ニコライ・ミフネヴィッチ

ニコライ・ペトロヴィッチ・ミフネヴィッチロシア語: Николай Петрович Михневич1849年10月7日 - 1927年2月8日)は、ロシア帝国の軍人、歩兵大将。第一次世界大戦中、参謀総長を務める。

ニコライ・ミフネヴィッチ

経歴

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タンボフの貴族出身。

軍歴

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  • 1869年 - 第3アレクサンドル軍事学校を卒業し、近衛セミョーノフ連隊に配属
  • 1877年~1878年 - 露土戦争に従軍
  • 1882年 - ニコライ参謀本部アカデミーロシア語版英語版卒業
  • 1890年12月 - 第1親衛騎兵師団参謀長
  • 1892年6月 - ニコライ参謀本部アカデミーのロシア戦争術史講座の非常勤教授
  • 1893年10月 - ニコライ参謀本部アカデミーの常勤教授
  • 1904年4月 - ニコライ参謀本部アカデミー校長
  • 1907年1月 - 第24歩兵師団長
  • 1908年6月 - 第2親衛歩兵師団長
  • 1910年4月 - 第5軍団長
  • 1911年3月7日 - 参謀総長に任命され、第一次世界大戦の大部分の期間を同職で過ごした。

ロシア革命

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二月革命後、参謀総長を罷免され、1917年4月2日、病気のため退役した。十月革命後、労農赤軍に勤務し、1919年から1925年まで砲兵アカデミーの第1ペトログラード砲兵課程で講師を務めた。

パーソナル

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青年時代、絵画に熱中し、芸術アカデミーの銀メダルを受賞した。

戦略家としても著名で、「戦略」(Стратегия)(1899年~1901年)等の著作がある。

参考文献

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  • "Кто был кто в первой мировой войне. Биографический энциклопедический словарь", Залесский К.А., М., 2003
先代
アレクサンドル・ムィシュラエフスキー
ロシア帝国軍参謀総長
1911年 - 1917年
次代
ヴィクトル・ミヌート