ネヴィル・ブラザーズThe Neville Brothers)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズのネヴィル家4兄弟が1977年に結成したR&Bバンド。

ネヴィル・ブラザーズ
原語名 The Neville Brothers
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ルイジアナ州 ニューオーリンズ
ジャンル R&Bソウルファンク
活動期間 1977年 - 2012年
レーベル
旧メンバー

来歴

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バンドの結成は1977年だが、それ以前に個々のメンバーは、既に充分な実績を積んでいた。最年長のアートは高校在学中にホーケッツに参加し、1954年に「Mardi Gras Mambo」をリリースした[1]。このバンドにはアーロンとチャールズも後に加入している[1]。アートは1960年代半ばにはジョージ・ポーターJr.らとミーターズを結成。ニューオーリンズを代表するファンクバンドとして知られるようになった。ミーターズ後期には、シリルもメンバーに加わっている。

アーロンは、1966年に「Tell It Like It Is」をリリース。R&Bチャートのトップに登りつめる大ヒットを記録している。チャールズはデュー・ドロップ・インのハウス・バンドのメンバーとして活躍し、ジェイムズ・ブッカーアラン・トゥーサンヒューイ・"ピアノ"・スミスなど、大物たちとセッションを重ねた。

彼らがネヴィル・ブラザーズとして活動するきっかけとなったのは、1976年、彼らの伯父にあたるビッグ・チーフ・ジョリー率いるワイルド・チャピトゥーラスのバック・バンドを務めたことに始まる[1]。1977年には正式にネヴィル・ブラザーズとして活動を開始した[1]1978年、デビュー・アルバム『ネヴィル・ブラザーズ』をキャピトル・レコードからリリース。その後、A&Mレコードに移籍し、1981年ベット・ミドラーとの仕事で知られるジョエル・ドーンをプロデューサーに迎えたアルバム『ファイヨー・オン・ザ・バイユー』をリリースするが、評論家から高く評価された一方で売り上げは芳しくなく、A&Mとの契約はいったん解消される[1]

1987年EMIから発表したアルバム『アップタウン』には、ブランフォード・マルサリスキース・リチャーズカルロス・サンタナ等がゲスト参加したが、ヒットには結びつかず、バンドはA&Mレコードに戻る。1989年のアルバム『イエロー・ムーン』は、ダニエル・ラノワがプロデュースを担当し、収録曲「Healing Chant」がグラミー賞ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門を受賞した[2]

1990年、映画『バード・オン・ワイヤー』のサウンドトラックにレナード・コーエンのカヴァー「Bird on a Wire」(コーエンのオリジナル・ヴァージョンのタイトルは「Bird on the Wire」)を提供し[3]、この曲はニュージーランドのシングル・チャートで5位を記録した[4]1992年のアルバム『ファミリー・グルーヴ』からの先行シングル「フライ・ライク・アン・イーグル」(スティーヴ・ミラー・バンドのカヴァー)は、再びニュージーランドでトップ10ヒットとなり、最高8位を記録[5]

2000年頃からアートが体調を崩し、活動のペースが落ちるが、2004年に久々のアルバム『シャドウ・オブ・ライフ』をリリース。健在ぶりをアピールする。チャールズを除き、3人の兄弟たちはニューオーリンズに住んでいたが、2005年ハリケーン・カトリーナによって、アーロンとシリルが自宅を失い、アーロンはナッシュビルに、シリルはオースティンに移住した。

アーロンは、被災後のニューオーリンズの大気汚染が持病の喘息に悪影響を与えるとの理由でニューオーリンズに戻っておらず、カトリーナ後、ネヴィル・ブラザーズのニューオーリンズ公演は行われていなかった。かつて、彼らはニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルで、最終日のトリを務めていたが、カトリーナ後、2006年2007年は出演しなかった。2008年に被災後初めて出演[6][7]

