ナイジェル・ウィルソン

カナダの野球選手 (1970 - )

ナイジェル・エドワード・ウィルソン(Nigel Edward Wilson、1970年1月12日 - )は、カナダ出身の元プロ野球選手外野手)。左投左打。

ナイジェル・ウィルソン
Nigel Wilson
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
出身地 オンタリオ州オシャワ[1]
生年月日 (1970-01-12) 1970年1月12日(54歳)
身長
体重
185 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 左翼手
プロ入り 1987年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1993年9月8日
NPB / 1997年4月5日
最終出場 MLB / 1993年9月8日
NPB / 2002年5月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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1987年トロント・ブルージェイズと契約。1992年の球団拡張ドラフトフロリダ・マーリンズに指名され、同年にメジャー初昇格。その後、1995年シンシナティ・レッズ1996年クリーブランド・インディアンスと渡り歩いた。

1997年阪急ブレーブス三冠王を獲得した代理人ブーマー・ウェルズの推薦により、日本ハムファイターズに入団し、来日[1]。同年6月21日の対近鉄戦(大阪ドーム)で、王貞治以来の1試合4打席連続本塁打を達成[1]。更に、4打席連続本塁打の前にシングルヒットを放っていたため、同時に1試合17塁打パ・リーグ記録も樹立した[1]。この年は37本塁打で本塁打王に輝いた[1]1998年は、本塁打ばかり狙うのではなくチャンスでヒットを狙い打つ打撃も覚えたことから、ほぼ全試合に出場、33本塁打、124打点で本塁打・打点の2冠王を獲得[1]打数でもリーグ2位となると共に、ベストナインも受賞[1]

1999年は膝の故障によりシーズン序盤に離脱し、僅か6試合の出場でシーズンを終えた。

2000年は前年の球団の温情に応え、自己最高打率の.294に加え、37本塁打、89打点を記録。本塁打王は中村紀洋に明け渡したがベストナインを受賞するなど復活した[1]

しかし2001年は2度の離脱があり、最終的に34試合の出場に終わり、オフに解雇され、5年間在籍したファイターズを退団した[1]

2002年に長距離砲の補強を目指していた大阪近鉄バファローズからオファーを受けて入団[1]。恐怖の7番打者としてスタートしたが活躍できず、同年オフに退団し、帰国[1]

外野手登録ではあったが、日本にいた6年間で守備に就いたのは、1997年7月20日に大量リードされた試合で代打で出て途中から一塁を守っただけである(MLBでもマイナーでも公式戦で一塁を守ったことはない)。来日した際に当時監督の上田利治が「お前は何処を守れる?」と尋ねたとき、ウィルソンは自ら「DH」と答えたという(当時、DH専門の野手という概念はNPBには定着していなかった)。日本ハム時代には球団の日誌にもウィルソンが守備練習をした記録が無かったと伝われる。

2003年、マイナー契約でニューヨーク・ヤンキースに入団するも、メジャー再昇格はできなかった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1993 FLA 7 16 16 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 11 0 .000 .000 .000 .000
1995 CIN 5 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
1996 CLE 10 13 12 2 3 0 0 2 9 5 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .250 .308 .750 1.058
1997 日本ハム 134 550 478 67 131 24 0 37 266 94 1 2 0 5 53 5 14 130 9 .274 .360 .556 .916
1998 133 569 506 65 129 13 0 33 241 124 1 1 0 3 56 7 4 141 5 .255 .332 .476 .808
1999 6 24 22 1 3 0 0 0 3 2 0 0 0 0 0 0 2 3 0 .136 .208 .136 .345
2000 120 498 439 72 129 23 0 37 263 89 0 1 0 2 51 7 6 98 8 .294 .373 .599 .973
2001 34 136 120 13 27 2 1 6 49 14 0 0 0 0 13 2 3 34 3 .225 .316 .408 .725
2002 近鉄 34 126 113 14 25 3 0 6 46 14 0 0 0 0 10 2 3 40 2 .221 .302 .407 .709
MLB:3年 22 36 35 2 3 0 0 2 9 5 0 0 0 0 1 0 0 21 0 .086 .111 .257 .368
NPB:6年 461 1903 1678 232 444 65 1 119 868 337 2 4 0 10 183 23 32 446 27 .265 .346 .517 .864
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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左翼(LF)












1993 FLA 3 4 0 0 0 1.000
1995 CIN 2 2 0 0 0 1.000
1996 CLE 1 0 0 0 0 ----
MLB 6 6 0 0 0 1.000

タイトル

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NPB

表彰

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NPB

記録

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初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2000年8月28日、対福岡ダイエーホークス24回戦(東京ドーム)、5回裏に土井雅弘から中越ソロ ※史上210人目
その他の記録
  • 4打席連続本塁打:1997年6月21日 ※史上13人目、歴代2位タイ[2]
  • 4打数連続本塁打:同上 ※史上16人目17度目、歴代2位タイ[2]
  • 1試合4本塁打:同上 ※史上最多タイ
  • 1試合17塁打:同上 ※パ・リーグ史上最多

背番号

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  • 30(1993年)
  • 49(1995年)
  • 48(1996年)
  • 15(1997年 - 2002年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、74ページ
  2. ^ a b “【データ】村上宗隆プロ野球新5打席連続本塁打 20人「打数」と13人「打席」の両方を更新”. 日刊スポーツ. (2022年8月2日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202208020001009_m.html 2023年1月13日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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