トマス・ロビンソン (第2代グランサム男爵)
第2代グランサム男爵トマス・ロビンソン(英: Thomas Robinson, 2nd Baron Grantham, PC、1738年11月30日 - 1786年7月20日)は、イギリスの政治家、外交官、貴族。
第2代グランサム男爵 トマス・ロビンソン Thomas Robinson 2nd Baron Grantham | |
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生年月日 | 1738年11月30日 |
出生地 | 神聖ローマ帝国、 オーストリア大公国・ウィーン |
没年月日 | 1786年7月20日(47歳没) |
死没地 | グレートブリテン王国、イングランド・ロンドン |
出身校 | ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジ |
所属政党 | ホイッグ党 |
称号 | 第2代グランサム男爵、枢密顧問官(PC) |
配偶者 | メアリー |
親族 |
初代グランサム男爵(父) 第2代ド・グレイ伯爵(長男) 初代ゴドリッチ子爵(次男) |
内閣 | ノース卿内閣、第二次ロッキンガム侯爵内閣 |
在任期間 | 1780年12月9日 - 1782年7月11日 |
内閣 | シェルバーン伯爵内閣 |
在任期間 | 1782年7月13日 - 1783年4月2日 |
庶民院議員 | |
選挙区 | クライストチャーチ選挙区 |
在任期間 | 1761年 - 1770年 |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1770年 - 1786年 |
首相を務めた初代ゴドリッチ子爵フレデリック・ジョン・ロビンソンは子息である。
経歴
編集1738年11月30日、駐ウィーン公使のトマス・ロビンソン(後に初代グランサム男爵に叙される)とその妻フランセス(旧姓ウォーズリー)の長男としてオーストリア首都ウィーンに生まれる[1][2]。
ウェストミンスター・スクールを経て、ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジを卒業[1][2]。
1761年から1770年にかけてクライストチャーチ選挙区から選出されて庶民院議員を務める。1770年に父からグランサム男爵位を継承して貴族院へ移籍した。1770年から1771年にかけて副宮内長官を務める。1771年から1779年にかけては駐スペイン大使を務める。1780年から1782年にかけては第一商務卿を務め、1782年から1783年にかけて外務大臣を務めた[1][2]。
栄典
編集爵位
編集名誉職その他
編集家族
編集1780年に第2代ハードウィック伯爵フィリップ・ヨークの娘メアリー・ヨークと結婚し、彼女との間に以下の2子を儲けた。
- 第1子(長男)トマス・フィリップ・ロビンソン(1781-1859):第3代グランサム男爵・第2代ド・グレイ伯爵。アイルランド総督などを務める。
- 第2子(次男)フレデリック・ジョン・ロビンソン(1782-1859):初代リポン伯爵・初代ゴドリッチ子爵。首相などを務める。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e Lundy, Darryl. “Thomas Robinson, 2nd Baron Grantham” (英語). thepeerage.com. 2014年3月31日閲覧。
- ^ a b c d e f "Robinson, Thomas (RBN755T)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 サー・トマス・ロビンソン ジョン・モーダント |
クライストチャーチ選挙区選出庶民院議員 1761年 - 1770年 同一選挙区同時当選者 ジェームズ・ハリス |
次代 ジェームズ・ハリス サー・ジェームズ・ハリス |
公職 | ||
先代 ヴィリアーズ子爵 |
副宮内長官 1770年 - 1771年 |
次代 ヒンチングブルック子爵 |
先代 第5代カーライル伯爵 |
第一商務卿 1780年 - 1782年 |
次代 トマス・タウンゼンド (商務・外国農園委員長) |
先代 チャールズ・ジェームズ・フォックス |
外務大臣 1782年 - 1783年 |
次代 チャールズ・ジェームズ・フォックス |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 トマス・ロビンソン |
第2代グランサム男爵 1770年 - 1786年 |
次代 トマス・ロビンソン |