トム・オブライエン (外野手)
アメリカ合衆国の野球選手
トム・オブライエン(Thomas J. (Tom) O'Brien、1873年2月20日 - 1901年2月3日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州アレゲニー郡ヴェローナ出身のプロ野球選手(外野手・内野手)である。
トム・オブライエン | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州アレゲニー郡ヴェローナ(en:Verona, Pennsylvania)[1] |
生年月日 | 1873年2月20日[1] |
没年月日 | 1901年2月3日(27歳没)[1] |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 170 lb =約77.1 kg |
選手情報 | |
ポジション | 外野手・内野手[1] |
初出場 | MLB / 1897年5月10日[1][2] |
最終出場 | MLB / 1900年9月15日[1][3] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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メジャーリーグでは3チームに4年間在籍し、投手と捕手以外の全ポジションをこなすユーティリティープレイヤーとして活躍した[1]。オブライエンは現役中の1901年2月に急死した[1][4]。
経歴
編集ペンシルベニア州ヴェローナ生まれ[1]。利き腕などは不明[1]。1897年にボルチモア・オリオールズに入団し、投手と捕手以外の全ポジションをこなすユーティリティープレイヤーとして活躍した[注釈 1][1][2]。1898年6月3日にピッツバーグ・パイレーツに移籍したが、1899年4月13日にニューヨーク・ジャイアンツと契約した[1]。
1899年は、オブライエンが現役生活で最高成績を上げた年だった。この年は150試合に出場し、打率.297、6本塁打、77打点、100得点という成績であった[1]。1899年10月にピッツバーグ・パイレーツに復帰したが、結局1900年がオブライエンの現役最後の年となった[1][3]。
1901年2月、キューバへの船旅中にオブライエンは船酔いの症状を訴え、その治療のために勧められて大量の海水を飲んだ[4]。しかし、海水によって内臓は回復不能なまでに損傷し、アリゾナ州フェニックスで2月3日に死亡した[1][4]。彼はピッツバーグのセント・メアリー墓地に埋葬された[1]。メジャーリーグでの通算成績は、428試合に出場して打率.278、10本塁打、229打点、278得点、55盗塁であった[1]。
脚注
編集注釈
編集- ^ a b 本記事中のボルチモア・オリオールズは1882年から1899年にかけてアメリカン・アソシエーションとナショナルリーグに加盟していた野球チームで、現存の同名チームとは関係はない。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “Tom O'Brien”. Baseball-Reference.com. 2014年12月23日閲覧。
- ^ a b “1897 Major League Baseball New Debuts”. Baseball-Reference.com. 2014年12月23日閲覧。
- ^ a b “1900 Major League Baseball Retirements”. Baseball-Reference.com. 2014年12月23日閲覧。
- ^ a b c David Nemec, Scott Flatow. “This Day in Baseball: A Day-By-Day Record of the Events That Shaped the Game”. Taylor Pub. 2014年12月23日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- “Tom O'Brien Played in Major Leagues 1897-1900”. The Baseball Cube. 2014年12月23日閲覧。