ノート:千羽鶴
この記事は2022年7月11日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
千羽鶴の画像は、首を折っている画像の方がよいのではないか
編集千羽鶴の画像が首の折ってない鶴もどきみたいだけど 正しいスタイルの画像にした方がいいんじゃないか--220.96.192.69 2010年2月1日 (月) 19:11 (UTC)
- 報告 WP:TALKNEWに基づき、冒頭部分に新しく見出しを付けました。なお、ウィキデータの画像は既に首の部分を折った千羽鶴の画像になっております。 --MawaruNeko(会話) 2022年6月10日 (金) 15:27 (UTC)
出典の明記テンプレートの除去
編集現在、「製作方法」の章の首を折るかどうかと、「千羽鶴製作に関わる内職商法」の章にのみ出典がついていないようなので、この2か所の無出典記述を除去して出典の明記テンプレートをはがしたいと思いますが、どうでしょうか?--MawaruNeko(会話) 2018年10月4日 (木) 14:48 (UTC)
変更点の説明
編集「かつては社寺に奉納されていたが[1]、」という言い回しだと、今は千羽鶴は社寺に奉納されていないことになり直感的に疑念に思った事、出典だとされている、[1] の中にそのような記載が無い事、社寺に奉納されている写真があったため、これは間違いか何かの冗談であると判断しました。[1] の内容は「歴史」の節に詳しく書かれているので、冒頭にも無くて良いと判断。どういう意図で「かつては社寺に奉納されていた」と書いたのかわからないので、とりあえず間違いを直さないといけないので「社寺に奉納されたり」と直しました。もっと良い書き方があれば改善願います。
広島平和記念公園の千羽鶴の写真が2つありますが、1枚目はキャプションも無いので伏見稲荷大社のに入れ替えました。あと300pxだと大き過ぎるので250pxにしました。それでも、Vertical images list で写真を盾に並べると、携帯端末だと写真ばかりが表示されて全然ダメですね。Gallery で記事の下の方に節でも作って表示させるほうがいいかなと思いました。今回は手を付けませんでしたが、5月末ぐらいまでに異論やご意見がなければ、Gallery で表示する書き方に変えたく思います。
「処分」の節ですが、千羽鶴は、作れば無制限に増えて無期限に保管するわけではないし、被災地で不要No.1とされる理由に、古着や腐った食料品と違い捨てるに捨てられないという面もあると思い、不要な千羽鶴の処分は必要なことであるので節を設けることは有用と考えました。ただし宣伝臭くなると思ったので神社仏閣のHPの料金表のページへのリンクは貼りませんでしたが、出典無しで消されても困りますが、それではと神社仏閣のHPを貼ると今度は宣伝で消されるかもしれません。お守りや御札と違い、「魂抜き」までは必要ないようですが、この手の知識は持ち合わせていません。良いアイディアや、良い書籍などありましたら教えていただければ幸いです。--道知辺(会話) 2022年5月8日 (日) 18:55 (UTC)
- 考えてみれば、不要な千羽鶴は遠慮なくゴミとして処分して下さいという事になると、千羽鶴は単に紙を折ったものに過ぎない事になり、千羽鶴の意義および価値否定になるので、祈りを込めて折られた千羽鶴には何か魔法のような力があって平和をもたらすと信仰している人であれば、捨てる前に何らかの宗教行為が必要という理屈になります。処分に関して内容を充実させたい所。
- ウクライナに千羽鶴を送ることの是非に関し「鶴 不吉 デマ」で検索すると嘘だと叫んでいる人が大勢いらしゃるので「真実は何か?」とパズル感覚で調べたら、
死そのもので幾つもある意味の内、死そのものの意味もありました。ここの«І журавлі, сумно пролітаючи ...»の節を見ても、スラブでは鶴は神の使者で秋には鶴が死者の魂を異世界に連れて行くと信じられていたとあります。風説を正すのもWikipediaの役目でしょう。--道知辺(会話) 2022年5月11日 (水) 14:09 (UTC) - 返信 修正ありがとうございます。「かつては社寺に奉納されていたが[1]、」は、その後ろに「現在は云々に贈ることも多い」という文意を続けようとしたつもりだったのが、語尾を「云々を目的に作成や贈呈が行われている」に直してしまったせいで全体の文意がおかしくなってしまったものです。 --MawaruNeko(会話) 2022年5月28日 (土) 13:37 (UTC)
改定に関して。「歴史」の節に「千羽鶴の起源ははっきりとは分かっていない[7]。」とありましたが、これを見て「分からないのになぜ書いたのだろう」と違和感を感じ、その出典の病気見舞いや平和祈願に千羽鶴を折るようになった由来を知りたい。にある以下の記述を見て
はっきりした由来は分からないが、折鶴を祈願成就の為に神社に奉納するという伝承があったと書かれた資料もある。
これですと、はっきりとは分かっていないのは、千羽鶴の起源ではなく、神社に奉納するようになった起源では、と解釈して記述を改めさせて頂きましたが、以前に記事をかいてくれた人の記述を消したくなかったため、竹に木を接いだ感もあります。--道知辺(会話) 2022年5月27日 (金) 19:07 (UTC)
- 返信 「起源ははっきりとは分かっていない」は、リンク先の本文の「はっきりした由来は分からないが」ではなく、そこから引用されている『日本大百科全書 13』の「起源は明らかでないが」を言い換えたものだったのですが、確かにコトバンクの「千羽鶴」の項も出典になっていて、それと同一の内容なので、出典はそちらを書くべきでしたね。あと、一般論としては消極的事実については書く価値のないものではないと思います。今回の千羽鶴の由来であればあまり問題にならないでしょうが、例えば「ゴンリはゴンリナーゼというがん細胞を殺す物質が入っているから、癌予防効果がある」という言説が広まったときに、専門家の「ゴンリナーゼはがん細胞を殺す効果があるが、ゴンリに癌予防効果があるかどうかはまだ確定していない」という発言は十分に書く価値のあるものです。ただ、今回の千羽鶴の由来であれば、出典の内容もそこまで最新のないようという感じでもないですし、書かないなら書かない方向でも良いと思います。つまり、起源に関する部分については、道知辺さんの編集の方向性で問題ないと思います。 --MawaruNeko(会話) 2022年5月28日 (土) 13:37 (UTC)
MawaruNeko さん、私としては、「明日、死んでるかもしれない」と怯えているウクライナの人に千羽鶴を送る是非に関して、死んで鶴になるという用法があるなら、他の色々な意味まで書く必要は無いと思いましたが、全部を詳しく書いてくださりありがとうございます。ただこれで「ウクライナに千羽鶴を送ろう!」な人達を勢いづけるのではと思いました。
実兄の佐々木雅弘さん著の『禎子の千羽鶴』が今日まで出典に使われていなかったというのは、いかがなものかと思います。現状の記事は、田中勝さんの一つの出典から書かれている割合が大きすぎると思います。曖昧な表現が多いのも気になりますが、例えば千羽鶴#病気見舞を見ても、「1995年の中国新聞によれば」の辺りが何のことだか分からないのに対し、佐々木雅弘さん著の『禎子の千羽鶴』だと明快に書いてあるなど、佐々木雅弘さんの内容で書き改めたほうが良記事になると思いました。その場合、田中勝さんの出典を元にした記述は消してお兄さんので置き換える必要も生じます。これに関しご意見のある方はその旨をお伝え下さい。 --道知辺(会話) 2022年5月28日 (土) 11:48 (UTC)
- 「海外へ」の節ではあまり書けていませんが、交流して原爆、禎子、千羽鶴、平和について理解してもらうプロセスを踏み双方合意の上で千羽鶴を作ろうとか贈ろうというなら大賛成ですが、論争になっているのはミサイルが飛んでくるなどして民間人が無残に殺されている状況で禎子、千羽鶴、平和について理解してもらうプロセスを踏まずに日本で千羽鶴折って送りつけて現地で理解され感謝されるのか、なんですが。『チョルノーブィリを飛ぶ鶴』の歌が反核絡みなのは一応、知っていますが、詳しく書ける程ではないので、ご存知でしたら。--道知辺(会話) 2022年5月28日 (土) 12:54 (UTC)
- 返信 残念ながら『チョルノーブィリを飛ぶ鶴』は調査段階で見つけられなかったので、自分はここは特に書けないです。ご存知の方がいたら、編集をお願い致します。 --MawaruNeko(会話) 2022年5月28日 (土) 13:37 (UTC)
- 返信 ウクライナの件については、いいイメージもあるどころか、場合によっては国鳥と言われることもあるツルを、SNS上で日本が勝手に「不吉な鳥」と決めつけるのはいかがなものか、一方で支援しようと言いながら一方で相手国の文化を捻じ曲げるのは失礼ではないかと思って書いたものです。Wikipedia:中立的な観点というのもありますが、千羽鶴の送付の議論は、賛否どちらの論にしても、事実に基づいて行われるべきというのが自分の考えです。あと、これは記事とは関係ないですが、今回のウクライナに対する千羽鶴の件は、非難された2つの団体がやろうとしていたことは、ウクライナ本土ではなくウクライナ大使館に送付するものだったはずで、戦場になっているウクライナ本土に贈るのは、よほどの運送手段をとらない限り実現性可能性がないので、さすがにそんな非現実的な企画を考える人はいないと思うのですがどうなんでしょう。
- 田中勝さんの記事が出典に多いのは、当時はあくまで記事の整理程度の編集が目的で、そこまで本格的に執筆するつもりがなかったので、オンラインで参照できるものから取ってきた影響です。佐々木雅弘さんの本を出典にするのであればそれが最上かと思います。ただ、実兄の本となると、信頼性が高いことは間違いないですが、一次資料に近い性質が出てしまうので、例えば道知辺さんの挙げられた中国新聞のくだりのような詳しい部分は田中勝さんの出典は消して、概説部分などは二次資料である田中勝さんの記事を併記して出典にしておくと、より信頼性が増すと思います。
- ウクライナやその他各国のツルに関する文化は、本気で執筆する元気はないですが、気合は入れてオンライン調査はしたので、吉兆・不吉どちらであっても加筆予定ですが、整理がなかなか大変なので、どこまで執筆が継続できるかといったところです(以前他の記事を本気で執筆しようと図書館に通って資料を集めたら、整理が追い付かなくてエターナったことがあるので)。 --MawaruNeko(会話) 2022年5月28日 (土) 13:37 (UTC)
- 返信 Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料には「他の方針によって制限されるのでない限り、信頼できる公表ずみの一次資料はウィキペディアでの使用が許されます。しかし、誤った使い方がされやすいので、取り扱いは注意深くする必要があります。」とあるので、一次資料から書いてはいけない、といった事は無いですね。注意が必要だと。
佐々木禎子さん周りでは”見たかのような創作話”と事実の区別がつけられない本ばかりで”フィクション作品”は出典になりません。これからさらに三次・四次資料となると新たな創作話が付け加えられているので、本をたくさん集めて読めば読むほど、お手上げ状態になるので、兄の雅弘さんの『禎子の千羽鶴』から書くほうがまだ良いと考えた次第です。 --道知辺(会話) 2022年6月17日 (金) 15:47 (UTC)- 返信 念の為のコメントですが、MawaruNekoは本件に関しては「一次資料から書いてはいけない」とは述べておりません。「二次資料である田中勝さんの記事を併記して出典にしておくと、より信頼性が増す」と述べております。一次資料より二次資料の方が精度が落ちる場合があるのではないかというのは同意しますが、WP:PSTSのように(語弊を恐れずに言えば)一次資料より二次資料を重視するのがWikipediaの方針です。Wikipedia:井戸端#「自主公表された情報源」に関しての、2022年6月4日 (土) 07:48 (UTC)と2022年6月5日 (日) 03:53 (UTC)のNami-jaさんのご解説が分かりやすいかと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月18日 (土) 11:33 (UTC)
- 返信 Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料には「他の方針によって制限されるのでない限り、信頼できる公表ずみの一次資料はウィキペディアでの使用が許されます。しかし、誤った使い方がされやすいので、取り扱いは注意深くする必要があります。」とあるので、一次資料から書いてはいけない、といった事は無いですね。注意が必要だと。
分割提案
編集千羽鶴の記事の筈が、ウクライナの鶴やコウノトリに関する記述が肥大化したため、見通しが悪いといいますか何の記事なのか分からないという不具合解消のため、記事の分割を提案します。私は、これは千羽鶴の記事なので、「ウクライナに千羽鶴」に関連し、
