ドロテ・ジルベール(Dorothée Gilbert, 1983年9月25日 - ) は、フランストゥールーズ出身のバレエダンサー[1]

Dorothée Gilbert

ドロテ・ジルベール
『ドン・キホーテ』 (2010年10月、ブラジルリオ・デ・ジャネイロ
生誕 (1983-09-25) 1983年9月25日(41歳)
フランスの旗 フランストゥールーズ
出身校 パリ・オペラ座付属バレエ学校
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2007年以来、パリ・オペラ座エトワールをつとめている。

経歴

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生い立ち

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7歳でバレエを始める。地元のコンセルヴァトワールで学んだ後、1995年にオペラ座付属バレエ学校に入学する[1]。当時縫製業を営んでいた両親は、娘を寄宿舎に入れることを嫌い、工場を畳んで一家を挙げてパリに移住することに躊躇しなかった。

ジルベールは後年、バレエ学校での授業は難しかったと述懐しているが[注 1]、入学2年目には発表会で重要な役を踊るようになり、翌年の発表会では『火の鳥』のタイトルロールを演じた。

パリ・オペラ座入団後

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2000年、17歳でオペラ座のコール・ド・バレエとなる。2002年にコリフェに昇進し、在任中『ドン・キホーテ』で通例スジェ(ソリスト)が配役されるブライズメイド(花嫁付添人)の役を演じる。2004年にはスジェに昇進し、早くもキトリの大役に抜擢される[2]。彼女はオペラ座の舞台で、ベテランたちを相手にその実力を証明し、関係者や観衆に将来の成功を確信させることとなった。

2005年、プルミエ・ダンスール(第一舞踊手)に昇進し、『ロミオとジュリエット』(ルドルフ・ヌレエフ振付)のヴァリエーションや、ローラン・プティ振付『カルメン』(抜粋)のヴァリエーションなどを踊った。かつてのオーレリー・デュポンの時と同じ位の確実さでエトワールへの道へと進み、翌2006年には『ラ・バヤデール』のガムザッティを演じて大成功をおさめた[3]

同年、オペラ座のエトワールであるマニュエル・ルグリの企画による海外公演「マニュエル・ルグリと仲間たち」に参加。日本公演では、『白鳥の湖』のオデット/オディールを初めて踊った。

2007年、ジルベールはルグリ振付の『ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ』をマチュー・ガニオとの共演で初演した後、『ラ・フィユ・マル・ガルデ』(フレデリック・アシュトン振付、アレクサンダー・グラント改訂)で、リーズ役を演じた。

エトワールとして

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2007年11月19日、マニュエル・ルグリ(彼はオペラ座付属バレエ学校時代、ジルベールの父親の様な存在であった)との共演による、『くるみ割り人形』の公演終了後、24歳にしてエトワールに任命された。彼女の並外れたテクニックと[注 2]、フランスのバレエ教育の長所を感じさせる踊りは称賛され[注 3]、以後は定期的に国際的なガラにも招待された。その際、しばしば同年輩のエトワール、マチアス・エマンが行動を共にした。彼らは自分たちで海外公演のスケジュールを検討した上で、モナコ東京で『ジゼル』の公演を行った。

2009年5月、ジルベールはをオペラ座では初演となる、ジョン・クランコ振付『オネーギン』でタチアナを演じ、大成功をおさめる[4]。2ヵ月後に、彼女はオペラ座のオーストラリア公演に参加し、『ラ・バヤデール』のガムザッティを演じた。同年12月には、イタリアパレルモの劇場に招かれ、『眠れる森の美女』のオーロラ姫を演じる一方で、パリでは『くるみ割り人形』の公演も数回こなした。

2010年の初め、ジルベールは怪我をしたがすぐに回復し、3月のオペラ座の日本公演に参加。ジゼルのタイトルロールをつとめた他、『シンデレラ』の義姉役なども演じた。とりわけイタリアでの評価は高く、4月から7月にかけて、メッシーナサン・レモアックイ・テルメで『コッペリア』を演じた。7月にはピエール・ラコットの新作『三銃士』で、アンヌ王妃を演じた。数ヵ月後、モスクワカナダトロントでのガラを挟んで、ブラジルリオ・デ・ジャネイロに招かれ、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル、マルセロ・ゴメスと『ドン・キホーテ』を踊った。また、同年5月には、『ラ・バヤデール』のニキヤを踊ったが、別の日の公演では当たり役のガムザッティを演じた[5]。6月には『ドガの小さな踊り子』のタイトルロールを演じ、この模様は全ヨーロッパに生中継された。

