはもちろん「傍流」の新聞も)が存在することになりますが、あなたがこの3つの分野でそれを示せない以上、あなたの主張に矛盾が生じます。
繰り返しますが、Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源はWikipediaの記事全体に適用される信頼できる情報源の基準を示すものです。「歴史・医学・科学分野」に限定した内容を示すものではありません。三番目の文はその中で「歴史・医学・科学分野」における限定的な基準を示すものです。
その情報源を採用するにふさわしいかどうかは、記事の内容に関係してきます。その情報源を採用するにふさわしいかどうかは、記事の内容に関係してきます。
一般的に良い情報源とされるのは、事実・法的解釈・証拠・主張などの点が専門家によって検証・分析されているものです。その話題について調査が精密であればあるほど、たいていその情報源は信頼できます。とりわけ存命人物の伝記や医学分野の記事のときは、情報源については細心の注意を払ってください。
とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。
それ以外でも、大学レベルの教科書・権威のある出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは、信頼できる情報源です。 電磁的な出版物でも、同等の基準を満たしていれば使用できます。 — Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源
これも過去の議論の蒸し返しです。いい加減にしていただきたいです。
ミシェル・フーコーの振り子さんが挙げたWikipediaの慣習上週刊誌単独出典が問題ないとされる根拠についてですが、放置されてきたものではなく議論の末に問題なしと認められて残ったものを示して頂けますでしょうか。
まずWikipedia:検証可能性で可能だと明記されている出典に文句をつける例を見つけろということ自体、極めておかしな要求です。例えば、読売新聞を出典とした内容について「放置している」と主張し、「議論の末に問題なしと認められて残ったものを示せ」と言う主張と同じだと思います。自明であるからこそ議論など起こらないことだからです。悪魔の証明の要求です。そもそもWikipediaでの特筆性は信頼できる情報源があればたいていは十分であり、記述を追加するにあたって毎度ノートで議論をするケースなどほとんどありません。そのようなことは著しく不効率であり、Wikipediaの編集を大きく停滞させかねないからです。国政政党である公明党や有名議員である蓮舫氏の記事は、活発に編集がなされております。あなたの主張を正しいとするなら、より高い編集頻度の記事で大手週刊誌の単独出典が問題視された削除に至った例(政治カテゴリが望ましい)の一つも見つかるでしょうから、提示していただけなければいけません。しかしあなたは証拠を提示されておりません。ほぼ編集頻度の高い「公明党」「蓮舫」ページを「放置」と表現するのは明白に事実に反します。立証責任はあなたにあります。つまりあなたが、週刊誌の単独出典を問題視してノートでの議論を経て削除に至った例を出す必要があります。
これも元文章からは読み取れない内容を、あたかも自明であるかのようなレトリックを使っております。
その上で個別の事例についてですが、公明党#生活保護不正受給の口利き問題についてはその前文で赤旗を情報源とした内容が書かれており、それの追記事としてのものだと思われます。赤旗の中立性や(電子版記事がないため)該当の週刊ポストの記事を読めていないため深入りは避けますが、ここで議題になっている週刊誌単独出典とは違うものかと。また、市議の母親は私人であるため記載には一層の注意が必要かと思います。
公明党#生活保護不正受給の口利き問題をご覧ください。文章から読み取れるのは、赤旗出典の記述は多賀城市における不正受給の話に限定したものであり、以下の部分に限定したものです「生活保護の受給に関し公明党の市議やが口利きを行っていた事実がある。その中では不正受給も認定されている。例として1999年(平成11年)5月から2003年(平成15年)6月にかけて公明党市議の母親が生活実態がないにもかかわらず、生活保護を申請し生活保護費を不正に受給していた。本件では申請を行う際、公明党市議が自ら市職員に口利きを行ったことが確認され、受給後市の担当者が、公明党市議の母親の1年問の水道や電気の使用量を調べた結果、一般的な一人暮らしの数か月分しかなかったため不正受給とみなし多賀城市議会は、公明党市議や親族に対して生活保護を打ち切った上で、市議会において返還請求訴訟を起こすことを賛成多数で可決した」週刊ポスト出典の記述は塩竈市における話であり、同じではありません。「また週刊ポストの調査では公明党市議の母親は以前居住していた塩竈市でも同様の手口で生活保護費を受給していた事が確認されたが受給された生活保護費がどのように使われたかは全く不明としている。最後に決議に反対した公明党議員へ(党籍が同じというだけで)は返還請求訴訟に反対するのであれば公明党は党全体で生活保護の不正受給を容認していると締めくくられている」の部分です。ちなみに私人(公人の親族ですが)であろうと生活保護の不正受給という公共性の高い案件であり、実名を挙げられているわけでもなくWikipedia:削除の方針#B-2にも該当しないため問題はありません。
