ナショナルスタジアム (シンガポール)

シンガポールナショナルスタジアム (英語表記:The Singapore National Stadium; 中国語簡体字)表記: 国家体育; マレー語表記: Stadium Nasional Singapura) はKallang(カラン)に存在していたスタジアムである。1973年に開場したが、老朽化もあり2007年6月30日に閉鎖した。解体された後、跡地には総合スポーツ・娯楽施設であるSingapore Sports Hub(シンガポールスポーツハブ)が2014年6月に開場した。

ナショナルスタジアム
施設情報
所在地 シンガポールの旗 Kallang(カラン)
位置 北緯1度18分15.4秒 東経103度52分28.6秒 / 北緯1.304278度 東経103.874611度 / 1.304278; 103.874611座標: 北緯1度18分15.4秒 東経103度52分28.6秒 / 北緯1.304278度 東経103.874611度 / 1.304278; 103.874611
起工 1966年12月7日
開場 1973年7月19日
閉場 2007年6月30日
取り壊し 2010年9月29日
所有者 Singapore Sports Council(シンガポール・スポーツ評議会)
運用者 Singapore Sports Council(シンガポール・スポーツ評議会)
グラウンド
使用チーム、大会
東南アジア競技大会(1973年、1983年、1993年)
AFCアジアカップ1984
収容人員
55,000人

概要

編集

スタジアムは多くのスポーツ、芸術、競技大会や国家的イベントに使用されてきた。このスタジアムでシンガポールがホスト国として東南アジア競技大会が1973年、1983年、1993年の3回開催された。 またシンガポール軍隊記念日やシンガポール青年祭の開会式のパレード行われていた。2005年1月16日には東南アジアサッカー選手権の前身大会である2004年タイガーカップの決勝戦第2戦がサッカーインドネシア代表相手に行われた。試合は2-1で第1戦との通算成績5-2でサッカーシンガポール代表1998年以来2度目の優勝を果たした。(H&A方式、決勝戦第1戦は2005年1月8日にインドネシアで行われサッカーシンガポール代表が3-1でサッカーインドネシア代表を下していた。) また独立記念日式典が18回行われた。(1976年, 1980年, 1985年, 1986年, 1988年, 1989年, 1991年, 1992年, 1994年, 1996年〜1999年, 2001年〜2004年, 2006年)

特徴

編集

ナショナルスタジアムは8レーンの競争路とサッカー場を有しており、それ以外にも観客席の下のスペースに卓球場やウエイトリフティングなどの設備を有している。大勢の観客に対応するために、4000台以上の車、100台以上のバイクを停められる駐車場を有している。 注目を集めるスポーツイベントが開かれる一方で、公共のまたは地元の組織が使用するために貸し出されている。例えば、トラックはジョギングする人に、別の方法で利用されない限り、0.5シンガポールドルで入場できる[1]

 
2003年に開かれた独立記念日式典の様子。

歴史

編集

理念

編集
 
カランで行われた閉鎖式典のサッカーの試合の様子。2007年6月30日

第二次世界大戦後すぐに、シンガポールは自治政府を発足させ独立に向かっていた。その際、ナショナルスタジアム建設を検討し始めた。まず、1950年代に建設可能な場所としてカラン公園付近が選ばれた。1965年8月スタジアムの予備工事が行われ、1965年終わりまでに、当時のOthman Wok社会問題文化大臣は政府の方針としてカランにオリンピックを開くことができる基準を満たしたナショナルスタジアム建設を国家的スポーツ複合施設の第一歩として打ちだした。大臣は議会に対してナショナルスタジアムの建設はシンガポールのスポーツの宣伝にすばらしい効果を打ち出し、国際的にもシンガポールのスポーツのイメージ向上に役立つと訴えた。

