デヤン・ロヴレン
デヤン・ロヴレン(Dejan Lovren, 1989年7月5日 - )は、ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)・ゼニツァ出身のサッカー選手。リーグ・アン・オリンピック・リヨン所属。元クロアチア代表[2]。ポジションはDF。
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ゼニト・サンクトペテルブルクでのロヴレン(2020年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Dejan Lovren | |||||
キリル文字 | Дејан Ловрен | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | クロアチア | |||||
生年月日 | 1989年7月5日(35歳) | |||||
出身地 | ユーゴスラビア・ゼニツァ | |||||
身長 | 188cm[1] | |||||
体重 | 84kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | オリンピック・リヨン | |||||
ポジション | DF (CB) | |||||
背番号 | 5 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2002-2004 | NKカルロヴァツ | |||||
2004-2006 | ディナモ・ザグレブ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2010 | ディナモ・ザグレブ | 37 | (1) | |||
2006-2008 | → インテル・ザプレシッチ (loan) | 50 | (1) | |||
2010-2013 | リヨン | 72 | (2) | |||
2013-2014 | サウサンプトン | 31 | (2) | |||
2014-2020 | リヴァプール | 131 | (5) | |||
2020-2023 | ゼニト・サンクトペテルブルク | 50 | (3) | |||
2023- | リヨン | 17 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
2004-2005 | クロアチア U-17 | 18 | (2) | |||
2006 | クロアチア U-18 | 2 | (0) | |||
2006-2008 | クロアチア U-19 | 10 | (1) | |||
2007-2009 | クロアチア U-20 | 5 | (0) | |||
2007-2010 | クロアチア U-21 | 19 | (3) | |||
2009-2023 | クロアチア | 78 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
弟のダヴォル・ロヴレンもNKヤルン・ザグレブに所属するサッカー選手[3]。
クラブ経歴
編集生い立ち
編集ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)・ゼニツァで生まれ、ユーゴスラビア紛争の影響でドイツ・ミュンヘンへ移住し7年間過ごした。その間に弟のダヴォルが誕生している。しかし市民権を獲得できず、クロアチアへと移住した[4]。
クラブ
編集ディナモ・ザグレブ
編集NKカルロヴァツの下部組織で育ち、2004年にプルヴァHNLの強豪NKディナモ・ザグレブの下部組織に移った。2006年6月10日にNKインテル・ザプレシッチ戦でトップチーム初出場を飾るも、イゴール・ビシュチャンやレアンドロ・クフレ等の経験豊富な選手の存在から出場機会が限られたものとなり、2007年7月17日からドルガHNL(2部)のインテル・ザプレシッチに期限付き移籍した。インテル・ザプレシッチでの2季では、50試合に出場し1部昇格に貢献。また、2008年5月10日のNKオシエク戦(1-2敗北)で得点を挙げている。期限付き移籍から復帰後は定位置を掴み、2008-09シーズンに38試合3得点を記録した。翌2009-10シーズンはUEFAチャンピオンズリーグ 2009-10予選でFCピュニク・エレバンとレッドブル・ザルツブルクとの計4試合全てに出場し、ピュニク・エレバン戦ではゴール至近距離から頭で得点した[5]。
オリンピック・リヨン
編集2010年1月に移籍金800万ユーロ+インセンティブ150万ユーロでフランス1部のオリンピック・リヨンと4年半の契約を締結[6][7]。背番号26を与えられ、1月24日にクープ・ドゥ・フランスのASモナコ戦(2-1勝利)で公式戦初出場、1月31日のパリ・サンジェルマンFC戦(ホーム2-1勝利)でリーグ戦初出場を飾り、2試合共に先発フル出場を果たした。以後、加入1季目は主に途中出場で公式戦10試合に出場。UEFAチャンピオンズリーグでクラブは準決勝進出と躍進するも、ロヴレンはディナモ・ザグレブ在籍時に同大会の予選に出場していたため参加資格がなかった。
2季目は、2010年に守備を務めるジャン=アラン・ブームソンとマテュー・ボドメが退団したことから出場機会が増加していくと、最終的にクロード・ピュエル監督の下で地位を確立し、クリスやパプ・ディアカテと共にセンターバックのコンビを組んだ。同シーズンの活躍から2010年11月にはドン・バロンが選定する100人の世界最高若手選手に選出された[8]が、一方でサイドバックでは成功を収めることは出来ず、左サイドバックで起用されたUEFAチャンピオンズリーグ 2010-11のSLベンフィカ戦(3-4敗北)で得点を挙げる[9]も、全体的なパフォーマンスは批難された[10]。
2012年1月23日にクラブと契約を2016年までの2年延長した[11]が、翌2013年に退団することとなった。リヨン在籍の3季半でクープ・ドゥ・フランスのタイトルを獲得した。
サウサンプトン