蓮舫#不祥事・批判については二重国籍問題が当時社会的に大きな議論を巻き起こしていたため特筆性を満たすものであるかと思います。また、こちらも二重国籍問題における情報源となる朝日や読売などの記載に関連するものであってここで議題になっている週刊誌単独出典とは違うものです。また、不祥事に対する取材でしたとされる発言と宣伝を兼ねたインタビューでしたとされる発言は主体性が全く異なるので同格ではないと思います。
これも「1997年の雑誌インタビューでは「私は中国人の父と日本人の母の間に生まれたんですが、父親が日本人として子どもを育てたので日本のことしか知らないし、日本語しか話せない。それが自分の中でコンプレックスになっていました。だから自分の国籍は台湾なんですが、父のいた大陸というものを一度この目で見てみたい、言葉を覚えたいと考えていました。」と話していた」の部分はほかの出典からは読み取れず、明確に区別される記述です。つまり、週刊誌の単独出典となります。「二重国籍問題」という大きな枠の中にあるから今回の件とは違うというのは、恣意的な基準です。それなら、議論中の記事も「日本維新の会の所属議員の不祥事」という枠でくくることができます。
信頼できる根拠として挙げられた記事[60]についても、現役の編集長が宣伝の記事で「うちは信頼できない記事を書いてます」みたいな事を言うことはまずありえないんじゃないでしょうか。
文意を正しく読み取ってください。Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源には信頼できない情報源の定義として、「1.事実確認について評判がよくない情報源」「2.事実確認の機能を欠く情報源」「3.編集上の監督を欠く情報源」の3つが挙げられています。タブロイド新聞が例に挙げられていますが、タブロイド新聞の1つの東京スポーツは自ら「2.信頼性に乏しい」と語るのは有名です。少なくとも『週刊文春』はそのようなレベルではないという話です。もっともウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。仮に信頼性に乏しい情報源でも、「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください」とあるので記載することができます。国政政党と公人に関わる法令違反の可能性は、重要で残す値打ちがある内容です
一般に、信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「テレビで観た」や「ラジオで聴いた」など)、または編集上の監督を欠く情報源です。ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください。例えば「イギリスの日刊タブロイド紙『サン』によれば…」としてください。 —  Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源
結論から言えば、『週刊文春』『週刊新潮』等大手週刊誌の単独出典は、Wikipediaのルールから容易に可能であると導き出せるものです。慣習上も可能です。あなたは「週刊誌は信用できない」と言う個人の主観をWikipediaのコミュニティ全体に押し付けようとしており、極めて身勝手な主張です。繰り返しになりますが、ウィキペディアの掲載基準は、「真実であるかどうか」ではなく、「検証可能かどうか」です。事実のみでなく論争を記述することも、Wikipediaの特徴です。根本的な誤解がありますので、いい加減に納得していただきたく思います。正直、桂さんはWikipediaのルールに従った編集をしたいのではなく、個人の主観を押しつけたいのではないでしょうか?だから、理解に苦しむルールの曲解を繰り返しておられるのでしょう。Wikipedia:規則の悪用はおやめください。あなたがどうしても大手週刊誌単独出典を排除したいのであれば、あなたがWikipediaのルール・慣習から即座に導けるエビデンスを出す必要がありますが、あなたが出しているアンケート調査のような薄弱なエビデンスは、Wikipediaの記述から削除するには不十分です。Wikipedia:検証可能性に違反しているということが示せないからです。独自研究の定義に対する致命的な無理解もそうですが、正直あなたは迷惑行為をされていると思います。まずはルールを曲解せず正しく理解してください。他人の編集に難癖をつけるのはやめて、自ら出典を持ち寄り、有意義な記事の加筆に時間を費やす方が生産的だと思います。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年8月22日 (月) 15:22 (UTC)