- 禎子の千羽鶴 → 原爆の子の像 → ソ連の詩人が原水爆禁止大会に出席 → 鶴 (歌)が作られる → 歌がヒット → ソ連で鶴が戦士した兵のシンボルになる → ウクライナでも鶴という戦死をイメージさせる歌ができて皆さんが謳っている
事まで書けば十分、むしろ後で短くしようかなと思っていて、ウクライナにおける鶴の他の意味について知りたければ
- ウクライナ語版のツル属の記事によれば、文化的には春を告げる鳥と書かれている。
で触れてあるので、見たい人は見ればいいと思ったのですが、MawaruNeko さんに「WP:CIRCULAR」という謎の文字でご批判を受けて消されまして、代わりに、ウクライナ語版のツル属の記事に書かれているような内容をとても詳しく書いて頂き、さらにWikipedia:中立的な観点ともご批判を頂戴し、「手厳しいな」と感じましたが、とにかく、コウノトリの内容が続いているのはさすがにどうかと思います。
昔はコウノトリが鶴と混同されていた → コウノトリは良い意味がたくさん → だから鶴は現在も悪いイメージなど無いのだ → ウクライナに千羽鶴を送るのは賛同されるべき、という主張がなさりたかったのでしょうか。もしそうなら、WP:SYNTHESISに該当しませんか? 逆に、もしそういう主張がしたかった訳ではないなら、なぜ千羽鶴に関係の無い事を書くのですか、という答えが欲しくなります。また「Чорненький 2009によれば、"веселик"という単語は、実際にはウクライナ文学にほとんど登場していなかった」のであれば、веселикに関してたくさん書いても何ら意味がないように思われるのですが、どういう事でしょうか。とはいえ出典も付いている記述ですので、ウクライナの鶴やコウノトリに関しては、発表済みの情報の合成のような部分や他も問題点は直して頂き、折り鶴や千羽鶴を通じた日本との交流 の部分は海外への節あるいは他のふさわしい場所に移動していただき、記事を分割するのが良いと考えました。
私としては、今でもウクライナでは鶴とコウノトリを混同して考えるのが一般的なのかに関して出典なり資料が欲しいところです。日本もかつては混同していましたが、今では混同する事はないでしょう。ウクライナでも今では混同されていないなら、過去に混同されていたと力説していただいても、あまり本記事には役立たないと思われます。例えば、ゾーヤ・ジュラウカ作詞の『Журавлі』も
- «Мамо! – Мамо!» Він крикнув криком журавлиним.
と曲のサビで謳っているので、さすがに、「鶴の一声」という位に鳴き声が印象的な鶴と、鳴かないコウノトリを混同しているという事はないでしょう。
とはいえ、皆さんが本記事にウクライナの鶴やコウノトリの記述が多くあっても良いと言うならもちろんそれに従います。--道知辺(会話) 2022年5月30日 (月) 16:31 (UTC)
- 道知辺さん いくつかご指摘があるようですので、分割提案の返信の前にそちらについて回答します。
- 「「WP:CIRCULAR」という謎の文字でご批判を受けて」とありますが、「「WP:CIRCULAR」は、Wikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイトへのWikipedia:ショートカットです。当該編集の概要欄には、「WP:CIRCULAR ウィキペディア自身は出典になりません。」と書かせていただいたかと思います。道知辺さんも「WP:SYNTHESIS」というのをご利用なさっているので説明は不要かもしれませんが、ショートカットというのは、ヘルプ文書などにリダイレクトされるページのことで、その名の通り、長いタイトルや節名を短く書くことができ、節名に微修正があった場合も、そのリンク先を維持してくれるというものです。
- ウクライナにおける鶴の他の意味について知りたければウクライナ語版のツル属の記事を見てほしいという部分ですが、記事では「によれば」という表現をされていたため、ウクライナ語版のWikipediaを出典にしているように見え、上記のウィキペディア自身が出典にならないという方針に基づき削除させていただいたという形になります。Template:See, Template:See also, Template:Mainなどをご利用いただいてれば、こういった誤解はなかったかと思います。
- コウノトリの内容が続いている件については、確かに文意が分かりにくいというのもありますし、こちらも5月28日にコメントした通り、まだ記事に反映していない文献がありましたので、本当はもうすこし文献を読み込んでから加筆したかったのですが、まずは流れが分かる形に直させていただきました。
- 「コウノトリがツルと混同されていて、コウノトリにいい意味があるから、ツルもいい意味だ」という合成というのは誤解です。例えば、「国鳥・ウクライナのシンボル」の節の出典にさせていただいた、The Day (Kyiv) 2018-08-30の記事では、明確に"Журавлики-веселики"という名前とツルの写真を用いて、"улюбленцем"や"символом України"と記しています。こちらが勝手に合成したのではなく、ウクライナの新聞がそのように述べているのです。
- 「だから鶴は現在も悪いイメージなど無いのだ」とは述べておりませんし、「ウクライナに千羽鶴を送るのは賛同されるべき」という主張もしていません。むしろ、oldid=89736929#渡り鳥としての表象にあるように、「もし春のツルを"журавлі"と呼んでしまうと、一年中悲しみ(宇語:журба)が訪れてしまう」「罪深い死者の魂をвиріюに運んでいく」「戦士たちの魂を象徴」と、必ずしも良いイメージとは言えないものも書かせていただいております。
- 「なぜ千羽鶴に関係の無い事を書くのですか」という疑問については、今回加筆した通り、(というかまだ完全には書ききれていないですが、)コウノトリとツルは文化的に非常に似た表象を持ちながら、その役割に違いがあり、ツルの持つ表象を正確に知るためには、その違いまで踏み込む必要があるからです。28日の段階では書ききれなかったですが、それらを説明するための場所だけ留保していたため、そのような疑問をお持ちになったのだと想像します。ですので、今回簡単に概要を加筆させていただきました。
- 「веселикに関してたくさん書いても何ら意味がないように」とのことですが、先ほどのThe Day (Kyiv) の記事にも登場するウクライナのツルに関する文化ですし(ロシアなどにはこの言い換えはなさそうです)、何より"журавлі"(ツル)-"журба"(悲しみ)、"веселики"(ツルの別名)-"веселим"(幸せな)-"весілля"(結婚式)というように、言葉の類似性が表象に影響を与えているので、ツルのイメージを語るには重要な部分かと思います。さらに、今回の加筆で、"веселики"が、ツルの持つ「死」の側面から身を守るための婉曲表現であるとも加筆させていただいております。
- 「今でもウクライナでは鶴とコウノトリを混同して考えるのが一般的なのかに関して出典なり資料が欲しいところです」とのことでしたので、出典を追加させていただきました。コウノトリとの混同については、むしろ「ツルが国鳥や国のシンボルとされることもあるが、コウノトリと混同されているかもしれない」という留保のつもりで書いたものです。信頼性の問題がありますので出典にはできませんでしたが、例えばインターネットで話題になっていたウクライナ人シェフのブログ記事では、ツルを国のシンボルと説明していますが、写真がコウノトリになっているなど、現在でも少なからず混同があるものと思われます。--MawaruNeko(会話) 2022年5月31日 (火) 15:24 (UTC)
- 分割提案については、 条件付反対です。元々こちらとしても、ウクライナにおけるツルのイメージの一面だけがこの記事にかかれているのを見かけたので、ある程度ツルのイメージに関する部分を加筆したら整理して、最低限の説明を残して、ツル#人間との関係に一部転記することを考えていました。ですので、このページから動かすこと自体は 賛成 ですが、分割先の記事名が「ウクライナの鶴」または「ソビエト連邦の鶴」または「スラブ文化圏の鶴」、というのは 反対 です。
- 例えば「ウクライナの鶴」のような記事名ですと、内容としては文化面だけでなく、生物的にどのような特徴があるかを書く必要が出てきます。ツルは渡り鳥で、大陸レベルでかなりの広範囲を飛ぶため、イギリスや日本などの島国ならともかく、人間の決めた国境や文化圏で記事の範囲を区切って説明するのは困難なのではないかと思います。
- 分割するのであれば 提案 「ツルの文化」や、せめて「ウクライナのツルの文化」とすべきではないでしょうか?他の生物の例であれば、ネコの文化という記事があります。
- また、とりあえず 提案 ツル#人間との関係に一部転記して、あとは向こうの方で肥大化してきたら、向こうで議論するという手もあります。
- 自分としては、ツル#人間との関係に一部転記がよいかと思います。 --MawaruNeko(会話) 2022年5月31日 (火) 15:56 (UTC)
- 現在、[67] として参照されている、MawaruNeko さんが出典に用いたЖуравлики-веселикиには
- Поміж інших птаха можна безпомилково впізнати за такою ознакою: на тім’ячку є гола пляма неопереної шкіри червонуватого кольору. (額の赤い斑点があるので、他の鳥と間違えようがありません)
- А ще сірі журавлі — доволі «балакучі» птахи. (鶴はとても”おしゃべり”な鳥です)
- といった記述もあるのですが、この Журавлики-веселики を出典に用いながら、そこに書かれている、他の鳥と間違えようがないという方は触れず、今でも鶴とコウノトリは混同されているのだと結論に導いて良いのかなとは感じました。他も査読したい所ですが簡単にはできず睡眠不足になるのでできないのですが。
- 鶴にせよ、他の鳥や動物にせよ、花にせよ、色々な意味があるのは当たり前であり、千羽鶴の記事であれば、外国に何の説明も無しに送るという物議を醸している件については相手の心情や文化の理解が必須で、色々な考え方の人もいるという事を配慮すれば、鶴に、死を想起させるイメージがあるなら、その段階で、千羽鶴を送るのは、入院した友人に死を連想させる意味もある文面で寄せ書きを送るような物であり、良い意味だってあると力説する事に利点はないのでは? いっぽう私とは異なり鶴の意味に関して全部、書かなければ中立ではないというのが MawaruNeko さんのお考えのようですが、私はついていけませんが、お考えは尊重致します。
- 転記あるいは分割に賛成していただきありがとうございます。一層の加筆・整理をしてくださるとの事、嬉しく思います。千羽鶴から転記あるいは分割となると、記述が取り除かれる千羽鶴の方の記事の整合性も考えないといけませんので、転記あるいは分割の作業は MawaruNeko さんにお任せしてよろしいでしょうか? ツルの記事に転記なら、それでやっていただければと思います。--道知辺(会話) 2022年6月3日 (金) 15:16 (UTC)
- まずはツルの記事への転記にご賛同いただきありがとうございます。
- 出典[67]の記述についてですが、
Поміж інших птаха можна безпомилково впізнати за такою ознакою:
(Журавлики-веселики より引用)の部分を、道知辺さんは上記でので、他の鳥と間違えようがありません
と訳されていますが、自分は辞書と機械翻訳で、この部分を次の特徴によって、正確に(間違えずに)他の鳥と識別することが可能です
と理解しています。"Поміж інших птаха"(他の鳥と)、"впізнати"(識別する)、"такою ознакою"(次の点)は見解が一致していると思うのですが、"за"は前置詞で多様な意味を持ちうるので、ウクライナ語が完全に理解できていないとどの意味かは分かりづらいですが、「によって」(英語のby, according to相当)では内科と思います。そして、"можна"は副詞で「可能である」(英語のcanやit is possible相当、現代ウクライナ語における属格の対象的用法 ―イワーン・ネチューイ=レヴィーツィケィイの作品を基に― P.69も参考に)、"безпомилково"も副詞で「間違えずに、正確に」なので、"можна безпомилково впізнати"は「間違えずに識別できる」になるのではないかと思います。この理解であれば、この文はむしろ「普通の人で識別するための特徴を知らない人は、他の鳥と混同することもある」という暗黙の前提があって、「そんな人でも、次の点に気を付ければ識別できる」と言っていると解釈できますし、これはЖуравлі вже на Львівщині, а лелеки ще долітають. Як розрізнити цих птахівの記述Однак часто люди плутають журавлів та лелек.
