ノート:三里塚闘争
この記事は論争のある話題を扱っています。記事に重要な変更を加える際にはその前にまずここで議論してください。また、情報を追加する際には完全な出典を明記するようにし、出典のない/ありそうにない情報はタグをつけるか除去することを検討してください。 |
この「三里塚闘争」は、下記のような選考・審査を経て秀逸な記事に選出されています。もし改善が可能であれば、より素晴らしい記事にするために編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2017年8月17日 | 査読依頼 | |
2. | 2017年11月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
3. | 2017年12月13日 | 秀逸な記事の選考 | 通過 |
項目名の整理・記事の位置づけ
編集成田空港に同じような項目がありかぶっているとは思いましたが、あれはあれで完成された文章のため編集せずに新しい項目を起こしました。項をして新たに起こすことの可否等についてのご意見をお聞かせ下さい。--parole 2004年10月15日 (金) 06:06 (UTC)
paroleさんが上記の御意見をお書きになって1年半経った今、成田空港問題という、内容の重複の多そうな記事が中国語版の翻訳の形で書き進められています。翻訳が終わったらそれを叩き台に、双方の内容を整理した方がいいかも知れませんね。60.40.48.14 2006年6月6日 (火) 10:20 (UTC)
- 三里塚及び成田闘争を成田空港問題への統合を提案いたしました。詳細はノート:成田空港問題まで。--水野白楓 2006年7月17日 (月) 02:46 (UTC)
芝山町住民による鉄道忌避説
編集白土貞夫の文献で否定されているのを確認。詳細は、総武本線#総武鉄道を参照。--4th protocol(会話) 2018年9月25日 (火) 07:15 (UTC)
「満蒙開拓団」の記述について
編集開拓部落の項で、「新窮民」と満蒙開拓団を結びつける記述をしておりました。この文章は当初「そうした入植者は元満蒙開拓団員の引揚者が主体となっており」とあった記述に加筆していったものでしたが、昨今NHKが満蒙開拓団と三里塚闘争を関連付けるドキュメンタリーを作成し、その是非などをめぐり一部で議論となっていたことから、文献の再調査を行いました。その結果、「旧満州開拓移民の人々(宇沢弘文『「成田」とはなにか』p72)」「敗戦によって生まれた、戦災者、復員兵(福田克彦『三里塚アンドソイル』p38)」「戦争引揚者(佐藤文生『はるかなる三里塚』p79)」との記載はあるものの、満蒙開拓団と三里塚を直接結びつける記述がないことが判明しました。参考文献に似たようなフレーズがあったことから看過してしまっておりましたが、直接文献での確認ができない以上は削除すべきものであると結論いたしました。お詫びして訂正いたします。なお、最初に「元満蒙開拓団員」のくだりが加筆されたのはWikipedia黎明期の2005年のことであり、この編集は過去に『「成田」とはなにか』を読んだ記憶を頼りになされていたものであることも判明しました(当時としては一般的に行われていた編集スタイルと思われます)。--4th protocol(会話) 2019年5月23日 (木) 14:57 (UTC)
追記。『三里塚アンドソイル』106頁で婦人行動隊副隊長について「戦後開拓ではめずらしい満蒙開拓からの引揚者」とする文言を確認。満蒙開拓団が運動の本質とほぼ関わりがないことは明らかと考える。--4th protocol(会話) 2019年7月26日 (金) 16:24 (UTC)
再追記。「南京豆と西瓜しかできないところで、しかも満州からおかえりになった方々が……」との裁判における若狭証言について、反対同盟員が「『満州』と言っているのはどういう人たちを指すかというと、遠山村一帯に入植された開拓者の人らを指すというふうに私は思っております。この開拓者とかそういうことを非常に軽視した発言ではないかというふうに思っており……」とシンポジウムで発言しており(記録集p205)、明らかに「当地住民=満(蒙)州開拓民」の認識が理解不足である文脈で語られている。同席していた宇沢はこのあたりのやり取りを記憶違いして上述の記述をしたと推察される。--4th protocol(会話) 2021年11月7日 (日) 15:40 (UTC)
「運輸省が飛行場をつくるときには上の方で一方的に決め、農民はそれに従うのが一般的原則である」
編集宇沢は『「成田」とは何か』の中で述べている通り「徹底して農民を擁護する」立場であり、その中でもこのような話があるという紹介程度の記載(上記のこともあり、基本的には他文献との突合が必要な資料と考える)。山口は闘争の支援者であり政府中枢にアクセスできる立場にない。よって注釈に格下げとする。--4th protocol(会話) 2019年11月19日 (火) 23:44 (UTC)
読点
編集好みの問題もありますが、読点を入れられたことによって文脈がおかしくなった箇所がいくつかありました。明らかな間違いでない限り、文節ごとに読点を 入れる行為はご遠慮いただきたいです。--4th protocol(会話) 2020年2月6日 (木) 23:40 (UTC)
Semihimsoさんの編集について(2021年11月)
