ニセコ東急 グラン・ヒラフ

北海道虻田郡倶知安町にあるリゾート

ニセコ東急 グラン・ヒラフ: NISEKO TOKYU Grand HIRAFU)は、北海道虻田郡倶知安町にあるリゾートスキー場[1]

サンモリッツ大橋から眺めたニセコ グラン・ヒラフエリア(2006年)

概要

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ニセコアンヌプリの裾野に広がる「ニセコユナイテッド」(ニセコアンヌプリ国際スキー場ニセコビレッジ・ニセコ東急 グラン・ヒラフ・ニセコHANAZONOリゾート)の1つ[2]スキー場宿泊施設があり、ひらふエリアを東急リゾーツ&ステイ、花園エリアを香港資本の日本ハーモニー・リゾートが運営し、両エリアを山腹の連絡コースや山麓のシャトルバス(冬季のみ運行)で行き来することができる。また、ヒラフエリアを巡回するシャトルバス、各リゾート間と俱知安市街を結ぶシャトルバスもある(いずれも冬季のみ運行)。

ニセコは、ひらふ地区を中心に口コミによって2000年代はじめからオーストラリア人観光客が増え始め[3]、オーストラリア資本によるマンションやコンドミニアムなどの不動産開発が進んだ。特に、倶知安町字山田は2006年から3年連続で住宅地の地価上昇率全国1位になった[4][5][6]。2000年代後半からはアジア地域でも注目されており、中華人民共和国(香港)やマレーシア資本による開発が進んでいる[7]

沿革

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日東商船を使った合成板のファイバーボードを増産する計画があり、高橋清吉倶知安町長(当時)のトップセールスによる誘致もあって町内に工場を建設し、原料の竹を切り出すための軽便索道を造ることになった[8][9]。ところが、工場建設中に日本国外からの競合製品が大量に輸入されるようになり、工場は立ち行かなくなってしまう[9]。その頃、『全日本スキー選手権大会』を比羅夫口コースで行う計画があったが、大会開催に必須のチェアリフトが無かった[8]。そこで、工場の索道をリフトにすることを思いつき、北海道スキー連盟と倶知安町が北海道ファイバーボードに陳情し、リフト設置が実現した[8]