(当該記事より引用)とも整合するように思えます。 - また、道知辺さんは鳴き声で識別できるとされている点については、確かに生物としてのツルとコウノトリはこの点で区別がつきますが、文化的な面での意味的類似性は必ずしも生物学的な違いの影響を受けるものではないと思います。東洋や日本でいえばまさに「松に鶴」(六、唐代の「松に鶴」)や、ウグイスとメジロの混同([1] P.185、[2])、レイヨウとカモシカ(これは少し違うかもしれませんが)などのように、生物学的には大きな違いのある動物が文化的に混同される場合がありますし、ムジナのように、生物学的には科以上のレベルで異なる種がまとめられてしまう場合もあります。
- つまり、今回はツルのイメージですが、他のケースで例えるならば、(日本以外の国に向けて)日本におけるメジロのイメージを説明しようとした場合に、メジロの説明だけでなく、ウグイスとの混同についてもある程度説明があったほうがいいのではないかといえばご理解いただけるのではないかと思います。
- 続いて、生物に色々な表象があるのは当たり前だから、いい意味と悪い意味の両方がある場合、その生物に関連する記事には、記事の主題にとって問題が起きうる悪い意味だけを書くべきではないかという点について、次のようなケースを想定してみてください。例えば、ある国でサクラがいい意味も含めて多様な表象を持ちながらも、「死」の表象も持っていた場合に([3], [4])、その国の人に桜湯を出したり花見に誘ったりしたら問題になるかもしれないからという理由で、桜湯や花見の項目に、他の表象は書かずに「死」の表象だけ書くべきかを考えます。自分の考えとしては、他国の文化はなるべく丁寧に知ろうとすることが大切であり、他の表象も交えつつ、例えば死の表象があるので、戦士の家系では紋章として避けていた歴史があるとか、あるいは、その国では入院のお見舞いに桜の切り花を贈るのは避ける向きがあるが、病院が入院患者を花見に連れていくことはあるといったように、なるべく丁寧に説明すべきだと思っています。そして、それが肥大化してきたら、今回のように、他の記事に移動したり分割したりすればよいわけです。Wikipediaの記事への記述という意味では、WP:NPOVに私論読者に決めさせよへのリンクがありますが、自分の立場もこれに近く、Wikipediaは判断を下さず(c.f.WP:YESPOVの「判断を下さない言葉遣いを好んで選択する」)、判断は読者に下させ、Wikipediaはそのための判断材料をなるべく中立的に提供すべきだと考えています。道知辺さんがついていけないとおっしゃるので説明させていただきましたが、この考え方がおかしいと感じるのであれば、Wikipedia:井戸端で他の方の考え方を聞いてみるという手もあります。また、一度は尊重できるといったがやはり尊重できない、どうしても相容れない、問題だと思うということがありましたら、Wikipedia:コメント依頼もどうぞ。
- あと本題からそれますが、道知辺さんの書かれている「外国に何の説明も無しに送るという物議を醸している件」というのがよく分からなくて、ハイチ地震の件では、ハイチのヴードゥー教でツルが不吉というのは、有識者が偽情報の可能性があると話していましたし、チリ落盤事故の件もツルが不吉みたいな話は聞きませんでしたし、在日ウクライナ大使館に贈ろうとして論争を巻き起こした例は知っていますが、ウクライナ(本土)に贈ろうとした件というのは寡聞にして存じ上げないのですが、ツルが死を連想する国(の本土)に千羽鶴を贈ろうとした例があるのですか?
- 情報 最後に分割・転記提案の件について、自分と道知辺さんは「海外の鶴に対するイメージ」節を整理して「ソビエト連邦」「ロシア」「ウクライナ」の内容をツル#人間との関係に転記するということに 賛成 という認識でおります。「海外の鶴に対するイメージ」節は、(Special:Diff/89716314/89719552でSaakiさんが細部の編集をされているものの、)主要な部分の執筆者は道知辺さんと自分なので、Wikipedia:ページの分割と統合#分割提案の告知の、提案後一週間明確な反対意見がなければ分割作業を進めるという趣旨を援用して、自分が一部転記を提案した2022年5月31日 (火) 15:56 (UTC)の一週間後、2022年6月7日 (火) 15:56 (UTC) = 2022年6月8日 (水) 00:56 (JST)までに反対がなければ、転記作業を始めたいと思います。
- 転記の作業はこちらで大丈夫です。ある程度、移転を前提にこちらの記事の編集をしていきたいと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月4日 (土) 12:46 (UTC)
- これ程に千羽鶴に強い信仰をお持ちな方がいらっしゃるとは思わず考えの甘さを痛感しました。大使館に送るのだから良いではないかという考えも正直、引いておりまして、これはウクライナ大使館の責任でウクライナに送れという事なのか、永久に保管するための展示館をウクライナ大使館で作れというのか、ウクライナ大使館の費用と責任で神社仏閣にお焚き上げを依頼して代わりに感謝の手紙を寄越せというのか、ゴミで捨てていいですよというのか。ゴミにすると激怒する人が出かねないので、できませんよね。結局、これを無駄と言う以外に何と呼べばいいのでしょうか。
- Let the reader decideですか。それは確かに望ましいですが、それは読み手が平衡の取れている場合であって、いわば「何がなんでもウクライナ(大使館)に千羽鶴を送るんだ、鶴に不吉な意味があるだなんて主張は断固、否定するぞお!!!」のように叫んでいらっしゃる方が散見される状況ですので、MawaruNeko さんのように、鶴にはこんな良い意味も、あんな良い意味も、他にも…と、死を想起させる意味もあるという情報を大幅に薄めて実質、良い意味以外は無いかのように大幅に加筆なさると、結果的にトータルでは neutral point of view にならず、かえってこの記事が千羽鶴の送付に強く賛意を示唆する、要するに force the readers to decide になりませんか?
- 「海外の鶴に対するイメージ」節を整理して「ソビエト連邦」「ロシア」「ウクライナ」の内容をツル#人間との関係に転記するということに 賛成 という認識でおります。
- 「ソビエト連邦」と「ロシア」は鶴 (歌)に移すべきと思います。これは私がやりましょうか? それから、「兵が死ぬと鶴になる」という内容は1行たりとも千羽鶴の記事から除き去りたい、という意図ではないですよね?