基金

編集

国有のくじ会社であるSingapore Poolsはスタジアム建設のために1968年に基金を立ち上げた。シンガポールスイープ(宝くじ)やトトの売り上げはスタジアム建設費の多くを賄った。1968年から1976年にかけて、Singapore Poolsは約1450万シンガポールドルを寄付した。Singapore Poolsはまたスタジアム管理会社に対して、立ち上げ金としての780万シンガポールドルの政府借款の支払いを助けた[2]。今日、Singapore Poolsは独立記念日式典同様ナショナルスタジアムの主要スポンサーである。

建設

編集

シンガポールで初めての独立記念日の祝祭が開かれた1966年12月7日Othman Wok社会問題文化大臣によって起工された。初めの3年半は地ならしと杭打ちによって基礎を作っていった。悪天候もあり工期より約1か月遅れたが、1970年終わりまでにスタジアムは4分の3ほどに完成しその姿を見せ始めた。幅各76mの36階段が印象的な入り口を形成した。そして特別なイベントやシンガポールンナショナルスタジアムの開場の際に火を灯すために聖火台がスタジアムの中に造られた。1973年6月の終わりまでには、30万個のセメント袋、300万個のレンガ、4,500トンの鉄鋼と材木を使用してスタジアムが完成した。1973年7月19日に新しいスタジアムは初めて一般に公開された。

再開発

編集

ナショナルスタジアムを壊して、35.6ヘクタールの跡地に多目的総合スポーツ・娯楽施設であるSingapore Sports Hub(シンガポールスポーツハブ)の建設が計画された[3]。2008年4月よりナショナルスタジアムの取り壊しが始まる予定であり、Singapore Sports Hubが2011年に完成予定となっている [4]Singapore Sports Hub建設の入札を募った結果、オーストラリアのマッコーリーグループが中心のシンガポールゴールドコンソーシアム(Singapore Gold Consortium)、地元建設会社のウォーハップを含むアルパイングループ(Alpine Mayreder)、国際設計会社のアルップ・スポーツなどで構成するシンガポールスポーツハブコンソーシアム(Singapore Sports Hub Consortium)の3つのコンソーシアムが最終候補となっていた[5]2008年1月19日 Vivian Balakrishnan(ビビアン・バラクリシュナン)Ministry of Community Development, Youth and Sports(社会開発・青年・スポーツ大臣)はフランスの大手建設会社Bouygues(ブイグ)の子会社であるDragages Singaporeが率いるシンガポールスポーツハブコンソーシアムを選択した[6]

閉鎖

編集

2007年6月30日Field of Dreams – A Tribute to the National Stadium と題する閉鎖式典が行われた[7]。式典には45,000人が式典に詰め掛けた。シンガポールの過去、現在におけるアスリートやS・R・ナザン大統領、議員、閣僚が出席した[8]。 式典前にはかつてのシンガポールとマレーシアの代表によるサッカーの国際試合が行われた[9]。 その試合の後、東南アジアサッカー選手権を制したサッカーシンガポール代表サッカーオーストラリア代表の試合が行われた。結果はサッカーオーストラリア代表プレミアリーグで活躍しているマーク・ヴィドゥカの2得点(50, 86分)とハリー・キューウェルの1得点(75 分)で3-0と勝利した[10]。 しかし、これはこのスタジアムにおける最後の試合ではなかった。2007年 11月9日2010 FIFAワールドカップ・アジア予選の第2ラウンド第1戦がサッカータジキスタン代表との間でナショナルスタジアムで行われた。試合は2-0でサッカーシンガポール代表が勝利した。 (なお、サッカーシンガポール代表2007年11月18日第2ラウンド第2戦をタジキスタン首都ドゥシャンベで行い1-1で引き分けた。この結果通算成績3-1でサッカーシンガポール代表は第3ラウンドに進出した。)

 
ナショナルスタジアムの東口(上) と西口(下)。

年代記録

編集

ナショナルスタジアムは41年の歴史を刻んだ[11]

関連項目

編集

参照

編集

外部リンク

編集
先代
サバーハ・アッ=サーリム・スタジアム
クウェートシティ
AFCアジアカップ
決勝戦会場

1984
次代
アル・アリ競技場
ドーハ