オペラ座の2011/2012年シーズンの開幕公演で、元ボリショイ・バレエの芸術監督、アレクセイ・ラトマンスキーがオペラ座のために振付けた『プシューケー』を演じ、2011年10月にはベトナムハノイで、『ライモンダ』の第3幕と、『ダイアナとアクティオン』のパ・ド・ドゥステファン・ビュヨンと踊った。このシーズンは多忙を極め、パリでは『シンデレラ』と『オネーギン』の主役を演じた他、オペラ座のビアリッツでの巡業に参加し、さらにはサレルノオランダアムステルダムギリシャアテネにも招かれた。また、2012年1月から2月のオペラ座の東京公演の際には、バンジャマン・ペッシュイザベル・シアラヴォラフロリアン・マニュネらとともに、東日本大震災で被災した宮城県下のバレエ教室でレッスンを行い、ジルベールは石巻市を担当した[6]

2012/2013年シーズンを迎えて間もなく、ジルベールは『ラ・バヤデール』の収録中に怪我をする。回復後、オペラ座のアメリカ公演(ワシントンシカゴニューヨーク)に参加し、『ジゼル』に主演。9月にはローマオペラ座で、パトリス・バール振付『ロミオとジュリエット』に主演。さらにフランスのテレビ局・アルテの収録で『ドン・キホーテ』のキトリを踊り、2013年初めのオペラ座のシドニー公演では再び『ジゼル』を演じた。その後ロシアマリインスキー劇場に招かれ、ウラジーミル・シクリャーロフと『ラ・バヤデール』の第二幕を踊った後、マチュー・ガニオと共演した『ラ・シルフィード』で、シーズンの締めくくりを飾った。同年7月、ジルベールはバレエ・シューズメーカー、「レペット」の最初の香水アドバイザーとなった[7]

2018年、自身初となるワークアウトDVD「ドロテ・ジルベール/パリ・バレエ・フィット」を発売した。これは、常にベストなコンディションで舞台に立つために彼女が日頃実践しているワークアウトを基礎にして、誰もが家で気軽に取り組めるように作られている。

私生活

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ジルベールは、オペラ座のプルミエ・ダンスール、アレッシオ・カルボーネと結婚したが[8]、その後離婚して現在は写真家のジャメ・ボール(James Bort)と生活している[8]。 彼女は2013年9月に、妊娠していることを明らかにした[9]

受賞

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  • 2002 : アロップ賞バレエ部門
  • 2004 : カルポー賞
  • 2006 : Prix Ballet 2000
  • 2006 : レオニード・マシーン賞

※2009年、『ラ・フィユ・マル・ガルデ』のリーズ役で、ブノワ賞にノミネート

レパートリー

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フィルモグラフィー

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※()内は役名

  • ドロテ・ジルベール パリ・オペラ座エトワールのバレエ・レッスン 上・下巻 (新書館、2012年1月)
  • ドロテ・ジルベール パリ・バレエ・フィット(ユニバーサル コネクト、2018年7月)

脚注

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注釈

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  1. ^ 「バレエ学校に入る前、私には多くの欠点があり、いつも他の人に少し遅れを取っていた。コンセルヴァトワールでは、技術面で多くのことを学んだが、レッスンに費やした時間はそれ程でもなかった。したがって、ダンサーとしての自分は、全てオペラ座で形作られたと思っている。自分の欠点を直すための苦労は大変なものだったし、成績はいつも5番目か6番目だった」 (Dorothée Gilbert, Danse, 6 avril 2004)
  2. ^ 「彼女は常にそのヴァリエーションを、完成度とスタイルにおいて最上級のレベルにまで到達させることが出来る」 (Danse, août 2004)
  3. ^ 「・・・華麗で絢爛たるエトワール、ドロテ・ジルベールは清涼感と熱狂と熱意に満ちたタチアナを演じた。彼女の踊りは、わが国のバレエ学校の美点を愛する者にとっての一つの喜びである」 (Gérard Mannoni, Altamusica, mai 2009)

出典

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外部リンク

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