  • 1961年昭和36年):「ニセコ高原観光」発足(親会社は日東商船[10])。「ニセコひらふスキー場」オープン[8]、スキーリフト(高原リフト)設置[11]}[12]
  • 1962年(昭和37年):『全日本スキー選手権大会』(アルペン)開催[11][13][12]
  • 1965年(昭和40年):「サンモリッツリフト」がアルペン競技会場となったコースにスキーリフト(アルペンリフト)設置[10][12]
  • 1970年(昭和45年):『第25回国民体育大会』冬季大会開催[11][14]。「ニセコ国際ひらふスキー場」と改称[8][12]
  • 1976年(昭和51年):アルペンリフト・ニセコアンヌプリ国際スキー場・ニセコモイワ国際スキー場(現、ニセコモイワスキーリゾート)・大和ルスツスキー場(現、ルスツリゾート)リフト共通回数券の取り扱い開始[15]。なお、後にニセコモイワ国際スキー場と大和ルスツスキー場が離脱し、高原リフトとニセコ東山スキー場(現、ニセコビレッジ)が参加して、ニセコアンヌプリ内4スキー場の往来が可能となる。
  • 1980年(昭和55年):ニセコ高原観光が国設ワイススキー場のリフト2基を買収[8]
  • 1985年(昭和60年):ニセコ高原観光の経営(ニセコ国際ひらふスキー場・ニセコワイススキー場)がジャパンライン系から東急不動産傘下となる[11][16][12]。日本国内で初のクワッドリフト「アルペンセンターフォー」(後の「エース第2クワッド」)が営業開始[17][18]
  • 1986年(昭和61年):『第41回国民体育大会』冬季大会開催[11][19][20]。「ホテルニセコアルペン」オープン。日本国内初となるゴンドラナイター営業開始[8][12]
  • 1992年平成04年):東急不動産の「花園地区大規模リゾート開発計画」による「ニセコ東急ゴルフコース」オープン。「ニセコひらふ花園スキー場」オープン[16][21][12]
  • 1993年(平成05年):ニセコ高原観光が電子リフトチケットシステム「ニセコフリーパスポートシステム」(富士電機、樫山工業、山武ハネウエルのジョイントベンチャー)導入[22][21][12]
  • 1998年(平成10年):北洋銀行の関連会社である交洋不動産が事業継承したサンモリッツリフトが「ニセコフリーパスポートシステム」導入[22][23]。ニセコワイススキー場営業休止(その後、地元企業の「ニセコワイス観光」が施設を借りて再開したが、2009年に再び休止)[24]
  • 2001年(平成13年):「東急リゾートサービス」(現:東急リゾーツ&ステイ)設立[16]
  • 2003年(平成15年):電子リフトチケットシステムを、SKIDATA社のものにアップグレード。
  • 2004年(平成16年):オーストラリア資本の「日本ハーモニー・リゾート」がニセコ花園スキー場を買収[11][25][12]。サンモリッツリフトがニセコ国際ひらふアルペンコースとホテルニセコアルペンをニセコ高原観光に売却し[11]、東急リゾートサービスが運営受託[16][12]。これにより、ニセコひらふ開設後初めて経営が一本化した[11][23][12]。「ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ」と改称[25][12]。サンモリッツリフトが特別清算[23][25]
  • 2005年(平成17年):ニセコ東急ゴルフコースを日本ハーモニー・リゾートへ売却(運営はニセコ高原観光が継続)[26][25]。倶知安町がひらふ第1駐車場管理センターを東急リゾートに売却し、「ウェルカムセンター」としてリニューアルオープン[11]
  • 2007年(平成19年):香港企業のPCCWの子会社「PCPD」が日本ハーモニー・リゾートを買収[27][28]
  • 2011年(平成23年):ゴンドラの架け替え、「マウンテンセンター」オープン、レッスンエリア新設[29][12]
  • 2012年(平成24年):ニセコ高原観光が「ニセコ東急リゾート」と社名変更[30]。「.Base」(ドットベース)オープン[31]。ニセコ高原ホテル売却[16][32]。東急リゾートサービスがコンドミニアム型ホテル「四季ニセコ」の運営受託(2016年に運営受託終了、後述参照)。
  • 2015年(平成27年):ニセコ東急リゾートが営業休止中の「ニセコワイススキー場」(現在のホワイトアイルNISEKO)を日本ハーモニー・リゾートへ売却[24]
  • 2016年(平成28年):ニセコ東急ゴルフコースの運営が日本ハーモニー・リゾートとなり、「HANAZONO GOLF」と改称[16][33]。東急リゾートサービスがコンドミニアム「綾ニセコ」の運営受託[16][34]
  • 2020年(令和2年):韓国のハンファグループが元ニセコ高原ホテルの敷地を買収。再開発に乗り出すことが明らかになった[35]
  • 2021年(令和3年):11月30日に「ニセコ東急 グラン・ヒラフ」と改称[36]
  • 2022年(令和4年):倶知安町議会で3月22日に、スキー場周辺のひらふ坂近辺を含めた地区のリゾート開発にともなう土地取引のルール改定とともに字山田の一部となっている同地域の住所を「ニセコひらふ」に変更する事を決定し、同年10月1日に施行[37][38][39]

施設

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スキー場

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ニセコ東急 グラン・ヒラフ
 
遠景(2014年2月)
所在地 〒044-0080
北海道虻田郡倶知安町ニセコひらふ1条2丁目9-1
座標 北緯42度51分46秒 東経140度42分00秒 / 北緯42.86278度 東経140.70000度 / 42.86278; 140.70000座標: 北緯42度51分46秒 東経140度42分00秒 / 北緯42.86278度 東経140.70000度 / 42.86278; 140.70000
標高 1,200 m - 240 m
標高差 960 m
コース数 31本
コース面積 325ha ha
索道数 12本
公式サイト ニセコ東急 グラン・ヒラフ(WINTER - 日本語)
 
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コース

  • 初級コース
    • ファミリーコース
    • せんの木コース
    • キング・エース連絡通路
    • 高原コース
    • 望羊コース
    • ホリデーコース(一部急斜面)
    • グリーンコース
    • 初級者迂回路
    • 白樺コース
    • 連絡コース
  • 中級コース
    • アルペンコース
    • フリココース
    • 国体コース
    • センターコース
    • 林間コース
    • ジャンボコース(一部急斜面[注 1]
    • パラレルコース
    • 羊蹄サンセット
  • 上級コース
    • スーパーコース
    • 温泉沢コース
    • 第2の壁
    • 粉雪コース
    • 見晴コース
    • ラージコース
    • ダイナミックコース

