ノート:学力偏差値
2011年の投稿
編集「学力偏差値」というテーマの性質か、なんか、ある種の政治的主張に基づいた煽動的な記述が目立つように思う。特に、wikipedia的にいうなら、「出典がない独自研究」になってしまっているのだが、こんなのを放置しておいていいのか?明確に事実に反する記述もある。あとで、出典を示して書き直そうかと思うのだが?--以上の署名のないコメントは、59.166.1.55(会話)さんが 2011年8月9日 (火) 13:19 (UTC) に投稿したものです(Louis XX 2011年9月6日 (火) 02:12 (UTC)による付記)。
2012年の投稿
編集「学力偏差値は日本にしかない」という事実無根な記述を訂正することを主眼として、外国の状況も取り入れつつ書き直しました。ほかの部分の記述もおかしいと思うのだが、安易に消すとトラブルになりかねないので、要出典を付けておきました。単に客観的事実に関する出典がない個所もありますが、編集者の意見(偏差値は悪いものである、という)が根拠なく記載されている箇所も多数あります。後者は、wikipedia的に特に問題だと思いますので、今後編集するかもしれない人のために、要出典か所について問題点をいくつか指摘しておきます。
『偏差値自体はある特定の母集団の中における本人の学力的な位置を表しているだけに過ぎず、そこで得られた平均偏差値の多寡がその大学の社会的評価と直結しているものではないということである。「ランク」はあくまで予備校等が自社の行う模擬試験によって各自算出しているに過ぎないものであり、社会において世代などを超えて普遍的な価値を持つものではない。[要出典]』
「社会において世代などを超えて普遍的な価値を持つものではない」と大層なことが書いてあるが、この編集者は何と戦っているんだ?学力偏差値の百科事典的解説にこんな文章がふさわしいのか?
『また大学受験の場合、受験する模擬試験の違いだけでなく、入試科目の違いから理系と文系、国公立と私立は単純に数値のみで比較できない。さらにマーク式と記述式ではもちろん、大学別さらには学部別でも出題傾向がバラバラであるため、一般的な模試による偏差値はあくまで大まかな目安となるにすぎない。[要出典]』
「一般的な模試による偏差値はあくまで大まかな目安となるにすぎない」というか、大まかな目安を得るために偏差値を使うわけで。。前提となる認識がかなりおかしいのでは? むしろ、各種の違いにより素点では全く比較に利用できないのに対し、偏差値にしておけばあるていど意味のある比較ができる。そのことに偏差値の利用価値があるわけ。
『近年入試自体が複線化され、AO入試等の主に学力以外の面を評価する入試が増加している。これら入試形態の多様化により、学力偏差値の存在意義は失われつつある。』
統計量としての偏差値の利便性は変わらないわけで、「存在意義は失われつつある」というのは、編集者の希望なのか?学力以外を評価する場面でも、合否判定のために順位付けを行う以上、数値化して、偏差値を出すことが無意味になるとは考えにくい。
『学力偏重主義は進学希望者のごく一部のみを捉える極めて狭い考え方であり、AO入試や推薦入試等の様々な入試形態による進学希望者に対する多角的な評価方法は正しく意義のあるものである。』
この文章は、非常に強い個人的<意見>あるいは<立場>の表明となっている。「極めて狭い」「正しく意義のある」といった表現が、百科事典的解説として適切とは思えない。誰かがこう言ったという意見の引用としてなら、まあ許容できなくないが、それでもふさわしいかどうか疑問。
『高校受験では、教師の桑田昭三が受験生にどれくらいの合格確率があるかを、ある模擬テストによる点数や順位よりも正確に判断するため、独自の研究により「偏差値」を編み出した。』
「日本軍が使ったのが始まり」という記述と矛盾するわけだが、まあどちらも嘘っぽいので、その矛盾について追及はしない。 いずれにしても、日本で独自に偏差値が編み出されたという主張には、明確な証拠が必要である。また、教育現場における偏差値利用についても、世界に先駆けて、日本が初というなら、それはそれで誇らしいわけで、ぜひその証拠を見たい。
『小学生に偏差値教育を施すことについては教育を歪めるという批判がある。』
「偏差値教育」ってなに?誰がやってるの?20世紀末に高校生だった私は、「偏差値教育」を受けたの?そんなこと教わってないけど?
『すなわち、本来人間の価値は多様な尺度で計られるべきなのに、。。。大人と違って多様な社会を知らないため、与えられた尺度をすべてと思ってしまう危険は大きいといわざるを得ない。[要出典]』
なんかもう自分の価値観を語りつくした感じだ^^; 「検証可能性」の概念を理解してほしいよ。
『しかし中学受験においては便利なものであるため、入試制度もしくは教育制度が根本的に変わらない限り、使われ続けると考えられる。[要出典]』
「中学受験においては便利なものである」中学だけ?受験に限らずあらゆる分野で便利なんだが?「使われ続けると考えられる。」誰が考えたの?
『なお、偏差値というのは受験者の平均成績に対してどの程度離れているかを表す数値であるため、平均点が低く、かつ多くの受験生の得点がその付近に集中しているというようなテストで高得点を取った場合には、偏差値が100を超えることも稀にある。無論そのような場合出題による受験生の相性もしくは出題そのものが適正であったかを考慮する必要もあり偏差値による評価の限界がある。[要出典]』
この編集者は基本的なところで偏差値を理解していない。偏差値は、-∞から+∞までのあらゆる値をとっても不思議じゃない値である。おおむね正規分布とみなせるような集団に対しては、ほとんどの標本が平均値から標準偏差の3倍以下しか離れない。で、現実も大体そうなる。しかし、標準偏差の3倍を超えたから、偏差値の意味がなくなるというのは誤解である。そもそも、偏差値は任意の値をとるものだからである。一方、実際にテストの偏差値としては、標準偏差の3倍(=3σ)を超えるような場合は、別の処理をして、3σ程度に収めているといううわさもある。 出題の適切さの話と偏差値がどうのという話は関係ない。
7月14日に「日本あるいは限られた地域でのみ用いられる考え方であるとの喧伝がなされている」との記述に関する根拠が消えていたので、検証可能な参考文献や出典として、過去のwikipedia記事を追加。実例として、ブログなどを引用。ブログなどの引用がふさわしくないというのはまあ分からなくもないが、過去のwikipediaの記事の内容は引用してもいいでしょ。--125.14.33.96 2012年7月14日 (土) 14:05 (UTC)
出典について
編集- Wikipedia自身を出典に用いない方針だったとおもいますので、コメントアウトまたは出典無効としました。--61.125.223.2 2012年8月31日 (金) 09:11 (UTC)
国際化
編集- 提案 方針WP:JPOVに準ずるよう、日本の受験教育に偏った記事にしないで他の国の事例もいくつか紹介する。日本の話題など特定の地域に関する記述には、「日本では・・・・」のように地域を明確にする。--61.114.204.221 2016年3月15日 (火) 09:06 (UTC)