まず、長すぎます、読んでいません。いや、読みましたけども、引用が多いことを考慮しても長過ぎます。ノート:日本維新の会_(2016-)#編集合戦となっている記述について節でもそのような傾向が見られましたけれども、物量と回数と最後にレスした者が勝ち的な考え方と過度な個人攻撃と過度なレッテル貼りと頑なすぎる態度でコミュニティを疲弊させ相手を去らせて無理やり合意したことにするというのは有意義ではないと思います。ミシェル・フーコーの振り子さんはWikipedia:規則の悪用Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないWikipedia:妨害的編集#主張のために方針を捻じ曲げないなどをことある毎に持ち出しますが、あなた自身がそうなっていないか省みられることを勧めます。
次に、個別事例の削除を試みたユーザーについてですが、Wikipedia:荒らし#不当な白紙化をもう一度しっかりお読みください。「まとまった内容の除去ではあっても、その内容を確認すれば除去の理由が明白である場合、通常荒らしとは見なされません。また、一見してまともな内容を除去する編集ではあっても、要約欄に一応その理由が書いてあったり、リンクや参照などがされていれば、通常荒らしとは見なされません。」と書かれており、荒らし扱いするのは違うかと思われます。また、「新規ユーザーであり、Wikipedia:検証可能性を理解していない」とのことですが、新規ユーザーであることは理由になりません。ミシェル・フーコーの振り子さん自身も不祥事の節を追加した際は新規ユーザーでした。仮に新規ユーザーであることを理由にするのであればWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいというガイドラインに明確に違反しています。
「ここで挙げられている主流の新聞」についてですが、これはお互いに読み違いがあるようですので補足します。ミシェル・フーコーの振り子さんの「「主流の新聞」はどう解釈するのですか?」との問いを「朝日読売などの「主流の新聞」はここで挙げられている歴史分野における歴史雑誌、医学分野における医学雑誌、科学分野における科学雑誌のような特定な専門分野を持つ物に当たらないがどう解釈するのか?」という意味だと捉え、「特定の専門分野の「主流の新聞」としては農業における農業新聞、工業における工業新聞などがある」という例を示しただけです。「歴史・医学・科学分野」というのは専門家による検証分析がとりわけ重要である分野の例示であって、専門家による検証分析がとりわけ重要である分野がそれに限ると言っているわけではありません。
お互い分かり合えないことは十分分かったと思います。平行線のまま議論を続けても新規参加者が参加しづらくなるだけだと思いますので一度自分はここで控えます。桂輝平会話2022年8月23日 (火) 13:51 (UTC)
「週刊誌の単独出典を排除するか否か」という当初の論題から完全にずれた私への攻撃が主目的となっている文章を投稿するとは呆れました。Wikipedia:善意にとるにも違反しています。あなたの意見にはすべて致命的な誤りがありますので、論点ごとに指摘します。
まず、長すぎます、読んでいません。いや、読みましたけども、引用が多いことを考慮しても長過ぎます。ノート:日本維新の会_(2016-)#編集合戦となっている記述について節でもそのような傾向が見られましたけれども、物量と回数と最後にレスした者が勝ち的な考え方と
あたかも私が相手を黙らせることが目的で無駄に長い文章を投下しているかのような印象操作をされていますが、6957字というあなたの長文のすべての問題点をWikipediaのルールを引用しつつ余すことなく曲解される余地なく指摘すれば、高々3倍程度の22937字(あなたの文章を全体として丸々引用していることに注意)という文章は長いとは言えません。仮にそうであれば私の文章がどこが無駄に水増ししたのか指摘できるはずですが、できないということはあなたが私の意見に反論できず事実上誤りを認めたということになります。そもそも私は最初から長い文書を投稿していたのではなく、あなたの方がより長い文を書いていました。そして、Wikipediaのルールで客観的に決められているわけでもないのに、あなたが主観で勝手に決めた文章の長さの基準を元に対話を拒否することは、極めて自己中心的な態度だと思います。そして、単に自分の意見を押し通したいだけと言われても仕方がないと思います。
過度な個人攻撃と過度なレッテル貼りと頑なすぎる態度でコミュニティを疲弊させ相手を去らせて無理やり合意したことにするというのは有意義ではないと思います。
この文章も実に悪質なレトリックです。「過度な個人攻撃と過度なレッテル張り」とは言いますが、私のどの主張が具体的にどの部分が「過度な個人攻撃と過度なレッテル貼り」にあたるのか指摘できない時点で悪質な印象操作だと断言できます。私は「あなたのこの意見の根拠はどこにあるのですか?客観性があり、Wikipediaの編集慣習に取り入れるだけの明確な根拠はありますか?」と発言しています。これはあなたの主張がWikipediaのルール・慣習に適合していれば取り入れるとの譲歩です。その時点で「頑なすぎる態度」ではないでしょう。その無視されるのは悪質です。「週刊誌の単独出典を排除」のような独自基準をWikipediaのルールを引用せず・誤った形で引用して主張しているあなたが「頑なすぎる態度」です。「コミュニティを疲弊させ相手を去らせて無理やり合意したことにする」というのは、文字通りWikipediaのルールから導き出せない「週刊誌の単独出典を排除」のような恣意的な基準を根拠もなく押し付けようとし、それに反論されると当初の論題から完全に逸脱して私の編集履歴に難癖をつけ始めるあなたの態度そのものです。