リフト

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運転速度は天候などにより減速運転する場合あり
リフト名 定員 路線長 運転速度 毎時輸送能力 建設年月 フード 備考
ヒラフゴンドラ 8名 1,845 m 6.0 m/s 2,000名 1984年 なし 2011年にリニューアル
キング第1ペアA・B線 2名 582 m 1.6 m/s? 1,200名 1983年 なし 旧称:ニセコ高原第1A・B線、後述参照
キング第2クワッド 4名 1,139 m 4.0 m/s 1,920名 1988年 なし  
キング第3クワッド 4名 1,356 m 5.0 m/s 2,400名 2016年 あり 2016年12月に運行開始[40]
キング第4 1名 526 m 2.0 m/s? 720名 1983年 なし 旧称:ニセコ高原第7
ホリデー第1ペア 2名 669 m 2.0 m/s 600名 2007年 なし  
スインギングモンキー 2名 532 m 2.0 m/s 900名 2005年 なし 旧称:ノーネームリフト
エースファミリークワッド 4名 841 m 5.0 m/s 2,400名 2017年 なし 2017年12月に運行開始[41]
エース第1ペア 2名 627 m 1.6 m/s? 678名 1981年[8] なし 旧称:ニセコアルペン第1C線
エース第2クワッド 4名 1,719 m 4.0 m/s 1,800名 1985年 なし 旧称のアルペンセンターフォーより、センターフォーが別名として残る。2024年のシーズン終了をもって、同路線の10人乗りゴンドラへの架け替え予定[17]
エース第3ペア 2名 883 m 2.0 m/s? 1,200名 1983年 なし 旧称:ニセコアルペン第3B線
エース第4ペア 2名 722 m 2.3 m/s 1,200名 1984年 なし 旧称:ニセコアルペン第4

キング第1A線・B線ペアは、1961年12月17日にその前身となるニセコ高原第1リフトが完成し、1968年に2線化、1971年にその内の1基をペアリフト化、1983年に両線ともペアリフトとなって現在に至る[8]

その他、キング第1A線・B線ペア乗車停留場付近とホリデー第1ペア乗車停留場の付近に設けられたキッズエリア内と、ひらふ第1駐車場からキング第1A線・B線ペアに至るまでの間にマジックカーペットがある。駐車場とリフト乗車停留場の間に設けられているマジックカーペットについては、ゲレンデが駐車場よりも高い位置にあるため、利便性を高める目的で設置されている。

廃止したリフト
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リフト名 定員 路線長 運転速度 毎時輸送能力 建設年月 フード 備考
ニセコ高原第2A線 1名 不明 不明 不明 1961年[8] なし 1988年廃止、後にニセコ高原第2クワッド(現在のキング第2クワッド)に掛け替えられた
ニセコ高原第2B線 2名 不明 不明 不明 1971年[8] なし 同上
ニセコ高原第3 1名 不明 不明 不明 1967年[8] なし
ニセコ高原第4 1名

2名[8]
不明 不明 不明 1970年[8] なし 旧称:高原望羊リフト、1978年にペアリフト化
ニセコ高原第5 1名 不明 不明 不明 1973年[8] なし エース第3ペア降車停留場付近の1000mヒュッテ内に、かつて当該リフトで使われていたリフト支柱番号標の1枚が展示されている
ニセコ高原第6A線 1名 不明 不明 不明 1972年[8] なし ニセコ高原第6C線(後のキング第3トリプル、2016年4月廃止)が完成後、しばらく運行されていた後に廃止
キングホリデー第3 1名 不明 不明 不明 1982年[8] なし 同上、旧称:ニセコ高原第6B線
キング第3トリプル 3名 1,186 m 4.0 m/s 1,800名 1985年 あり 旧称:ニセコ高原第6C線、2016年4月で廃止[40]
ニセコアルペン第1A線 1名 不明 不明 不明 1965年[8] なし アルペンセンターフォーリフト(後のエース第2クワッド)完成に伴い廃止
ニセコアルペン第1B線 1名 不明 不明 不明 1976年[8] なし 同上
エースファミリーペア 2名 598 m 1.8 m/s 1,200名 1983年 なし 旧称:ニセコアルペン第1D線、2017年7月で廃止[41]
ニセコアルペン第2A線 1名 不明 不明 不明 1967年[8] なし アルペンセンターフォーリフト(後のエース第2クワッド)完成に伴い廃止
ニセコアルペン第2B線 1名 不明 不明 不明 1977年[8] なし 同上
ニセコアルペン第3A線 1名