- Wikipediaの参加理由は色々あると思いますが、私は「記事は社会の役に立つのが望ましい。もし誰かの命を救う助けになれば最高」と考えています。6日の朝のNHKニュースでしたか、「今日が人生最後の日になるかもしれないと怯えている」という悲惨な状況の戦地の母親のインタビューを見て心が痛みましたが、やはり人間として少しでも助けになりたいと思いませんか? 困っている国の人達に送るなら、自分が送って満足を得られるものではなく、相手が望んでいる、命を失わずに済むのに役立つ何かを送る方が良いと思います。政府の緊急無償援助も消防・通信関連・医薬品・食料品・緊急人道支援計2億ドルとなっており、「千羽鶴を送りましょう」という話にはなっていません。在日ウクライナ大使館も人道支援には義援金を求めています。千羽鶴を下さいとは言っていません。(少しですが私も振込まさせて頂きました) もちろん大使館の人は日本の文化や励まそうとしてくれている事は理解しているでしょうから、「同情するなら金送れ」とも言えないでしょうが、拒否されない事に付け込んで千羽鶴を送るのは良い事である、のような論法を使う人達には違和感を覚えます。
- 東日本大震災の際に千羽鶴を作成したり日本に贈った国の、国名を全部、列挙すべきとお考えですか。「慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたり」という文面ですが、出典とされた「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」を見ますと、慰安になるというのは出典にありませんね。これは出典無効ではありませんか? また、作成はしたものの震災の日本に送った国は少ないようですが。これは、震災の時に千羽鶴を送るのは素晴らしい事で、被災者に慰安になるので、世界の人が日本に送ったのだ、というMawaruNeko さんの主張でしょうか。
- 明日も早いので全部にご返事できませんでしたが、MawaruNeko さんの、千羽鶴を戦地や被災地に送ることを徹底擁護する加筆の結果、義援金など不要、千羽鶴を送ればいいのだという考えが促進され、文革時代の通海地震の時に食料や義援金ではなく毛沢東選集や慰問の手紙を送ったというのと似た事が起きるのかと思うと無力感を覚えます。もっとも毛沢東選集や慰問の手紙は被災者に届いただけ、千羽鶴をウクライナ大使館というのよりはまだ良かったと思えますが。義援金なら食料や医薬品になって助かる子もいるでしょうが、「千羽鶴を送ろう」では落命を防ぐのに役立たず佐々木禎子さんのように非業の死を遂げる少女が増えてしまいそうですね。--道知辺(会話) 2022年6月8日 (水) 14:52 (UTC)
- 返信 なぜ自分が「千羽鶴に強い信仰」を持っていることになっているのか分かりかねますが、かねてより書いております通り、「千羽鶴の送付の議論は、賛否どちらの論にしても、事実に基づいて行われるべきというのが自分の考え」です。たとえ自分の考えが千羽鶴の送付に賛成でも反対でも、千羽鶴賛成派/反対派両方にとって都合のいい事実も都合の悪い事実も書くべきという方針で編集させていただいております。Wikipediaの方針(検証可能性など)上問題のない記述なら、保管場所に関する問題の記述を削除したりしておりません。
- 「死を想起させる意味もあるという情報を大幅に薄めて実質、良い意味以外は無いかのように大幅に加筆なさる」とのことですが、自分は「もし春のツルを"журавлі"と呼んでしまうと、一年中悲しみが訪れてしまう」とも「罪深い死者の魂をвиріюに運んでいく」とも「"веселик"という別名は、そのうちの「死」という一面から身を守るための魔術的な婉曲表現」とも書いております。むしろ、ゼレンスキー大統領の国会演説の際に、発言者席に青と黄色の折り鶴を置いたり(当然、問題になりうるような飾りつけなら、事前に外務省などが撤去するでしょう)、子供たちが折り鶴を追って戦勝を祈願したり、砲撃で大けが 千葉大で治療 ウクライナ人男性を大使が見舞うの記事のように、砲撃による大けがで5月に来日して治療されているウクライナ人男性(来日して1ヶ月程度)に、ウクライナの駐日大使が千羽鶴を贈ったりする程度には、ウクライナの方の、ツルの持つ死に関する表象は薄いように感じます。それでもツルの持つ死に関する表象が、千羽鶴を贈る際に問題になりうるくらいに大きいとおっしゃるのであれば、その(信頼性のある)出典を加筆いただければ、よりよい記事になるかと思います。
- 「慰安」と書かせていただいたのは、追悼などをひっくるめて、広い意味で慰安(心をなぐさめること)という言葉でまとめようとしたのですが、おっしゃるように意味のずれが否めないというのはあるので、「追悼・応援」に変更しました。送付した国のリストは、以前SNSでこの記事を読んだ方が、「どこが送付したのか分からない、2~3カ国じゃないの?」という旨の発言をしていたため、そういう方でも分かりやすいよう国名を並べてみたのと、例えばその国では既に千羽鶴を贈る側になっているという文化の接受の度合いを表現するために並べたものです。例えば「ハイチ」は、前年のハイチ地震の際に、ハイチではツルは悪魔とされているという風説が流れていましたが、これを見れば千羽鶴を作成して贈ることができる程度にはツルに対して嫌悪感がないことが分かるかと思います。なお、自分は「千羽鶴を送るのは素晴らしい事」とは主張しておりませんし、Wikipediaの記事は編集者の主張を書く場所でもありません。
- 既に方針のページはご覧になったかもしれませんが、WP:NOTADVOCATE ウィキペディアはアドボカシーの手段ではありませんし、WP:NOTTEXTBOOK ウィキペディアは教科書でもありません。
ウィキペディアの目的は事実の提示
(Special:PermanentLink/89890378#ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません より引用)です。読者を教え導く場ではないのです。 - 「ソビエト連邦」と「ロシア」を鶴 (歌)に移すのは、道知辺さんにお任せいたしますが、歌詞の翻訳の記載に関しては、Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能かに書かせていただきましたが、記載OKなのかNGなのかが分からず井戸端で質問してみているところですので、こちらもご考慮いただければと思います。
- 現在のWikipedia:中立的な観点からは節がなくなって、中途半端にFAQへのリンクが残ったので分かりにくくなってしまったのですが、2020年7月までのこのページには、「ひとつの帰結:敵のために書く」という節がありました。道知辺さんは千羽鶴の送付に対して強く反対なさっているようですが、そうであるならむしろ逆の観点をできるだけ好意的に説明してみてはいかがでしょうか?--MawaruNeko(会話) 2022年6月8日 (水) 20:02 (UTC)
- (補足) 来日して治療されているウクライナ人男性は、もともと日本語を勉強されていた方のようですね(ロシア侵攻の負傷者、千葉大病院で治療 日本初の受け入れ ウクライナ駐日大使が見舞う)。あと、日本国外に千羽鶴を送る例がようやく見つかりました:「勇気の一歩につながれば…」ウクライナの子どもに折り鶴(福島県) それと、ウクライナ大使館のツイッターアカウントが千羽鶴に触れているものとしては[5]、[6]、[7]がありますね。--MawaruNeko(会話) 2022年6月9日 (木) 14:36 (UTC)
- 私は今まで、どうして日本の被災者から迷惑No.1と烙印を押されている千羽鶴を、被災地や戦地に送りたがる人がいるのか、迷惑だと言われると非常に感情的かつ猛烈に反発してくるのか、そして何がなんでも送り付け行為を正当化しようとするのか疑問で、何だか新興宗教のようだなと感じていたのですが、今回の話し合いを通じて「千羽鶴には癒やす力がある」というのを絶対的な事実と疑うこと無く信じている人が割といらっしゃるからなんだなと感じました。もう千羽鶴崇拝ですね。だから
- 送られた人は必ず喜ぶ筈だと信じる。それで、例えば送られて感謝された例を列挙して、これで、世界の全ての人が無条件で千羽鶴を喜ぶのだ、的な無理筋な主張をする。
- 迷惑論は頑なに否定する。たとえば、ハイチではツルは悪魔とされているのは風説らしいという事例ひとつを根拠に、一切の迷惑は虚偽であり嫌悪感などは無いという主張をする。
- 素晴らしい千羽鶴の理念は世界で理解されている。だから、海外に送付する際にも事前に原爆→白血病で亡くなった佐々木禎子さん→原爆の子の像→平和・反核・相互理解→その運動を推進するツールとしての千羽鶴、といった手間の係る説明する必要は無く、千羽鶴を送りさえすれば意図は伝わる筈と考える。
- 全てがこの様な調子なので、議論として噛み合っていない(と言っておきます)ですね。ところで
- 「慰安」と書かせていただいたのは、追悼などをひっくるめて、広い意味で慰安(心をなぐさめること)という言葉でまとめようとしたのですが、おっしゃるように意味のずれが否めないというのはあるので、「追悼・応援」に変更しました。
- いや、そういう生易しいレベルではないですよ。「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」を見ますと
- (ギリシャ) 黙祷を行った後,日本の被災児童のために1,000羽の折り鶴を作成しました。
- ジーグブルグ独日協会が,地元のギムナジウムの学生と共に折り鶴を使った募金活動を実施。
- デュッセルドルフ市内ゲレスハイム・ギムナジウム学生が,折り鶴を使った募金活動を実施。
- これで「慰安」と書くのは「事実捏造」のレベルでしたね。まるで、世界の45カ国が千羽鶴を作って日本の被災地に送って被災者を慰安したんだ、と解釈しそうな文面でしたから。指摘されてテヘペロで済ませるのは、いかがなものかと思います。今度は「追悼・応援」ですか。やはり、そういう解釈を入れるより、普通に出典にある通り、折り鶴を使った募金活動を実施、などと書いてはいかがでしょう。それから、千羽よりだいぶ少ない所もあるし、そもそも作成はしても送った所は少ないのでは? 全部はチェックしていませんが。ただ、MawaruNeko さんのお書きになる事は、「あれっ?」と思って、出典を見ると、案の定おかしい事が…いや、高々2回中2回ですが、ありまして。
- 「ひとつの帰結:敵のために書く」
- ですが、Wikipediaは千羽鶴崇拝を布教・宣伝する場所でもないので、そちらに記事が傾きつつあるのであれば、放置や降伏はしたくないですね。
- 相手が千羽鶴を送って喜んでくれる、という事が解っている状況でも「送るべきではない」なんて主張、私がどこかでしましたか? とはいえ、「こんな物、要るか!」と踏みつけない限り、相手は喜んでいると解釈すべきでもないですが。プレゼントに文句言う人って少ないですから。なお前述の通り、ウクライナ大使館の公式ツイッターで一般の人から支援として求めているのは、義援金です。千羽鶴その他は無いです。
- ところで、「ウクライナ大使館に「千羽鶴」を 平和願い折るも寄贈断念」の人は、神社の神主で、境内の古民家を改装した宿に飾ることにしたのだから、これで良かったじゃないですか。千羽鶴に祈りの力があるというなら、大使館に送る必要は無く、どうぞ境内の宿に飾って平和を祈っていただければ良いかと思います。就労支援施設の方は、『障害者雇用の実務と就労支援』を読んだ限りでは、送り付け以前に、国から補助金を貰っている福祉施設が強制的に千羽鶴を通所者に作らせているわけで、非常にまずいかなと思います。
- よろしければ、前述の「ウクライナ大使館の責任でウクライナに送れという事なのか、永久に保管…」の方の考えを聞かせて下さい。千羽鶴は送らないと効果が無いのか、というのも併せて。また、MawaruNekoさんの非常持ち出し袋には水や食料や現金などは入っておらず、代わりに、もっと良いものである、千羽鶴がぎっしり詰まっているのかも聞かせてもらっていいですか? 避難所で千羽鶴広げて慰めを得て、他の被災者に差し上げたりするんですよね?--道知辺(会話) 2022年6月12日 (日) 15:41 (UTC)
