テ・ジナ
テ・ジナ(태진아、太進児、Tae Jin Ah、1953年4月5日 - )は、大韓民国の歌手、大韓歌手協会会長。息子は歌手・シンガーソングライターのイル(이루、Eru)[2]。トロット四天王のひとり。
テ・ジナ | |
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基本情報 | |
出生名 | チョ バンホン(조방헌) |
生誕 | 1953年4月5日(71歳) |
出身地 | 韓国忠清北道報恩郡 |
ジャンル | トロット |
職業 | 歌手、作曲家 |
活動期間 | 1972年 - 現在 |
レーベル |
kakaoM (韓国) テイチクエンタテインメント(日本) |
事務所 |
YMCエンタテインメント(韓国) オフィスDAIWA(日本)[1] |
太進児 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 태진아 |
漢字: | 太進兒 |
発音: |
テ・ジナ (テ・ジン-ア) |
ローマ字転写: 英語表記: |
Tae Jin A Tae Jin Ah |
各種表記(本名) | |
ハングル: | 조방헌 |
漢字: | 曺芳憲 |
発音: | チョ バンホン |
ローマ字転写: 英語表記: |
Jo Bang Heon Jo Bang Hun |
来歴
編集貧しい家庭に生まれ、生活費を稼ぐために小学校卒業後から様々な職業に就く[3]。
1973年に「思い出の青い丘 (추억의 푸른 언덕)」で歌手デビュー。1974年にMBC10大歌手歌謡祭新人賞を受賞[3]。
1975年、現代建設社長夫人との不倫が発覚し、姦通罪の容疑で身柄拘束される[4]。数日後、協議離婚が成立したことで告訴が取り消され釈放[5]。これにより歌手分科委員会を除名処分になる[6]など活動に制限がかかり謹慎を余儀なくされる[7]。
活動を再開した後、1980年に渡米。露天商をしていた時に在ニューヨーク韓人経済人協会会長でのちの慶尚南道知事金爀珪の目に止まり、彼の元でビジネスを学ぶ[8][9]。(2006年には金爀珪の後援会長に就任した)
1984年に国内活動を再開[10]。
1989年に発表した「オッキョン (옥경이)」が7週連続1位を記録し、同曲を収録したアルバムは160万枚の大ヒットを記録[11]。この年のゴールドディスクにも選ばれる。。翌年に発表した「鏡も見ない女 (거울도 안보는 여자)」及び後続曲の「ごめん ごめんよ(미안 미안해)」は共にKBS歌謡トップ10で1位を獲得する。この年のソウル歌謡大賞で大賞を受賞。
名実ともに大物歌手の仲間入りをし、ヒョンチョル、ソン・デグァン、ソル・ウンドと合わせてトロット四天王と呼ばれるようになる。
1993年には所属していたハンバッ企画から独立し、個人事務所「ジナ企画」を設立。プロデュサーとしても活動し女優のキム・ジャオクを歌手としてデビューさせデビューアルバムは60万枚を超える売上を記録させた[12]。90年代後半からはソン・デグァンと合同コンサートも開催している。
2000年には「愛は誰もできるものじゃない (사랑은 아무나 하나)」を発表。当時トロット楽曲として初めてミュージックビデオを制作し、累計20万枚を販売し大ヒット[独自研究?]を記録。2004年の「同伴者 (동반자)」などのヒットで人気を不動のものにしている[独自研究?]。
2005年には、息子のイル(Eru)が歌手デビュー。彼のアルバム「Level II」にて親子デュエットを果たす。
2009年8月19日には日本デビューシングル「すまない」をテイチクエンタテインメントから発売。本格的に日本での活動をスタートさせる。
2010年には大韓歌手協会の会長に就任。2011年には会長としてKARAの騒動を収束させた。
受賞歴
編集- 1991年第2回ソウル歌謡大賞 - 大賞[13]
- 2017年第1回Soribada Best K-Music Award - 新韓流トロットスター賞[14]
ディスコグラフィ
編集アルバム(韓国)
編集- 「私の心急行列車 (내 마음 급행열차)」(1972年)
- 「思い出の青い丘 (추억의 푸른 언덕)」(1974年)
- 「忘れないだろう (잊지는 못할 거야)」(1977年)
- 「ギョンアの愛 (경아의 사랑)」(1982年)
- 1集「もう一度泣いたな (다시 한번 울었네)」(1988年)
- 2集「オキョン (옥경이)」(1989年)
- 3集「鏡も見ない女 (거울도 안보는 여자)」(1990年)
- 4集「ソンヒの鞄 (선희의 가방)」(1991年)
- 5集「黄色いハンカチ (노란 손수건)」(1992年)
- 6集「思慕曲 (사모곡)」(1993年)
- 7集「行ってしまった愛 (가버린 사랑)」(1995年)
- 8集「恋人 (애인)」(1997年)
- 9集「あなたの涙 (당신의 눈물)」(1998年)
- 10集「愛は誰もできるものじゃない (사랑은 아무나 하나)」(2000年)
- 11集「愛はいたずらではない (사랑은 장난이 아니야)」(2002年)
- 12集「馬鹿 (바보)」(2003年)
- 13集「同伴者 (동반자)」(2004年)
- 14集「良く暮らすだろう (잘 살꺼야)」(2005年)
- 15集「おばさん (착한여자)」(2006年)
- 16集「まあまあに (그저 그렇게)(2007年)
- 17集「あなた (자기)」(2008年)
- 18集「愛はお金よりいい (사랑은 돈보다 좋다)」(2010年)
- 19集「イルナゲトネ (일나겠네」(2011年)
- 20集「愛は涙と言うの (사랑은 눈물이라 말하지)」(2012年)
シングル(日本)
編集各種活動
編集ラジオ
編集- 1995年 - SBSラジオ「テ・ジナ 歌謡リサーチ」DJ
- 1996年 - SBSラジオ「テ・ジナのトロット・ハイウェイ」DJ
- 2003年 - KBSラジオ「テ・ジナ トロットショー」DJ
- 2004年 - KBSラジオ「テ・ジナ ショー・ショー・ショー」DJ
官公庁関連
編集脚注
編集- ^ 東方神起が秘けつ伝授!「韓国の森進一」日本進出(スポニチアネックス、2009年8月18日)
- ^ 11年ぶりの親子共演!?テ・ジナ&イル父子が揃ってCMモデルに抜擢される!)
- ^ a b '사람이 좋다' 태진아, 데뷔 49년차 트로트 외길인생…트로피만 217개毎日経済 2020年6月19日
- ^ 세상 놀라게 한 간통 사건들…스캔들부터 협박까지ハンギョレ 2015年2月26日
- ^ 이명박 대통령은 진짜 간통의 나비효과일까?2011年9月9日
- ^ 京郷新聞 1975年1月31日号 8面
- ^ 東亜日報 1977年10月1日号 5面
- ^ 무한사랑으로 맺은 가족의 인연 김혁규의원 부부&가수 태진아レディー京郷 2007年8月号
- ^ 김혁규 후원회장에 가수 태진아ハンギョレ 2006年5月8日
- ^ 가수 태진아 국내활동 재개中央日報 1984年7月4日号
- ^ チョナン・カン2 2009年12月20日放送
- ^ 故キム・ジャオクさんの所属事務所「16日午前に死去…死因は肺がんによる合併症」(公式発表全文)
- ^ “SMA - Seoul Music Awards 시대별 흐름” (韓国語). スポーツソウル. 2017年10月15日閲覧。
- ^ “수상내역” (韓国語). Soribada. 2017年10月26日閲覧。