ノート:山田朗
自作自演する山田朗氏へ
編集景徳鎮氏の編集履歴を見ると山田朗と佐々木隆爾と登戸研究所の各項目を編集し、山田朗氏の批判的な記述を削除されている事から山田朗氏本人なのでしょうが、「伊藤之雄によると、著書『昭和天皇の軍事思想と戦略』において、1941年10月13日の『木戸幸一日記』を引用して、天皇の開戦の覚悟を示す際に天皇の木戸への言葉の中で、開戦に躊躇している部分は、(中略)として引用部分からすべて削除しているという[1]。」という記事の削除ですが、山田氏が木戸幸一日記の天皇が開戦に躊躇している部分を、(中略)として削除しているのは事実と判断できますので、景徳鎮氏の編集のほうに問題があると判断できます。もし、伊藤氏の指摘が問題ならまず伊藤氏に対して回収を求めたり、記事の撤回を求めてください。ウィキペディアでは伊藤氏に働きかけて出典に用いられた記事を撤回させたりすることはありません。山田朗先生、自らの不都合な事実をあった事をなかった事にしてを隠滅するのは、山田朗先生が『歴史修正主義の克服』(高文研、2001年)で批判なされる歴史修正主義です。山田朗先生が『歴史修正主義の克服』(高文研、2001年)で批判なされる自らの不都合な事実を捏造する歴史修正主義者みたいなことは止めてください。--Greenhorn38(会話) 2016年5月6日 (金) 06:24 (UTC) 山田朗先生による自らの不都合な事実を削除する編集行為が止む気配がないので繰り返します。山田朗先生が自著『歴史修正主義の克服』(高文研、2001年)で指摘されるように自らがしでかした過ちがあれば捏造、矮小化、真相を隠蔽するのはいけません。自らがしでかした不都合な事実を捏造、矮小化、真相を隠蔽するのは山田朗先生が自著『歴史修正主義の克服』(高文研、2001年)で批判してやまない歴史修正主義です。2000年の女性国際戦犯法廷で、「昭和天皇の戦争関与と<戦争責任>」と題して、「国体」思想が戦前には兵士の強かん・虐殺を扇動し、現在でも歴史修正主義として生き延びていると[2]歴史修正主義を批判してやまない山田朗先生がこのような歴史修正主義を行うのは自らの学術的信念に反するのではないでしょうか?--Greenhorn38(会話) 2016年5月7日 (土) 02:39 (UTC)
- ^ 伊藤之雄『昭和天皇伝』文藝春秋、2011年7月。ISBN 978-4-16-374180-2。315頁
- ^ VAWW-NET Japan 編『日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷の記録』[1]