- 私は今まで、どうして日本の被災者から迷惑No.1と烙印を押されている千羽鶴を、被災地や戦地に送りたがる人がいるのか、迷惑だと言われると非常に感情的かつ猛烈に反発してくるのか、そして何がなんでも送り付け行為を正当化しようとするのか疑問で、何だか新興宗教のようだなと感じていたのですが、今回の話し合いを通じて「千羽鶴には癒やす力がある」というのを絶対的な事実と疑うこと無く信じている人が割といらっしゃるからなんだなと感じました。もう千羽鶴崇拝ですね。だから
- 出典[67]の記述についてですが、
- まずはツルの記事への転記にご賛同いただきありがとうございます。
- 返信 まず、既に申し上げた通り、道知辺さんやMawaruNekoが千羽鶴をどう思おうが、それを記事に反映すべきではなく、Wikipediaの記事は中立であるべきだというのが自分のWikipedia:中立的な観点の解釈です。WP:WEIGHTの観点では、メディアに載っている情報では、千羽鶴に肯定的な人(送付している人など)も否定的な人(批判している人など)も両方観測されており、批判の批判も見受けられる状態ですので、どちらかが圧倒的に多数派というのは考えづらく(少なくとも、批判する人が「被災地が大量に送られて迷惑している」と批判する程度には、大量の鶴を折る人がいるわけです)、ある程度の均衡をとって記事を書くべきだと考えております。現在の千羽鶴の記事は、道知辺さんが批判的な内容を中心に書かれているように見受けられるので、これを中立的な記事に持っていくには、たとえ千羽鶴に対して批判的な意見を持っていたとしても、肯定的な意見も記述していくべきだということです。
- あと、MawaruNekoは「千羽鶴には癒やす力がある」とは言っていませんし、「世界の全ての人が無条件で千羽鶴を喜ぶのだ、的な無理筋な主張をする」「ハイチではツルは悪魔とされているのは風説らしいという事例ひとつを根拠に、一切の迷惑は虚偽であり嫌悪感などは無いという主張をする」といった主張内容を述べたことはありません。そもそも"千羽鶴崇拝"してませんし、すでに述べた通り、「ウクライナに千羽鶴を送るのは賛同されるべき」という主張もしていません。
- ご指摘を受けて、言葉はより正しく使うべきと解釈して、記事をよりよくするために「慰安」を「追悼・応援」(「応援」は、そもそもリンク先の記事のタイトルが「がんばれ日本」ですので、これに間違いはないと思いますが)に改めさせてもらったり、今も義援金の件を追記させていただいたのですが、「事実捏造」とは穏やかではないですね。
- 「相手が千羽鶴を送って喜んでくれる、という事が解っている状況でも「送るべきではない」なんて主張、私がどこかでしましたか?」が、何に対してのご返信なのか分からないですが、道知辺さんが千羽鶴に対してどう思っていらっしゃるかにかかわらず、Wikipediaの記事には検証可能性・中立的な観点・独自研究は載せない、が求められています。道知辺さんのご主張に沿う信頼できる出典があればそれを使って追記していただければよいですし、それによって記事の観点のバランスが傾いたら、他の観点の記述を増やす必要が出てきます。
- 最後に『「ウクライナ大使館の責任でウクライナに送れという事なのか、永久に保管…」の方の考えを聞かせて下さい』ですが、ウィキペディアは公開討論の場ではありません(WP:NOTFORUM)。道知辺さんやMawaruNekoがどう思おうが、信頼できる出典がなければ、どの議論に意味はありません。そのうえであえてウクライナ大使館の件について触れるならば、大使館は外交官、つまり外交のプロが務める場所ですので、ウクライナを有利にするうえで、道知辺さんやMawaruNekoが考えつくよりずっと有効で効果的な活用方法を考えているのではないかと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月13日 (月) 16:56 (UTC)
返信 (都合でインデント戻します) 困りますね。MawaruNekoさんは、ご自分がここのノートに「道知辺さんは千羽鶴の送付に対して強く反対なさっているようですが」と2022年6月8日 (水) 20:02 に書いたのを忘れているようですが。もちろん、送ってくださいという状況なら反対しない旨を返事したのに、それを「何に対してのご返信なのか分からない」と批判するとは、どういう事ですか? 話をはぐらかすテクニックでしょうか? 他に、こうもおっしゃっていますが
- MawaruNekoさん「非難された2つの団体がやろうとしていたことは、ウクライナ本土ではなくウクライナ大使館に送付するものだったはずで、戦場になっているウクライナ本土に贈るのは、よほどの運送手段をとらない限り実現性可能性がないので、さすがにそんな非現実的な企画を考える人はいないと思うのですがどうなんでしょう。」
- 私 (大使館に送って何になるのか不思議に思い尋ねた)
- MawaruNekoさん「ウィキペディアは公開討論の場ではありません(WP:NOTFORUM)。」
ウィキペディアはコントをする場でも無いので、「大使館に送るんだからいいのだ!」「送って何になるの?」「絶句」ですか。大使館員を励ます力がある、のような事を言われたら「ウクライナの人には役に立たないですね」と返そうかと思ったのですが、そこまで達しなかったとは、ウクライナ(大使館)に千羽鶴を送ろう! な思考の妥当性を反映したものでしょう。
- MawaruNekoは「千羽鶴には癒やす力がある」とは言っていませんし
外務省の資料に、慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたと書いていないのに、慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたと書いて、私に指摘されて語句修正していませんでしたか? /「慰安」の検証サブページを作りましたので、お手数ですがそちらをご覧いただき、外務省の資料のどの箇所が「世界各国で慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした。」という記述の出典になり得たのかをお示し下さい。その後の語句修正やノートでのご返事により、ミスや取り違えで間違えたわけではないと判りますので。MawaruNekoさんは、下の「転記作業について」の節にかかれている通り、井戸端に提起するなど、私には非常に厳密に出典としての妥当性を求めていらっしゃるので、是非ご自分にも当てはめて下さい。
- 大使館は外交官、つまり外交のプロが務める場所ですので、ウクライナを有利にするうえで、道知辺さんやMawaruNekoが考えつくよりずっと有効で効果的な活用方法を考えているのではないかと思います
千羽鶴と義援金のどちらが有効かなんて私達で分かるわけない、とでもおっしゃりたいのですか? ウクライナ大使館の公式ツイッターが「人道支援のための銀行口座詳細」として、一般の人からの義援金を求めているなんて関係ないと? 今や、支援には義援金というのは、論じるまでもない事実です。UNHCR駐日事務所首席副代表も一番ありがたいのは寄付金 圧倒的に手間がかからない、難民支援は現金の方が効果的と変わった経緯などは食糧配布から現金支給へにあります。阪神・淡路大震災の頃から、震災直後以外は物を送るより義援金と教訓を得た筈です。なお、NHKは戦争加担になりうるかもしれないとすべての寄付を否定したり、援助団体を批判したりするのではなくと解説しています。冒頭の写真に千羽鶴があるのは、ご愛嬌ですが。
非常持ち出し袋たとえ話には、応じていただけませんでしたが、それは別に結構ですけれど、そうなりますと「やはり、ウクライナ(大使館)に千羽鶴を送ろう! な人達は、自分が被災すれば千羽鶴より水や食料や現金の方が大事なのに、他人事になると戦地や被災地に、食料や医薬品を買える義援金ではなしに、自分も欲しがらない千羽鶴を送ろうと躍起になる不可解で理解の困難な思考の人達なんだ」という風に対応するしかありません。 --道知辺(会話) 2022年6月17日 (金) 15:47 (UTC)
- 返信 順に回答します。
- 「相手が千羽鶴を送って喜んでくれる、という事が解っている状況でも「送るべきではない」なんて主張、私がどこかでしましたか?」の件について: なるほど、「道知辺さんは千羽鶴の送付に対して強く反対なさっているようですが」の件でしたか。失礼いたしました。(道知辺さんのおっしゃる神主さんの件はこちらでは把握していなかったのですが)、SNSで話題になったのは障害者就労移行支援施設の方のみ把握していたので、日刊ゲンダイの2022/04/23の記事p.3によれば、
今回の一件はウクライナ大使館も『ありがたい。是非お願いします』と言ってくださったことからスタートしているものと聞いています。
(当該記事より引用)とのことですので、てっきり道知辺さんは、ウクライナ大使館が『ありがたい。是非お願いします』と言っている状況でも、相手に迷惑になるから「送るべきではない」と考えていらっしゃるのかと思っておりました。 - 「大使館に送って何になるのか不思議に思い尋ねた」について: MawaruNekoは大使館に千羽鶴を送っておらず、送る予定もないので、MawaruNekoが何のために大使館に千羽鶴を送るのかを聞かれても困りますし、MawaruNekoは一般人ですので、WikipediaでMawaruNekoがどう考えているかを述べることに意味はないです。障害者就労移行支援施設が千羽鶴を送った目的は、上記記事には
武力ではない平和の大切さに気づいて欲しいという思いは文化や国を超えて伝わることも中にはあると信じたいです。実際にウクライナから避難して日本に来た人の中には『平和の象徴である鶴を自分も折ってみたい』という方もいらっしゃいます
(当該記事より引用)とありますので、このような事柄が目的なのではないかと思います。大使館に送る意味(肯定的・否定的両方の意味で)について述べた情報源は色々ありますが、例えば上記の記事などがそうではないかと思います。検索しても色々出てくるかと思います。こういった主張は特筆性やPOVに気を付けて、「○○は(大使館に千羽鶴を送ることで)××だと主張している」「○○は(大使館に千羽鶴を送っても)××だから意味はないと主張している」のように、どのような意見があるかを記述するために使用できます。なお、Wikipediaは、大使館に送る目的や意味を述べている信頼できる情報源に基づいて、「〇〇(有名人・専門家など)はこうだと主張した」と加筆する場であって、編集者が大使館に送る目的や意味を議論する場ではありません。 - 「非難された2つの団体がやろうとしていたことは、ウクライナ本土ではなくウクライナ大使館に送付するものだったはずで、戦場になっているウクライナ本土に贈るのは、よほどの運送手段をとらない限り実現性可能性がないので、さすがにそんな非現実的な企画を考える人はいないと思うのですがどうなんでしょう。」 について: この文は、道知辺さんの「「明日、死んでるかもしれない」と怯えているウクライナの人に千羽鶴を送る」(差分)、「論争になっているのはミサイルが飛んでくるなどして民間人が無残に殺されている状況で禎子、千羽鶴、平和について理解してもらうプロセスを踏まずに日本で千羽鶴折って送りつけて現地で理解され感謝されるのか、なんですが」(差分)というご発言をうけて、MawaruNekoが把握している送付先は、明日死ぬような状況でもなく、ミサイルも飛んでこなさそうなウクライナ大使館だけだったので、(上記の記事でも指摘されているように)道知辺さんが送り先をウクライナ本土と勘違いなさっているか、MawaruNekoの知らず、常識では考えられない方法でウクライナ本土に送る計画があるものと考え、ウクライナ大使館ではなくウクライナ本土に送る計画があるのかと聞かせていただいたものです。MawaruNekoは「大使館に送るんだからいいのだ!」とは言っていません。繰り返しになりますが、SNSで話題になった件に関する(こちらが把握している)千羽鶴の送付先はウクライナ大使館へだけであると言っています。ウクライナ本土に送る計画があれば、場合によっては記事に記載する価値がある可能性があるため、ウクライナ本土に送る計画があれば是非教えてください。
- 「慰安」に関して: 既に「慰安」はここでの意味とずれがあるというのは認めて、本文も修正しておりますが、こちらが「広い意味で慰安(心をなぐさめること)」と申し上げたのは、例えば「追悼」「激励」「連帯」及び弔意の表明や回復・復興の祈願などが該当しますし、「見舞い」は「慰安」の類義語ですし、「(被害に)心を痛めています」のような、相手の苦痛を理解していることを表明することは、典型的な慰めではないでしょうか?
