ニコス・アナストプーロス
ニコラオス・"ニコス"・アナストプーロス(ギリシア語: Νικόλαος "Νίκος" Αναστόπουλος、1958年1月22日 - )は、ギリシャの元サッカー選手、現サッカー指導者。元ギリシャ代表。選手時代のポジションはFW。
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名前 | ||||||
本名 |
ニコラオス・アナストプーロス Nikolaos Anastopoulos | |||||
愛称 | ムスタキアス | |||||
ラテン文字 | Nikos Anastopoulos | |||||
ギリシャ語 | Νίκος Αναστόπουλος | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ギリシャ | |||||
生年月日 | 1958年1月22日(66歳) | |||||
出身地 | ダフニ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
ダフニ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1976-1980 | パニオニオス | 117 | (25) | |||
1980-1987 | オリンピアコス | 187 | (115) | |||
1987-1988 | アヴェッリーノ | 16 | (0) | |||
1988-1989 | パニオニオス | 11 | (5) | |||
1989-1992 | オリンピアコス | 72 | (30) | |||
1992-1993 | イオニコス | 19 | (7) | |||
1993-1994 | オリンピアコス | 3 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1977-1988 | ギリシャ | 75 | (29) | |||
監督歴 | ||||||
1995-1996 | パネレフシニアコス | |||||
1997-1998 | ペンセライコス | |||||
2000-2001 | パネトリコス | |||||
2001-2002 | PASヤニナ | |||||
2002 | パナチャイキ | |||||
2003 | カリセア | |||||
2003-2005 | ケルキラ | |||||
2005-2006 | アリス・テッサロニキ | |||||
2008 | イオニコス | |||||
2008 | PASヤニナ | |||||
2008-2009 | カヴァラ | |||||
2010-2012 | OFIクレタ | |||||
2012-2013 | アトロミトス | |||||
2013-2014 | プラタニアス | |||||
2014 | パニオニオス | |||||
2015 | OFIクレタ | |||||
2015-2017 | アリス・テッサロニキ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ギリシャを代表するストライカーの一人で、1980年代のアルファ・エスニキで活躍した。また、ギリシャ代表として29得点は歴代最多である。所属したオリンピアコスFCでもクラブ史上最優秀選手の一人に数えられており[1]、291試合159得点の結果を残している。その得点力によって1982-83シーズンでは欧州全体で得点王ランキング3位に輝いた。
経歴
編集クラブ
編集1958年1月22日生まれ。1976-77シーズンに地元のダフニからパニオニオスFCに移籍し、アルファ・エスニキ初出場を飾った。1979年にはキペロ・エラーダスを制し、UEFAカップウィナーズカップ 1979-80に参戦した。欧州サッカー連盟主催試合での初陣となったFCトゥウェンテ戦では2得点、その後のIFKヨーテボリ戦でも1得点の活躍を見せた。これによってトゥウェンテやギリシャ国内のクラブ等から移籍の打診を受け、オリンピアコスFCに移籍した。
オリンピアコス時代には「ムスタキアス」(口髭の人)としても知られ、1982-83シーズンに29得点、1983-84シーズンに18得点、1985-86シーズンに19得点、1986-87シーズンに16得点をあげリーグ得点王に輝いた。
1987-88シーズンにはイタリア・セリエAのUSアヴェッリーノ1912に加入。コッパ・イタリアでは活躍したものの、セリエAでは無得点、翌シーズンにギリシャに戻った[2]。AEKアテネFCに加入するかと思われたが、古巣のパニオニオスに復帰した。その後、オリンピアコスに復帰し、イオニコスFCを経て、オリンピアコスで引退した。
代表
編集1977年9月21日に代表初出場し、合計75試合に出場、29得点の結果を残した[3]。UEFA欧州選手権1980に出場し、この大会唯一となったギリシャ代表の得点をチェコスロバキア代表から得た。
個人成績
編集クラブ
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
ギリシャ | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
1976-77 | パニオニオス | アルファ | 32 | 11 | 32 | 11 | |||||
1977-78 | 27 | 3 | 27 | 3 | |||||||
1978-79 | 28 | 4 | 28 | 4 | |||||||
1979-80 | 30 | 7 | 30 | 7 | |||||||
1980-81 | オリンピアコス | 20 | 4 | 20 | 4 | ||||||
1981-82 | 32 | 13 | 32 | 13 | |||||||
1982-83 | 31 | 29 | 31 | 29 | |||||||
1983-84 | 30 | 18 | 30 | 18 | |||||||
1984-85 | 28 | 16 | 28 | 16 | |||||||
1985-86 | 24 | 19 | 24 | 19 | |||||||
1986-87 | 21 | 16 | 21 | 16 | |||||||
イタリア | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
1987-88 | アヴェッリーノ | セリエA | 16 | 0 | 16 | 0 | |||||
ギリシャ | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
1988-89 | パニオニオス | アルファ | 11 | 5 | 11 | 5 | |||||
1989-90 | オリンピアコス | 22 | 7 | 22 | 7 | ||||||
1990-91 | 26 | 17 | 26 | 17 | |||||||
1991-92 | 24 | 6 | 24 | 6 | |||||||
1992-93 | イオニコス | 19 | 7 | 19 | 7 | ||||||
1993-94 | オリンピアコス | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||||
通算 | ギリシャ | アルファ | 408 | 182 | 408 | 182 | |||||
イタリア | セリエA | 16 | 0 | 16 | 0 | ||||||
総通算 | 424 | 182 | 424 | 182 |
代表
編集
ギリシャ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1977 | 1 | 0 |
1979 | 2 | 0 |
1980 | 5 | 2 |
1981 | 6 | 2 |
1982 | 9 | 4 |
1983 | 9 | 3 |
1984 | 10 | 5 |
1985 | 6 | 2 |
1986 | 8 | 4 |
1987 | 8 | 3 |
1988 | 9 | 4 |
合計 | 73 | 29 |
タイトル
編集選手
編集クラブ
編集- パニオニオス
- キペロ・エラーダス: 1978-79
- オリンピアコス
- アルファ・エスニキ: 1980-81, 1981-82, 1982-83, 1986-87
- キペロ・エラーダス: 1980-81, 1989-90, 1991-92
- ギリシャ・スーパーカップ: 1992
個人
編集- アルファ・エスニキ得点王: 1982-83, 1983-84, 1985-86, 1986-87
- キペロ・エラーダス得点王: 1986-87
監督
編集- PASヤニナ
- ベータ・エスニキ: 2002
- カヴァラ
- ベータ・エスニキ: 2009
- アリス・テッサロニキ
- ガンマ・エスニキ: 2016
脚注
編集- ^ “The Legend's "Golden Eleven"!”. Olympiacos Official Website. 08-06-2015閲覧。
- ^ Rota, Davide (3 September 1998). “Greek Players in Italy”. RSSSF. 18 April 2017閲覧。
- ^ Οι συμμετοχές του Αναστόπουλου στην Εθνική Ελλάδας. epo.gr
外部リンク
編集- ニコス・アナストプーロス - National-Football-Teams.com