編集Semihimsoさんがなされた編集に対するコメントを下記の通り列挙のうえ、差し戻しをさせていただきます(繰り返し氏が編集なされている最中なので、更に加筆があるかもしれませんがきりがありませんのでご容赦ください)。
>「富里(八街)」案が住民運動により空港計画が白紙化されたこと、補償など最初に何も説明をしないまま再び「成田」を内定したこと、「空港建設」が国家政策だったことで様々な思惑を持った政党や活動家や反権力思想を持った人々などが反対運動に入りこんだこと
テンプレート原因欄の記載「ずさんな建設計画と、地元住民との合意や農民の権利を無視した国家の強権的対応」の引用元は荒川章二の記述の引用によるものです。コトバンクの中でも(私の立ち位置から見て)偏りがある傾向があるので私も正直に申してあまり使いたくはなかったのですが、無出典による編集合戦がすでに起きていていた中で一定の「情報の信頼性とクオリティ」が確保されているサイトとして出典として用いた経緯があります(コメントアウトでのメモにはそのような趣旨があります)。必ずしも嘘とは言い切れない記述ですが、国の強権姿勢について触れてバランスを取らないことには万人に受け入れられるものでもないこともまた確かです。折衷案的記述を改めて考えますので、一旦の差し戻しについてはご容赦願います。
>全日本学生自治会総連合( 中核派、社学同、革労協)
支援セクトの数は相当数にのぼり、すでに本文中・下部のテンプレートにある程度網羅的に列挙され、その中からセクト3つのみをここで記載することにあまり意味がないと思います。特に社学同(社会主義学生同盟)は、三派全学連といってもほぼ文献での登場がなく、三里塚闘争においては第4インターを省いてまで入れるほど有力なセクトでもないです。
>一部住民・中核派、社学同、革労協の三派全学連含む新左翼(極左暴力集団)・日本社会党などによる反対派と日本国・空港公団との間に起きていた、成田市三里塚に建設が決まった1966年から開港の1978年までの主に約12年間に及んだ闘争。1968年時点で住民の大多数との間に移住に伴う補償案が合意され、用地の89%を確保したものの、その後も
条件派については1項目を割いて記載しそこで89%の用地確保について触れているにも関わらず、わざわざここで改めて太字にしてまで記載する意味がありません。更に開港後の闘争を全く無視している不当な記述であり、一定の方向づけをしているとみなされても何らおかしくない内容です。
>住民運動に与えた影響は大きく、以後は官民双方で新左翼のような暴力的な集団を排除するようになった
極左暴力集団排除の議会決議などの取り組みが行われていることも事実ではありますが、交渉・譲歩を含めたあらゆるアプローチの中での一側面に過ぎません。バランスを欠いた記述です。
>開港までの紛争・暴力運動化
すでに中項目で記載がある中で、全体に渡る大項目で「暴力運動」のみを切り取るのは明らかにバランスを欠きます。
>測量クイ打ち阻止闘争と革新政党の参入
時系列が逆です。そもそも運動を組織したのが革新政党です。
>新左翼による運動主導・過激化
新左翼が運動の主導権を握ったと解釈できるのは、第二次代執行からです。それまでの実力闘争の最前線にいた青年行動隊などを無視した記述です。
その他バイアスがかかり気味の過剰な項目出しで可読性を低下させています。
>開港に向け訓練をしている最中のスタッフらが新左翼の過激派グループに襲われた。
襲撃の対象は施設であり、人ではありません。
>1988年には二期工事のために必要な用地の収容手続を担当している「千葉県収用委員会」の会長が新左翼に襲撃されている
襲撃事件についてはすでに本文中に記載があります。
>極左の介入を許すと泥沼になる
出典に無い言葉に勝手に変えないでください。
上述の通りテンプレートがある中で、これを改めて列記する意義がありません。水俣病の関連に追記したにもかかわらず勝手に消さないでください。
三里塚闘争は個々人の心情により大きく見方が異なる事象ですが、その中でも最大公約数的記述になるよう、多くの時間を割き個人の主観をできるだけ排して慎重に本記事の執筆を行っていた者としては(少なくとも、本記事で参照した文献の点数においては、他の秀逸な記事と比較しても決して遜色が無いものと自負しております)、優れた執筆能力をお持ちの方々の査読や講評を頂いて秀逸な記事の水準にまで仕上げた記事に上記のような安易な編集が繰り返し行われることは非常に耐え難いことです。
無論、当方の思い入れは他の方の一切の編集を拒絶するものではありませんが、新規アカウントであらせられる氏におかれましては、十分に研鑽を積んだ上で臨んでもらいたいところです。どうしてもお認めにならないのであれば、「多数決」とおっしゃるくらいですから、まずはコメント依頼にて他の方のご意見を聴取されてはいかがでしょうか。当方の言葉がご本人にどこまで届くかはわかりませんし、本音を言えば記事の強化・充足以外のことにリソースを割かれるのは不本意極まりないことなのですが、第三者の方にも状況ご理解いただくためにも記録としてコメントさせていただきます。--4th protocol(会話) 2021年11月26日 (金) 11:17 (UTC)
- 報告 昨今当方が差し戻した編集を行ったアカウントは、ブロック破りが確認され、いずれも無期限ブロックとなりました。--4th protocol(会話) 2021年12月4日 (土) 21:57 (UTC)