- 「私には非常に厳密に出典としての妥当性を求めていらっしゃるので」について: そうなのですか?Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能かでは「出典」という言葉は登場していないので、Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかのことをおっしゃっているのだと思いますが、そちらに書いた通り、「道知辺さんの書かれた節が無出典とならないよう、最大限動画を出典として解釈させていただいた」のがその井戸端の質問です。「YouTubeは出典にならない」(差分)とおっしゃる道知辺さんよりむしろ出典に対してはルーズに見えますが。
- 「千羽鶴と義援金のどちらが有効かなんて私達で分かるわけない」について: MawaruNekoはそのようなことを言っておりません。繰り返しになりますが、Wikipediaはウクライナ大使館が贈られた鶴をどうするかをウクライナ大使館の代わりに考えてあげる場所ではありません。ウクライナ大使が贈られた千羽鶴を広島の施設に寄贈して、核を恫喝に使うことに対する非難の演説をするもよし、千羽鶴のリサイクル業者の協力を取り付けて、リサイクル品の売上の一部を寄付してもらうもよし、あるいは焼却処分するもよし、それはウクライナ大使館が決めるべき大使館の専権事項であって、議論の場ではないWikipediaでとやかく言う問題ではありません。ウクライナ大使館が千羽鶴は不要であると表明したり、専門家などがウクライナ大使館に千羽鶴を送るべきではないと表明した場合はそれを記事に記述できる可能性がありますが、道知辺さんやMawaruNekoがウクライナ大使館に千羽鶴を送るべきかどうかは記事の内容とは関係なく、Wikipediaはそれを議論する場ではありません。
- あとMawaruNekoは、東日本大震災の際の海外の折り鶴/千羽鶴に関する件を除いて、そもそも義援金に関してはなにも発言していなかったと思います(記憶漏れがあるかもしれないので、あったらその差分を教えてください)。「義援金を送るべきではない、代わりに千羽鶴を送れ」などとは一切言っておりません。
- 何度も繰り返しておりますが、WP:YESPOVにあるとおり、
ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません。
(WP:YESPOVより引用)。また、Wikipedia:ノートページのガイドライン#記事のノートページの使い方にある通り、「ノートページは社会的に論争が起きている話題について利用者が議論を戦わすフォーラムではありません。出典となる二次資料をもつ各種見解を、どのように記事に含めれば最終的に中立的な観点が守れるかについて議論するフォーラムです」(当該節より引用)ので、記事をどのように発展させ、中立的にするかという議論は歓迎します。そして、その議論に、利用者が千羽鶴についてどう思っているかは無関係です。--MawaruNeko(会話) 2022年6月18日 (土) 11:16 (UTC)
- WP:YESPOVを突きつけての長い演説、ご苦労さまです。相手に求めることを自分には一切、当てはめないのは清々しいですね。
- Wikipediaは事実を出典に基づいて書く場所ですから、MawaruNekoさんがお書きになった
- 東日本大震災の際には、中国[34]、(42カ国の国名は略)、 モザンビーク[53]など、世界各国で慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした。
- この記述が事実か確認したく思います。下記2点に回答いただければ幸いです。
- 外務省の出典は、読んでから書いていますか? それとも、見はしたが読んだのは指摘を受けてからですか?
- 結局、広辞苑の「慰安」に書いてある「なぐさめて心を安らかにすること」の意味においては出典から根拠を示せなかった、という事でよろしいですか?
- 世界の44カ国もの国を列挙しながら、肝心の東日本大震災の被災者が千羽鶴を受け取って、被災者が「千羽鶴でなぐめられた」「心が安らかになった」という事が出典からはただの1カ国も示されていません。--道知辺(会話) 2022年6月20日 (月) 14:26 (UTC)
- 道知辺さんの作成されたノート:千羽鶴/「慰安」の検証サブページへの返信はご覧になられましたでしょうか? そちらに既に書かせていただいた内容と重複しますが、「慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られ」という文の「慰安として」は「作成されたり」「贈られ」にかかる部分ですので、「慰安」は作成や送付の意図・目的を表す部分となります。したがって、「慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られ」という文は、送付側の意図・目的は表しても、結果としてそれが日本側で慰安となったかどうかは含意しません。そちらでも書かせていただいた例文を再度掲載させていただきますが、例えば「救援物資としてA国がB国に食糧を空輸しようとしたが、飛行機が墜落して被災者には届かなかった」という文があったときに、「被災者に届かなかったんだからその食糧は救援物資ではない、だからその文は誤りだ」となるでしょうか?あるいは「返り討ち」の説明として「復讐として相手を攻撃したが、却って相手に反撃されて負けること」という文は、「結局復讐に失敗したのだから誤り」となるのでしょうか?
- 道知辺さんのご質問について、
- 「外務省の出典は、読んでから書いていますか? それとも、見はしたが読んだのは指摘を受けてからですか?」について: 道知辺さんがどういう意味で「見る」と「読む」を使い分けているかは分かりませんが、外務省の当該ページの折り鶴・千羽鶴の記述は閲読しております。音読はしておりません。もしMawaruNekoがこれらのページを読んでいなかったとしたら、MawaruNekoはいったいどうやって42カ国の国名のリストを作成したのでしょうか?
- 「結局、広辞苑の「慰安」に書いてある「なぐさめて心を安らかにすること」の意味においては出典から根拠を示せなかった、という事でよろしいですか?」について: 重複となりますが、この文は、「送付の目的」が(上記の)"広い意味"での「慰安」であるという意味であり、外務省の各ページは、「送付の目的」が(上記の)"広い意味"での「慰安」であることを検証するための出典です。なぜ辞書を広辞苑に限定なさるのか分かりませんが、サブページにも書いた通り、「「慰安」と書かせていただいたのは、追悼などをひっくるめて、広い意味で慰安(心をなぐさめること)という言葉でまとめようとした」のが意図です。もう少し具体的に説明すると、例えばデジタル大辞泉の「慰安」の類義語の中には「慰藉」「見舞い」が含まれています。精選版 日本国語大辞典「慰藉」によれば「慰藉」は
苦しみなどを慰め助けること。
(当該項目より引用、後略)です。また、世界大百科事典 第2版「見舞」には、火事や水害などの見舞はもっぱら経済的援助を旨とする。
(当該項目より引用)との説明もあります。また、遺族を慰めるために送る金銭として、「弔慰金」という言葉もあります。そういったことから、「追悼、慰め、被災者への精神的・経済的支援」というのを広い意味で「慰安」で表せないかと思い、この言葉を選んだというのが経緯となります。重複となりますが、こちらが「広い意味で慰安(心をなぐさめること)」と申し上げた内容に対応する、外務省のページ内の単語としては、例えば「追悼」「激励」「連帯」及び弔意の表明や回復・復興の祈願などが該当しますし、「見舞い」は「慰安」の類義語ですし、「(被害に)心を痛めています」のような、相手の苦痛を理解していることを表明することは、典型的な慰めではないでしょうか?
- なお、サブページでも提案させていただきましたが、意見が対立する2人だけで話していても埒は開かないので、Wikipedia:コメント依頼を出させていただきました。--MawaruNeko(会話) 2022年6月20日 (月) 15:58 (UTC)
- 「相手が千羽鶴を送って喜んでくれる、という事が解っている状況でも「送るべきではない」なんて主張、私がどこかでしましたか?」の件について: なるほど、「道知辺さんは千羽鶴の送付に対して強く反対なさっているようですが」の件でしたか。失礼いたしました。(道知辺さんのおっしゃる神主さんの件はこちらでは把握していなかったのですが)、SNSで話題になったのは障害者就労移行支援施設の方のみ把握していたので、日刊ゲンダイの2022/04/23の記事p.3によれば、
コメント依頼から来ましたが、議論の要点が分かりづらいですね。まず発端であろう「海外の鶴に対するイメージ」節について、本記事に残ってる部分も含めて完全にツルの記事内に転記・整理したほうがいいでしょう。それらはあくまでツルという鳥に関する言及であって、「こうした価値観がある故に現地では千羽鶴についてこうしたな反応がありました」という出典があってこそ千羽鶴の記事内で言及する意味が出てきます。また、それ以外の部分が現状では批判的な内容に偏向しているのも確かだと思いますし、それらの記述について、一見して信頼性の低いサイトを出典としていたり、情報の合成や大言壮語に該当しそうな箇所が目立ちます。とりわけ「送り付け行為」節がひどいですね。「処分」節の「どちらが正しいのか興味深い」なんていうのも執筆者の感想文ですし。はっきり言えば、2022-04-21T01:16:08の版あたりの内容に一旦戻すべきじゃないですか。--Sugarman(会話) 2022年6月20日 (月) 23:18 (UTC)
- 返信 コメントありがとうございます。「海外の鶴に対するイメージ」節については、当初は、道知辺さんがこの節を立てられたのを尊重して、こちらには概要のみを書くという形の転記を想定していました。(結局一部転記ができておりませんが)。しかし、『「こうした価値観がある故に現地では千羽鶴についてこうしたな反応がありました」という出典があってこそ千羽鶴の記事内で言及する意味が出てきます』というのは、Sugarmanさんのおっしゃる通りだと思いますので、完全転記に賛成いたします。現在この節に、千羽鶴に対する出典付きの反応はなく、千羽鶴と関係あるのはラスール・ガムザートフの詩だけですので、こちらの節は完全に消して、ラスール・ガムザートフの詩は「世界への伝播」などに移動、内容は(出典をきちんとさせて)ツルに転記という形はどうでしょうか?
- また、内容をいったん戻す(そのうえで、信頼できる文献の部分などは再度加筆するというのを想定していらっしゃると思いますが)という件に関しては、ご指摘の版以降のMawaruNekoの加筆部分は少ないため、我田引水的な言い方にはなってしまいますが、MawaruNekoとしては反対しません。--MawaruNeko(会話) 2022年6月21日 (火) 13:59 (UTC)
- 返信 Sugarmanさん、コメントありがとうございます。私も「これは戻すしかないな」と感じていたので、仲裁案を提案してくださり助かりました。MawaruNekoさんのお書きになる事は出典が付いていても信用が置けないので、よほど疑ってかからないとダメだなと思います。しかも出典がウクライナ語だったり日本語でも行数が多いなど検証が非常に厄介だったりするので、正直「勘弁して欲しい」「なぜ私がチェックしないといけないのか」と思います。
「どちらが正しいのか興味深い」に関してですが、あれは私も自分で読み返して、「何でこんな間抜けな事を書いてしまったのだろう。直さなくては」と思っていたのですが、ご覧の通りMawaruNekoさんのウクライナでの鶴およびコウノトリに関する大量の記述と、議論が続いてしまい手が出せなくなってしまいました。マイペースで時間が取れる時に書ける記事と異なり議論だと返信しないといけず、私は睡眠不足で仕事をすると危険が伴う職種なので、ノートの議論が一段落したらと思いながら、他にも直したり追記したりしたい所があったのですが結局先延ばしにしてしまい、ご迷惑をおかけしました。なお、「慰安」が片付いたら次は、MawaruNekoさんが井戸端に提起した2件のうち、著作権がらみを片付けてから、その次はYouTube動画の方ですね。記事執筆が再開できる目処は立ちません。--道知辺(会話) 2022年6月23日 (木) 15:55 (UTC)
- 返信 Sugarmanさん、コメントありがとうございます。私も「これは戻すしかないな」と感じていたので、仲裁案を提案してくださり助かりました。MawaruNekoさんのお書きになる事は出典が付いていても信用が置けないので、よほど疑ってかからないとダメだなと思います。しかも出典がウクライナ語だったり日本語でも行数が多いなど検証が非常に厄介だったりするので、正直「勘弁して欲しい」「なぜ私がチェックしないといけないのか」と思います。
- 返信 MawaruNekoさん、「音読はしておりません」と言う位に読み込んだ上で書いたなら、
- 東日本大震災の際には、中国[34]、(42カ国の国名は略)、 モザンビーク[53]など、世界各国で慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした。
- この記述に関し出典から根拠を示してくださいと言われたら「これ」と即座に示せるはずですが、実際にはそうではなく、慰安の類義語を幾つも持ち出して、その同義語について長く説明し、その同義語であれば間違っていないといった論点すり替えに躍起になっていて、見ていて痛々しいです。「結果として慰安されたかどうかは関係ないでしょう。」という首を傾げる主張や(結果として慰安されなくても慰安だというなら、支離滅裂としか言いようがない)
- 飛行機が墜落して被災者には届かなかった」という文があったときに、「被災者に届かなかったんだからその食糧は救援物資ではない、だからその文は誤りだ」となるでしょうか?