編集2013年6月14日にサウサンプトンFCと4年契約を締結[12]。公式には移籍金非公開だが、推定850万ユーロと見られている[13]。
リヴァプール
編集2014年7月27日、リヴァプールFCに移籍。移籍金は約2000万ポンド[14]。
2017年4月、リヴァプールとの契約を2021年まで延長。週給10万ポンドとなりプレミアリーグで5番目の高給ディフェンダーとなった[15]。また2016-17シーズンのファンタジーイレブンに選出された[16]。2017-18シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝ではヘディングでボールを繋ぎ、サディオ・マネのゴールをアシストしたが、レアル・マドリードに1-3と敗れた[17]。
2018-19シーズン、ジョエル・マティプにポジションを奪われ、控えにとどまった。9月には偽証罪の疑いをかけられ[18]、シーズン終了後にはASローマやACミランが獲得に興味を示していた[19]。
2019-20シーズン、チャンピオンズリーグ、グループステージ、ナポリ戦では、1点リードを許す中、ゴールを決め、1-1での引き分けに貢献した[20] 。2月29日、プレミアリーグ第28節ワトフォードFC戦で約1か月ぶりの先発出場を果たしたが、トロイ・ディーニーとのマッチアップで苦戦するなど、0-3での完敗の要因の一つになり、批判を浴びた[21]。このシーズンは初のプレミアリーグ優勝を花道に退団、在籍中は徐々に出場時間を減らしたが、公式戦185試合に出場、ピッチ内外でチームに貢献、ジョーダン・ヘンダーソンは退団を惜しむメッセージを送った[22]。
FCゼニト・サンクトペテルブルク
編集2020年7月27日、2020-2021シーズンよりFCゼニト・サンクトペテルブルクに完全移籍で加入することが発表された[23]。
2020年8月8日、ロシア・スーパーカップの決勝に出場し、タイトルを獲得した。
オリンピック・リヨン復帰
編集2023年1月2日、オリンピック・リヨンと2年半契約を結び、10年ぶりのリヨン復帰となった[24]。
代表歴
編集世代別代表では通算48試合4得点記録[25]。2009年8月12日にベラルーシ戦に向け、スラベン・ビリッチ監督の下でA代表に初招集された。試合終了まで出番は訪れなかったものの、招集されたこと自体に喜びを表していた[26]。
2011年9月2日にUEFA EURO 2012予選のマルタ戦で初得点を挙げた。その後、本大会の暫定27人の一員に選出されていた[27]が、負傷により最終23人の一員から落選した[28]。2013年3月26日にリバティ・スタジアムでのウェールズ戦(2-1勝利)では、ジョー・レドリーを倒したことでガレス・ベイルにペナルティーキックを許すも、後半に通算2得点目にして同点弾を挙げた[29]。
2016年3月29日に行われたハンガリーとの国際親善試合でアンテ・チャチッチ監督と衝突[30]。この結果、同年5月16日に発表されたUEFA EURO 2016に挑む代表候補から落選した[31]。
2018 FIFAワールドカップでは決勝でフランスに2-4で敗れ準優勝に終わるが、レギュラーとしてプレークロアチアサッカー史上初の決進出に貢献した[32]。
2022年、ワールドカップカタール大会では決勝トーナメント1回戦の日本戦で0-1の状況からクロスでイヴァン・ペリシッチの同点ゴールをアシスト[33]、PK戦を制しして準々決勝に進出した。
2023年2月23日、代表引退を発表した[34]。
人物・エピソード
編集- 2019年11月に行われたUEFAネーションズリーグのスペイン戦で、相手DFのセルヒオ・ラモスに肘打ち食らわせたかのような場面があり、試合終了後にはその様子の写真を自身のSNSにアップして物議をかもした[35]。さらに、自身のフォロワーから「サラーのためにやったのか」という問いかけに肯定するかのような反応を見せていた[注釈 1][35]。その後、今回のSNS投稿が規律違反にあたるとして、UEFAから国際試合1試合の出場停止処分を受けた[36]。また、ラモスだけでなく「(スペイン代表は)女々しい奴らだ」とスペイン代表を挑発したほか[37]、この以前にも「セルヒオ・ラモスはミスが多い。」「ラファエル・ヴァランよりセルヒオ・ラモスが評価されているのは納得がいかない。」などと発言するなど、セルヒオ・ラモスへの口撃を行っていた[38]。
- 自分自身を世界最高のDFの一人であると考えている[39]。しかしリヴァプールの監督ユルゲン・クロップは良い時もあるが、継続性に欠ける。とも捉えられる発言をした[32]。
個人成績
編集クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグ杯 | 国際大会 | 通算 | |||||||
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シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
クロアチア | リーグ | カップ | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2005-06 | ディナモ・ザグレブ | プルヴァHNL | 1 | 0 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2006–07 | NKインテル・ザプレシッチ | ドルガHNL | 21 | 0 | — | — | — | 21 | 0 | |||
2007-08 | プルヴァHNL | 29 | 1 | — | — | — | 29 | 1 | ||||
2008-09 | NKディナモ・ザグレブ | 22 | 1 | 8 | 1 | — | 8 | 1 | 38 | 3 | ||
2009-10 | 14 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 11 | 1 | 29 | 1 | ||
