トッレキアーラ城
トッレキアーラ城 (Torrechiara) は、イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州パルマ県のランギラーノにある城。Pier Maria II de' Rossiにより15世紀に建てられたこの城は、このエミリア地方で最も保存が良い城のひとつとして知られる。
座標: 北緯44度39分19秒 東経10度16分26秒 / 北緯44.65531527491122度 東経10.273897943419302度
概要
編集15世紀半ばに、領主ピエール・マリア2世・デ・ロッシによって建てられた。パルマ川一帯を見渡せる丘の上の要塞としてだけでなく、愛人で人妻のビアンカ・ペレグリーニ(it:Bianca Pellegrini)と過ごす逢瀬の場として使われた。4つの塔から成り、1つの塔内にある寝室の壁にはピエール・マリア2世とビアンカのフレスコ画が描かれている。二人の死去ののち所有者は転々としたが、1911年に国の文化財となり、一般公開されるようになった。
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2013年
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トッレキアーラ城
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トッレキアーラ城
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トッレキアーラ城からの眺め
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中庭
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寝室のピエール・マリア2世とビアンカの壁画
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風景の間の壁画
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勝利の間の天井画
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紋章の間の内部
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昼の間の内部
城主
編集ピエール・マリア2世・デ・ロッシ (1413 - 1482)はサン・セコンド(のちのサン・セコンド・パルメンセ)の領主で伯爵。当地のロッシ家は12世紀にこの辺りの領地を所有し、代々パルマなど周辺各地の市長を務めた。当城を建てたピエール・マリア2世は、3代目ミラノ公フィリッポ・マリア・ヴィスコンティ(ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの子)に仕えたコンドッティエーレで、ヴェネツィア共和国との戦闘に5度出陣した(ヴェネツィア共和国の歴史#15世紀)。ヴィスコンティが1447年に死去ののちは、1450年にミラノ公となったフランチェスコ・スフォルツァの配下となり、フランチェスコの孫で幼くしてミラノ公となったジャン・ガレアッツォ・スフォルツァの側近となったが、摂政ルドヴィーコ・スフォルツァによるジャンの追放とともに失脚し、隠棲して当城で死去した。子供は7歳上の正妻アントニア・トレッリ(it:Antonia Torelli)との間に10人を儲けた。なお、サン・セコンド伯爵ピエル・マリア・ロッシの肖像で知られるピエール・マリア3世・デ・ロッシ(1504 – 1547) は曾孫。
参照
編集関連項目
編集- ある愚か者の悲劇 - この城を舞台にしたベルナルド・ベルトルッチの映画
- レディホーク - この城を舞台にした映画
- プロシュット・ディ・パルマ - この地域の名産であるパルマハム