- のように、無理やりで極端過ぎて誰も納得しないようなたとえ話で答えたり、
- なぜ辞書を広辞苑に限定なさるのか分かりませんが
- これだと実質的に「広辞苑は間違いだ、このMawaruNekoの言う事が正しいのだ」と言っているようなもので、出典軽視も甚だしい。そんなに広辞苑に限定したくなければ、大辞林の「日頃の労をねぎらって楽しませること」でも日本国語大辞典の「心をなぐさめ、労をねぎらうこと。また心がなぐさめられるような感じや事柄」でも他の辞書でも構わないので、都合のいい類義語からではなく、慰安から示せば済む話でした。ですが、結局おできにならないという事ですから、MawaruNekoさんによる版のうち
- 返信 MawaruNekoさん、「音読はしておりません」と言う位に読み込んだ上で書いたなら、
2022年6月8日 17:26版 世界各国で慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした。 出典に基づかない内容 2022年6月13日 15:58版 世界各国で追悼・応援として折り鶴や千羽鶴が作成され、これにより義援金を集めたり、日本に贈られたりした。 出典通りの内容
- にて、慰安の件は確定とさせていただきます。
慰安に比べれば小さい問題ですが「日本文化としての接受」に関してです。「接受」は日本国憲法に書かれている政治・外交・法律分野の用語で、天皇の国事行為として外国の大使及び公使を接受するや、goo辞書の使い分けには公文書類などを手に入れること。とあり、記事は出典にならないとお叱りを受けそうですが信任状捧呈式#君主が存在する国の接受礼などを見ていただければ、接受には、普通に受け取るという意味もありますが、「わざわざ壮大な意味のある言葉を使いましたね」感があります。首相官邸ページにある原子力防災会議における行政文書の取扱いに関する規程(PDF)の第9条の「文書の接受」や第10条を見ると、接受は到底、”送ったけど受け取ったかなど知らない”のような場面では使われそうもないですね。ですから節のタイトルと、内容が、MawaruNekoさんが力説しているように受け取られなくてもいいのだ、というのでは真逆になります。それを言ったら、「日本文化としての接受」となりますと、方向はどちらなのか、という点も矛盾だらけになります。「文化」を受け取ったと言うなら、千羽鶴は日本→世界へ、となります。ところが、出典にかかれていますのは、世界の国で鶴を折った→日本へ(日本のために)となっていて、このたった10文字のタイトルにも関わらず問題点が多すぎて、節として成り立っていません。このあたり、MawaruNekoさんが「慰安」で追求されて”接受”されるものを「千羽鶴」から「文化」に説明を変えたためと仮定すると多少は意味も通じますが、そもそも説明で変えられるという段階でおかしい。 --道知辺(会話) 2022年6月23日 (木) 15:55 (UTC)
- にて、慰安の件は確定とさせていただきます。
- 返信 MawaruNekoさん、ツルへの転記および差し戻しの後の再加筆について、基本的にそのような形でよいと思います。道知辺さんが2022-04-21版へと差し戻してくださったようですから、中間の版に含まれる記述と出典についてはこのノートで一旦精査して合意が得られた上で加筆するというのが理想的です(そのためにももう少し議論参加者が増えれば良いんですけど)
- 返信 道知辺さん、まずは差し戻しの作業お疲れ様です。その上で、「慰安」という言葉の問題については「世界各国で追悼・応援として……」という書き方の方が好ましいとは思いますけど、正直に言えばこの記事の問題としては最も些細なものだと感じました。むしろ、道知辺さんが加筆された批判的な記述(主に「送り付け行為」あたり)のほうに、「どちらが正しいのか興味深い」と同様、比較的大きい問題があると思います。いくつか取り上げると、例えば元教職経験者という匿名の人物のブログ記事は信頼できる出典ではないでしょうし、デイリサーチのアンケートも議論の余地がありそうです。「無意味との指摘を糾弾するキャンペーン」あたりも、「このようにテレビ朝日・AERA・朝日新聞は、千羽鶴を一方的に送付する行為を批判する事は一切、許容しない態度を取っている。 」という結論ありきで書かれているかのように見えます。社としての意見を表明したわけではないですから、「テレビ朝日は反発し」というのは適当ではないでしょうし、批判に対する反発を報じる記事をいくつか発表することを直ちに「キャンペーン」と称してよいかどうかも疑問です。「作業の合間に」も情報の合成と独自研究に該当する可能性が極めて高いでしょう。
- おそらくはご自覚もあるとは思いますが、これらの加筆を行った際にはいささか冷静さを欠いていたのではないですか。関連の議論の後、再びこの記事を編集する際には、ひと息置いてプレビュー画面で記述の内容や出典を再確認することをお勧めします。--Sugarman(会話) 2022年6月26日 (日) 00:15 (UTC)
- まずは道知辺さん、差戻作業ありがとうございます。また、少なくとも2022年6月13日 15:58版に関しては「出典通りの内容」とのことでありがとうございます。
- まず「慰安」と書いた件について
- 「慰安」という修正済みの表現をめぐって、長々と議論することにどれくらいの意味があるのかは分かりませんが、この加筆については、「「事実捏造」のレベル」(および、Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能かで「出典偽装」とおっしゃったのもこの件でしょうか?)とご批判を頂いている以上、MawaruNeko としては説明責任を果たすために、事実捏造の意図はなかったということを説明せざるを得ないという部分がございます。
- まず、ノート:千羽鶴/「慰安」の検証サブページに、「これは具体的に、「慰安」(と書いたことに関して)の何に関する検証でしょうか?」と書かせていただいたのですが、明確な答えは頂けていないようなので、再度形を変えてお伺いします。
- 2022年6月8日 17:26版を「出典に基づかない内容」とおっしゃったのは、以下のいずれの理由からでしょうか?
- (A) 「作成・送付の目的は慰めではあったが、慰安ではなかったから」
- (B) 「作成・送付の目的は慰めではなく、慰安でもなかったから」
- (C) 「作成・送付の目的は慰安ではあったが、結果として(被災者の)慰安になったことが検証できないから」
- (D) 上記以外: 具体的に理由を説明してください。
- 2022年6月8日 17:26版を「出典に基づかない内容」とおっしゃったのは、以下のいずれの理由からでしょうか?
- もし(A)だったならば、ご批判は甘んじてお受けします。既に書いた通り、MawaruNekoは、「慰安」を、広い意味で「心をなぐさめること」という意味で使用し、2022年6月8日 17:26版を書きましたが、ご指摘を受けて、この意味で「慰安」を使用するのは不正確であるという意味だと解釈し、既に差分で述べ、差分で本文を編集した通り、「追悼・応援」に変更しています。この場合、問題なのはあくまで用語の正確性の話なので、「「事実捏造」のレベル」というのは違うのではないかと思います。
- もし(B)だったならば、以下の理由で、「作成・送付の目的は慰めではあった」(あるいは少なくともMawaruNekoはそのように認識していた)と返信させていただきます。
- 道知辺さんが辞書通りの「慰安」の意味ではないとおっしゃっている件については、(A)をご覧ください。ここでは、「慰安」を、広い意味で「心をなぐさめること」という意味で使用した場合の説明となっております。「広い意味」と申しておりますので、類義語から説明することは十分許されるのではないかと思います。
- 外務省のページ内の単語として、例えば「追悼」「激励」「連帯」及び弔意の表明や回復・復興の祈願などがあり、「見舞い」は「慰安」の類義語ですし、「(被害に)心を痛めています」のような、相手の苦痛を理解していることを表明することは、典型的な慰めであるため、「作成・送付の目的は慰めではあった」といえるのではないかと思います。
- あるいは、以下のような方法でも「作成・送付の目的は慰めではあった」といえるのではないかと思います。
- 外務省のページのタイトルは「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」である
- 「がんばれ」は「励まし」を意図した言葉である(例1、例2)
- 「共にある」は「共感」を意図した言葉である(例)
- 従って、「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」は、世界が日本に対して、「励まし」と「共感」を意図した行為をまとめたページである
- 「励まし」と「共感」はそれぞれ、「慰め」方の内の一つである(例1、例2)
- 従って、「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」は、世界が日本に対して、「慰め」を目的した行為をまとめたページである
- よって、このページに書かれた、千羽鶴の「作成・送付の目的は慰めではあった」
- MawaruNekoは上記のように、少なくとも「作成・送付の目的は慰めではあった」と認識しており、従って「「事実捏造」のレベル」というのは違うのではないかと思います。
- もし(C)だったならば、「目的Aとして行為Bを行った」という文には、「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味は含意されないため、「結果として(被災者の)慰安になったこと」が検証可能である必要はないと返信させていただきます。
- 日本語として、「目的Aとして行為Bを行った」という文には、「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味は含意されないことを説明します。「飛行機が墜落して...」の日本語としての説明の例文だったため、現実性は関係ないと思うのですが、「無理やりで極端過ぎて」とおっしゃるので、実際の表現を用います。松本 圭史「失敗した正当防衛について」早稲田法学会誌第69巻 2 号(2019)には、「(略)防衛行為として殴打行為を行ったが、(略)攻撃を阻止することができず」(P.444より引用)という表現があります。もし「目的Aとして行為Bを行った」という文が「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味を含意していた場合、「防衛行為として殴打行為を行った」の時点で「殴打行為の結果として防衛行為が達成された」が含意されてしまうため、「攻撃を阻止することができず」と矛盾します。したがって、「目的Aとして行為Bを行った」という文には、「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味は含意されないと考えることができます。(なお本論とは関係ありませんが、この論文自体は、加害者と被害者の2人の間の失敗した正当防衛は正当と認めないと不合理であるが、失敗した正当防衛の結果第三者に損害を与えた場合などは正当と言えるのかに言及した興味深い論文です。)
- 「目的Aとして行為Bを行った」という文には、「行為Bの結果として目的Aが達成された」という意味が含意されないため、「世界各国で慰安として折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした」という文には、「折り鶴や千羽鶴が作成されたり、日本に贈られたりした結果として、(被災者の)慰安になった」という意味が含意されないことが分かります。出典はその対象となる文の文意に対してのみ検証可能であればよいわけですから、「結果として、(被災者の)慰安になった」という意味が文意に含意されない以上、作成や送付の目的が(広い意味での)慰安であること、すなわち「作成・送付の目的は慰めではあった」を検証可能であればよく、「結果として(被災者の)慰安になったこと」が検証可能である必要はないということが言えます。
- 従って、これを理由に「「事実捏造」のレベル」というのは違うのではないかと思います。
- 「接受」の件について
- まず表現が分かりづらいというご批判でしたらお受けしますし、より分かりやすい表現があればそれに変えるに越したことはありません。
- 「接受」という単語は確かに政治や外交でも使用されますが、壮大な意味のある言葉なのでしょうか?こちらの例 P.2では、単に書類を「受け取る」という意味で使用されているように見えますし、「文化の接受」という言葉は尾張横須賀まつりにも出ています。
- 「「文化」を受け取ったと言うなら、千羽鶴は日本→世界へ、となります」とおっしゃっていますが、この意味で「接受」という言葉を使用しております。より分かりやすく言えば、「世界が、鶴を折るという文化を、日本文化という認識で、自分の国に取り入れる」という意味です。「自分の国に取り入れ」たからこそ、その国で鶴が折られるということになります。東日本大震災の時に、物理的な千羽鶴の流れが世界→日本になったのは、「文化としての千羽鶴は日本→世界に広まった」「日本が被災地だった」「千羽鶴の作成地である世界から被災地に送ろうとした結果、物理的な千羽鶴の流れは世界→日本となった」というだけの話です。繰り返しますが、世界が「接受」したものは文化です。
