トミー・ボイス&ボビー・ハート
トミー・ボイス&ボビー・ハートあるいはボイス&ハート(Tommy Boyce and Bobby Hart)は、アメリカ合衆国の歌手兼ソングライターチーム。モンキーズの楽曲を多く製作したことで知られる。
トミー・ボイス&ボビー・ハート | |
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別名 | ボイス&ハート |
ジャンル | ポップス |
共同作業者 | ドン・カーシュナー |
トミー・ボイス | |
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出生名 | Sidney Thomas Boyce |
生誕 | 1939年9月29日 |
出身地 | バージニア州シャーロッツビル |
死没 |
1994年11月23日(55歳没) テネシー州ナッシュビル |
ボビー・ハート | |
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出生名 | Robert Luke Harshman |
生誕 | 1939年2月18日(85歳) |
出身地 | アリゾナ州フェニックス |
レーベル | A&Mレコード、RCAレコード、MGMレコード、他 |
略歴
編集トミー・ボイス
編集高校卒業後、軍隊を経てロサンゼルスで歌手を目指す。
1959年、ファッツ・ドミノに書いた『ビー・マイ・ゲスト』が全米8位の大ヒットを記録する[1]。※ジョン・マラスカルコと共作
1961年、カーティス・リー『Pretty Little Angel Eyes』(全米7位)がヒットする。(フィル・スペクタープロデュース)
1979年、「トミー・バンド」を結成する。
1994年11月23日、闘病の末、拳銃で自殺する。
ボビー・ハート
編集1961年、ボビー・ハート名義で『Girl in the Window』をリリースする。(ボイスがギターで参加)
1965年、テディ・ランダッツォ、ボビー・ウェインスタインと共作のリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ『ハート・ソー・バッド』がヒットする。
ボイス&ハート
編集1964年、チャビー・チェッカー『レイジー・エルシー・モリー』(全米40位)がヒット。続いて、ジェイ&ジ・アメリカンズ『もっと寄りそって(Come A Little Bit Closer)』(全米3位)がヒットする。
1965年、ドラマ『ザ・モンキーズ』の主人公のバンドメンバーオーディションに参加するが落選。裏方として採用され、パイロット版の音楽を担当する。
1966年、ポール・リヴィア&ザ・レイダースに『ステッピン・ストーン』、ザ・リーヴスに『恋の合言葉』を提供する。(後にモンキーズがカバー)
8月、作詞・作曲・演奏したモンキーズのデビュー曲『恋の終列車』が発売される。(11月に全米1位)
9月、ドラマ『ザ・モンキーズ』放送開始。主題歌『モンキーズのテーマ』の作詞・作曲も担当した。
1967年、A&Mレコードからデュオとしてデビュー。『アウト・アンド・アバウト』が全米39位を記録する。12月発売の『あの娘は今夜(I Wonder What She's Doing Tonight)』が翌年2月に全米8位を記録する[2]。1968年8月、『アリス・ロング』が全米27位を記録する。
1969年、選挙権年齢引き下げ運動「Let Us Vote」のキャンペーンソング『L.U.V. (Let Us Vote)』をリリースする。自主レーベル「アクエリアン」を設立し『風にくちづけ(I'll Blow You A Kiss In The Wind)』をリリースする。
1970年2月放送のドラマ『奥さまは魔女』にゲスト出演し『風にくちづけ』を披露する。
1975年、元モンキーズのミッキー・ドレンツ、デイビー・ジョーンズと事実上モンキーズの再結成となる「ドレンツ、ジョーンズ、ボイス&ハート」を結成する[3]。翌1976年、来日しコンサートを行う。