フランス | リーグ | フランス杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2009-10 | オリンピック・リヨン | リーグ・アン | 8 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 |
2010-11 | 28 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 6 | 1 | 37 | 1 | ||
2011-12 | 18 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | 31 | 1 | ||
2012-13 | 18 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 24 | 1 | ||
イングランド | リーグ | FAカップ | FLカップ | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2013-14 | サウサンプトンFC | プレミアリーグ | 31 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | 32 | 3 | |
2014-15 | リヴァプールFC | 26 | 0 | 4 | 0 | 2 | 1 | 6 | 0 | 38 | 1 | |
2015-16 | 24 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 10 | 1 | 39 | 1 | ||
2016-17 | 29 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | — | 32 | 2 | |||
2017-18 | 29 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | 43 | 2 | ||
2018-19 | 13 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 18 | 1 | ||
総通算 | 311 | 11 | 30 | 1 | 15 | 1 | 71 | 4 | 427 | 17 |
代表歴
編集出場大会
編集試合数
編集- 国際Aマッチ 78試合 5得点(2009年-2022年)[44]
クロアチア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2009 | 2 | 0 |
2010 | 3 | 0 |
2011 | 8 | 1 |
2012 | 1 | 0 |
2013 | 9 | 1 |
2014 | 7 | 0 |
2016 | 1 | 0 |
2017 | 6 | 0 |
2018 | 13 | 0 |
2019 | 7 | 1 |
2020 | 5 | 1 |
2021 | 8 | 0 |
2022 | 8 | 1 |
通算 | 78 | 5 |
タイトル
編集クラブ
編集- プルヴァHNL:2回 (2005-2006, 2008-2009)
- フルヴァツキ・ノゴメトニ・クプ:2008-09
- ドルガHNL:2006-2007
- クープ・ドゥ・フランス:2011-12
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2018-19
- プレミアリーグ : 2019-20
- プレミアリーガ : 2020-21
脚注
編集注釈
編集- ^ 2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝でモハメド・サラーがセルヒオ・ラモスとの競り合いの際に負傷していた。
出典
編集- ^ “FIFA Club World Cup Qatar 2019: List of Players: Liverpool FC”. FIFA. p. 7 (2019年12月21日). 2019年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月4日閲覧。
- ^ “Dejan Lovren pozvan za utakmicu protiv Bjelorusije” (Croatian). monitor.hr. (2009年7月29日) 2009年8月16日閲覧。
- ^ “これが、ロヴレンという男!19歳弟との「1vs1」がスパルタすぎる”. Qoly (2018年6月10日). 2023年1月2日閲覧。
- ^ “戦争に翻弄されたロヴレン、世界に渾身の訴え”. Qoly (2017年2月10日). 2023年1月2日閲覧。
- ^ “Dinamo pred praznim Maksimirom prošao dalje” (Croatian). Dnevnik.hr. (2009年7月21日). オリジナルの2009年8月25日時点におけるアーカイブ。 2009年9月8日閲覧。
- ^ "Reference Document 2008/09"
- ^ "Dejan Lovren nach Lyon" Transfermarkt.de
- ^ "Don Balon’s list of the 100 best young players in the world"
- ^ "ベンフィカ、コエントランの活躍で貴重な白星"
- ^ "Idées reçues, idées fixes"
- ^ "リヨン、ロブレンと新契約"
- ^ "吉田所属のサウサンプトンがCB補強" Goal.com
- ^ "Saints make £8m swoop for defender"
- ^ "リヴァプール、ロブレン獲得を正式発表" Goal
- ^ “Dejan Lovren: Liverpool centre-back signs new deal until 2021”. BBC Sport (28 April 2017). 28 April 2017閲覧。
