ニコライ・ゴルシコ
ニコライ・ゴルシコ(ロシア語: Никола́й Миха́йлович Голу́шко、1937年6月21日 - )は、ソ連、ロシア連邦の軍人、チェキスト。大将、元保安相、連邦防諜庁(FSK)長官。
経歴
編集1937年、カザフ・ソビエト社会主義共和国コクチェタフ州アンドレーエフカ村に生まれる。1959年、クイブイシェフ名称トムスク国立大学法学部を卒業。大学卒業後、ケメロヴォ市検察機関の取調官。
- 1963年:ソ連国家保安委員会(KGB)ケメロヴォ州局第2課(防諜)の作戦係、後に先任作戦係。
- 1971年:KGBケメロヴォ州局第5課(イデオロギー破壊工作対策)の班長、後に副課長。
- 1974年:KGB第5局第2課(民族主義対策)第1班長。
- 1978年:KGB第5局第2課長。
- 1983年:KGB第5局第5課長、後に副局長。
- 1984年:KGB秘書局第一副局長、当直局長。
- 1987年:ウクライナ・ソビエト社会主義共和国KGB議長、ソ連KGB参事会参事。
第11期ソ連最高会議代議員に選出。1989年-1992年、ソ連人民代議員。ソ連共産党党員。
1991年の8月クーデター後、モスクワに帰還。1991年8月-11月、ウクライナ国家保安庁長官臨時代行。1991年11月-1992年1月、ソ連KGB秘書局長。1992年1月-6月、ロシア連邦保安次官。1992年6月-12月、保安第一次官。1992年12月、保安第一次官兼保安省参謀長となり、ヴィクトル・バランニコフの解任(1993年7月)後、保安相代行を務める。
1993年9月18日、保安相に任命。1993年12月21日、連邦防諜庁(FSK)長官に任命、1994年2月28日、理由の説明もなく解任。
パーソナル
編集1993年10月3日-4日のモスクワ騒乱事件の参加者であり、「個人的勇気に対する」勲章を授与された。
妻帯、息子は技師。3人の孫を有する。
公職 | ||
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先代 (創設) ロシア連邦保安省を改編 |
ロシア連邦防諜庁長官 初代:1993 - 1994 |
次代 セルゲイ・ステパーシン |
先代 ヴィクトル・バランニコフ |
ロシア連邦保安相 1993年8~9月は代行 第2代:1993 |
次代 (廃止) ロシア連邦防諜庁に改編 |