2名
約430 m[注 2] 1.8 m/s[注 2] 600名

1,200名[注 2]
1971年[8] なし 後述参照

ニセコアルペン第3A線リフトは当初1線のみのシングルリフト(アルペン第3リフトと呼称)として運行が開始され、後に平行してペアリフト(第3B線)が増設され、A・Bの2線体制での運用となる。その後1987年に滑車を増強し、搬器をペアリフトに換装してしばらくの間運用されていた[8]が、後に廃止となり、現在は第3B線がエース第3ペアと名称変更して運用されている。

スキーセンター・レストハウス・ヒュッテ

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マウンテンセンター

  • 〈1F〉チケットカウンター、インフォメーション、マウンテンセンターショップ、HIRAFU MARCHE(ヒラフマルシェ)
  • 〈2F〉レストラン&カフェ「タンタ・アン」、ニセコ高橋牧場(タンタ・アン内)

マウンテンセンターアネックス

  • 〈1F〉GOSNOWスノースクール(英語のみで行われるスキー・スノーボードスクール[42])受付、更衣室、コインロッカー、喫煙所
  • 〈2F〉ニセコ東急 グラン・ヒラフ レンタル アネックス店

2019年(令和元年)に、先に開業したマウンテンセンターと合わせてスキー場利用客の利便性向上を目的に建設・開業した[43][44].Base

  • 〈1F〉チケットカウンター、インフォメーション、ニセコ東急 グラン・ヒラフ レンタル .Base店、更衣室
  • 〈2F〉ニセコ東急グラン・ヒラフスキースクール、無料休憩所、BASE MOUNTAIN KIOSK(カフェ)

レストハウス エースヒル

  • レストラン、レストハウスエースヒル売店

前身は1972年(昭和47年)に同場所付近にて建設されたアルペン825ヒュッテで、ヒュッテ設置場所の標高が825mである事に由来する[45][12]。後にアルペンセンターヒュッテという名称で現在の建物に建て替えられ、ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフへの改称時に現在の名称となった。 ヒュッテ キングベル

  • レストラン、北からの贈り物(アイスクリームショップ)、ヒュッテキングベル ショップ

前身は1972年(昭和47年)に同場所付近にて建設されたニセコ高原ヒュッテ[45]、後の1983年(昭和58年)に着工して現在の建物となったものが見晴台ヒュッテという名称で1988年(昭和63年)にオープンし[45]、ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフへの改称時に現在の名称となった。 レストハウス エースヒルの前身となるアルペン825ヒュッテと同じく1972年(昭和47年)に建設された[45]。なお、2019 - 2020シーズンより休業中で、公式ウェブサイトからも記載が外されている。

グラン・ヒラフゆかりの鐘

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小助川翁の鐘[8][46][47][49][50][51]
札幌地方裁判所判事公証人北海学園大学教授及び理事の経歴を持ち、戦前からのスキーヤーでもあり、81歳でスキーバッジテストの2級を、83歳で1級を取得し、さらに88歳でスキー指導員資格を取得して、97歳まで現役スキーヤーとして活動していた小助川弦(こすけがわ ゆずる、1990年平成2年〕8月8日に99歳で逝去)がこよなく愛した当時のニセコひらふスキー場にて、1971年(昭和46年)12月26日に自身に起きた負傷時に当時のサンモリッツリフト・永江勝郎専務取締役以下スキー場関係者による親身の世話を受けた事に感激し、完治後に「スキー場で何かの役に立てて欲しい」と5万円をスキー場に寄付した。その寄付金を基金として、ニセコのスキーヤーの安全を願い、遭難救助用(遭難者が自分の位置を知らせたり、遭難者に救助隊および1000mヒュッテの位置を知らせるために使う)として役立つようにと、1973年(昭和48年)1月に設置された物。現在は記念に鳴らす鐘としても使われている。

ヌプリの鐘[8][46][52][53][54]
吉田茂首相秘書官や東京都内の空港グランドサービス(後のJALグランドサービス)社長の経歴を持ち、ニセコアンヌプリをこよなく愛して「東京ニセコスキークラブ」を結成するなどの活躍をした菱刈隆文1974年(昭和49年)に62歳で急逝後、妻の富美より隆文の遺志を継いで1977年(昭和52年)3月に遭難防止用の鐘が倶知安町スキーパトロール赤十字奉仕団(以下、日赤パトロール)の永井七郎団長(当時)に贈呈され、団員の手で標高1000mの高原第6リフト降車停留場(当時)付近に取り付けられ、ニセコアンヌプリの名前から「ヌプリの鐘」と名付けられた。

