デジタルシアター江津中央

デジタルシアター江津中央(デジタルシアターごうつちゅうおう)は、島根県江津市にかつて存在した日本の映画館小野沢興行株式会社によって運営されていた。

デジタルシアター江津中央
Digital Theater Gōtsu Chuō
情報
正式名称 デジタルシアター江津中央
旧名称 江津あけぼの中央劇場
開館 1973年
閉館 2008年6月13日
最終公演ヒットマン』(ザヴィエ・ジャン監督)
収容人員 180人
設備
用途 映画上映
運営 小野沢興行株式会社
所在地 695-0024
島根県江津市二宮町神主ハ315-1
位置 北緯34度58分51秒 東経132度10分50秒 / 北緯34.98083度 東経132.18056度 / 34.98083; 132.18056 (デジタルシアター江津中央)座標: 北緯34度58分51秒 東経132度10分50秒 / 北緯34.98083度 東経132.18056度 / 34.98083; 132.18056 (デジタルシアター江津中央)
最寄駅 JR山陰本線敬川駅
最寄バス停 石見交通バス「青山口」停留所
最寄IC 山陰自動車道江津西IC
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当館の前身となった映画館『江津あけぼの館』(ごうつあけぼのかん)についても本項で述べる。

歴史

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あけぼの館の時代

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1948年昭和23年)5月、当時の那賀郡江津町江津において、室崎興行運営による『江津あけぼの館』として設立・開業する[1]。開館10年後の1958年(昭和33年)1月31日には、プロパンガスの元栓が緩んだとみられる火災で焼失するも[2]、程なくして再建している。

日本の映画館数とその観客動員数は1958年頃にピークを迎え[3]、江津市では曙町にニューあけぼのシネマが1959年(昭和34年)にオープン。翌1960年には合併相手の都野津町に共栄劇場がオープンし、3スクリーンに増設したが、ニューあけぼのシネマは1963年(昭和38年)、共栄劇場は1965年(昭和40年)頃に閉館といずれも短命に終わり、あけぼの館が同市唯一の映画館となった[注 1]

1973年(昭和48年)、室崎興行はあけぼの館を閉鎖・解体し映画館事業から撤退[6]。跡地は2024年令和6年)現在、ビジネスホテル「スーパーホテル江津駅前」が建っている[7]

あけぼの中央〜デジタルシアターの時代

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その後、益田市を中心に映画館やアミューズメント施設を手掛けた小野沢興行があけぼの館の経営権を取得。小野沢興行は市街地から離れた国道9号沿いの同市二宮町神主(旧二宮村内)にパチンコ店とボウリング場を有するビルを建設し、その2階に『江津あけぼの中央劇場』(ごうづあけぼのちゅうおうげきじょう。「曙中央劇場」とも)を入居させ新たなスタートを切った[8]。開館2年後の1975年(昭和50年)3月1日、小野沢興行創業者の小野沢勝太郎が死去した。

1997年平成9年)に益田市の益田中央劇場が『デジタルシアター益田中央』に改称し同県初のデジタル音響を導入すると、翌1998年(平成10年)にあけぼの中央劇場は『デジタルシアター江津中央』に改称しリニューアルオープン[8]。5.1chのデジタルサウンドで新作映画を楽しむ時代に入った。1スクリーンで年間7 - 8作品の邦画・洋画を上映し、特にジェームズ・キャメロン監督の「タイタニック」や宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」は満席になる程の大ヒットとなったが[8][9]DVD-Videoの普及などで赤字経営が進んだことや、出雲市の大型商業施設『ゆめタウン出雲』内にシネマコンプレックスT・ジョイ出雲2008年(平成20年)6月21日にオープンすることも重なり、同年6月13日ヒットマン」(ザヴィエ・ジャン監督)の上映を最後にデジタルシアター江津中央は閉館した[8][9]。この2か月後の8月31日には益田中央も閉館しており、小野沢興行が運営する映画館は完全に消滅した[10]

閉館10年後の2018年(平成30年)、小野沢興行の初代社長を務めた小野沢明男が死去[11]。小野沢興行も令和改元後の2020年(令和2年)9月に特別清算された。デジタルシアター江津中央があった建物は2024年現在も残存しており、ビルの1階にはパチンコ店『Vinto』(2005年12月25日オープン)が入居している[12][13]

データ

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館名
(営業年)
所在地 観客定員数 備考
江津あけぼの館
(1948 - 1973)
島根県江津市郷田町1215
(開館当時の那賀郡江津町江津)
552席
(1973年時点)[6]
現:スーパーホテル江津駅前[7]
江津あけぼの中央劇場

デジタルシアター江津中央
(1973 - 2008)
島根県江津市二宮町神主八315-1 180席
(2008年時点)[8][9]
現:Vinto(パチンコ店)[12][13]

脚注

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注釈

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  1. ^ 島根県の映画館「消えた映画館の記憶」を参照した[4][5]

出典

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  1. ^ 『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年、153頁。「江津市「あけぼの館」」 
  2. ^ 「映画界の動き」『キネマ旬報』1958年3月1日、198号
  3. ^ 映画館 元祖は浅草の「電気館」 観客も拍手とやじで参加」『日本経済新聞日本経済新聞社、2023年8月23日。2024年2月8日閲覧。
  4. ^ 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。
  5. ^ 『映画年鑑 1963年版 別冊 映画便覧 1963』時事通信社、1963年。
  6. ^ a b 日本映画製作者連盟配給部会『映画年鑑 1973年版別冊 映画館名簿』時事映画通信社、1972年。
  7. ^ a b スーパーホテル江津駅前”. スーパーホテル. 2024年2月8日閲覧。
  8. ^ a b c d e 「江津唯一の映画館、13日に閉館 経営難35年の歴史に幕」『読売新聞』2008年6月8日
  9. ^ a b c 「江津の映画館 35年で幕 DVD普及など影響」『中国新聞』2008年6月14日
  10. ^ 「県西部唯一の映画館閉館へ デジタルシアター益田中央、客減り努力限界」『読売新聞』2008年8月27日
  11. ^ 街の映画館、再び〜UIターン夫婦の挑戦(下)ひたむきさ、仲間生む 県内外から「一緒につくる」- 島根」『毎日新聞毎日新聞社、2021年10月7日。2024年2月8日閲覧。
  12. ^ a b Vinto(島根県江津市)”. みんパチ. 2024年2月8日閲覧。
  13. ^ a b Vinto(江津市・敬川駅)”. DMMぱちタウン. DMM.com. 2024年2月8日閲覧。