- ^ “Fantasy football of the season 2016-17”. SKY Sport (27 April 2017). 27 April 2017閲覧。
- ^ “Real Madrid vs. Liverpool - 26 May 2018”. us.soccerway.com. 2019年7月13日閲覧。
- ^ ロヴレン、偽証罪で懲役の可能性が…「僕は無実だと言いたい」と声明を発表サッカーキング 2018年9月20日
- ^ “ローマ、レンタルでDFロブレン獲得を狙う…ミランも関心か”. サッカーキング (2019年8月15日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ Hunter, Andy (27 November 2019). “Dejan Lovren’s header rescues point for Liverpool against Napoli”. The Guardian. 22 December 2019閲覧。
- ^ “「“最高のCB”ロブレンに責任はない」クロップが非難浴びるDFを擁護”. web.gekisaka.jp (2019年3月3日). 2020年3月23日閲覧。
- ^ “「言葉がない」…ヘンダーソンからの心温まる手紙にロブレンが感激”. ultra-soccer.jp (2020年9月10日). 2020年9月10日閲覧。
- ^ “デヤン・ロヴレン選手がLFCを退団し、ゼニト・サンクトペテルブルクに移籍”. リヴァプールFC (2020年7月27日). 2020年7月28日閲覧。
- ^ “DFロヴレン、10年ぶりリヨン復帰が決定! 2年半契約…「本当の実力をみんなに証明したい」”. サッカーキング (2023年1月2日). 2023年1月2日閲覧。
- ^ List of national team appearances at クロアチアサッカー協会公式サイト
- ^ “Dejan Lovren” (Croatian). nk-dinamo.hr. (2009 May 27) 2009 May 27閲覧。
- ^ "クロアチア代表、代表候補27人を発表"
- ^ "クロアチア代表、ロブレンが負傷離脱"
- ^ "クロアチア、ウェールズで逆転勝利"
- ^ “ロブレン、代表監督に「謝るつもりはない」 EURO出場はどうなる?”. GOAL.com (2016年4月11日). 2016年10月20日閲覧。
- ^ “Čačić looks to Croatia youth as Lovren misses out”. UEFA.com (2016年5月16日). 2016年10月20日閲覧。
- ^ a b “「俺は世界最高のひとり」 ロブレンの強気の主張にリバプールのクロップ監督は”. soccerdigestweb (2018年7月15日). 2020年3月23日閲覧。
- ^ “南野拓実、失意の中でも元同僚を想い…クロアチア代表DF「タキはメッセージをくれた。彼の人柄を語るに十分だろう」”. サンスポ. 2022年12月9日閲覧。
- ^ “S NAJVEĆIM PONOSOM ŽIVIO SAM SAN IGRANJA ZA HRVATSKU REPREZENTACIJU” (クロアチア語). Hrvatski nogometni savez (2023年2月23日). 2023年2月23日閲覧。
- ^ a b “リバプールとS・ラモスの因縁続く。クロアチア代表DF、“報復肘打ち”認める?”. フットボールチャンネル (2018年11月18日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ “リバプールのクロアチア代表DF、S・ラモスに対するSNS投稿で出場停止処分”. フットボールチャンネル (2019年1月12日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ “「女々しくて、無礼な奴らだ」クロアチア代表DFロブレンがS・ラモスらスペインを口撃”. ゲキサカ (2018年11月18日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ “サービス精神旺盛のロヴレン「僕は世界最高のDFの一人」 最高のDF3選手は…”. Goal.com (2018年11月2日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ “「オレ以外でか?」ロヴレンが選ぶ、最高のディフェンダー3名とは誰か”. qoly.jp (2018年11月2日). 2020年3月23日閲覧。
- ^ ロヴレン、「息子をタックルで削ってVARチェック」するqoly 2020年4月21日
- ^ Career statistics at Nogometni Magazin
- ^ Career statistics at transfermarkt.de
- ^ Career statistics at Dinamo Zagreb's official website
- ^ デヤン・ロヴレン - National-Football-Teams.com
関連項目
編集外部リンク
編集- Profile at the Olympique Lyonnais website
- デヤン・ロヴレン - National-Football-Teams.com
- デヤン・ロヴレン - Soccerway.com
- デヤン・ロヴレン - Soccerbase.comによる選手データ
- デヤン・ロヴレン - FootballDatabase.eu
- デヤン・ロヴレン - WorldFootball.net
- デヤン・ロヴレン - Transfermarkt.comによる選手データ
- デヤン・ロヴレン - FIFA主催大会成績
- デヤン・ロヴレン - UEFA
- デヤン・ロヴレン - クロアチアサッカー連盟
- デヤン・ロヴレン - レキップ
- デヤン・ロヴレン - hnl-statistika.com
- デヤン・ロヴレン - footballzz