初代の鐘は腐食が進んだ事から1983年(昭和58年)に二代目の鐘に交換されたが、その二代目の鐘と鐘を支える支柱も老朽化で倒壊の可能性が出てきた事から2020年(令和2年)8月に完全撤去される事となる。取り外されたそれぞれの鐘本体は、初代の物は麓のひらふ第1駐車場及びウェルカムセンター横にある日赤パトロール小屋の前に新たな支柱を立て、「スキー安全の鐘」という銘板も付けて展示(ただし、自由に鳴らす事はできない)されていて、二代目の物は一般公開はされていないものの、ニセコ東急 グラン・ヒラフの事務所に保管されている。また、2021年(令和3年)12月4日には日赤パトロール小屋の前で行われた日赤パトロール創立50周年記念式典で初代の鐘が実際に鳴らされている。

#リフト中の「キング第4」画像左側には当時のヌプリの鐘の設置が確認出来る。

宿泊施設

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綾ニセコ

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綾ニセコ
AYA NISEKO
 
綾ニセコ 外観(2022年3月撮影)
ホテル概要
運営 東急リゾーツ&ステイ
部屋数 79室
駐車場 30台
開業 2016年12月15日[34]
最寄駅 倶知安駅
所在地 〒044-0080
北海道虻田郡倶知安町ニセコひらふ1条4丁目4-5
公式サイト 綾ニセコ 公式サイト
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  • 客室
    • アトリエ (20.11 m²)
    • スタジオ (47.24 m²)
    • 1.5ベッドルーム (69.44 m²)
    • 2ベッドルーム (85〜87 m²)
    • 3ベッドルーム (154〜156 m²)
    • レジデンス (225〜308 m²)
    • ペントハウス (277〜373 m²)
  • 館内施設
    • レセプション&コンシェルジュ
    • 温泉
    • スパ
    • ジム
    • ジンジャーレストラン
    • KIYOE Gallery Niseko
    • iGATE IKEUCHI
    • スキーバレー ※冬季のみ
    • ニセコキッズクラブ(託児所) ※冬季のみ
    • 多目的ルーム (120.2 m²) ※夏季のみ

過去に存在した宿泊施設

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ホテルニセコアルペン

「ホテルニセコアルペン」は、2023年(令和5年)3月31日をもって老朽化のために閉館・解体され、跡地にはコンドミニアムタイプの宿泊施設が建設されることが決定している[55][56][57][58]

ホテルニセコアルペン
HOTEL NISEKO ALPEN
 
ホテルニセコアルペン外観(2018年7月)
ホテル概要
デベロッパー 東急不動産
運営 東急リゾーツ&ステイ
前身 アルペン山荘[8]
階数 地下2階 - 地上4階
部屋数 125室
開業 1986年12月7日[8]
閉業 2023年3月31日[55][56][57][58]
最寄駅 倶知安駅
所在地 〒044-0080
北海道虻田郡倶知安町ニセコひらふ1条4丁目5-18
公式サイト ホテルニセコアルペン 公式サイト
テンプレートを表示
  • 客室
    • デラックス和洋室(定員5名、48.0 m²)
    • ラージツイン(定員2名、33.0 m²)
    • 和洋室(定員4名、28.8 m²)
    • 洋室(定員2名、Aタイプ22.3 m²、Bタイプ24.3 m²)
    • 和室(定員8名、15畳)
    • アンヌプリスイートルーム(定員4名、94.0 m²)
    • ジュニアスイートルーム(定員2名、57.3 m²)
  • 温泉・リラクゼーション
    • 大浴場、露天風呂、サウナ
    • 岩盤浴
    • プール(25 m×5レーン)
  • レストラン
    • 食彩 比羅夫
    • レストラン スラローム
    • Sweets & Café
  • その他
    • ホテルニセコアルペンショップ(スーベニアコーナー、コンビニコーナー、スポーツギアコーナー)
    • カラオケコーナー
    • キッズルーム(冬季のみ)
四季ニセコ