2008年10月、彼らは約12年ぶりの来日公演を行った[8]2009年7月には、フジロックフェスティバルに初出演。豪雨の中、初日のホワイトステージのラストを飾った[9]

2012年8月1日、彼らはハリウッド・ボウルで「The Neville Brothers Farewell Tour」と銘打ったコンサートを行ったのを最後にバンドとしての活動を休止[10]。その後、アーロンがソロ活動に専念するためグループを脱退した。残る3人の兄弟はThe Nevilles名義で活動を続けた[11]

2015年5月2日、ニューオーリンズのセンガー劇場で開催されたトリビュート・コンサート「ネヴィル・フォーエヴァー」において約3年ぶりに4人が同じステージに立ち、故郷でのフェアウェル・コンサートを実現させる形となった[12]

チャールズが2018年4月26日、すい臓がんのため死去。79歳[13][14]。翌2019年7月22日にはアートが81歳で亡くなった[15]。残るアーロンとシリルは存命だが、アーロンは2021年に80歳になったのを機にツアーからの引退を発表[16]、2024年現在、ツアーを含めたソロ活動を続けているのはシリルのみとなっている。

メンバー

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全員ニューオーリンズ生まれ。アーロンの息子、アイヴァン・ネヴィルがツアー・メンバーとして参加することもあった。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 1978年 The Neville Brothers - 『ネヴィル・ブラザーズ』 (Capitol)
  • 1981年 Fiyo on the Bayou - 『ファイヨー・オン・ザ・バイユー』 (A&M)
  • 1987年 Uptown - 『アップタウン』 (EMI)
  • 1989年 Yellow Moon - 『イエロー・ムーン』 (A&M)
  • 1990年 Brother's Keeper - 『ブラザーズ・キーパー』 (A&M)
  • 1992年 Family Groove - 『ファミリー・グルーヴ』 (A&M)
  • 1996年 Mitakuye Oyasin Oyasin/All My Relations - 『ミタケ・オヤシン・オヤシン〜オール・マイ・リレイションズ』 (A&M)
  • 1999年 Valence Street - 『ヴァレンス・ストリート』 (Columbia)
  • 2004年 Walkin' In The Shadow Of Life - 『シャドウ・オブ・ライフ』 (Back Porch)

ライブ・アルバム

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  • 1984年 Neville-ization - 『ネヴィライゼーション』 (Black Top)
  • 1987年 Nevillization 2 (Live at Tipitina's Volume 2) - 『ライヴ・アット・ティピティナス』 (Spindletop)
  • 1994年 Live on Planet Earth - 『ライヴ・オン・プラネット・アース』 (A&M)
  • 2010年 Authorized Bootleg: Warfield Theatre, San Francisco, CA, February 27, 1989 (A&M)
  • 2019年 Great American Radio Vol. 3 - Telluride Jazz Festival, Colorado, June 8, 2008 - 『グレート・アメリカン・レディオ Vol.3』 (Floating World)

コンピレーション・アルバム

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  • 1986年 Treacherous: A History of The Neville Brothers (1955–1985) (Rhino)
  • 1991年 Treacherous Too!: A History of the Neville Brothers, Vol. 2 (1955-1987) (Rhino)
  • 1991年 Greatest Hits - 『グレイテスト・ヒッツ』 (A&M)
  • 1997年 The Very Best of the Neville Brothers (Rhino)
  • 1999年 Uptown Rulin' – The Best of the Neville Brothers (A&M)
  • 2004年 20th Century Masters – The Millenium Collection: The Best of The Neville Brothers (A&M)
  • 2005年 Gold (Hip-O/UMe)

脚注

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参考文献

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  • ネヴィル・ブラザーズ、デイヴィッド・リッツ『魂の宿る街ニューオーリンズから ネヴィル・ブラザーズ自伝』石山淳 訳、ブルース・インターアクションズ、2003年9月。ISBN 4-86020-075-6 

外部リンク

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