- 返信 (Sugarmanさん宛) 「慰安」や「接受」の説明が長くなってしまい、申し訳ないです。再加筆の方針についてご同意ありがとうございます。記述と出典の精査については、下に新しく章を立てて議論するのが良いと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 12:44 (UTC)
- 返信 (Sugarmanさん宛) コメント依頼を出しなおしました。また、下記に「2022-06-15の版からの内容の精査について」の章と「2022-06-15の版からの再加筆の方向性について」の章を作成いたしました。 --MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 14:13 (UTC)
- まず「慰安」と書いた件について
2022/06/09の転記作業について
編集- 千羽鶴 oldid=89856983#ウクライナ「ウクライナ」節の「ゾーヤ・ジュラウカ作詞の『Журавлі』」を除く部分は、ほぼそのまま移行しました。
- この内容はほぼ移したので、千羽鶴#ウクライナの方は要約のみにしました。
- スラブの信仰については、「スラヴ圏」と節をたてて移行しました。
- ソビエト連邦とロシアについては、Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能かに書きましたが、出だしの歌詞の翻訳が記載可能かどうか気になったため、ひとまずそれ以外と、歌詞の内容の概略を転記しました。その際、歌詞がないことで内容が薄くなってしまったため、ソビエト連邦とロシアの節はまとめました。
- 「ゾーヤ・ジュラウカ作詞の『Журавлі』」の節については、Wikipedia:井戸端/subj/YouTubeなどの動画はどれくらいの範囲の出典になるかに書きましたが、動画がどれくらいの範囲に対して出典たりうるのか疑問に思ったため、とりあえず最低限の内容のみ移行しています。--MawaruNeko(会話) 2022年6月8日 (水) 17:59 (UTC)
- 返信 著作権で疑念を呈されると、この記事も削除となる可能性があり、何らかの結論が出るまで加筆しづらくなりますね。もっとも、議論に時間を摂られ加筆など出来ない状況でもありますが。 --道知辺(会話) 2022年6月17日 (金) 15:47 (UTC)
- 返信 こちらも念の為の返信ですが、『鶴』の歌詞の件であれば、例えば念の為に歌詞の翻訳を、著作権の及ばない歌詞の概略に置き換えたり、歌詞の引用の必要性が出てくるような加筆を行えば、それ以降は著作権の疑義がなくなりますので加筆が可能になりますし、万が一やはり現在の歌詞の載せ方は著作権上問題があるとなったら、Wikipedia:版指定削除も可能です。
- なお、『鶴』の歌詞の件については、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針#引用の要件を満たしていない場合の「違反状態が軽微であると認められる場合」(というか、人によっては違反していないとも考えられるのではないか)に当たるのではないかとMawaruNekoは考えているため、MawaruNekoが現在のこの件に関しては削除依頼を出す予定はありません。--MawaruNeko(会話) 2022年6月18日 (土) 11:41 (UTC)
『鶴』の歌詞について
編集現在「千羽鶴#海外の鶴に対するイメージ」の章の「ソビエト連邦」及び「ロシア」の節に、『鶴』の歌詞の一部が記載されています。歌詞の引用が、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針の方針に対して大丈夫かという話がWikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能かで出ていますが、それとは別件で、英語版ウィキペディアのen:Zhuravliに記載されている、アヴァル語の歌詞の英訳は、そもそも違うのではないかと思います。
というのも、この詩は、ラスール・ガムザートフの詩→ナウム・グレブニェフのアヴァル感を出した翻訳(改変に近い)→ヤン・フレンケリ作曲時の戦没者追悼用の歌詞、という3回の変遷を経ていて、「兵士」という言葉は、最後に歌謡になったときに、より追悼歌としてソ連国民に親しみやすくさせるために付け加えられた要素だからです(1つ目では「息子たち」、2つ目では「ジギット」)。出典: Elena Polyudova "Soviet War Songs in the Context of Russian Culture" p.178, 辺境と異境 : 非中心におけるロシア文化の比較研究 No.1 P.30 (学術レベルの歌詞の日本語訳があります)
また、ダゲスタン共和国は現在もロシア連邦の一部ですし、広く一般に知られるようになったのはラスール・ガムザートフの詩からというよりは、ナウム・グレブニェフの翻訳版からですし、1965~1969年までの短期間にラスール・ガムザートフの作詩~歌謡の成立となっていますから、「ソビエト連邦」と「ロシア」というように分けるのではなく、ロシアに統一したほうがよいのではないかと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月21日 (火) 13:44 (UTC)
- 返信 MawaruNekoさん、辺境と異境の論文、ありがとうございます。「改変」ですか? Гамзатов Р. Зов белых журавлейに本人が
- На всей воздушной трассе я думал о журавлях, о женщинах в белых одеяниях, о маме, о погибших двух братьях, о девяноста тысячах погибших дагестанцев, о двадцати миллионах , не вернувшихся с войны,
- と1990年に語っているのだから、アヴァル語の息子(васал ですかね。さすがにアヴァル語はわかりませんが)がДжигитになった、ただしru:Джигитには「コーカサスの騎士」という意味より「若い男性」という意味の方が先に書かれているので、大祖国戦争で9千人ものダゲスタンの若者が戻らなかった事を考えて詩を作ったのだから、アヴァル語詩からロシア語の詩が作られた際に、Джигитがсолдатыに変わったからといって、意味は一緒だし、作者が承諾している筈だから、これは改変と騒ぐほどの事ではなく、依然としてガムザートフの詩と言えるのでは。日本だって作家が書いた原稿の単語を編集者が手直しして、それを作家がOKだしたら出版された本の作者は、その作家でしょう。「編集者が改変した!」と大発見みたいに騒ぐ人は見かけません。ガムザートフの場合も、通常の翻訳プロセスでは。辺境と異境の論文を書いた人の主張は『ありのままで』は『Let It Go』の改変だとドヤ顔で言うより変に思えます。とはいえ記事が長くなりすぎたので、アヴァル語は省こうかと思います。 --道知辺(会話)
- 返信 念のために補足しますが、上記で「改変」と述べたのは、中立的な意味で「改変」という言葉を選んだだけで、「翻訳者が勝手に内容を改変した」という意味はなく、単純に詩(全体)の内容に変化があったことを意味しています。むしろ論文の紹介ですので、前掲 中村2010 P.33の、翻訳者の独断ではないだろうという推測や、P.29の「ほとんど共著者」という回想の説明を読まれることを想定しております。「改変」という言葉を選んだのは、P.29-30で、アヴァル語の原詩とロシア語の翻訳版の間に大きな違いがあると述べられているためというのもあります。
- なお「ジギット」→「兵士」については、中村先生はP.33で、ロシア語版『鶴』から歌詞への変更のことを「一定の改変」「この改変」と述べていますし、ガムザトフ自身が「ジギット」は民族的な彩を添えるために選んだが、「兵士」という言葉にすることで普遍的な詩になったという旨の評価をしています。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 15:17 (UTC)
2022-06-15の版からの内容の精査について
編集千羽鶴の記事は、ノート:千羽鶴#分割提案の議論に基づき、2022-06-15T14:24:12 の版から、2022-04-21T01:16:08 の版(この章では、この間の版を「中間の版」と呼称することとします)にいったん差し戻すこととなり、2022-06-23T09:06:33に差戻が行われました。ここでは、中間の版の内容の再加筆について、記述と出典の精査を行いたいと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 12:58 (UTC) この章のタイトルを変更し、「2022-06-15の版からの再加筆の方向性について」を設置しました。この章では、中間の版に既にある記述と出典の精査(どの出典・記述を再加筆し、どれの再加筆をやめるか)を行い、再加筆する際の章立ての構成などの議論は、「2022-06-15の版からの再加筆の方向性について」をお使いください。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:15 (UTC)
導入部
編集「かつては社寺に奉納されていたが、現在は」という記述が「社寺に奉納されたり」に修正されています。これはMawaruNekoの編集ミスの修正なので、中間の版の内容を再加筆するのが良いと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:20 (UTC)
歴史
編集道教の由来
編集鶴が長寿のシンボルになった理由の説明なので、包摂主義的には説明の流れとして再加筆は有りなのではないかと思いますが、あくまでツルという鳥に関する言及ではないかという面もあるため、この説に関しては中立とさせていただきます。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:57 (UTC)
日本へ伝搬
編集遣唐使・懐風藻の下りは道教の由来と同様ですが、「日本の初期の折り鶴」に関する説明は、折り鶴に関する説明なので、再加筆の必要があると思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:57 (UTC)
病気見舞
編集道知辺さんがとても良い編集をしてくださった部分で、再加筆がよいのではないかと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:57 (UTC)
平和の象徴に
編集広島市のアンケート調査の結果の部分について、「逆に日本の個人や団体は約4割も『サダコと千羽鶴』について知らないまま折り鶴を送っている。」という記述は広島市のHPに掲載されているアンケートの分析の「日本」のことだと思います。そこまで触れるのであれば、644羽の話につなげるために、「外国」のコアの本にも触れてもいいのではないかと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:57 (UTC)
海外へ
編集社会問題化
編集出典は問題がないと思いますが、用語はWP:POV#注意を要する用語の観点から気になります。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:57 (UTC)
世界への伝播
編集原子力災害に関する交流
編集日本文化としての接受
編集現地の文化との融合
編集製作の目的・送り先
編集入院者
編集送り付け行為
編集被災地への送付に対する批判
編集論争
編集無意味との指摘を糾弾するキャンペーン
編集作業の合間に
編集処分
編集お焚き上げ
編集リサイクル
編集海外の鶴に対するイメージ
編集この節に関しては、ラスール・ガムザートフの作詩の経緯以外は、完全移行がよいのではないかと考えております。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:57 (UTC)
ギャラリー
編集福禄寿の絵については、あくまでツルという鳥に関する言及ではないかという面もあるかと思います。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:57 (UTC)
2022-06-15の版からの再加筆の方向性について
編集この章では、「2022-06-15の版からの内容の精査について」に基づいて、再加筆の方向性(章構成)について議論するのにお使いください。--MawaruNeko(会話) 2022年6月26日 (日) 13:15 (UTC)