「四季ニセコ」は2012年(平成24年)12月15日に開業。2016年(平成28年)に運営受託終了となり[16][59]、後の2018年(平成30年)にはハイアット・ホテルズ・コーポレーションが運営する「ハイアット ハウス ニセコ」にリブランドされ[60]、さらに2020年(令和2年)9月1日にはチャトリウムホテルス&レジデンスが運営する「チャトリウムニセコ」にリブランドされた[61][62]。なお、「四季ニセコ」の名は建物の名称および住所としては残されている。

四季ニセコ
SHIKI niseko
ホテル概要
運営 東急リゾートサービス
駐車場 48台
開業 2012年12月15日
閉業 2018年12月15日
最寄駅 倶知安駅
所在地 〒044-0081(営業当時、現在は「044-0080」)
北海道虻田郡倶知安町字山田190-4(営業当時、現在の住所は「ニセコひらふ1条3丁目2-3 四季ニセコ」)
テンプレートを表示
  • 客室(全室スイートタイプ)
    • ペントハウス
    • 3ベッドルームスイート
    • 2ベッドルームスイート
    • 1ベッドルームスイート
  • レストラン・ショップ
  • その他
    • フロントデスク
    • スキーロッカー
    • 共用ランドリー

夏のグラン・ヒラフ

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  • #ニセコ シエスタ
  • サマーゴンドラ
  • 自然情報室エコル
  • MTBダウンヒル&フロートレイル
  • ストライダー&電動自転車レンタル
  • BBQガーデン
  • 温泉

アクセス・駐車場

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このほか、ウインターシーズンにはニセコバスにより、ニセコアンヌプリ国際スキー場ニセコビレッジ・ニセコ東急 グラン・ヒラフ・ニセコHANAZONOリゾートの4スキー場間を結ぶ「ニセコユナイテッドシャトルバス」が運行され、通常運賃のほかにニセコ全山共通リフト券の有効ポイント(回数券)を1ポイント使って利用出来るが、各種時間券・日券・シーズン券を持っている場合は無料で利用出来る[64][65]

脚注

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注釈

  1. ^ この箇所は、かつてコースに併設されていた「ニセコ高原第6A・B・C線リフト(第6C線は後のキング第3トリプル→キング第3クワッド)」があった事から、今でも別名「第6の壁」と呼ばれる事がある。
  2. ^ a b c 下写真(アルペン第3A・B線リフト改札口兼きっぷ売り場)中の看板に表記されている運転速度・搬器間隔・所要時間から参照及び計算して推測。

出典

  1. ^ スキー場”. 東急不動産. 2019年2月26日閲覧。
  2. ^ ニセコユナイテッド”. 2016年2月21日閲覧。
  3. ^ ニセコ地域における外国人の観光と投資状況に関する報告書(要約)” (PDF). 日本貿易振興機構 北海道貿易情報センター (2006年1月). 2016年2月22日閲覧。
  4. ^ 年間上昇率上位ポイント(全国)”. 国土交通省 (2006年). 2016年2月22日閲覧。
  5. ^ 基準地価格及び変動率順位表”. 国土交通省 (2007年). 2016年2月22日閲覧。
  6. ^ 基準地価格及び変動率順位表 -参考資料”. 国土交通省 (2008年). 2016年2月22日閲覧。
  7. ^ ニセコは中国資本による開発ラッシュ”. リアルエコノミー (2010年8月10日). 2016年2月22日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 地域の歴史・詳細.
  9. ^ a b はじまりは、ファイバーボード。(1) 2010.
  10. ^ a b アルペンリフトの誕生-1 2010.
  11. ^ a b c d e f g h i 資料編 2009, pp. 12–13.
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n ニセコパウダーヒストリー 2011, pp. 214–215.
  13. ^ 全日本スキー選手権大会(アルペン) 第34回(1956年)〜第54回(1976年)”. 全日本スキー連盟. 2016年2月21日閲覧。
  14. ^ 第25回大会(昭和45年・1970年開催)”. 日本スポーツ協会. 2019年2月26日閲覧。
  15. ^ ニセコパウダーヒストリー 2011, p. 114.
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  51. ^ ニセコ東急 グラン・ヒラフ ニュース&トピックス「翁の鐘」2012年3月17日、なお、ウェブサイト中では小助川氏の経歴を「札幌高等裁判所、判事」と記述しているが、当記事では書籍「倶知安町百年史」及び「百歳めざして 今日もスキーを」の記載内容で統一している。
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参考資料

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関連項目

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外部リンク

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