ミシェル・フーコーの振り子さんはWikipedia:規則の悪用Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないWikipedia:妨害的編集#主張のために方針を捻じ曲げないなどをことある毎に持ち出しますが、あなた自身がそうなっていないか省みられることを勧めます。
そして、曖昧な解釈の余地のある記事のタイトルだけを見せて、その中身には言及しないと言う悪質なレトリックを懲りずに使っております。私のどの発言がその中身のどれに該当するかを指摘できない時点で、論理破綻も甚だしいです。特にWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないはWikipediaの方針を説明されても、それを理解できずに持論にこだわる編集者に適用されるものです。私に適用すべきと主張するなら、あなた自身が私の主張のどこがWikipediaのルールに違反しているか指摘する必要がありますが、あなたはそれをしていません。「週刊誌の単独出典を排除」のような独自基準をWikipediaのルールを引用せず、あるいはWikipediaのルールを曲解したり、議題に関係のないWikipediaのルール記事を持ち出したりして主張しているあなたにこそWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないが適用されるべきです。
次に、個別事例の削除を試みたユーザーについてですが、Wikipedia:荒らし#不当な白紙化をもう一度しっかりお読みください。「まとまった内容の除去ではあっても、その内容を確認すれば除去の理由が明白である場合、通常荒らしとは見なされません。また、一見してまともな内容を除去する編集ではあっても、要約欄に一応その理由が書いてあったり、リンクや参照などがされていれば、通常荒らしとは見なされません。」と書かれており、荒らし扱いするのは違うかと思われます。また、「新規ユーザーであり、Wikipedia:検証可能性を理解していない」とのことですが、新規ユーザーであることは理由になりません。ミシェル・フーコーの振り子さん自身も不祥事の節を追加した際は新規ユーザーでした。仮に新規ユーザーであることを理由にするのであればWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいというガイドラインに明確に違反しています。
実際は新規ユーザーでも概要欄にそれらしい理由をつけていても、その理由から明らかに逸脱した記述の無差別な削除は即座に投稿ブロックの対象になります。
暴言を吐いているわけでもなくノートでの議論に誘導しているのに、「苛め」というのもおかしな解釈です。そもそもWikipediaのルールにはWikipedia:善意にとるいうことがあります。あなたは私の発言や編集履歴を悪意をもって曲解しており、その時点で違反行為です。
「ここで挙げられている主流の新聞」についてですが、これはお互いに読み違いがあるようですので補足します。ミシェル・フーコーの振り子さんの「「主流の新聞」はどう解釈するのですか?」との問いを「朝日読売などの「主流の新聞」はここで挙げられている歴史分野における歴史雑誌、医学分野における医学雑誌、科学分野における科学雑誌のような特定な専門分野を持つ物に当たらないがどう解釈するのか?」という意味だと捉え、「特定の専門分野の「主流の新聞」としては農業における農業新聞、工業における工業新聞などがある」という例を示しただけです。「歴史・医学・科学分野」というのは専門家による検証分析がとりわけ重要である分野の例示であって、専門家による検証分析がとりわけ重要である分野がそれに限ると言っているわけではありません
この文章は、あなた自身が自分の主張の誤りを認めたことになります。
あなたは一番最初にWikipedia:検証可能性#信頼できる情報源にある「大学レベルの教科書・権威のある出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは、信頼できる情報源です。 電磁的な出版物でも、同等の基準を満たしていれば使用できます。」は「歴史、医学、科学」に限る文章だと主張していたのに、直後にその意見を放棄して他分野に拡張可能だと認めているからです。そして、大手週刊誌というのはジャーナリズムの専門家が投稿する雑誌です。
お互い分かり合えないことは十分分かったと思います。平行線のまま議論を続けても新規参加者が参加しづらくなるだけだと思いますので一度自分はここで控えます。
お互い分かり合えないのでも、議論が「平行線」でもなく、あなたが一方的にWikipediaのルール・慣習から外れた主張に固執しているだけですので、勘違いされないように。
