ニーナ・エメリャノワ
ニーナ・ペトロヴナ・エメリャノワ | |
---|---|
1946年、ベルリンにて | |
基本情報 | |
出生名 | Нина Петровна Емельянова |
生誕 |
1927年11月9日 ロシア帝国 ヘルソン県ノボウクラインカ |
死没 |
1998年2月2日(85歳没) ロシア モスクワ |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
ニーナ・ペトロヴナ・エメリャノワ[1](ロシア語: Нина Петровна Емельянова;ラテン文字転写例: Nina Petrovna Emelyanova/Nina Petrovna Yemelyanova, ユリウス暦1912年11月16日(グレゴリオ暦1912年11月29日) - 1998年2月2日)[2]は、ロシア帝国のピアニスト[3][4][5]。
経歴
編集1912年、ロシア帝国、ヘルソン県ノボウクラインカで生まれた。1922年にロストフ・ナ・ドヌの音楽院に進学してピアノを専攻し、1929年に卒業。その後モスクワ音楽院に進み、1938年までサムイル・フェインベルクの下で研鑽を積んだ。演奏活動は1935年から行っており、1937年のショパン国際ピアノコンクールで上位入賞は逃したものの、入選を果たした。
1938年からモスクワ音楽院のピアノ科で教鞭を執ったが、1941年に一旦教職を辞し、軍事慰問での演奏活動に従事。第二次世界大戦中の1944年にモスクワ音楽院に復職。1960年に同音楽院の教授に昇格し、1965年から1976年までピアノ科の学科長を務めた。1966年にはソ連政府から人民芸術家の称号を贈られた。1991年に隠退。
1998年、モスクワにて死去。
脚注
編集- ^ 「エメリャノワ」「エメリャノヴァ」が多いが、「Yemelyanova」と転写されることもあるため「イェメリャノワ」と日本語表記された例もある。
- ^ アーカイブ 2020年5月6日 - ウェイバックマシン
- ^ ニーナ・エメリャノワ - Discogs
- ^ “МГК им. Чайковского - персоналии - Емельянова Нина Петровна”. 2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。
- ^ “Нина Емельянова - Персоны - eTVnet”. 2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月18日閲覧。