この人物にはもはや意見の進展が見られず、自ら対話を放棄することを認めたため、これ以上続ければ、Wikipedia:規則の悪用#いつまでも納得しないを適用すべきだと思います。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年8月25日 (木) 07:50 (UTC)
ウィキペディアは告発サイトでも晒しサイトでもない上に信用棄損や名誉棄損にもかかわることなので、特筆性のない不祥事の掲載はやめるべきでしょう。--122.22.31.85 2022年8月14日 (日) 15:01 (UTC)
  反対   条件付賛成 議論を続けてきましたが、コメント依頼から1ヶ月経過したこと、これ以上新しい視点での議論の望みが薄いこと、実質的に3者だけによる議論の平行線が今後も続くと思われることなどから以下の内容で良ければそれで合意とすることを了承します。
(結論)
  • 不祥事の掲載基準に関して「逮捕、起訴、除名、公認取り消しが全国紙にて確認できるもの」とした提案は却下された
  • 上記の提案から外れる個別具体例についての記載の是非は検討されなかった
(留意点)
  • 週刊誌が信頼できる情報源に当たるか当たらないかは双方が主張と根拠を提示したがお互い納得できるものではなく議論が平行線のまま継続した
  • 週刊誌の単独出典についても同様である
  • 個人の不祥事の疑惑や批判を党の記事に記載するかは結論の通り個別具体例の記載の是非についての検討が行われなかったため議論自体が行われていない
今回の提案を合意終了とするにあたって自分が譲れる部分、なお明記したい部分は以上です。桂輝平会話2022年8月20日 (土) 15:29 (UTC)
本節での議論により、新たになにか決定されたり合意されたりした事項はなかった、という理解です。そうであれば合意終了ということでよろしいかと思います。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年8月21日 (日) 13:24 (UTC)
この議論では何も新しい基準は示されず、ノート:日本維新の会_(2016-)#編集合戦となっている記述についてでの合意を存続させるという意味でしたら同意します。ノート:日本維新の会_(2016-)#編集合戦となっている記述についてでは、「党員・所属議員の不祥事は任命責任や使用者責任があるので記載する」と言う合意になっています。これを間違えないようにお願いします。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年8月22日 (月) 15:23 (UTC)
念の為言っておきますが、合意とは未来永劫続くものではなくあくまでその時点でのもので、次に合意を要する変更が記事に加えられるまでの暫定的な共通認識です。今回は新たになにか決定されたり合意されたりした事項はなかったので次に合意を要する変更が記事に加えられるまで、あるいはその議論が必要となるまでは継続される認識です。なお私から今回と同様の件で提起することは控えます。(不祥事以外の全く別の項目に関して問題が出てくれば提起する可能性はありますが。) 桂輝平会話2022年8月23日 (火) 13:54 (UTC)
「合意を要する変更が記事に加えられる」とはどういう事を言っていますか。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年8月24日 (水) 11:53 (UTC)
記事の修正(内容の修正・追加・削除)及び、その対処(承認・再修正・差し戻し)のうち再修正や差し戻しによって新たな議論や合意が必要になる場合の意味で書いています。「その議論が必要となる」は事前に予測することにより再修正や差し戻しにより編集合戦を招きかねないと判断する場合、事前に議論を行うことが望ましいという意味で書いています。桂輝平会話2022年8月25日 (木) 14:49 (UTC)
「現在のの合意が覆される新たな合意が形成されるまでの間は、現在のノート:日本維新の会_(2016-)#編集合戦となっている記述についてでの合意は有効である」という意味でしょうか。そうであれば同意見です。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘会話2022年8月27日 (土) 05:27 (UTC)
  終了 その意味で問題ありません。主要三者が議論終了について賛成で一致しましたので以上を持って当節に付きまして議論終了と致します。コメント依頼は議論終了ということで削除しておきます。ありがとうございました。桂輝平会話2022年8月28日 (日) 09:45 (UTC)
この人物にはもはや意見の進展が見られず、自ら対話を放棄することを認めたため、これ以上続ければ、Wikipedia:規則の悪用#いつまでも納得しないを適用すべきだと思います。--ミシェル・フーコーの振り子会話2022年8月25日 (木) 07:53 (UTC)
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